トンネルの向こうは…あれ?
トンネルを潜り抜けた先には一面の花畑。
…ここがいわゆる“あの世”か。
私はどこか他人事のように考えながら花畑に足を踏み入れた。
空を見上げれば青い空が広がり、地面を見たら…これは雲だろうか? ふわふわした綿菓子のような地面に色とりどりの花が咲き誇っている。雲の上に花。それがどういう原理かはわからないが、あの世だから何でもありなのだろう。
空気は澄んでいて、いい日差しが降り注ぐ。それが心地よくて、私はんーっと背伸びをした。
しばらく花畑を歩いていて気づいたが、花畑の向こうに川が流れている。
…私は何も考えずにその川に片足を踏み入れた。ひやりと足が冷たい。死んでも冷たいと感じるものなんだな。…そのまま歩いて川を越えようともう片方の足を動かそうとした。
だが、ガシッと腕を誰かに掴まれたのでピタリと足を止めた。
だからその先に進む事はなかった。
「何…?」
振り返ると私の後ろにはあの少女がいた。
私はぽかんと彼女を見つめる。なんであなたまでここにいるの?
もしかして、私が死んだ後に彼女もあいつに殺されてしまったのであろうか?
なんて事だ。とショックを受けていると、彼女はスッと手を伸ばした。反応が遅れた私はそれをぼんやり眺めていたのだが、次の瞬間力いっぱい押された。
ドンッ!
「え……?」
構えていなかった私の体はグラリと傾く。このまま川に落ちてしまうのかと覚悟した。
…だけど川に落ちた感触はいつまで経ってもやってこない。ギュッと目を閉じていた私だったが、恐る恐る目を開けると私の体は投げ出され、先程までいた花畑から何処かへと落下していた。
どういうことなの。花畑は? 川は?
呆然としながら、ただ落下していく私だったが、彼女が雲の上の花畑から私を見下ろして言った言葉に目を丸くせざるを得なかった。
「──ごめんなさい私のせいで。…私の体を差し上げます。…どうせ、私は誰にも必要とされていないのだから」
彼女のパッチリした瞳からはボロボロと涙が溢れていて、私はそれから目を離せなくなった。
「庇ってくれてありがとう。…嬉しかったわ」
彼女のその言葉に私は目を見開いたまま、何処かへと落ちていったのである。
何を言っているの? あの子は。
体を差し上げる?
そんな事出来るわけないし、もらえるわけないじゃないの。
私の体はもう死んでしまった。
もう生き返ることは出来ないのだ。
…死んでしまったら何も出来ないのだ。
もう、何も。
…私はもっとしたいことがあった。
大好きなバレーボールの強豪校で女子バレー部レギュラーだった私。5月末のインターハイ予選出場に向けて頑張っていた。
もっと強くなって、いずれはオリンピック選手になれたらいいなって夢があったの。
…失恋は辛かったけど、死にたいと言うほどでもなかった。
お母さんにSNS映えで有名な若い子に人気のショップに行こうって誘われて、この歳でお母さんとそういう店に行くのが何だか恥ずかしくて渋ったけど…いいよ一緒に行こうって言えば良かった。
お父さんには思春期特有の反抗をして最近冷たくしてたからもっと優しくしてあげたら良かった。嫌いになったわけじゃないけど素直になれなかったんだ。
私の影響でバレーボールをしている弟をもうちょっと褒めてやればよかった。上手になってほしくていつもきつい言い方をしてしまっていたけど、最近強いスパイクが打てるようになってたの知っているのに。
バレーの仲間たちは…きっと私の代わりのポジションに立てる子はいるけども…それでも寂しい。もっと一緒に戦いたかったのに。
1年の見込みのある子にもうちょっと指導したかった。
…親友と一緒にインターハイに出たかったなぁ…ずっと一緒にバレーをしていたのに。
…あぁ神様。…正直神様なんて信じてないけど、いるなら私の望みを聞いて欲しい。
叶うなら、もう一度…
皆に会いたい。
■■■
──体が重い。
…私、何してたっけ?
…そうだ、通り魔に体をめった刺しにされて…
助けたはずのあの美少女に体をあげると意味わからないこと言われて…
…それで…
…………。
「──!?」
カッと目を開くと視界に入るのは白い天井。
私は首を動かして辺りを観察した。
白いカーテンに、白いベッド。
ここは病院だろうか?
