第31話 マイカ平原の戦いⅢ

 王国軍の手前二〇キロの地点で布陣する、グルーモウン軍二万の兵。方円に組まれた陣の中心に、ゼンザックは居た。騎乗こそしていないものの、不測の事態に備えていつでも動き出せる態勢で待機している。

 ロードライトとの念話から、一時間が経過しようとしてた。索敵のため二時間待てと、ロードライトは言っていた。マイカ平原の南北に点在する森を、たったの二時間で索敵するというのだから驚くべきスピードだ。しかし敵の出方を図りかねるゼンザックにとっては、その時間すらもどかしく感じた。

「ゼンちゃん、少しは気を緩めた方がいいニャ」

「わかってはいるのですが……落ち着かないものですね」

 ウロウロとせわしなく歩き回っていたゼンザックが、そう言って苦笑する。

「戦いはこれからニャ。もっと気を大きくもった方がいいニャよ」

「ドー様のように、できればいいのですが……」

「いやぁ、ドーちゃんは気を大きいというか……喜々として戦場を駆け回ってたからニャ。参考にはならないニャ」

 そう言って乾いた笑いを漏らすヘレスチップにつられ、ゼンザックの表情もわずかにほころぶ。

 しかし束の間ほぐれたゼンザックの気持ちも、ロードライトからの念話によって再び張り詰めることになる。

「ゼンザック、聴こえてるかしら?」

 緊張感をはらんだロードライトの声が、ヘレスチップの持つ水晶玉から響く。

「予定よりもだいぶ早い……悪い知らせですね」

「当たり。アナタの読み通りだったわ」

「居たのですね……別働隊が」

 ゼンザックの表情が、思わずこわばる。

「索敵部隊を、出すまでもなかったわ。鷹の目ホーク・アイに別働隊の動きがかかりました」

「もう動き出しているのですか!?」

「北の森を出て進軍中よ。そちらに向かっているわ。数は約一万五千」

「正面の軍勢と合わせて、二万五千ですか……」

「いいえ、それだけじゃないわ。南の森からもさらに一万五千……三軍あわせて四万よ。此方こちらの兵力の二倍ね」

 敵兵力の情報に、ゼンザックとヘレスチップが顔色を変える。

「二倍の兵に、三方向から囲まれつつあるのかにゃ!?」

「そういう事ね……。三軍とも、距離は約二十キロ。その場にとどまれば、一日で囲まれるわ」

「いきなり、大ピンチだニャ……」

 溜息をつきながら、ヘレスチップが肩を落とす。

「もう一つ悪い知らせ。別働隊を率いているのは、トパゾライト・アンドラダイトよ」

「トパゾライトって……金獅子ニャ!?」

「そうよ。黒騎士と金獅子、王国の二枚看板がこの戦場で兵を率いている。初戦でいきなり、王国の最大戦力を相手取ることになったわ。あの二人が相手では、きっとかなりの苦戦を強いられる……」

 本陣に、重苦しい沈黙がただよう。

 ゼンザックとヘレスチップは、次々と知らされる凶報に対応を決めかねていた。一万の敵兵であればたとえ黒騎士が率いているとしても、二万の兵を持ってすれば十分に対処することが出来る……そう考えてここまで進軍してきたのだ。優劣が、一気に入れ替わってしまった。

「ゼンザック、とどまれば一日で囲まれます。いったん引きなさい。マイカゲインに立こもって、三日間もちこたえなさい。その間に、グルーモウンから援軍を送るわ」

 ロードライトの策に、ゼンザックはすぐに応じることができなかった。

 マイカゲインは決して、護るに堅い街ではない。籠城などすれば、街にも大きな被害が及んでしまう。しかも、王国の二枚看板を相手にしようというのだ。さらに向こうの戦力は二倍だ。たったの三日とは言え、持ちこたえることなど出来るのであろうか……。

「ゼンちゃん……」

 苦悩に満ちたゼンザックの表情に、ヘレスチップが不安げな声をあげる……。

 こんなときドーが居てくれれば、どんなに心強いだろうか……ゼンザックは思わず、そんなことを考えてしまう。ドーであれば、たとえ二倍の兵に取り囲まれようと、たとえ相手が王国の最大戦力であろうと、喜々として立ち向かって行くだろう。そして事もなげに、打ち破ってしまうよはずだ。

