第Ⅲ章 魔導師の都

第25話 宣戦布告Ⅰ

 晩鐘ばんしょうが鳴りやみ夕刻の祈りに静まる街を、夕日があかく染め上げていく。

 クシード・メルシーは、鐘楼しょうろうに立ち独り街を見おろす。ビットレイン教会の中でもひときわ高いこの塔を、クシードは気に入っていた。逢魔おうまが時になると決まって、この場所を訪れる。

 沈みゆく陽の光を左に、クシードはかつてヴォースがあった方角を見つめる。あの街でドーと戦ってから、一年の歳月が過ぎようとしていた。

 ヴォース消滅の知らせは、その日のうちに教皇庁にも届けられた。ドーが街もろとも奈落アバドンを焼き尽くしたと聞き、教皇スリーク・クラウンは思惑おもわくどおりに事が運んだとばかりにほくそ笑んでいた。

 教皇庁は盛んに、ドーがヴォースを消滅させたと流布るふしている。もちろん、教皇が奈落アバドン顕現けんげんさせた事実は伏せたままに。捕縛のため教皇庁が兵を差し向けると、逃げ切れぬと悟ったドーが街を巻きぞえに自害したのだということになっている。情報の中枢たる暗殺者アサシンギルドなき今、いかなる流言りゅうげんであろうとも、教皇庁の名をもってすれば真実とすることができる。

 そう、王国中の情報を取り仕切きりっていた暗殺者アサシンギルドは、ヴォースの街とともに消滅した。これは短期的に見れば情報の錯綜さくそうにより混乱が生じることを意味し、長期的に見れば情報すらも教皇庁がにぎることを意味していた。暗殺者アサシンギルドのマスターであったインディゴは、すでに此方こちら側についている。あの男ならば、情報網を再構築することは不可能ではない。実際に小規模ながら、新しい情報網はすでに機能し始めている。

 ヘレスチップとゼンザックは、生死不明だ。ドーとともに散ったか、それとも逃げ延びて何処いずこかに潜んだか……いまだその消息は知れない。

 そして、僧兵団団長バフガー・スターネスもまた、あの戦いから行方ゆくえ知れずとなっている。バフガーが不甲斐ふがいなくゼンザックに打ちたおされた後、程なくして奈落アバドン顕現けんげんした。そのまま奈落アバドンに呑まれたか、はたまた運よく逃げ延びているのか……生きているのであればあの生真面目きまじめな男のこと、教皇庁へ報告の一つも寄越よこすであろう。死んでいるか、もしくは連絡すらとれぬ状況におちいっているのか……。

 あの日、ドーは強大な呪文スペル奈落アバドンを焼き尽くした。あまりの高熱に爆心地は沸き立ち、強烈な爆風にえぐれ、巨大なクレーターになっている。クレーターの周辺も、街の城壁や建物のすべてが灰燼かいじんし、更地さらちとなった。二千人から居たヴォースの住人も、影すら残さず燃え尽きた。爆心から離れた場所でもそうなのだ。爆心にった術者の運命など、想像することはあまりにも容易たやすい。

 西の彼方にそびえる山脈に、夕日が姿を消す。朱に照らし出される山々の稜線に、少しづつ夜のとばりがおりていく。日が落ちて今や闇と化した鐘楼しょうろうの柱の陰に、クシードはかすかな気配を感じる。人の気配とは思えないほどのわずかな気配……其処そこに在るのが当然であるかのように、その男はたたずんでいた。

「いつから居たの?」

 声をかけられ、柱の陰からインディゴが姿を現す。

「さぁ、いつからだったかな……」

 そう言いながら、懐から煙草を取りだして火を点ける。そして白い煙を吐いて、クシードのとなりに腰をおろす。

「何か用? 独りになりたいんだけど……」

「一年もつるんでるのに、つれないねぇ。仲良くやろうぜ」

れ合いなんて、必要ないよ……」

 クシードの返事に乾いた笑いで応え、インディゴは再び白い煙を吐く。

「いや、目撃情報があったもんでね。意見が欲しいわけよ」

「目撃情報?」

 立ち昇る紫煙のむこうに、クシードはいぶかしげにインディゴの横顔を見やる。

「ウェイの森で、ドーを見かけた……ってね」

「あり得ないね……」

 間髪かんはつれず、クシードが断じる。

 ドーがあの状況を脱出して生き延びている可能性など、ヴォースでの戦いの後で何度も考えた。あの状況から脱出するには、どう考えてもマナやオドが足りていない。

 教皇が奈落アバドンを顕現させた後にはもう、あの場にほとんどマナが残っていなかった。となると森羅爆裂スーパー・ノヴァは、自らのオドを使って発現させたことになる。あの呪文スペルを使ったドーには、移動のためのオドなど残っていなかったはずだ。直前までドーと戦っていたのだから、オドの残量は把握している。むしろあの残量で、よくもあのような強力な呪文スペルを発現させたものだと、驚嘆きょうたんするしかない。

