第18話 暗殺者の街Ⅱ
ヴォースの街で、一番活気にあふれている場所は酒場だ。まだ日も高いと言うのに、この街の酒場は立ち飲み客が出るほどの盛況ぶりだ。
人口わずか二千人ほどの小さな街だが、
ドーとヘレスチップの二人が酒場に入ったとき、入口近くの客のざわめきが止んだ。最初は、二人の容姿に目をうばわれてのことであった。程なくして正体に気づいた者が思わずドーの名をつぶやくと、店中が静まり返り店中の視線が二人に集まった。「ドーって、魔導連合のドーか!?」「炎帝だと? 本物か!?」「十年戦争の立役者がなんで……」「生きていたのか……」「後ろのチッコイのは誰だ?」「馬鹿、知らねぇのかよ……」店の誰もが、声をひそめて二人の噂をかわしている。
「やっぱり一発でバレたニャ……」
ため息まじりにつぶやき、ヘレスチップが大きく肩を落とす。
酒場に行くというドーを、
「ヘレスよ、エールで良いか?」
「何でも良いニャよ……。この雰囲気で、よく飲む気になるニャ」
「気にしすぎなのだ、お前は」
店中の注目を一身に浴びながら、ドーがカウンターに歩みよる。
今や店内の噂話はやみ、好奇の眼差しの中に殺気が混じり始めていた。
「エールを二つだ」
静まり返る店内に、ドーの声はよく響いた。店員が、震える手でエールを注ぐ。
店内の壁には、いたる所に手配書が貼りだされていた。賞金首の似顔絵入り手配書は、賞金額が大きい程より目立つ場所に貼られている。カウンター後方の壁、ひときわ高い場所に、ドーの手配書があった。
「生きてワタシを捕らえれば、三億ゴールドだそうだ。当分遊んで暮らせるな」
自らの手配書を指さし、ドーが興味ぶかそうに言った。
「それ、襲いかかって来いって言ってるようなものニャ……」
「……そうだな。違いない」
ヘレスチップのあきれ声に、ドーは
「さぁ、遊んでやる! 面倒だからまとめてかかって来い!!」
その声を合図に、四人の男がドーの間合いに踏み込んだ。今にも掴みかからんとする男の顔面に、ジョッキを握ったままドーが裏拳を叩きこむ。そして返す手で、一番遠い男の眉間めがけてジョッキを投げつける。二人の男が崩れ落ちると同時に、腹に蹴りを喰らった残りの二人が、椅子とテーブルをなぎ倒しながら吹きとんでいた。
一瞬の出来事に、様子を見まもっていた客たちが
「貴様ら、
こう言われては、傍観を決め込んでいた者たちも引けなくなる。今や店内の客全員が、ドーに敵意を向けている。間合いをはかりながらにじり寄る客たちへ、ドーがさらに怒声を浴びせる。
「さっさとかかって来んか! 腰抜けども!!」
店全体を巻きこむ乱闘をよそに、ヘレスチップはカウンターの内側にしゃがみ込んでエールを飲んでいた。
時折、ドーが弾き飛ばすナイフや
「まったく。ドーちゃんと来ると、いつもこうニャ……」
愚痴をこぼしながら時折、カウンター越しに乱闘の行方をのぞき見る。目を輝かせて拳をふるうドーの姿を見て、ヘレスチップは溜息をついた。
「だめだ。楽しんでる。当分終わりそうにないニャ……」
また一口エールを飲んで、もう一度深く溜息をついた。
◇
いつから居たのだろうか。
「あら、インディゴはんや」
「ほんまや、ちょうどエエわ」
ルベライトとシベライトが、インディゴを見やる。
「飯でも喰おうかと降りてくりゃ、なにやってんだお前ら」
そう言ってインディゴは、くわえ煙草を指でつまみ白い煙をはいた。
「ゼンザックおるで。
「あぁん? あいつは死んだんだ。いる訳ねぇだろ……」
再び煙草を吸い、煙をはく。
「……とは言え、見ないふりもできんか。お前らは下がってろ。後は俺がやる」
