第24話 ヴォースの戦いⅣ

 教皇スリーク・クラウンが、四貴石フォージェムスを乗せた両のてのひらを掲げる。貴石を中心に、そして貴石を掲げるスリークを中心に、おびただしい量のマナが集まり渦を巻く。

「詠唱に入る。解っておるな?」

 スリークに問われ、インディゴとクシードが臨戦態勢をとる。無防備な集中トランス状態にある術者を護るのが二人の役目だ。

「面白いものを見せてやる。楽しみにするがよい……」

 そう言ってスリークは、集中トランスに入り詠唱を始める。


   クリフォトに連なる第四のクリファ

   アディシェスの長アスタロト公爵閣下に申し上げる

   盟約に従い 御国みくにを来たらせたま


「アスタロトだと!?」

 盟約履行者の名を聞き、思わずドーが声をあげる。

「悪魔との盟約など、ろくなものではない! めろ! 何としてもだ!!」

 しかしゼンザックは先の戦いのダメージで満足に動ける状況ではなく、ヘレスチップしか対処できる者がいない。


   第五の御使みつかいがラッパを吹き鳴らす時

   ひとつの星が地に落ち 底知れぬ所の穴が開かれる


   穴から立ち昇る煙で世界は暗くなり

   煙からはいなごの群が生まれるだろう


 ヘレスチップがスリークに向けて、光の矢ホーリー・アローを放つ。しかし、インディゴの投げるダガーに射ぬかれ砕けちった。二射、三射と立て続けに放つが、いずれもインディゴによって阻まれた。

 傷をおして放ったゼンザックのナイフも、クシードの骸骨兵スケルトンに阻まれてスリークまで届くことはなかった。

 毒に侵され四肢の自由が効かないドーであったが、動けないながらも立て続けに爆裂バースト呪文スペルを放つ。しかしそのすべてが、クシードによってつぶされていた。


   その姿は出陣の用意を整えた馬に似ており

   その羽音は馬に引かれ戦場へ急ぐ戦車の響きに似ている


   その顔は人のようであり、その髪は女のようであり

   その歯は獅子ししのようであり、そのこうべにはかんむりいただ


 いつしか暗雲が垂れこめ、闇が周囲を包む。黒い霧が立ちこめるが、正確には霧ではなく視認できるほどに濃度を増した魔素だ。

 城壁の上で様子をうかがっていた暗殺者アサシンが何人か、魔素に当てられて意識を失う。空気中に当たり前のように含まれている魔素ではあるが、ここまで濃度が高まっては慣れていない者には毒となる。

 ドー、ヘレスチップ、ゼンザックの三人は、何とか詠唱を止めようと攻撃を続けながらも、術の発動に備えて身を寄せあう。


   の者はさそりの尾と針を持ち

   額に神のしるしがない者に苦痛を与えるだろう


   の者は底知れぬ所の使つかいを王と仰ぐ

   その名をもって現世に御国を顕現けんげんせしめん


   『奈落顕現アバドーン!』


 詠唱が終わり、周囲は闇と静寂に包まれる。

 やがて魔素に満ちた大気が震え出す。地が鳴り、激しい揺れをともなって大地が裂ける。そして割れ目に吸い込まれるかのように、地面の崩落が始まる。

奈落アバドンを……地獄から奈落アバドンを顕現させようというのか!?」

 崩落はなおも続き、やがて円形の巨大な穴が口を開ける。底が知れぬほどの深淵……奈落アバドンが姿を現した。

 崩落を逃れたドーたちが、恐る恐る奈落を覗きこむ。そして覗きこんだ瞬間、不意に恐怖に囚われた。穴の深さを恐れた訳ではない。闇の深さを恐れた訳でもない。奈落からもまた覗き込まれているような感覚……奈落の存在そのものが、直接恐怖を呼びおこすのだ。

 そして奈落が顕現した影響を考えて、ドーは身震いする。地獄は現世を侵食する。悪魔の、しかも公爵が顕現させた奈落だ。時が経てば地獄へ還るなどという、脆弱な存在級位ではない。むしろ、現世よりも級位が高い。現世の存在の方が競りまける……。しかもヴォースだけの話ではない。影響は、王国全土に及ぶだろう。

