死と生の間で【三人称視点】


 ドゥン…! とAEDで電気ショックを与える音が響くと、少女の身体は大きく跳ね上がり、そして人形のようにクタリと力を失った。


「心マするから救急車呼べ!」

「もう呼んでます! 到着まで15分くらい掛かると言われました!」


 これは少女が異変を起こしてから数分の間に起きたやり取りである。傍にいたチームメイトは倒れている少女から一定の距離を作って、顔を青ざめさせながらそれを見守っていた。

 …そして少女の縁戚である少年は、尻餅をついたまま呆然と、死人のようになってしまった“彼女”を眺めていた。






 少女が所属する部活の顧問とコーチによる連携・手早い処置にて少女の心臓は通常運動を取り戻していたが、意識は失った状態だ。そのまま駆けつけた救急隊によって近くの救急病院に運び出された。

 女子バレー部顧問と縁戚の少年が付添いで救急車に乗り込むと、救急車はサイレンを鳴らして走り出した。

 急な出来事に英学院関係者だけでなく、インターハイに出場していた選手たち、関係者も騒然としていた。


「約束したじゃない! インターハイで戦うって!!」


 その中に誠心高校のユニフォームを着用した長身の少女が、救急車に運ばれていく意識のない少女に向かって叫んでいる姿があり、事情を知らない人はその姿を異様そうに眺めていた。救急車が走り去ると彼女はその場にしゃがみ込んで嗚咽を漏らしていたが、誠心高校のチームメイトらしき少女に促されて会場内に連れ戻されていた。

 この状況でもインターハイは続行され、英学院が出場する2回戦では補欠選手を出して挑んだが……選手たちの動揺は大きく、2回戦敗退となってしまった。




■■■■■■




 少女が目覚めると真っ白な天井が目に映った。ぱちぱち、とまばたきを繰り返し、自分がどこにいるのか首を動かして確認する。周りには白いカーテンが見えるだけだ。そして身体をのっそりと起こすと深い溜め息を吐いた。

 ズキッと胸部に痛みが走ったため、少女は顔を歪めた。…手首に繋がれた点滴は栄養補助のためなのだろうか。自分の手のひらを握ったり開いたりして動作確認をしてみる。ふと手のひらを見ると豆ができていて、手の皮膚の皮が全体的に厚くなっていた。

 それをじっと眺めていると、病室の扉がノックされた。


「…どうぞ」

「…! 笑さん! 気がついたのか、良かった!」

 

 病室に入ってきた少年がホッとした様子で声を掛けてくる。少女はそれに驚いたのか目を丸くして彼を見上げた。そして訝しむように顔をしかめる。


「……何故あなたがここにいるの…? 慎悟さん」

「!……お前、エリカか」


 少女の返答に少年は少なからずとも動揺をしていた。少女の顔をじっと見て、彼女の姿を探す素振りをしたが、すぐに悟った。

 彼女のあの言葉の意味を解ってしまったのだ。


「……そうか、笑さんは逝ったのか」

「!」

「あの人が言っていたよ。ありがとうって」

「…慎悟さん、あなた…」


 少女が驚いた表情をしたのは、少年が自分の体に憑依していた人物の正体を知っていたことだけではない。今まで少年のそんな顔を見たことがなかったから驚いたのだ。


 少年は、初めての恋に破れたような…深く傷つき、後悔した表情をしていたから。




 持病もなく、検査でも特に異常は見られなかった少女。病名は心室細動か致死性不整脈かと専門の医師たちは首をひねった。

 それを判断するには判断材料が足りないが、心臓マッサージ処置で肋骨の一部が骨折しているのでしばらく入院してもらって、その後は最寄りの病院に経過観察のため通院してもらうことになるだろうとの判断を下された。


 少女は目覚めて以降、死んだように生きていた。その表情は暗く、生気を感じない目をしていた。彼女は個室の病室で毎日ぼんやりとして過ごした。医師も看護師も彼女が何を考えているのかがわからなくて、扱いに困っている様子である。


