第5話(前編) 前進か後退か
「真依さんは、白木くんのことをなんて呼んでいるの?」
同期の女子社員から、真依がそう尋ねられたのは、会議室の片付けをしているときだった。
真依の会社では、お茶汲みは女子社員の仕事という慣習は無くなって久しい。会議室の片付けなども手が空いている者が行うのだが、今日は真依を含めて女子が4人だった。
同年代の女子社員だけ、というのがマズかった。やはり「恋バナ」は避けられないようだ。
「え?『白木くん』だけど……?」
嘘をつく必要もないので真依が正直に答えると、
えええー!
なんでー
大合唱だ。
いつのまにか真依のいる場所から遠い机を片付けていた女子まで集まっていた。皆聞きたくて聞きたくて仕方がなかったようだ。
「なんで、って……不便じゃないからかな」
真依はそう答えながら考える。
ーーそもそも白木くんの名前、知っていたかしら……
……ああ、知ってた知ってた
佐野とのやり取りの中で聞いたことがあった真依だった。
佐野は、真依が一緒の時は真依の呼び方に合わせて「白木」と呼ぶが、普段は違うようで、時々名前で呼ぶことがあった。
「え、でもでも、白木くんは『真依さん』って呼んでいるのに……!」
「それは、白木くんだから、ねぇ……」
誰にでもそうだろうという意味を込めて言った真依だったが、
「気づいてないの?白木くんは真依さん以外の女子は名字で呼んでいるのよ?」
と言われてしまう。
うわぁ特別なんだ
いいなあ、うらやましい
ねー素敵よね
口々に言われ、しまいには、
「真依さんも、恥ずかしがらずに呼んであげたらいいのに」
とまで言われてしまった。
ーー別に恥ずかしいから呼んでいない訳ではないのだけど
と思うが、言わない。
それが「普通」なら、あえて違うと言い張る必要もないだろうと思うからだ。
会議室も片付き、1人が上司から呼ばれたため、その場は解散になりこれ以上の追求はなかった。
名前で呼ぶ、か……
自分の部署に帰りながら考える。
必要を感じていなかったため、呼び方を変えていなかった。
実際白木も呼び方を気にしている様子は無かった。
だけど、
もしかして、
自分の席に座り、白木に視線をやる。
ーーそんな「素敵な彼氏」に私は我慢させているのかしら……
◇◇◇◇◇◇
もうすぐ終業という時間になって、白木から真依に
-真依さん、夕飯食べて帰らない?
と連絡が来た。
-いいわよ、いつもの所?
と、真依は確認のつもりで返したが、
-いや、今日は別の店にしよう
という文面と共に、店の名前と場所が送られてきた。
駅から会社と反対に進んだところにある、
真依の行ったことのない店だった。
先に着いたので入って待つことにする。帰る時に白木を見たが、残業は無いようだったからすぐ来るだろう。
通されたのは半個室といえる空間で、壁やドアで区切られてはいないが、かなりしっかりとスペースが分けられていた。
居酒屋というよりレストランという雰囲気の強い店だった。
わざわざ店を選ぶなんて、佐野に聞かれたくない話でもするのかな、くらいに思っていた。
しかし、
「提案があります」
食事を終えて、白木の口から出てきたのはこんな言葉だった。
真剣な顔で白木が続ける。
「僕のことを、ボーイフレンドだと思ってください。」
「……なにそれ。」
真依は呟いた。
考えが読めない。
白木と「付き合い」始めてまだ日は浅いが、彼の意図が掴めないことには慣れたつもりだった。
白木の、意図が読めない発言や行動は、何も考えていないのではなく、色々考えた上でのものだと真依は認識していた。
だからこそ、意図がつかめないのも不快ではなかった。不快などころか、今度は何を考えているのだろう、と興味深く思うほどだった。
しかし、今回は笑えなかった。
『ボーイフレンド』
真依のなかで、すっ、と何かが冷えていくのがわかる。結局彼も今までの人達と一緒だったのか。
「それは、あなたの恋人らしく振る舞えということ?」
予想以上に冷たい声が出た。
冷たい声、というよりも気管が収縮して声が上手く出ない。
ーーなんで、
なんで、
知っているよと言ってくれたじゃない。
「好きじゃなくていい」「いてくれるだけでいい」なんて言っておきながら、すぐに発言を翻す人達とは違うと思っていたのに。
一気に溢れてきた思考を、
ーーいや違う。
白木くんのせいにしてはいけない。
と真依は自分で否定する。
ーーだって、
ーーおかしいのは私なんだから。
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