「素晴らしい! かくも容易に悪魔公爵にまでしゅが届くとは。さすがは四貴石フォージェムスよ!」

 スリークが両腕を広げ、術の発動を満足げに見おろす。

「悪魔との盟約など、神に仕える者として恥ずかしくないのか!」

 ドーが片膝をつきながら、スリークをにらみつける。

其方そなた、知らぬのか? 悪魔とて元は天使よ。天使が堕天した存在が悪魔なのだ。神に仕える身なればこそ、彼奴きゃつらとも盟約が交わせるというもの……恥を感じる必要など微塵みじんもないわ」

 口の端をゆがめて、スリークがドーたちを見おろす。

「解っているのか……ヴォースだけでは済まんのだぞ……」

 ギリギリと歯がみをしながら、ドーが言葉を絞りだす。

「当然だ。理解しておる」

「馬鹿な! 国を滅ぼすつもりか!?」

 スリークはドーへ嘲笑を浴びせると、再び口の端をゆがめた。そして奈落を指さして言った。

「そろそろ、の者どもがやって来よう……」

 奈落を見やれば、黒々と立ちのぼる瘴気の中に羽音を響かせながらうごめく無数の気配が感じられた。十や二十ではない。数え切れぬほどの気配がうごめいている。

「まさか、奈落アバドンいなご……まずい! ヘレス、結界をはれ!」

 即座にヘレスチップが、半球状の結界で三人を護る。奈落に立ちのぼる黒い瘴気が急激に膨張したかと思うと、そのまま結界を飲みこむほどの大きさに広がった。正確には広がったのは瘴気ではなく、瘴気をまとって飛びたついなごの大群だ。何千、何万のいなごが、金属質の羽音を響かせながら飛来する。結界の外側にもおびただしい数のいなごが取りつき、結界を食いやぶろうと牙を立てている。

「なんておぞましい姿……」

 結界に取り付くいなごを見あげ、ヘレスチップが思わず言葉をもらす。

 一見すると二十センチほどのいなごだが、その頭部はまるで人のようであり、開かれた口からは獅子の牙をのぞかせている。長い黒髪をなびかせる頭部にはかんむりをいただき、さそりのような尾には鋭い針がある。

「恐ろしい者どもが現れたようだ。我々は退散するとしよう……」

 クシードが転移ゲート呪文スペルが発動すると、光の柱が立ちのぼり三人を包みこむ。スリークが、光の中からドーへ呼びかける。

其方そなたらに、あえてトドメは刺さぬ。ヴォースを見すてて逃げだすもよし、見事ヴォースを救ってみせるもよし……好きにすれば良かろう」

 スリークの高笑いを残して、三人は転移ゲートの光の中に消えた。

 奈落から飛来するいなごはその数を増やしつづけ、ヴォースの街に嵐のように押しよせている。地表より高い物であれば、樹木であれ建造物であれ見さかいなく取りつき、かじりとり、喰いつくしている。

 城壁にも無数のいなごが取りつき、徐々に侵食を受けて崩れはじめていた。木製の南門はすでに喰らいつくされ、原型を留めていない。

 街の中から、いなごに追われる人々の悲鳴が聞こえる。逃げまどい、建物の中に立てこもるが、その建物もいなごによって侵食されている。

「ドー様、このままでは……」

「ドーちゃん……」

 ゼンザックとヘレスチップの不安げな声が、結界の中に響く。

「わかっている。わかってはいるが……」

 やはりスリーク・クラウン……喰えぬ奴だ。何ということを……ワタシに何ということをさせるつもりだ!

 なにが「ヴォースを見すてて逃げるもよし」だ。そんなことが、できる訳がない。顕現した地獄など、広がるほどに手がつけられなくなる。今だ、今しかないのだ。今なんとかしなければ、手遅れになるのだ。

 そして、なにが「見事ヴォースを救ってみせるもよし」だ。事態を収拾しゅうしゅうする方法など、ただ一つだけではないか。だがそんな方法、決してヴォースを救うことにはならん。

「クソッ! クソッ!」

 毒のしびれが残る腕で、ドーが何度も地面を殴りつける。

 やるしかない……。顕現した地獄など、放置しておくことはできん。だが、できるのか……ワタシに。

 成すべき方法はある。成すべき力もある。だがそれほどのごうを、ワタシは背負うことができるのか……。覚悟することができるのか……。二千の命だぞ。なにも知らず、なんの覚悟もない二千の民……その命が掛かっているのだぞ。