「……エリカ、お前…たまには散歩でもしたらどうだ。許可はおりているんだろう」


 病室の扉を開けて入室してきた少年の言葉に反応したのか、少女…エリカはゆっくりとそちらに目を向けた。


「……何故、あなたが付添いなのよ」

「…あの人の試合の会場に居合わせたんだよ。おじさんおばさんは海外出張に行っているし、俺が一番動きやすかったから。…もうすぐ二階堂の伯父さんが駆けつけてくれるさ」


 慎悟は腕を組んで鼻を鳴らす。2人はあまり仲が良くないらしい。お互いを見る目は冷たく、とてもじゃないが友好的な態度ではない。


「倫也さんは…どうしている?」

「…宝生? …お前と宝生は1年前に婚約破棄された。今はもう無関係の間柄。あいつは瑞沢姫乃と日々楽しく過ごしてるよ」


 もしも夢ならば、とエリカは密かな希望を胸に抱いていた。事件に巻き込まれた自分を心配してくれているかもと思ったこともある。

 だけどそんなことはなかった。彼はあの女に夢中なまま。私はもう婚約者ですらないのだ、と嘆息した。


「…夢じゃ、なかったのね」

「……エリカ、お前の行動1つでどれだけの人が迷惑を被ったかわかるか?」


 エリカの起こした行動について慎悟が静かな声で指摘した。

 もしも、なんて考えた所で過去は変えられないのは慎悟だって分かっていた。だがこんな時ですら自分のことばかり考えているエリカに腹を立てていたのだ。


「お前と笑さんの間で何があったかは詳しくは知らない。…だけど彼女は1年以上の期間、お前として生活してきた。あの事件の裁判もお前の代わりに参加したし、学校や家の行事もお前の代わりに色々やってきたんだ」


 それは二階堂エリカを害そうとしてくる人間と松戸笑が戦ったことを言っているようだ。だけど今のエリカに言っても何も伝わらないと判断したのか、慎悟は言葉を濁した。


「あの人はお前の振りなんぞ一切してこなかったけど…違う人間であるにも関わらず、気丈にお前の代わりを生きてきたんだ。心の傷を抱えながらも1人で耐えてきたんだ。…お前は投げ出すんじゃないぞ」


 本当なら八つ当たり気味に怒鳴り散らしたかった。だけど今はそんな気力がわかなかった。やっぱりこの女は苦手だと慎悟は内心舌打ちしていた。

 現に今もエリカは困惑したような表情を浮かべているので、よく分かっていないようだ。


「…お前の中途半端な偽善で、笑さんは2度も死ぬことになったんだぞ。また…苦しんで死んだんだ…あの人に庇ってもらった命を無駄にするなよ」

「……」

「…苦しんでいるのはお前だけじゃないんだ…いい加減自分の周りを見たらどうだ。お前は、笑さんが生きたかった明日を生きることが出来るんだ。…もっと広い視野で物事を見てみろよ」


 弱々しい声で慎悟はエリカにそう言うと、ゆっくりとした動作で病室を出ていった。以前であればいつでも高圧的に物をズバズバ言ってきた慎悟にしては勢いがない。


 病室に残されたエリカはボソリと自嘲するかのように呟いた。


「…助けてくれなんて、私は言っていないわ…」


 あの時のことは忘れていない。忘れるわけがない。…怖くて、殺されるのは嫌だって私は思っていた。…あの人が助けてくれた時本当に驚いたし、嬉しかった。

 …だから私は彼女になら身体をあげてもいいと思っていた。私にはこの世界が息苦しくて…ここから消えたくてたまらなかったから。明日なんて私は望んでいない。私はあのまま死んでも構わなかったのに。

 だけどそれは駄目だって。日本の地獄を管理する偉い人に言われてしまった。私と彼女の魂を正しく入れ替えるために、一旦私の身体を仮死状態にして、彼女の魂を取り出した後に私は戻された。

 私の意志とは別に。


 彼女は地獄で正しく死後の裁判を受ける…亡者となるのだ。


 …彼女は今頃、どうしているだろうか。

 もう、苦しくはないだろうか?

 ……私のしたことは余計なお世話だったのだろうか?


