はじめからうまくいくわけがない。やるしか無いんだよ。


「うわぁ…」


 私は二階堂ママに連れられて英学院の門を初めて潜った。

 さすが私立のセレブ校は門のセキュリティも厳しい。以前はもっとゆるゆるだったらしいけど、他の学校で不審者が侵入した事件が起きたため、厳重なゲートを取り付けた上で警備員を配置するようになったそうな。

 私が通っていた公立高校なんてお金がないから簡素なんだけどね。一応簡単には入れないように常時、門を閉ざしてるけど、こんな…無理やり登ったら電流が流れるゴッツい門とかないよ…


 生徒たちには学生カード兼通行パスが発行されている。それを入門ゲートでかざしたら駅の改札みたいに入場できる仕組みらしいけど、それでも警備員さんの厳しい目が不審者はいないかと探っている。

 保護者の入場だって厳重だ。手荷物検査に、金属探知機検査。名簿に記入と…面倒くさいけど安全のためだから苦情は少ないらしい。


 その後、私にとっては初対面の人しか居ない英学院の教師、生徒達と対面した。エリカちゃんのクラス1−3では担任の先生が、事件の影響で記憶が混濁している。だが日常生活には問題ないこと、事件のことはそっとしておくようにとみんなに周知してくれた。


 だけどやっぱり腫れ物に触るような扱いを受けてしまっていた。…私はしばらくこれに耐えないといけないんだなと思うと気が重くなった。


「あの、お手洗いは…」

「………」

ガタッパタパタパタ…


 隣の席の子に質問しようにも逃げられるし。

 なんなのこの学校。トイレの場所くらい教えてよ。…もしかしてエリカちゃん友達居なかったの? こんなバトルロワイアル校だから馴染めずにいじめられてたの?

 

 私はエリカちゃんの可愛い顔で柄悪く舌打ちしながら、トイレを探しに校内を徘徊していた。

 しかし探せど探せど見つからないので私はその辺の人に質問することにした。


「すいません! そこの人、お手洗いはどこにありますか?」

「え…?」

「トイレ! トイレはどこですか!?」


 初対面の、しかも男子に聞くことではないというのは重々承知である。だけども膀胱ぼうこうはもう限界だった。


 私の質問に対して不審そうにしていた男子生徒だったが、私の鬼気迫る顔を見て、渋々ある方向を指さした。

 私はその方向に向けて走った。

 廊下は走っちゃダメ? 人としての尊厳の危機にそんなの構ってられるか!!




 なんとか間に合ったけども…

 この調子なら移動教室も同じ目に合いそうだから、自分で確認したほうが良いかもしれない。担任の先生に地図はないか聞いておこう。




■□■


 その日の放課後、私は一人地図を片手に校内を徘徊していた。移動教室の場所、更衣室に食堂、各階のトイレ…あらかた重要な場所は見て回れた。


 地図を鞄にしまい、今日はそろそろ帰ろうかなとため息を吐く。…こんなに居心地の悪い学校なんて初めてだ。こっちは被害者なんだから少しは優しくしてくれても良いと思うんだけど。なんで逃げられんのさ。


 下駄箱の場所まで歩き進めていると、私の耳に賑やかな声、懐かしく感じるボールの音が聞こえてきた。音に惹かれるようにして私はその場所に近づく。


 そこは大きな建物…体育館だな。そう言えばここには来ていなかった。同じような形をした体育館がいくつかある。

 移動しながら中を覗き込んでいると、部活生らしき生徒たちが練習をしていた。

 バスケにバドミントン、そして、バレーボール。


 私はぼんやりとバレーをしている生徒たちを見つめていた。…通っていた高校のバレー部の仲間たちを思い出して目頭が熱くなってきた。


(あぁ、皆とは二度と戦えないんだよな私…)