 だが、やるしかない……やるしかないのだ。このまま放置すれば、被害は二千どころの騒ぎではない。王国すべてが、地獄に呑まれてからでは遅いのだ……。

 ドーがおもむろに立ちあがる。毒に足を取られてよろめくが、すぐにゼンザックがその身を支えた。

「上等だ! やってやる! やってやろうじゃないか!!」

 ドーの叫びが、結界の内側に響く。

「すべての罪は、ワタシが背負ってやる! ヘレス、ゼンザック、手を貸せ。地獄を焼きつくす!!」

 事の重大さを理解したヘレスチップが、躊躇ためらいながらもうなづく。

「街ごと……だよね」

「……それしか手がない」

「でもドー様。住民を避難させる時間など……」

「そうだ、時間などない。街の者を転移させるマナもない……」

「そんな……二千人ですよ!?」

 ようやくドーの考えを察し、ゼンザックが言葉を失う。

「解っている。奈落アバドンいなごも地獄の侵食も、ヴォースの街ごと、焼きはらう。これしか方法がないのだ。理解しろとは言わん。黙って手を貸してくれ……」

 ドーの決意に、苦渋の決断に、ゼンザックは返す言葉がなかった。しかし、迷っている時間などない。代わりとなる策もない。すべての思いを飲み込んで、ゼンザックはただ静かにうなづいた。

「すまんな……つらい思いをさせる」

 苦々しい表情を浮かべながら、ドーが詫びる。

「地獄など、易々と焼きつくせるものではない。よって三つの呪文スペルを重ねて、相乗効果で焼きつくす。ヘレス、半径二キロに結界だ。結界内の熱を、すべて内側へ反射するよう術式を加えてくれ。その後に、煉獄の炎を召喚だ。そこまで整ったら、お前たちは脱出しろ。あとはワタシがやる。煉獄の炎を種火にして、森羅爆裂スーパーノヴァで結界内を焼きつくす」

 呪文スペルの名を聞き、ヘレスチップが驚きの声をあげる。

森羅爆裂スーパーノヴァとか、なに言ってるの! 結界の中でそんな呪文スペルつかったら……」

「言うな、ヘレス。これしか手がないのだ」

 森羅爆裂スーパーノヴァは、大量の火炎を極限まで圧縮して一気に開放することにより、凄まじいまでの破壊力を生みだす呪文スペルだ。爆心の温度は六千度にも及び、半径十キロは焦土と化す。半径一キロに至っては、強固な建造物であっても激しい爆風と高温のため影すら残らないだろう。そのため通常であればこの呪文スペルには、術者の他にもうひとり防護役の術者を必要とする。そのような呪文スペルを、たった半径二キロの結界内で使えばどのようなことになるか……想像することすら恐ろしい。

「そんなのだめだよ。ドーちゃん、助からないじゃん」

「他に地獄の侵食を止める方法などない……」

「結界の外から……という訳にはいかないのですか」

「火炎の圧縮に、繊細な制御が必要な呪文スペルだ。結界越しに成せるような術ではない。それにな、二千の民を巻き添えにするのだ。ワタシだけ助かろうなどとは思わん……」

 三人の間に、重苦しい空気が流れる。ヘレスチップもゼンザックも、それ以上の言葉を発することができずにいた。この場にもっとマナが残っていれば……かつて半分でもドーの力が戻っていれば……そうすればまた違う選択肢もあっただろう。すべてがもう一歩のところで及ばない。

「もう時間がない、かかるぞ。ゼンザック、ヘレスをいなごから護ってやれ」

 気乗りせぬままヘレスチップが結界を解くと、そこは飛蝗ひこうの真っ只中であった。嵐のごとく押しよせるいなごに圧倒されるが、ゼンザックに支えられながらヘレスチップは街を包みこむように結界をはる。術の間、何度もいなごが取り付いて牙をむいたが、すべてゼンザックが手刀で切りおとした。

 結界の内にすべてのいなごが収まっていることを確認すると、ヘレスチップは集中トランスに入り煉獄の炎を召喚を始める。

 詠唱が始まると同時に、奈落の周囲に炎の柱が立ち上がる。四方に立った炎の柱は時を置かずしてさらに八方に、そして十六方に立ち上がり火勢を増しながら燃え広がっていく。炎の柱は重なり合い、混じり合い、やがて奈落を取り囲む大きな炎の壁となった。奈落から立ち昇る瘴気が、そして瘴気にひそむいなごの群が、煉獄の炎に焼かれて燃え落ちていく。