ゆらりゆらりと揺らめきながら、インディゴが三人へと歩み寄る。殺気どころか、そこにあるはずの気配すら感じられない。
「何でやの! ウチらで
「お前らが勝てる相手かよ……」
「見てみぃ、手傷おわせとるわ。勝てるっちゅうねん!」
「下がるべき理由。その一、子供騙しの奇襲なんぞもう当たらん。その二、運足に重きを置く
言われて双子は、渋々その場をインディゴにゆずった。
ゼンザックと対峙したインディゴは、構えもとらずにただその場に佇んでいる。いかなる攻撃にも対処できる完全なる脱力、いかなる攻撃でも繰り出すことができる無型の型。インディゴだけがたどり着いた、究極の暗殺術……実力の一端を知るゼンザックの背に、冷たい汗が流れる。
「ゼンザック。少なからず……だ、お前は俺の手の内を知っている。小細工はなしだ。もちろん、手加減もなしだ。最初から全力で行く……」
そう言ってインディゴは、くわえていた煙草を吐きすてた。
ゼンザックは両手にナイフをかまえ、神経を研ぎ澄ます。インディゴの攻撃に、小手調べなどないことは元より承知。全力を持って迎えうつ
インディゴがゆっくりと踏みだし、続けて二歩、三歩とゼンザックの周りに円弧を描く。男の上体がゆらりとゆれるたび、周囲の空間までもがゆがんで見えた。やがて一人であったインディゴの姿が、二人、三人と増えていく。
「残像か……厄介な……」
思わず言葉がもれる。今やゼンザックは、四人のインディゴに取り囲まれていた。
一定の速度で足を運び、わずか一瞬だけ体を止めて気配を残す。そうやって残した痕跡が像となり、相手の目にはまるでそこに居るかのように映る。
四つの像から攻撃が繰り出されるとはいえ、実体は一つ……つまり、繰り出される攻撃も一つであり、残り三つの攻撃は幻だ。視覚だけに頼らず丹念に気配を探れば、決して見極められない技ではない。完璧に気配を消すことが出来るインディゴであっても、攻撃の一瞬、殺気までは消せるものではない。
「一撃でいい……。俺のナイフを止めてみろ」
インディゴの言葉に、ゼンザックは思う……必殺の一撃であれば尚のこと、殺気を消せるものではない。大丈夫だ。注意深く探れば見極められる。本体はどこだ。どれが本物だ? 右か左か、それとも前か後か……
「いくぜ……」
ナイフを手に四方にたたずむインディゴが、一斉にゼンザックの間合いへと踏み込む。
右だ! 右が本体だ!
今や最大限に研ぎ澄まされた五感がそう告げる。右からの一撃をナイフで受けようとした刹那、ゼンザックの全身に激しい悪寒が走る。
違う! 右だけではない! 四体すべてが実体だ!
右に集中している意識を即座に散らし、前後から迫るナイフを蹴り飛ばす。そして両手に持ったナイフで、左右から迫るナイフと
ナイフ同士がぶつかり金属音が響いたあと、あたりには束のまの静寂が訪れた。
四人のインディゴのうち、右で切り結んでいる一人を残して三人が
「おい、見たか、ルベライト、シベライト! 止めたぞ! ゼンザックが俺のナイフを、止めやがったぞ!」
双子も驚きの表情で、ゼンザックとインディゴを見ていた。
やがて笑い疲れたインディゴが、ナイフを収めてゼンザックと向き合う。
「久しぶりだな、ゼンザック……」
五年前と変わらぬ薄ら笑いを浮かべて、インディゴが手を差し伸べる。
「マスターも、お変わりないようで……」
ゼンザックが握手に応じ、固くその手をにぎった。
(つづく)
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