 だけどここで嘆いていても仕方がない。

 入部は今日の予定ではなかったが、こうしてたどり着いたのもなにかの縁である。

 私はバレー部員が練習をしている場所に歩を進めて声を掛けた。


「あのっ!」


 私は大きな声を出して部員に話しかけた。だけど思いの外小さな声だった。

 肺活量の問題か? エリカちゃん運動不足気味だしな。体も華奢だし…肉体改造の必要があるかもしれない。


「…あなた」

「私…い、1年3組の…二階堂エリカと申します! バレー部に入部したいのですが!」

「……あなたが?」


 上級生らしい女子生徒は異様なものを見る目を向けてきた。まるで半信半疑な顔である。


「もしかして受付締切が過ぎていますでしょうか!?」

「いや、そうじゃないけど…」

「球拾いでも掃除でもボール磨きでもなんでもします! どうか入部させて下さい!」


 45度のお辞儀をして私は頼み込んだ。

 私は去年…部活に入部したばかりの時は下っ端だったのでまともにバレーの練習をさせてもらえなかった。強豪校だからこそ部員数も多く、試合に出るなんて以ての外。

 厳しい上下関係に下積み、きつい練習なんて当然のことだった。だけどバレーが好きだから乗り越えられた。


 エリカちゃんの身体じゃ最初はバテるだろうけど、その内慣れるはずだ。学校がこんなつまらないならやっぱり私にはバレーしか無いと思うんだ!


 私の熱意に引き気味に頷いた部長さんに、入部届け用紙を渡されたのだが、親の同意が必要だったので一旦それを持って帰り、翌日私は部長さんの3年の教室までそれを届けに行った。



 そしてその日から私は部活に熱中することになる。

 だけどエリカちゃん本当に体力ないし小柄だしなぁ…体力や筋肉は作れるけども…今からでも身長は伸びるだろうか?




 エリカちゃんは155cm。バレーをするには小柄だ。このままじゃいかんと思った私は食生活も変えた。

 ご飯をきっちり食べること。そこでは魚と肉を積極的に摂る(勿論野菜も食べる)持参した小魚(いりこ)をおやつに。

 それに成長応援機能食品を牛乳に投入して一気飲み。


 セレブ生みんなが気取った食事をする中で、セレブなのにアスリート風の食事をするエリカちゃんの姿の私は食堂で浮いていたが、私はそんな事気にしていられなかった。 


 部活での球拾いに掃除、それに走り込みに筋トレ、ジャンプ練習と個人練習を重ねに重ね、地道に自分ができることを努力してきた。

 私の取り柄はバレーしか無い。世界の中心はバレーと言っても過言ではない。

 ボールに触れている瞬間が一番楽しく、自分が生きていると感じられるから。



「エリカ! 食堂行こ!」

「うん待って。ぴかりん」


 そうそう、始めはすぐに音を上げるだろうと思っていたらしいバレー部員達だったが、いつまでも粘る私にとうとう心を開いてくれたのか最近になって話しかけてくれるようになった。

 今私が「ぴかりん」と呼んだ子は同じクラスの山本ひかり。

 今でこそ仲良くしてくれるが、最初は彼女に煙たがられていたのだ実は。

 面と向かって文句を言われたからね。


『遊びなら入ってこないで。…あんたの代わりに死んだ人がバレーしてたから弔いのつもりなの? そういうの私達には迷惑なんだけど』


 きついこと言うな…とは思ったけど、でもそれは彼女がバレーを愛しているが故に言った言葉なのだろうなと思う。


『バレーが好きだからやるだけだけど。この学校クッソつまんないし、バレーしか楽しみがなさそうなんだもん』


 そう返すとぴかりんはあんぐりしていた。クールな美少女が形無しな瞬間であった。

 彼女は170cmの長身(175cmだった私のほうが高かったけど)でショートカットと涼やかな美貌がマッチした美少女である。彼女はいわゆる一般生。スポーツ特待で入学してきた奨学生なのだ。

 だから余計にセレブ側のエリカちゃんに猜疑心を抱いていたのかもしれない。


 私が根っからのバレー馬鹿とわかった後は心許すのが早かった。

 復学、入部して早くも1ヶ月半。もうすぐ夏休みに入り、合宿や大会などが目白押しである。1年で下っ端の私は応援側、サポート側であるが、参加できるだけで嬉しい。


 それを考えながらワクワクして食堂に向かっていたけども、私は大事な大事な牛乳を買い忘れてしまった。


「ぴかりん先行ってて! 牛乳買い忘れた!!」

「はぁ? あんたどうせ放課後にも飲んでるじゃないの。一回くらい抜いても問題ないでしょ」

「ダメ! 私はあと20cm身長伸ばさないといけないんだから!」



 「無理だって諦めなって」とぴかりんが言ってたけども、私は世界には可能性が満ちていると思うんだ。ほら。男の人でも23まで身長が伸びたっていう人がいるし。

 私は諦めないぞ。


 売店に向かって小走りで向かった私はすっかり顔なじみの売店のおば…お姉さんに「お姉さんいつもの頂戴!」と声を掛けた。

 慣れた風に牛乳を出され、お会計は学生カードで決済する。この学校は学生カードがクレジットカードの代わりになっている。食堂でもこれで決済するんだけどこれめっちゃ便利。…金銭感覚狂いそうで怖いけど。

