第23話 ヴォースの戦いⅢ
四方から襲いかかるゼンザックのナイフかわしながら、バフガーは正面の残像を目がけて拳を叩きこんだ。虚像をとらえて空を切るかと思われた拳は、見事に実体であるゼンザックの
「しょせん実体は一つよ。気配さえとらえれば、倒せぬ道理などないわ」
「何だ、もう終わりか? たわいない……」
足元に倒れるゼンザックを見おろし、バフガーが溜息をつく。
「ゼンちゃん、立つニャ!」
「モロに入っちまってる。立てる訳がねぇよ……」
呼びかけるヘレスチップを、インディゴが制する。
「それでもゼンちゃんは立つニャ。ドーちゃんが賭かった勝負で、ゼンちゃんが負ける訳がないニャ……」
うつぶせに倒れるゼンザックを、バフガーが足で返す。両手で鳩尾を押さえ、苦悶の表情を浮かべている。呼吸が浅く、気も練れていない……戦闘不能だ。
「教皇
バフガーは振りかえり、うやうやしくスリークへと呼びかける。スリークは二人を見やると静かに首を横に振り、バフガーの背後を指さす。指し示された方向を見やると、そこには立ち上がろうとするゼンザックの姿があった。
「……しぶとい奴だ」
「負ける訳には……いかないのですよ」
立ち上がってはみたものの、いまだ呼吸すらままならない。先ずは、息を吐ききれ……全て吐ききれば、自ずと新鮮な空気が
「まずいな。ガードが
インディゴがつぶやいた通り、バフガーの拳を受けつづける両腕が赤黒く腫れあがり、今にもガードが崩れそうだ。
「これでトドメだ!!」
連打最後の一撃がガードを跳ねあげ、続いて渾身の力を込めた右拳が顔面をとらえる。後方へと吹き飛んだゼンザックが、砂埃を舞いあげながら地を滑る。
「ゼンちゃん!!」
「顔面にモロかよ。さすがにもう……」
しかしインディゴの予想に反し、ゼンザックは立ち上がった。おぼつかない足どりで、バフガーとの間合いをはかる。
「もう止めておけ。これ以上喰らえば貴様……死ぬぞ」
「負ける訳には……いかないのですよ」
ふらつきながらも拳をかまえるゼンザックに応じ、バフガーも拳をかまえる。
「手加減はできんぞ……」
「望むところです……」
二人の間に、静かな緊張が張りつめる。
先に動いたのは、ゼンザックであった。バフガーに向かって間合いを詰める間に、二体の残像を生みだす。三人のゼンザックから繰り出される拳をかわしながら、バフガーが叫ぶ。
「また残像か! 芸のない!」
さきほど見破ったときと同様に、正面の残像に実体が入るタイミングを見はからい、バフガーが正拳を繰りだす。しかしそこに実体はなく、拳は残像を殴りぬいた。
「ぬ。タイミングを外されたか……」
実体をとらえるタイミングのはずであったが、すでにそこには実体がなかった。再びバフガーが、注意ぶかくゼンザックの気配を追う。しかし残像を渡る気配を、捉えきることができずにいた。
「あいつ、まさか……」
何事かに気づいたインディゴが、思わず息をのむ。
「どうしたニャ!?」
「やめろ、ゼンザック! その速度はだめだ!!」
インディゴの叫びに、ゼンザックがわずかに口の端をゆがめる。
正面から、そして左右から繰り出される拳をかわしながら、バフガーが正面の残像に実体が移るタイミングをはかる。気配は読みづらくなっているが、わからぬほどではない。
「そこだ!!」
叫んで正面に繰り出した正拳が、ゼンザックの実体をとらえる。拳が
「馬鹿な……。三体全てが……実体……だと!?」
その場に崩れ落ちるバフガーを、分身をといたゼンザックが見おろす。そして満足げな笑みを浮かべたかと思うと、ゼンザックもまたその場に倒れこんだ。
「ゼンちゃん!!」
勝負の
「ひどい……」
