第18話
「それにしても物騒よねぇ」
ダイニング兼用のリビングで夕食のすき焼きを囲みながら、陽子の母親が心配そうな顔をする。
「だいじょうぶですよ、おばさま。生徒会の人たちがしばらくの間、夜通しこのマンションを見張ってくれるみたいですし、わたしも犯人が捕まるまで一緒にいますから」
礼子が笑顔でいった。
「ほんと助かるわぁ。ウチは主人がいつも夜遅いし、今度みたいなことがあると、おちおち寝てもいられないもの。いったいその犯人はどうして陽子を襲うのかしら?」
母はため息をつきながら、食卓の中央に置かれた鍋からすき焼きの具をひょいひょいと取る。
なんにしても陽子にとってもありがたかった。なんだかんだ強がっても、あの機械のような冷たい目をした覆面の男につけ狙われていると思うと生きた心地がしない。交代で寝ずの番をしてくれるという姫華の配下の人には申し訳ないが、それだけでもずいぶん心強い。それに礼子がしばらく家に泊まるといってくれた。夜中でも隣に礼子がいてくれると思うと安心だ。
「まあ、その生徒会長の姫華さんって人にはお礼をいわなくっちゃね。なにしろ学校までの送り迎えまで手配してくれるっていうんですから」
自分の手間が減ったことが単純に嬉しいのか、母親はにこにこ顔になっていた。
「逆に警察の方はなにをやってんのかしら?」
さらには肉を頬張りながら国家権力にたいして怒りをを表明する。
「きっと警察も張り込んでると思いますよ」
「あら、そうなの? じゃあ、とっとと逮捕して欲しいわ」
「もう、お母さんったら。犯人はなんの証拠も残してないし、顔だって見られてないのよ。そう簡単には捕まらないわ」
母親の子供のようにストレートな表情を見ていると、ついそんなことをいってしまう。
「ごちそうさま」
せっかくのすき焼きもあまり食欲がなくてたくさん食べられない。陽子が箸を置くと、礼子も終わらせ、食器を片付けはじめた。
「あらあら、礼子ちゃん、そんなことしなくていいのよ。ほら、陽子だってどんと構えてるでしょう」
「いえ、ごちそうになったんですから、これくらい……」
「なにいってんのよ。わざわざ陽子のために一緒に泊まってくれるひとにそんな気遣いさせられませんよ」
「そ、そうよ、いいのよ、礼子」
そんなことまでされては陽子の立場がない。礼子の食器を奪うと、台所まで持って行った。これでどうせあとから「どうしてあんたは礼子ちゃんのようにしっかりしてないの?」という小言に結びつくに決まっている。
「おばさま。たぶん外の廊下のあたりに、陽子の護衛を命令された生徒がいると思います。すき焼き残ってるし、呼んであげたらどうですか?」
「あらあら、そうなの? 大変。それは呼んであげなくっちゃ」
母はぱたぱたと玄関に向かい、ドアを開けるや「護衛の方、お食事どうですか?」と叫んだ。
「いやあ、申し訳ないです。じつは腹減っちゃって」
そういいながら、やってきたのは、なんと郷山。つづいて鬼塚も無言で上がる。
はっきりいって、ことさら瓢一郎に対して攻撃的だったこのふたりは大嫌いだった。自分の身を守るために来てくれたのに申し訳ないが、一緒のテーブルを囲みたくない。
「部屋へ行こう」
礼子を引っ張って、奥にある自分の部屋に引きこもった。どうせあれ以上居間にいても、うんざりするほど話を聞かされる羽目になる。
とりあえず部屋は片付いていた。床のカーペットに服や雑誌が散乱していることもない。今はジーンズに薄手のトレーナーとラフな格好をしているが、さっきまで着ていた制服のブレザーは壁にハンガーできれいに吊されている。雑誌や本はちゃんと本棚に整理され、見られて困るような本もない。ベッドはひとつしかないが、べつに礼子なら一緒に寝ても構わない。
「ふ~ん、もっと散らかってるかと思った」
礼子は辛辣なことをいう。
そのまま部屋の奥に行き、ベランダに面したガラス戸を開けて外に出た。
「刑事が張ってるよ」
陽子が礼子にならって外を見下ろすと、例のふたり組の刑事が車で張り込んでいるのが見えた。マンションの前の通りで、入り口から少し離れた場所だ。
「やっぱり警察もあたしが狙われると思ってるのかな?」
「たぶんね。それとも案外陽子を怪しいと思ってるのかもよ」
「冗談じゃないよ」
たぶん姫華のお屋敷にも誰かが張り付いているのだろう。きっと警察も物証がないから犯人を現行犯で捕まえるしか手がないのだ。
「ベランダとはいえ、あんまり外に顔を出さない方がいいよ。犯人は壁をよじ登ってくるかもしれないんだから」