「上出来だ、後はワタシがやる。お前たちは脱出しろ」

 そう言ってドーが、光の柱を指差す。ヘレスチップが結界と炎を整える間に、ドーが転移ゲート呪文スペルで準備していたものだ。

「ドー様、私は……」

「ともに残るなどと言い出したら、力づくで転移ゲートに叩き込むぞ?」

「しかし!」

 このような形で、このように唐突に別れの時が訪れるなど、思ってもみなかった。ドーが此処ここで死を覚悟するのならば、自らもともに殉じたい……ゼンザックは、そう考えていた。

「お前には、成さねばならぬことがある。生きてそれをやれ」

 そう言うとドーは、強くゼンザックを抱きよせた。背中に腕を回して抱きしめる。ドーの額が、ゼンザックの顎先に当たった。

「まったく、大きくなりおって。初めて会ったときは、まだ子供であったが……」

 ドーと過ごした五年間を思い、ゼンザックが言葉を詰まらせる。

 右手を伸ばし、ドーがゼンザックの頬に触れる。金色こんじき双眸そうぼうが、じっとゼンザックを見つめている。

「見ておったぞ。バフガーを倒したのであろう? 強くなった……本当に強くなった」

 ドーの手が、優しく頬をなでる。不意にゼンザックの目尻から涙がこぼれ、頬を伝ってドーの手を濡らす。

「馬鹿者。泣く奴があるか……」

 ドーの指先が、そっとゼンザックの涙をぬぐう。

「お別れだ、ゼンザック。礼を言う、今までよくつかえてくれた」

 涙声となったドーの言葉に、ゼンザックが背を向ける。

「……別れの言葉は……言いません」

「そうか。好きにすれば良い」

 ゼンザックの背に、ドーが微笑みかける。

「またお会いする日まで、どうかお元気で……」

 そう言い残すとゼンザックは、振り返らず転移ゲートの光の中へと消えた。

「ヘレスよ。お前との腐れ縁も、此処ここまでのようだな」

「ドーちゃん……」

 ヘレスチップが、赤く泣き腫らした目をこする。

「ゼンちゃんのことは任せて。心配しなくていいから……」

「あぁ、頼んだぞ」

「あたしも、お別れなんか言わないから!」

 そう叫ぶとヘレスチップも、転移ゲートの光の中に消えた。二人を転移させた光の柱は、その役目を終えて静かに消えていった。


 いなごの大群は依然いぜんとして羽音を響かせ続け、変わらずに現世を喰らい続けている。


 ドーはおもむろに、自らのオドを高め始める。大丈夫だ……これならば届く。この場にはもう、マナが残っていない。頼れるのは、自らの体内を巡るオドだけだ。精霊王までしゅを届けるだけのオドが残っているか不安であったが、この調子であれば問題はなさそうだ。


 両手を合わせて、ドーが集中トランスに入る。体内より湧き立つオドが、ドーの周りに渦を巻く。


   火の精霊王 炎の魔神イフリート殿に申し上げる

   盟約に従い その力示したま


 奈落を取り囲んでいた煉獄の炎が、詠唱の開始と同時に一気に火勢を増す。巨大な火球となって奈落の上空に浮かぶさまは、まるで天空から太陽が降りてきたかのようだ。


   ソドムを焼きし火と硫黄

   ゴモラを焼きし火と硫黄


 膨大な熱を発する火球が、急速に圧縮されていく。燃え盛る熱量はそのままに、さらに小さく、さらに密度を増し続けていく。奈落を覆うほどの大きさだった火球は、今やてのひらに乗るほどの大きさにまで圧縮されていた。


   焼き尽くせ 灼熱の劫火ごうか

   灰燼と化せ 獰猛なる爆裂で


 あとはたがを外すだけで、極限まで濃縮された煉獄の劫火が一気に開放される。その爆風はすべてをなぎ倒し、その熱はすべてを燃やしつくし、森羅万象しんらばんしょう灰燼かいじんへと変えるだろう……。


 飛蝗ひこうの真っ只中ただなかで、ドーはそっと目を閉じる。不快な羽音の中にも関わらず、まるで静寂に包まれているかのように感じられた。


 穏やかな時の流れの中、ドーは自らの生きざまを振りかえる。

 良いことばかりではなかった。むしろ困難の方が多かった。しかしそれゆえ、懸命に生きた。

 良き仲間に巡り会えた。頼るべき者もできた。護るべき者もできた。成すべき事はまだ多く、心残りがない訳ではない。しかし総じて言えば、良き人生であった……。


――さぁ、派手に散ってみせようか。


   『森羅爆裂スーパーノヴァ!』


 王歴九九五年 五月。

 ビットレイニアの大地から、ヴォースの街が消滅した。


(つづく)

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