 500mlの牛乳を無事入手できたので食堂に向かおうと踵を返すと、後ろに人が居たらしい。

 私は相手と正面衝突してしまった。


ドンッ

「うわぁっすいません!」

「……お前…」

 

 その声、その相手の顔を見て私はピンと来た。


「あれっこの間トイレの場所教えてくれた人! こないだはどうもありがとうございます。お陰で間に合いました」


 私の尊厳の恩人に頭を下げたのだが、彼はやっぱり訝しげな顔をしていた。

 はてこのエリカちゃんの美少女加減に恐れを抱いているのだろうか。


 背はぴかりんと同じくらい。黒いブレザーの胸元にあるネクタイが1年の朱色カラーなので、エリカちゃんと同じ学年だろう。

 中性的で繊細な顔立ちの少年。薄くも厚くもない形の良い唇がとてもセクシーな美形男子だった。

 しかし、描いたように整った眉は顰められていて実に勿体無い。


 思ったんだけどこの学校って妙に美男美女が多いよね。やっぱりセレブが多いから? …いや一般生もイケメン美少女が多いし…顔で生徒取ってんのかな…

 風評被害になりかねないことを考えていた私をじっと見つめて訝しげな顔をした彼は口を開いた。


「…お前、頭でもおかしくなってしまったのか?」

「…は?」

「お前にバレーなんて出来るわけがないだろ。早いところ辞めてしまえよ」

「………」


 そう言って私の横を通り過ぎて売店に入っていく少年。

 私はいきなりのダメ出しに頭が真っ白になっていた。

 私にとっては初対面の相手だ。

 エリカちゃんとこの少年がどんな関係かなんて知らないけど、それはあまりにも失礼すぎるだろう。何様のつもりだ!


「ちょっとあんたぁ! それは失礼すぎるでしょ! なんにも見てないくせに!!」


 そんなこと言って相手のやる気を削いで、相手の可能性を潰してしまうということを考えないのだろうか。

 そんなことで諦めるならそこまでと言われたらそれまでだけど、それでも他人に可能性を潰される謂われなんてないんだから。


「…本当のことだろ」

「どこの誰だか知らないけどね! 私にとってバレーは唯一の楽しみなの! 学校なんて、バレーがなければ誰が通うもんですか! 見てろよ! 私はいずれレギュラーを取ってやるんだから!」


 お行儀は悪いが、相手は敵だとみなした私はビシッと指を指した。

 今でこそ、エリカちゃんの身体では上手くバレーは出来ないけど、練習を重ねたら私の体の感覚を取り戻せるはずだ。今は肉体改造と下積みの時期なんだから焦る必要はない。


 それに、今は身長の低い選手にもチャンスは有る。


「…その背で? ボールに潰されて終わりだろうが」

「…知らないの? 今のバレーにはね、身長の低い選手の活躍もあるの。ジャンプ力と実力があればスパイカーとして活躍できるし、防御に優れていればリベロにもなれる!!」


 1999年頃に生まれたリベロというポジションは背の低い選手にも活躍の場を、ということで生まれた防御のプロフェッショナルのポジション。

 あくまで防御専門だからスパイクやブロックなどの攻撃はできない。アタックライン前でオーバーハンドトスはできないし、サーブだって出来ない。あくまで後方支援である。

 なのでリベロには相手からの強烈な攻撃を拾ってボールを繋げる使命…つまり誰よりも高い防御技術を求められるのだ。

 何度でも選手と交代ができて、コートを出入りする自由があるので、試合中も出入りして監督やコーチに指示を聞きに行って指示塔セッターに報告する任務もある。


「リベロ…?」

「知らないの? リベロは背が低くても防御が優れている選手がなれるんだよ。一度勉強し直してきたら?」


 ぽかんとする相手に向かってドヤ顔を返しておいた。

 ていうかコイツ誰だ。しっつれいしちゃうわ!

 

 そんなことよりもこんな失礼な奴を相手してる暇はない。ぴかりんを待たせていることだし、私は牛乳を持って早歩きで食堂に向かっていった。



 イタリア語で【自由】を意味するリベロ。


 155cmとバレー選手としては背の低いエリカちゃんの中にいる私は生前と同じくらい身長を伸ばすことは諦めてはいない。

 …本当はスパイカーがしたい。…だけどこの身長では厳しいのは分かっているのでひとまず、そのリベロのポジションに付くために日々奮闘中なのである。

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