 しかし、亡き主人にすがったところで詮なきこと……。自分の力で、残された自分たちの力だけで、この状況に立ち向かっていかなければならない。

 思考を止めるな。考え続けろ……劣勢であっても出来ることが、いや劣勢なればこそ出来ることがあるはずだ。敵の位置は、規模は、兵の構成は、練度は、速度は、地形は、天候は……すべての要素を見落とすな。すべての要素を考え合わせろ。いま出来ることを、いま成すべきことを導き出すのだ……。

 不意にドーの言葉が、ゼンザックの脳裏をよぎる。

『兵は神速をたっとぶ』

 異世界の兵法書に、そのような言葉があるらしい。兵を動かすとき、速さこそが肝要なのだ……ドーはよく、そう言っていた。そして、策が悪くとも短期決戦で勝利することはあるが、策が悪く長期戦で勝ったなどという話は聞いたことがない……そんなことも言っていた。

 猟兵レンジャーと騎馬兵を中心とした、我が軍は速い。三方向より迫りくる王国軍よりも、さらに速いはずだ。速さをもって何を成す。逃避か、撹乱か、はたまた……。

「ゼンザック、心は決まったかしら?」

「はい!」

 ロードライトの問いに対し、先程までとは打って変わった力強いゼンザックの声が響く。

「あら、声が明るいわね。もしかして、打って出るつもり?」

「その通りです」

 よどみのない声で、ゼンザックが答える。

「勝算はあるのかしら?」

「あります。負けない程度の勝算ですが、進軍の許可を」

「負けない程度……この状況ならば十分ね」

 水晶玉からの声が、しばし途絶える。ロードライトなりに、勝ち筋を読んでいるのであろうと知れる。

「……いいわ。やりましょう、許可します。存分に暴れてらっしゃい。王国軍の動きはこちらでトレースしてるから、常に確認を。戦況に変化があれば、すぐに報告。いいわね」

 そう言うと、ロードライトからの念話が途絶えた。

 爽やかな風が、草原を渡る。

 朝の陽はすでに高く昇り、まるでゼンザックたちが目指すべき道標であるかのように、東の空でまばゆい輝きを放ち続けている。

「さぁ、勝ちに行きますか!」

 ゼンザックが、陽の昇る方向を見やる。

「目標は、正面の黒騎士かニャ?」

 ヘレスチップが、口の端をゆがめてニヤリと笑う。

「おやおや、よくおわかりで」

 ゼンザックも同じように、口の端をゆがめて笑う。

「相手は一万、此方こちらは二万、勝てる! ……そう言うつもりだニャ?」

「さすがヘレスチップ様。お見通しですね」

「ドーちゃんなら、そう言うだろうな……って思ったニャ」

「包囲される前に、黒騎士の軍を撃破しましょう。三つの軍を各個撃破すれば、勝てない戦ではありません」

「そのためには、速さこそが肝要……かニャ?」

「同じ答にたどり着いていたのでしたら、心強い限りです」

 そう言いながら、ゼンザックが騎乗する。

「ドーちゃんがよく、そんなことを言ってたニャ」

 ヘレスチップも、続いて騎乗する。

「黒騎士の軍勢も、此方こちらに向かって進軍しています。となれば、我が軍の速さなら二時間の行軍で交戦です。南北からの別働隊が、我が軍を囲むまでおよそ八時間……囲まれる前にかたをつけましょう」

 馬上で語るゼンザックを、ヘレスチップが頼もしげに見つめる。

「兵力で劣る我々が向かってくるとは、王国軍も思っていないでしょう。そのきょを突けば、必ず勝てますよ!」

 そう言うとゼンザックは、馬上より全軍へ号令を放つ。

「全軍、東へ進軍! 二時間後に接敵! そのまま戦闘にはいる!」

 ゼンザックの号令を受けて伝令が走る。程なくして進軍を指示する太鼓が打ち鳴らされ、二万の兵が戦闘陣形をとりながらゆっくりと動き出す。

「進め! 敵はわずか一万だ! 恐れるな!!」

 隊列の各所で、小隊指揮が兵を鼓舞こぶする声が響く。

 おもむろに動き出した軍勢は、徐々にその速度を上げる。一糸乱れず隊列をたもったまま、驚くべき速さで二万の軍勢が征く。

「黒騎士殿。真っ向勝負、受けていただく……」

 ゼンザックの胸の内に、熱い炎が燃え始めていた。


(つづく)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る