蘇生リザレクションで、誰かが生き返らせた……って可能性は?」

「体が残ってなきゃ無理だね」

 肉体があり、魂さえ消滅していなければ、蘇生リザレクション呪文スペルで反魂することもできる。魂が冥府ハデスとらわれ反魂がかなわぬのであれば、向こうに渡り連れ戻すことすら不可能ではない。しかしそれとて、魂の器たる肉体があってのこと。肉体が燃え尽きてしまっているのでは、もはや打つ手がない。

「やっぱりガセネタだったかな……」

 そう言ってインディゴが、ふたたび白い煙を吐いて北の空を見やる。

「そうだ、クシード。明日の式典、行くんだろう?」

「行かない」

 明日は、ヴォース消滅からちょうど一年。教皇庁は彼の地にて、慰霊式典いれいしきてんり行う。

「何だよ、サボるつもりかよ……」

「僕は茶番に付き合うほど、お人好しじゃないんでね」

 茶番とは、よく言ったものだ……自分の発した言葉が思いのほかまとていたので、クシードは思わず苦笑してしまう。

 明日の慰霊式典いれいしきてんは、国威発揚こくいはつようの意味から、王政にとって、そして教皇庁にとって重要なものとなる……そう、慰霊とは名ばかりの式典となるであろう。

 ヴォースでの一件以降、魔導都市グルーモウン周辺の動きが慌ただしい。かつては魔導連合の中核を成し、ビットレイニア率いる騎士同盟を相手どり十年に渡る戦いを繰り広げた都市だ。今はビットレイニアに併合されてはいるが、もしも内乱が起こるとするならばあの地が起点となるであろう。

 明日の式典には、国王をはじめとする王政の重鎮、そして教皇をはじめとする教皇庁の高僧の参列はもちろんのこと、王国騎士団、教皇庁遠征軍、教皇庁僧兵団、諸侯の供出する義勇軍など、王国中の武力の多くが集結する。

 そして、かつて魔導連合を率いたドー・グローリーの大罪を告発するのだ。二千もの無垢の民の命を奪い取った、魔導師メイジなどという存在は看過かんかできぬと……ひいては、魔導師メイジギルドは危険きわまりない存在であると。

 この危険を排除するためには、武力の行使もやむなし……言外にその意をにじませながら国内外の世論を形成し、正義の名のもとに出兵することを目論もくろんでいるのであろう。

 よくできた筋書きだ……クシードはそう思った。インディゴのくわだてであろうか。彼ならば、これくらいの謀略ぼうりゃくは容易にえがくだろう。長らく教皇庁の狙いが見えてこなかったが、此処へ来て魔導都市グルーモウンが標的であろうと知れた。

「クシード、お前さ……」

 不意に呼びかけられてインディゴを見やると、二本目の煙草に火を点けるところであった。風にマッチの火が消されるよう手で覆い、くわえた煙草に火を移している。

「本当は昔みたいに、ドーと一緒に戦いたかったんじゃねぇの?」

 問われて思わず、インディゴから目をそらす。

「何を言い出すかと思えば。馬鹿馬鹿しい……」

「いいんだぜ。かつての仲間のところへ帰ったってさ」

 それができるのならば、どんなに良いことだろうか……。宵闇を渡る生ぬるい風が、クシードの頬を乱暴になでた。風に乗って届く、煙草の匂いが鼻を突く。

 こんな形で、ドーと別れるとは思っていなかった。こんなことになるのならば、ドーに救われた命を無駄にしてでも、彼女のもとに駆けつけるべきだった……。ヴォースでドーと別れた日から、そう思って後悔しない日など一日もない。

 ふたたびインディゴを見やると、いつになく優しい表情でクシードを見つめていた。この男がこのような眼をしているところなど、ついぞ見たことがない。

「駄目なんだ……。僕は呪いに縛られてるから……」

 絞るようにして発せられた言葉に、インディゴが眉根を寄せる。

「そっか……。余計なこと言っちまったな。忘れてくれ」

 そう言うとクシードに背を向け、鐘楼しょうろうを下る階段へと足を向ける。

「明日の式典、サボるんじゃねぇぞ……」

 言い残して、インディゴは階下へ姿を消した。

 独り残されたクシードは、ふたたびヴォースの方角を見やる。すっかり闇に覆われた北の空に、いくつかの星がまたたき始めていた。


(つづく)

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