第6話

 そして数分後。


 俺はモデルルームのように綺麗に片付けられた寮の一室にいた。


(馬鹿か俺は……向こうが勝算アリと踏んでいるってことは、根回しが済んでるってことと同義じゃないか……)


 頭を抱え、うーんと唸る。わざわざ罠にかかりにいったアホな俺。


 美樹は俺をベッドに座らせて、自分は机に備え付けられている椅子に腰を下ろして微笑んでいた。微笑みとはいえ、何か企んでいるかのような感情が見え隠れしている。


「まぁまぁ、せっかくなんだし、寛いでよ」


 言われても俺は落ち着けない。女のコらしい暖色系の調度品や小物で統一された室内を、気を紛らわすつもりで見渡した。


(あれ? 広くないか?)


 俺の偏見かもしれないが、寮の一室っていうのは四畳半くらいでベッドと学習机なんかを置いたら一瞬で狭くなるようなもんだと思っている。しかしこの部屋はまだまだゆとりがあって、机もベッドももう一セットくらい置けそうなスペースがあった。


「――なぁ、この部屋、一人で使うには広すぎやしないか?」


「うん。本来なら二人で使用する部屋だからね」


 しれっと返される。確かにそれなら納得だ。


「それはお前が男だから、特別にってことか?」


「これは偶然だよ。編入して寮に入ったから、溢れちゃっただけ」


「ふぅん……」


 この学院の連中のどれだけが美樹の正体を知っているんだろうかと思う。学校内を歩いていても、すれ違う生徒たちは普通に挨拶してきたし、寮の中でも当たり前のように馴染んでいた。むしろ、彼は人気者らしく、挨拶を返す度に頬を赤らめて嬉しそうにキャッキャとはしゃぐ女子生徒たちを見せつけられたくらいなのだが。


(――可哀想に。騙されてますぜ、お嬢さん方……)


「あのさ、名前、教えてくれないかな? 私はカブラギヨシキ。校内ではミキで通してる。君は?」


「俺? ――俺はシノノメアオイ」


「アオイかぁ。男女のどっちでも似合う名前だね」


「嬉しくない」


「シノノメアオイって、どう書くの? ここに書いてみてよ」


 机の上に置かれていた紙を、ムスッとしている俺の前に差し出す。ペンと下敷きもそのあとに渡された。


「ん……」


 押し付けられて、俺は渋々名前を書く。東雲葵っと。


「東雲って珍しい名字だよね。読めなかったんだよ」


 名前の書かれた紙を美樹は取り、じっと文字を見た。


(ん? ――今、唇の端が上がったような……)


 気のせいかと思いながら、俺は返す。


「うん。確かに読めないっていうヤツは多いな。書けないって文句を言われることもある」


「だろうね。私も困ったんだ」


「……なぁ。聞いていいか?」


「何かな?」


「さっきからお前、何のことを言っているんだ?」


 名前の書かれた紙を丁寧に封筒にしまっている美樹の背中に、俺は恐る恐る訊ねてみる。何か妙だ。


「いやぁ、編入手続きの書類を書くのに、名前がわからなくって。スマホの登録データを参考にさせてもらったんだけど、うまくいかないものだね」


(えっと……つまり……)


 冷静になって美樹の台詞を反芻する。


(編入手続き、名前……)


 良からぬ結論に、俺の額に冷や汗が浮かんだ。


「さてと。あとは制服の採寸だけか」


 にっこりと、しかし不気味に笑んで美樹は近付いてきた。


 ベッドにいた俺は瞬時に立ち上がる。


「ちょっ……お前、正気かっ!? 俺に聖カサブランカ女学院に入れって言っているように聞こえるのは気のせいかっ?!」


「ご明察。でももう遅いよ」


 がばっ!


「おふっ」


 あっさり押し倒れて、身動きを封じられた。


(――そういえばこの男、背の高い塀をいとも容易く上れるんだったよな……)


 大した運動神経だが、ここはその能力の使いどころだろうか。いや、絶対に間違っている。


「さて、どうする? 自分で着替える? それとも私に身ぐるみ剥がされてみる? ちなみに後者はとても得意だ」


「いらんわっ! そんなプロフィールっ!」


 自慢されても反応に困る。俺はもがいて必死に抵抗する。さすがにされるがままにはなりたくない。


「――無駄だと思うよ? 訓練していないと、私からは逃れられない」


 強く押さえ込まれてしまって、ビクともしない。コツでもあるのだろうか。


 俺は抵抗するのを素直に諦めた。


「……わかった。採寸くらいは付き合ってやる。だが、その前に一つだけ、教えてくれないか?」


「君に質問する権利はないよ。私に従ってくれれば万事オーケーだ」


「全然オーケーじゃないっ!」


 怒鳴ると、美樹はふぅっとため息をついて続けた。


「しょうがないなぁ。質問していいよ。聞くだけはしてあげる。答えるかどうかは、質問次第」


 ならば言うだけ言っておくかと俺は口を開いた。


「……お前はなんで俺をこの学校に誘うんだ?」


 手間や労力に見合う何かがあるとは思えない。俺は下敷きにされたまま静かに見上げた。


「私の秘密を守るためだ。さらに、君には協力してほしいと思っている」


 顔色が変わることはなかった。とてもあっさりと言ってくれる。


「何の協力なんだ?」


「質問は一つだけの約束だ」


「……ケチ」


 話の流れで答えるんじゃないかと思った俺が馬鹿だった。美樹は口が固いようだし、一見にこやかに捉えられるその顔は実のところその内心を映していないように感じられる。つまり、演技が上手い。


「――しかし、編入届けを提出したところで、俺がおとなしく入学すると思うのか? お前みたいな例外として手続きが完了したとしても、俺の意志はそう簡単に揺らがないぞ」


「うん。だからその対策も考えてある」


 言いながら、美樹は着ていたブラウスの上のボタンを一つ、二つと外す。その仕草が妙に色っぽい。


「こうして、こうすれば――」


 くるっと瞬時に上下が入れ替わった。つまり、俺が上で美樹が下敷き。


「良いってわけだ」


 カシャッ。


 シャッター音がどこからともなく聞こえ、俺はすぐさま飛び退いた。


「な、なにすんだっ?!」


 扇型にふわりと広がった黒い髪、はだけて覗く美しい鎖骨、恥ずかしげに上気した頬、戸惑いに揺れるうるんだ瞳――。


「今の写真なら、事実としては充分だろう? 他のみんなはどう思うかな?」


 全身が熱い。相手が男だとわかっていても。


「このために俺を部屋に連れ込んだってわけかっ!」


「弱みを握りたかったんだけど、葵は本当に隠し事がない正直者なんだもん」


「もんって……」


 可愛いげのない状況を可愛く言われてもな。俺は自身の額に手を当てる。変な汗で湿っていた。


「今の写真をばら蒔かれたくなかったら協力してよ。――ちなみに写真はパソコンの中だが、強引に削除しようとした場合、君のスマホに入っていた全てのアドレスに写真が送信されるようになってる。そうだ。せっかくだし写真も見ておく?」


「……もういい」


 さすがに観念した。動けば動くほどドツボにはまる。


「じゃ、制服の採寸だね」


 はしゃぐような口調で言って、美樹は楽しそうに微笑んだ。それは演技ではなく、心からの気持ちに見えた。


(くっ……彼みたいなヤツを天使の仮面を被った悪魔って言うんだろうな……)


 面倒なことに巻き込まれたものだ。俺は項垂れたのだった。

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