第17話 暗殺者の街Ⅰ

 ヴォースの街に着いたのは、正午を少し回った頃だった。この街でも変わらず日差しは鋭く、乾いた風は砂塵さじんを含んで不快だ。

 厩舎きゅうしゃに馬をあずけてすぐ、ドーは酒が飲みたいと言いだした。ドーをヘレスチップに任せ、ゼンザックは一人で街の様子を見まわることにした。宿屋で落ちあう約束をかわし、二人と別れる。

 事態はどう転ぶかわからない。不測の事態に備えるため、情報は多いに越したことはない。ゼンザックは街の様子から、できる限りの情報を得ておこうと考えた。出たとこ勝負のドーとは違い、事前の準備はおこたらない。たとえその準備が無駄になろうとも、備える心がまえこそが重要なのだ……ゼンザックは、そう考えている。

 五年ぶりに歩くヴォースの街は、ヘレスチップが言っていた通りあまり変わっていなかった。見知った通り、見知った建物……ただ自分だけが、あの頃とは違うように感じた。理不尽から逃れようと修練に励み、家族のかたきを討つことしか考えられなかったあの頃……闇雲やみくもに足掻くことしかできなかった自分はもういない。見知った街並みではあるが、気持ちのありようが変わったゼンザックの目には、どこか見知らぬ街のようにも映った。

 物陰に潜み、ゼンザックは宿屋の様子を伺う。宿屋を装っているが、いや実際に宿屋でもあるのだが、この建物には暗殺者アサシンギルドの本部がある。

 部屋のいくつかは、身寄りなく引き取られた子供たちに充てがわれているはずだ。ゼンザックは、かつて自分が住んでいた部屋を見あげる。良い想い出などない七年間だったが、それでも懐かしさがこみあげてきた。

 追われる身であるにも関わらず、ドーはこの街の滞在に宿屋を使うと言っていた。ドーは今でも賞金首だ。賞金首が、賞金をかけているギルドの本部に泊まるだなんて、正気の沙汰とは思えない。自分とて、生きていることが知れれば命を狙われるだろう。暗殺対象のドーを討ちもらしたばかりか、任務失敗したにも関わらず生き延び、あまつさえ暗殺対象につき従っているなどという……そんな裏切者を、ギルドが許す訳がない。

「さて、どうしたものですかね……」

 つぶやいてゼンザックは、修練場の様子を見に行こうと物陰から歩みでる。

 五年前と変わらず、日の高い時間は街を行き交う人の数が少ない。この時間は、街の者なら任務についているか街外れの修練場にいる。外からの客であれば、本部で仕事の斡旋を受けているか、酒場で情報交換している。人目につかずに様子をうかがうには、一番よい時間だ。

 そして人通りが少ないということは、尾行にも気づきやすい。宿屋を離れた頃から、ゼンザックは尾行の存在に気づいていた。気配の消し方から、暗殺者アサシンであろうと知れる。いくら気配を消しても、暗殺者アサシンの手の内を知りつくしたゼンザックから、隠れおおせるものではない。

 尾行の気配は一人だ。複数の暗殺者アサシンを相手どるのは厄介だが、一人ならば負けるはずがない。ゼンザックは角を折れ、建物に挟まれた路地へと駆け込んだ。一人がやっと通れる程度の細い路地だ。気づかれたと知り、追跡者も後を追って路地へと駆けこむ。しかしそこに、ゼンザックの姿はなかった。

 追跡者の頭上、ゼンザックは壁と壁のはざまに身を置いていた。両壁に四肢を突いて体を支え、追跡者が頭上の気配に気づくよりも早く背後へと舞いおりた。そしてゼンザックは、追跡者の喉元にナイフを当てる。

「従わなければ殺します。声を出しても殺します。理解したら、一度だけうなづいてください」

 抵抗の意志がないことを示すため両手を挙げ、追跡者はゆっくりとうなづいた。

 追跡者は、女だった。歳の頃はゼンザックと同じ位だろうか。この女に見覚えがあるような気がした。しかし、誰であるのか思い出せない。確かめるべきだ……ゼンザックの直感が、そう告げている。

「そのまま、ゆっくり振りかえってください」

 赤紫の髪色に見おぼえがある。こんな髪をした、かつての仲間がいたはずだ。女が振りかえり、ゼンザックを見すえてニヤリと笑う。五年の歳月に雰囲気こそ変わっているが、この女……