 ぼた、と白いシーツに涙がひとつ、ふたつと溢れてシミを作る。エリカは声を押し殺しながら涙を流していた。


 じゃあどうすればよかったの?

 私にはわからない…


 短くなってしまった髪、固くなった手のひら、少し大きくなった身体……自分の身体なのに、自分の体じゃないそんな錯覚を覚えたエリカは自分の体を抱きしめて震えた。



 彼女にはこれから、自分の姿をした別人が1年ものの間に作り上げた環境が待ち構えている。

 退院した後に久々に帰った実家では、今までそこまで会話することのなかったお手伝いさんに暖かく出迎えられて、エリカはそこで戸惑った。

 その次に自室の机に見慣れない日記帳があって、それには事細かに学校での交友関係情報が記載されていたのを発見した時、エリカはひどいめまいがしたという。


 ボッチ検定トップクラスのエリカには少々ハードルが高いスタートとなるようである。



◆◆◆◆◆◆



 エリカちゃんへ


 エリカちゃんがこの日記を読んでいるとしたら、私はこの世から居なくなったという事なのでしょう。

 私はきっと、あの事件現場であなたを庇っても庇わなくてもどちらにしても後悔していたと思う。全て私が勝手にした事です。どうか気に病まないでください。

 こうして無事にあなたに身体を返せたと言う事は、自分のしたかった事を全て達成して、未練なく逝けたのだと思う。

 身体を貸してくれて、私に機会を与えてくれて本当にありがとう。


 この日記帳には私がエリカちゃんとして過ごした日々に感じた事、伝えておきたい事をまとめているから参考にしてね。


 まず、重い話を2点。

 あの通り魔事件のことですが、私がエリカちゃんとして刑事裁判に参加し、結審しました。犯人は懲役15年の刑に処され、現在は塀の中にいますので安心してください。

 英学院の生徒は裕福なイメージが強い為、外部の人間に狙われやすいです。安全の為に、出歩く際は車での移動をオススメします。


 次に、私が英学院に通っていた期間中に、エリカちゃんを陥れようとしていた生徒を数人見つけました。別ページに詳細を記録しているので目を通しておいて下さい。

 私が相手を懲らしめたけど、まだ油断は出来ないから注意してね。できる限り、あなたの名誉は挽回できたと思います。


 ここで朗報です。味方になってくれる人たちも沢山出来ました。だからひとりで抱え込まないでね。

 私の友達はとてもいい子達です。きっとエリカちゃんとも仲良くしてくれるはずです。あなたの力になってくれること間違いなしです。  

 それと慎悟も口喧しいけど、面倒見の良いやつだよ。私も沢山助けてもらったし、あいつは早い段階で私の事を見破ったから、エリカちゃんの事を理解してくれている相手だと思います。


 二階堂パパ・ママだって、多忙でエリカちゃんとすれ違いの生活だったのだろうけど、ちゃんとエリカちゃんの事を愛してくれている。お祖父さんや伯父さんも心配していたよ。

 婚約破棄のことは残念だけど、人生はそれだけじゃない。エリカちゃんは生きているのです。生きていたら可能性はあるんだよ。

 これから先、沢山の人と出会って、もっと素敵な男性と恋に落ちるに違いないよ。そしたら宝生氏の事は過去の思い出に変わるはず。視野を広めるためにも、もうちょっと周りを見てみよう。

 エリカちゃんは可愛くて多才でお淑やかな素敵な女の子です。もっと自信をもってください。


 エリカちゃん、困ったときは誰かに助けを求めてもいいんだよ。

 出会い方が違えば、私もあなたの友達になりたかったな。


 あなたの幸せをあの世から祈っています。


 松戸笑より




 追伸

 もしかしたらエリカちゃんがスマホ破壊モンスター扱いを受けることがあるかもしれない…。詳細はいじめっ子玉井のページで確認してね。

 それとエリカちゃんの性格を知らなかったから、素の自分で過ごしていたのでキャラ崩壊していると思う。悪気はなかったの。本当にゴメンね!




◆◆◆◆◆◆


 笑の日記の記録は、インターハイ2日前で終わっていた。




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