思わず言葉がもれる。バフガーから受けたダメージもさることながら、限界を超えて酷使した脚のダメージが大きい。ヘレスチップがゼンザックの上体を抱き抱え、
「無茶しやがって……」
ヘレスチップの後ろから覗きこむインディゴの言葉に、ゼンザックが力ない笑顔でこたえた。
クシードとドーは、またもや
自らのオドに限界が訪れた訳ではない。そしてもちろん、場に満ちるマナを使い切ってしまった訳でもない。ただ、思うように体が動かない。
「いったい、どうしたというのだ……」
まるで
「もう体力切れ? 動きが鈍いよ?」
クシードが、
「この毒は、お前のしわざか?」
「毒? そんな物、僕は使わないよ」
「だろうな……」
魔導を修めた者であれば、毒そのものではなく毒の効果を持つ
好んで毒を用いるのは、
「まさか、あいつ……」
はたと思い至る。あり得ない話ではない。元より何を企んでいるのか、油断がならぬ男だ。このごに及んで寝がえったとしても、それがインディゴであれば驚くに値しない。インディゴとはそういう男だ。
そう考えれば、思い当たる節がある。クシードとの戦いに向かうとき、インディゴがドーの背中を押して送りだした。毒を盛られたとすれば、あのタイミングだ。おそらく手の内側に、毒針を忍ばせていたのだろう。
そこまで考え至る頃には体の自由は奪われ、膝をつかねばならぬほどに毒が回っていた。
「こっちも決着……って感じかな?」
その声に顔を上げれば、煙草をくわえたインディゴがドーを見おろしていた。左手に
二つの貴石の持ち主ゼンザックとバフガーを見やれば、二人は地に倒れヘレスチップが必死で
「一分もすりゃ動けなくなる毒なんだがな……どんだけ
インディゴが白い煙を吐きながら、あきれた表情を作る。
「貴様、裏切る気か……」
片膝を地につきながら、ドーがインディゴをにらみ付ける。
「裏切るも何も、最初から教皇につくつもりだったしな……」
薄ら笑いを浮かべながら、インディゴがドーの前にしゃがみ込む。
「ゼンザックに伝えといてくれ。悪いが
「知るか。自分で言え……」
吐き捨てるようにドーがこたえる。
「まぁ、いいさ。そんじゃ、お前も元気でな……って、生き残れたらの話だけどな」
そう言ってドーの肩を叩くと、インディゴは立ち上がり背を向けて教皇の元へと向かう。
「クシード、行くぞ。撤収だ」
インディゴに呼ばれ、その場に留まっていたクシードが渋々後を追う。
「毒なんて卑怯な手を使わなくても、僕がトドメをさしたのに……」
「時間かけ過ぎなんだよ。アイツに時間なんて与えたら、引っかき回されたあげくに、全部ひっくり返されるぞ」
「そうだけどさ……」
「優先すべきは、
そう言ってインディゴは、くわえていた煙草を指でつまみ、白い煙をはく。そしてスリークの前まで進むと、左手に持った二つの宝石を差し出した。
「面白い余興であった」
インディゴを迎え、
「ようやく
スリークの
「おぉ。四つの貴石が引き合って、鳴っておるわ……」
「おい、スリーク!
崩れ落ちそうな上体を支えながら、ドーが膝をついたままで叫ぶ。
「相変わらず、
スリークがわずらわしそうに、ドーを見やる。
「
スリークの背後に布陣していた六千の兵は既に撤退を始めており、その大半がヴォースの街から離れようとしていた。
ヴォースの街の者は、多くが城壁の上から様子を伺っていた。兵の撤退に胸を撫でおろしていたが、インディゴが教皇と共にありドーと敵対している状況に、何が起こっているのか理解ができずにいる。
「兵を引かせて、どうやってヴォースを滅ぼすつもりだ!」
「知れたことよ。
そう言ってスリークが、再び口の端をゆがめた。
(つづく)
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