第4話
急勾配の屋根に、ベージュの外壁。
木目調のドア。
バスに乗って二十分。春は、小さな北欧風の家に住んでいた。
リビングに案内された紗菜がソファーに座ると、春が言った。
「一人だから気にしないで」
「高瀬さん、兄妹はいないんですか?」
「一人っ子」
紗菜は、春が家族は雪になったと言っていたことを思い出す。大きめのソファーにテレビ。キッチンには、大きな食器棚も見える。この家は、春が一人で住むには随分と広かった。
誰もいない家で一人、何を思って暮らしているのだろうか。
そんなことを考えていると、春の姿がこれからの自分と重なり、紗菜は憂鬱になる。
炊事、洗濯、掃除。生きていくために必要なことは、一通りできる。お金だって、両親が残してくれたものがある。一人で生きていくことはできる。
けれど、和菜のいない家に一人。今までのように暮らしていけるとは思えなかった。
「何か珍しいものでもあった?」
「あ、いえ。じろじろ見てすみません」
春に声をかけられ、紗菜は頭を下げる。しかし、キッチンにいた春が、紗菜の視線を咎めることはなかった。
「紅茶いれるね」
「あの、気を遣わないでください」
「私が飲みたいから、ついで」
キッチンから、水音とともに声が聞こえる。それから、程なくして目の前に紅茶が置かれた。
「これからどうするの?」
紗菜が白いティーカップをじっと見つめていると、向かい側に腰掛けた春から問いかけられる。春はティーカップを手に、紅茶を冷ますように息を吹きかけていた。
「……約束を守りたい」
紗菜はぼそりと答える。
「約束?」
「姉とは、最後の時がきたら笑顔でお別れしようって約束をしていて……。それで、あのとき姉は笑ってくれたのに……」
和菜との約束。
『どちらが先に雪になっても最後は笑顔で』
両親が雪になったときに、和菜から言われた言葉だった。だが、紗菜はそれを叶えることができなかった。
「姉は約束を守ってくれたのに。……笑えなかったんです。私も約束を守りたかった」
目の奥が熱くなり、紗菜はぎゅっと目を閉じた。流れ出ようとする涙を強引に止めようとするが、頬が濡れる。紗菜は、涙を押しとどめるようにごしごしと目をこすった。
「恋人が雪になったとき、私も目が腫れるほど泣いた。残される方になったら、誰だって泣きたくなる」
かちゃり、とティーカップが置かれる音がする。
「今日ぐらい、たくさん泣いたって良いんだよ。お姉さんも許してくれると思う」
「姉は、優しいから許してくれると思います。でも、私は……」
「約束は破るためにある、とまでは言わないけど、守れない約束ってたくさんあるから。それに、破ってしまった約束はもう守れない。でも、かわりにできることがあると思う」
どんなに願っても、破ってしまった和菜との約束を叶えることはできない。そして、叶えるチャンスももうない。
叶えられなかった約束が胸に刺さり、痛みになる。
かわりにできることが見つかれば、この痛みが消えるのだろうか。
そんなことを考えてみるが、約束のかわりになりそうなものは何も思い浮かばず、紗菜は質問を一つした。
「……高瀬さんは、恋人と何か約束しましたか?」
「楽しいことがいっぱいあるから、のんびりしてきて。……だって。約束というより、お願いだと思うけど」
「楽しいこと、ありましたか?」
「ないよ。あれから、楽しいことなんて一つもなかった。それでも、お願いされたからここにいる」
「小瓶を持ち歩きながら?」
「いつもじゃないけどね」
「いつも雪になった人を小瓶に詰めてるのかと思いました」
「今日は、たまたま小瓶を持ってたから。昼休みに買ったの」
「雪を入れるために?」
「まさか。使い道は別のこと。そうだ、見る?」
その言葉に紗菜が頷くと、春が立ち上がった。紗菜は春の後について、二階へ上がる。
春が階段を上がってすぐの部屋の電気を、パチン、とつける。案内された部屋の奥には、大きな棚が一つ。そして、その棚には様々な大きさの瓶がたくさん並んでいた。
紗菜が近づいて瓶を見ると、中には何かが入っている。
苔やサボテン。
細長い葉が集まったような植物。
動物や茸の置物。
土や砂の上に植物が植えられたそれは、小さな森が閉じ込められているようだった。
「綺麗ですね」
紗菜は、感じたことをそのまま口にした。もっと気の利いた言葉を見つけることができれば良かったが、瓶に詰められた世界を表現するのにふさわしい言葉は他に浮かばなかった。
「ありがとう。これ、ミニテラリウムって言うの。あの小瓶は、ミニテラリウムを作るための瓶」
「全部、高瀬さんが作ったんですか?」
春が小さく頷き、ミニテラリウムを一つ手に取った。
「最初は趣味だったんだけど、今は気を紛らわすために作ってるみたいになっちゃってね」
そう言って、春はミニテラリウムを照明に透かすように見る。小瓶に閉じ込められた森に、光が差し込む。紗菜が瓶詰めの世界に目を奪われていると、春が唐突に言った。
「しばらくここにいたら。一人は嫌でしょ?」
「嫌ですけど、でも」
紗菜は、ここにいたい、と素直に言えなかった。独りぼっちになり、弱り切っている判断力が抗議する。ただでさえ、出会ったばかりの春の好意に甘えている状態なのに、さらに世話になるわけにはいかないと紗菜は思う。
「私以外、誰もいないし、遠慮しなくていいから。しばらく泊まっていきなよ」
小瓶を棚に戻し、春が言った。紗菜がその言葉に頷けずにいると、春が言葉を続けた。
「そのかわりっていうわけじゃないけど、週末ちょっと付き合ってくれる?」
世話になるだけでなく、役に立てそうなことがある。紗菜には春がどこへ行くのか予想も付かなかったが、今度は素直に頷いた。
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