「おまえ、ルベライトか……しまった!」

 気づいたときにはすでに遅く、ゼンザックは肩に強い衝撃をおぼえてナイフを落とす。ルベライトとは別の女が頭上より襲いかかり、右肩にかかとを叩き込んでいた。あまりの衝撃に耐え切れず片膝かたひざをつきながらも、ゼンザックは反撃に転じようとした。しかしすでに二人の女が前後に立ち、ナイフを向けて見おろしていた。

「久しぶりやね、ゼンザック。従わなければ殺す。声を出しても殺す。わかったらうなづいて」

 訛りのある口調で告げられる要求に、ゼンザックは素直に従いうなづいた。

 思い出した。ルベライトとシベライト、彼女たちは双子の暗殺者アサシンだ。寸分違わず動きと気を合わせて、まるで一人であるかの様に振るまう。一人だと感じていた気配は実は二人で、まんまと油断して術中にはまったという訳だ。

「いや、ホンマや! シベちゃんの言う通り、ゼンザックやわ! ビックリやな」

 眼前に立つルベライトが、ゼンザックの顔をのぞき込む。

「ウチかて、半信半疑やったわ。あんた、生きとったんかいな……」

 背後に立つシベライトが、驚きの声をあげる。

「シベちゃんがな、宿屋を覗き見しとんの、あれゼンザックちゃうか言うもんやからな、そんな訳あるかいな、ゼンザックはとっくに死んだやん言うてたのに……いやー、ほんまビックリやな」

「何しとったんや、あんた。長いこと帰ってこんで……」

「いややわ、シベちゃん。声だしたら殺す言うといて、答えられる訳あれへんわ」

「せやった、せやった。でも、声出したらアカンで。裏切者は黙っとき」

 ゼンザックは左手で肩をかばいながら、ダメージを見つもる。鎖骨が折れている。肩甲骨にもダメージが感じられる。砕けていないにしても、ひびくらいは入っているかもしれない。痛みにはばまれ腕の動きは鈍るが、動かない程ではない。

「シベちゃん、この後どないしょ? ホンマにるん?」

「裏切者は抹殺が掟や。でも、まぁ、死んだことになっとるんやし、マスターのトコ連れてこか。インディゴはんに、決めてもらお」

「せやな。それがエエわ」

「ほな行こか。ゼンザック、立ってくれるか。ゆっくりやで」

 ナイフを構えた二人が、立ち上がろうとするゼンザックから一歩だけ離れる。

 この好機を見逃すゼンザックではなかった。地に突いた右膝を軸に、二人の足元を狙って足ばらいをかける。しかし弧を描いたゼンザックの左足が彼女たちの足元をすくうことはなく、タイミングを読みきった二人は難なくかわしていた。

「ちょっと見ん間に、甘なったな。そんな攻撃、ミエミエやわ」

「こんなん、欠伸あくびしながら避けられるわ」

「……二人とも、私が得意なことを憶えてますか?」

「黙っとけ言うたやろ。刺すで」

 ゼンザックの前に立つシベライトが語気を強め、喉元にナイフを突きつける。

「今でもね、怠ったことはないんですよ……暗器の仕込みをね」

 そう言ってゼンザックは、素早く立ち上がって誰も居ない方向へ大きく右足で踏みこんだ。二人からすれば、まるで見当ちがいの方向だ。そして踏みこんだ勢いのまま、なにもない宙へ向かって左足を高く蹴りあげた。すると二人の両足がゼンザックの足に吸いつけられるように跳ねあがる。

 ゼンザックの左足首と二人の両足首が、細い糸でつながっていた。足払いを掛けると見せかけて、ゼンザックがあらかじめ強靭な糸をからませていたのだ。

 バランスを失った二人は、背中から地面に落ちる。ゼンザックは糸を切られる前に、さらに糸をからませて拘束しようと考えていた。しかし二人の足の糸は切り離され、すでに距離を取ろうとしている。足を取られると同時に、互いが相手の足首へとナイフを放ち、糸を切断していたのだ。二人の右の足首には、糸を切るために放たれたナイフが突き刺さっていた。

「やるやん。見直したわ」

 間合いをとった二人が、足首からナイフを抜いて身がまえる。

「穏便にすませたかったのですが、仕方ありませんね……」

 痛めた右手だけでは、二人を相手取るに心もとない。ゼンザックが両手にナイフを握り、殺気を込めて身がまえる。

 攻撃を開始するタイミングをはかって、両者がにじり寄る。ゼンザックが踏み込もうとした瞬間、そして二人が応じようとした瞬間、聞きおぼえのある男の声が響いた。

「その辺にしておけ……」

 割って入った声に気勢をそがれ、ゼンザックと双子が声の主を見やる。

 そこには紫煙しえんくゆらせながら、一人の男が佇んでいた。


(つづく)

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