礼子はそういって、陽子を中に押し込むと、自分も中に入りサッシに鍵を掛けた。
「まさか」
陽子は笑った。この部屋は五階にある。そう簡単には登れないし、もしそんなことをすれば外から見張っている刑事に丸見えになる。
「狙撃されることだってあるんだからね」
礼子は真顔でいったが、いくらなんでもそれはないだろうと思う。犯人は今までそんな手口は使っていない。それにそんなことを心配しだせば、学校にいる間だってけっして安全じゃない。
とはいうものの、顔がこわばってくるのが自覚できた。
そうでなくてもきょう学校の外から怪しいふたりが中をのぞいているのを見たばかりなのだ。もっとも彼らが事件の関係者と決めつけるには、なんの根拠もないので、まだ誰にもいっていなかった。
「じつはきょうの帰り、怪しい男ふたり組が、学校の外にいたのを見たんだ」
礼子にだけはいっておこうと思った。
「怪しいふたり組?」
「かっこいい若い男とプロレスラーみたいな大男」
「なんですって?」
礼子の顔つきが変わった。
「そいつらなにかしたの?」
「ううん。なんにも。だから気にしすぎなのかもしれないけど」
「そうかもしれないけど、注意するにこしたことはないわ」
礼子が心配そうにいった。
あの男が犯人かどうか、正直いってよくわからないが、誰が犯人にせよ、いったいなにが目的なんだろう?
「ねえ、礼子。犯人はどうしてあたしを襲ったんだと思う?」
「自分でいってたじゃない。なにかを見たって。だけど思い出せない。犯人にしてみれば黙らせたいんじゃないの?」
「つまり、犯人はあたしがなにかを見たって知ってるってことだよね。だけど、どうして? どうして犯人はあたしがなにかを見たって知ってるわけ?」
「それは……、陽子が教室で不用意にそんなことをいうからよ」
「でも聞いていたとしても、それはクラスメイトだけでしょう。クラスメイトには犯人なんかいないよ。だって犯人はお腹に傷を負ったんだよ。きょうのミスコンでみんなお腹を出してたけど、だれも怪我してる人なんかいなかったし……」
そこまでいって、陽子ははじめて、きょうのミスコンは姫華が犯人探しのためにおこなったものだと気づいた。
「ひょっとしたら教室が盗聴されてるのかもね」
盗聴? 礼子はこともなげにいったが、それは充分に考えられた。犯人の狙いはよくわからないけど、かなり大げさなことになっているのかもしれない。
「ねえ、いったいなにを見たの、陽子? 本当に思い出せないの?」
「よくわかんないのよ、いくら考えても。ひょっとしたらそう思ってるだけで、気のせいなのかもしれないし」
「じゃあ、なにかを拾ったとか?」
「それはないよ。いくらなんでもそんなことを忘れるわけないし」
「ほんとうに? たとえばすごく小さなものとか」
大きくても小さくても、現場から持ち去ったものなどない。
「じゃあ、ひょっとして体になにかが付いたとか」
「え? どういう意味?」
「犯人がなにかを落として、それが陽子の体に付着したとすればどう? 犯人はどうしてもそれを回収しないといけないのよ」
なんとなく説得力のある仮説だった。体に付いたものならあれから一週間以上たっているし残っているはずもない。だけど制服に付いていたとしたら?
陽子は壁に吊っているブレザーを調べた。
ひょっとして血痕とかだろうか? しかしそれらしき染みはない。髪の毛とかだとさすがにもう付いていないだろう。それに犯人は頭を覆面ですっぽり覆っていたから、髪の毛が落ちることはないと思う。
「ポケットの中は?」
ポケットの中。たしかにごく小さなものなら、なにかの拍子に犯人が落としたものが入り込むことだってないとはいえない。もっとも一週間気づかなかったわけだから、あるとしても本当に小さなもののはず。
陽子はポケットの中を探る。ティッシュやらハンカチなどが入っていた。
「あれ?」
それらを取り出すと、奥の方になにか小さなものが入っていることに気づいた。
ごく小さな平べったいもの。全体の形は円で、柔らかいものだ。
「なんだろう?」
取り出してみると、それは指先でつまむのがやっとの大きさのものだった。透明だが中央にリング状の焦げ茶色の色素が入っている。
「コンタクトレンズ?」
それは紛れもなくコンタクト。それも通常の瞳の色が入ったカラーコンタクトだった。
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