第7話(前編)

「真依先輩、……少しお時間いいですか」




 始業前、エレベーターから降りたとき、真依は後ろからそう呼び止められた。後輩の牧田が立っていた。同じエレベーターに乗っていたようだった。





「どうしたの?牧田くん?」


 少し後ろにいる牧田が追い付いて来るのを待ちながら尋ねる。



真依の問いに、牧田は


「あ、ええと、少しお話が……」


とだけ答えた。いつもハキハキと話す牧田にしては、なんだか妙な返事だった。





ーーどうしたのだろう。




「座る?」



 エレベーターから真依たちの部署があるフロアまでの間には、休憩スペースがあった。そこを示しながら尋ねた真依だったが、




「いえ、それほど時間は」



そう牧田が言うので、立ったまま続きを待つ。




 牧田は、呼び止めた割に、煮えきらない様子で、なかなか話を始めようとしない。何か言おうと真依の方を見ては、「えぇと……」と言うだけで続かない。周りを気にしているのか、頻繁に辺りに目をやっていた。




ーーこれはそのうち天気の話をし始めるのでは




そんなことを考えていると



「……その、今日は、少し寒いですね」



と、本当に言ったから驚いた真依だった。




しかし、真依は予想通りと喜ぶことは出来なかった。



「そうね、少し肌寒かったわね」


と、とりあえず返したが



ーーまずいかも



と考えていた。






 いつも元気でハキハキと話す、そんな人間が、真剣な表情で周囲を気にして、いつも通りでいられない場面なんて真依にはいくつかしか思いつかなかった。




何か重大なミスをしたか、


相談事があるのか、


あるいはもっと個人的な誘いか。




 牧田は、同じ部署の後輩ではあるが、今同じ仕事を扱っている訳ではない。そもそも、そんな相談をされるほど信頼されるようなエピソードもない。



 これで前2つの可能性がなくなる。




残るは、




ーーいや、でも……まさか、ね。 



 仲が悪いつもりはないが、牧田の興味を引くような何かがあった記憶もなかった。




それでも、なんだか嫌な予感がして、真依も落ち着かなくなる。




ーー嫌だな





そう思ってしまう。




真依がもやもやしてきたところで、ようやく牧田が口を開いた。





「あの、茅野先輩って何が好きなんでしょうか!」







「……うん?凛?」




 予想外の言葉に、拍子抜けした。いや、予想が外れてほっとしたと言うべきか。



 少し間の抜けた口調で返事をした真依だったが、牧田は気にした様子もなく説明に入る。




「はい。僕、この前茅野先輩との仕事でミスしてしまって……すごい迷惑をかけてしまったんです」




先輩のおかげで大事にはならなかったんですけど……




もごもごと続ける牧田に、真依は尋ねる。




「じゃあ、そのお詫びがしたい?」




すると牧田が、



「……そうです。お詫びと、お礼と。」



と照れながら言った。




ーーなぁんだ



気が抜けてそう思った真依だったが、


「はい?」


と牧田に聞き返されてしまった。



思わず口に出してしまっていたらしい。




何でもないわ。


慌ててそう言ったあと、考えて言う。




「……そうねぇ。あ、凛は甘いお菓子とか好きよ?」




意外そうな顔をする牧田に、そうだろう、と思った真依だった。



 凛は、甘いもの可愛らしいものが好きだった。率直な言動や自他共に厳しい姿勢からはなかなか想像されにくかった。






 そうこうしているうちに、フロアへ向かう通路の人通りが増えてきた。始業時間が近づいて来ているのだろう。




牧田もそれに気づいたようで、



「ありがとうございます!探してみます」



 そう言って嬉しそうに立ち去って行った。そんな牧田を見送りながら、真依は考える。




 ちょっと真剣な表情で話しかけられたから、恋愛絡みの誘いと結びつけるなんて、これでは自意識過剰じゃないか。白木や石井のことがあったせいで、過敏になっているだけか、それとも、




ーー『普通』の人だったら、自分のことじゃないって分かるのかしら。




真依には、誰にでも向けられる好意と、恋愛対象に向ける好意の違いが分からなかった。





「どうしたの?」


真依の思考に他の声が割り込んで来た。




片山だった。


「おはよう」と笑っている。



「あ、おはよう」


と返し、




「ああ、牧田くんがね、凛にお礼がしたいんですって。」



と言って簡単に説明する。





真依の説明を聞き終えた片山は


「ふーん。」


とだけ言った。



あれ、と真依は思った。




「なんだか納得いってない?」


片山が、面白くなさそうな表情をしていたからだ。




真依の問いかけに、片山は、


「ただの後輩が、お礼でプレゼント探したりするかな」


と訝しげに言った。



「なあに?他意があるってこと?」




「どうだろうね」


と言うだけで、他に何も言わなかった。



ーー片山くんが言うのだから、そうなのかしら。




そう思った真依だったが、だからと言って何が出来るでもないので、真依も何も言わなかった。



しかし、


「あ、」


思い出して言った。




「ところで、もうすぐ凛の誕生日だけど、何か考えているの?」




 先程までの訝しげな表情が、一転して悩ましげな表情に替わった。



ーーああ、全くなのね。




「……それが、全然思い付かなくて」




予想通りの答えが片山の口から出てきた。




 心細そうに言う。



「一緒に買いにいってくれたり……」



「今までなら良かったけど、片山くんこそ、アピールしていくんでしょう」



 片山の言葉に被せるように真依は言った。



 片山の、凛に対する想いは、少し前に片山から報告されていた。凛は恋愛絡みの根回しを嫌う。その事は片山も知っていて、だから「相談」ではなく「凛さんを振り向かせたいんだ」という「報告」だった。



 そんな片山が、手助けを求めるのだから、楽をしたいわけではないことは分かっていた。本当に頭を悩ませているのだろう。




 それでも、一度でも人の手を借りたという事実は良くないような気がしていた。




ーーまあこれも、私の考えすぎ なのかもしれないのだけど。




 想いを寄せる人がいて、同じ想いを返してもらえるようその人のために何かをする。それは、真依にとって経験のないことで、何だか特別なことだった。「普通」の人は、当然のことだというかもしれないが。






ーーどちらにしても、



と、真依は気をとりなおして



「牧田くんでさえ自分で考えようとしているのだから、頑張りなさーい」



と、からかうように言ってやった。




そんなあ



片山から絶望的な声がもれる。




「相談くらいは乗ってあげるから。牧田くんの質問にだけ答えるのはフェアじゃないもんね。」





そう笑いながら言い残し、真依も自分の席に向かった。




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