…私、死んだんじゃないの?
私の腕には点滴がされており、その他は特に何もない。体は怠かったが、あんなにめった刺しにされたにしては軽傷すぎる気がした。
疑問はいくつかあったが、私はゆっくりと起き上がる。
サラリ…
「…ん?」
私の視界に映ったのは長い髪の毛。
部活の邪魔にならないように短く切りそろえているはずなのに、何故か目の前に長い髪の毛がある。背中までありそうな長さだ。綺麗に手入れされていてとてもキレイ。
そんでもってよく見ると手が小さい。私はバレーをしているだけあって身長は高めだ。それも相まって手も大きいのだけど、手が小さくなりすぎている。
ボールで出来た豆の痕もない柔らかい手だ。
意味がわからなくて、鏡で自分の姿を確認しようとベッドから降りた。
あまりにもおかしすぎる。…寝たきりになって数年後に目覚めたら体が退化してしまったとでも言うのか。骨格まで退化するものなのだろうか。
備え付けの洗面台の鏡の前に立って私は自分の姿を見た。
鏡を見た私は目が飛び出しそうなほど驚いた。
「!? …なにこれ…」
鏡に映るのは垂れ目気味のお淑やかそうな美少女だった。
…あの時の女の子だ…
私はあんぐりした。
同様に鏡に映る美少女もマヌケ面を晒していたので、慌てて顔を引き締める。
なにこれ。意味分かんないんだけど。
ペタペタと顔を触って、頬を引っ張ったり髪を引っ張ったりしてみたけどどれも感触がある。夢ではないらしい。
ほっぺたを両手で潰してうーん…と唸っていると、病室の扉が開いたので私はそちらに目を向けた。
そこにいたのは見ず知らずの女性。私の母と同じ年頃だけど、家庭臭くないマダムって感じの上品そうな婦人がいた。
彼女を見て誰だ? と思ってた私に対して彼女は目を見開き、その瞳にじわりと涙を浮かべた。
「…良かった目覚めたのね!? エリカ!」
「……誰ですか?」
婦人は私の元に駆け寄ってきたけども、私にとっては知らない人だということもあり、警戒して後ずさった。
彼女は私が拒否したことにショックを受けた様子で、持っていた紙袋や高そうな鞄を全て床に落としていた。
ドサドサ、ゴットン、ベシャッ
色んな音させてるけど中身は大丈夫だろうか。
「エリカ!? お母様のこと忘れたの!?」
青ざめて狼狽える彼女。
…お母様……この子のお母さんなら悪いことをしてしまったな。
ここでこの子になりすまして誤魔化すのも無理がある。…信じてもらえるかはわからないけども、ダメ元で言ってみようと思う。
自分がこの子ではないと、婦人に説明をすることにした。
「あー…えっと、私エリカじゃなくて、松戸笑っていいます」
「…え?」
「多分通り魔に殺されたんですよね。この子を庇って」
「…え? …なに、を言って…エリカ、きっと混乱しているのよ。あんなことが遭ったから。亡くなってしまった子には申し訳ないとは思っているけども、あなたは決して悪くないのよ?」
ですよねー。
信じてもらえるわけがないか。
うーん。でも私この子じゃないし、この子のふりして生きていくなんて無理なんだけどなぁ…
この子に体を返して私は成仏出来んのかね。
そもそもあの子はどこに行ったの?
「…えーと。私は
このエリカちゃんが知るはずのない私の情報をペラペラ喋ってみたけども、目の前の婦人は異様なものを見るような目を向けてくるだけである。
…若干引き気味に見える。まぁ、不気味には見えるかもしれないよね。
どうすれば信じてもらえるものだろうか。
エリカちゃんとやらも、どえらい事をしでかしてくれたもんだ。
あなたの体を貰っても、私は困るのだけどね。
埒が明かないなと思った私はハッとした。
そうだ、そうしたほうが納得してくれるかもしれない。
「なら、提案があります」
事件、そして私の死亡から1週間も経っていた。
だけど被害者からしたら1週間しか経っていないのだ。だけど、行動は早いほうがいい。
この子の体で生きないといけないと言うならば、私は自分のしたかった事をさせてもらおうじゃないか。
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