第三章 ねこねこ名探偵
第13話
「もうぉ、この男ったらほんとに信じられませんわ」
姫華はしっぽをぶんぶん振りながら、猫の顔に精いっぱいの怒りを浮かべていった。それもちゃんと声に出して。
「そういうなよ。あの場合仕方なかったろうが」
瓢一郎は声だけは姫華で、素の話し方で答える。
「まあ、まあ、まあ、すんでしまったことはしょうがないわよ」
葉桜がにこにこ顔で仲裁した。
けっきょく、瓢一郎は犯人を捕まえることができなかった。敵は怪我をしているくせに思った以上に手強く、不意をつかれた蹴りを腹に入れられ、倒れた隙に逃げられたのだ。
ここは花鳥院家の地下室。例の怪しげな改造手術(?)をおこなった宇宙船のような部屋の隣で、秘密の会議室といった趣の部屋だ。一般家庭のリビングルーム並みの広さで、カーペット敷き、中央には会議テーブル、椅子は革張り、壁にはホワイトボードにワイドスクリーンと打ち合わせに適しているようになっている。瓢一郎は放課後ここに戻ると、姫華と花鳥院雇われ三人組を交えて、一日の反省会と作戦会議をおこなうのが日課になった。
「仕方ないではすまされませんわ。だってこの男、こともあろうに、理恵子の前で四階の窓から飛び降りたっていうんですのよ。しかも走っている車の屋根を渡って、それから屋根の上に飛び乗って。……理恵子が口を滑らせたらどうなるんですの?」
姫華が猫らしく背中の毛を逆立てながら怒った。
「だからちゃんと口止めしたって。犯人に逃げられたあと、速攻で窓から生徒会室に戻ったから伊集院には見られてないよ。理恵子さんはなぜか目を輝かせながら『だいじょうぶですっ、ぜったい誰にも口外しませんから』っていってくれたし」
「それが信じられませんわ。あの子はあれでも学校のデータベース。好奇心の塊のような女ですのよ」
それには同感だった。どんな秘密でも探らずにいられなさそうなところを感じる。だが、知り得た情報を他人に教えることには必ずしも積極的には見えない。要は知りたいだけなのだ。そう信じたい。
「それ以上に信じがたいのは、陽子の前で戦ったことですわ。それもあんな変な技で。どうせなら空手かなにかで戦ったらどうですの? 少しはいいわけができるのに」
「しょうがないだろうが。俺はあの戦い方しか知らないんだから」
「あれじゃあ、まるで化け猫に取り憑かれたみたいですわ」
ほんとうは猫が姫華に取り憑いたわけではなく、姫華が猫に取り憑いているわけだが。
「しかしその娘が口外したらまずいのぉ」
佐久間が心配そうにいうと、葉桜はけらけらと笑う。
「だいじょうぶですよ。わたしあのあと、陽子さんに電話してみましたから。もちろん、姫華様が猫の姿で戦ったなんてひとこともいっていませんでしたよ。信じるわけがないと思ったんでしょうねぇ」
「まあ、なんにしても俺が行くまでの間、陽子を守ってくれて助かったよ。いや、感謝してるよ」
「体が勝手に動いただけですわ。ほんとはあの洗車ブラシがどうなろうと知ったことじゃありませんのに」
姫華はぷいとそっぽを向いた。
体が勝手に動いたというのはあながち嘘でないのだろう。今の姫華はフィオリーナの魂と記憶を取り込んでいる。猫の野生の本能に加え、日々、瓢一郎の拳法の組み手につき合わされたフィオリーナに染みついた動きが出たに違いない。しかしそれはいざ動き出したあとのこと。やはり姫華が陽子を助けようと思わなければ、動かなかったはずだ。フィオリーナと陽子は面識がないし、そもそも猫は本来怠け者なのだから。
「あらあら、ほんとうは心優しいお方のくせに。どうしていつもつまらない意地をお張りになるんでしょうね? だからみんなが誤解するんですよ」
葉桜が意地の悪い目つきで姫華を見つめ、ころころと笑う。
「な、なにをいってるんでしょうか、この馬鹿女は?」
姫華は前足を上げながら地団駄踏む。まるで三味線に合わせて踊る猫だ。
「ひ~っひっひっひっひ」
四谷がさんざん笑ったあと、口調を変える。
「ところで瓢一郎くん。犯人は血痕を残していかなかったのか? それがあればDNAで特定できるんだがね」
「う~ん、刺さったのはあいつの持っていたナイフで、腹に刺したまま逃げたからな。すくなくとも目に見えて血痕は飛ばなかったし、たぶん地面にも落ちていないと思う」
「まあ、今ごろ、警察が血まなこになって血痕を捜しているでしょうねぇ。でも現場に落ちていればともかく、現場から離れれば離れるほど犯人のものとは特定しづらくなるでしょうし、仮に採取できたとしても、生徒全員のDNAを調査する令状が取れるかどうか、微妙なんじゃないですか?」
葉桜がひさびさに真顔でいった。
いきなり佐久間が手をぽんと叩く。
「だが血痕がなくても、犯人は腹に怪我をしてるんだろう? あした学校を休んだ生徒を調べればいいんじゃないのか?」
「いや、犯人は刺されたあと走ったんだ。たぶんナイフは臓器に刺さっていないし、案外浅い。たぶんプロテクターでも着込んでいたんだろう。もし生徒の中に犯人がいるなら疑われたくないだろうから出てくると思うよ」
「なら、腹の傷を調べればいい」
「どうやって? 全校生徒に腹をめくれっていうのか? 男子生徒だけならともかく、女子か、あるいは教師かもしれないんだぞ」
もちろん学校の部外者が犯人の場合は問題外だ。
「しかしそんなことは姫華様がひとこといえば……」
「それはやめた方がいいと思いますよ」
佐久間の提案を、葉桜は蹴った。
「今、うちの学校はマスコミにかなり注目されてます。きょう陽子さんが襲われたから、あしたにはさらにマスコミの目が厳しくなると思いますよ。そんな中で生徒を疑って、腹をめくれなんて強要したことがばれれば、学校の評判はがた落ちになっちゃいます」
「う、うむ。それはまずいな。だがこっちがやらなくても警察がやれば……」
「警察は同じ理由でそんなことしないと思いますよ。そもそも制服を着ていたという以外、犯人が生徒だという証拠も根拠もなにひとつないんですから」
しばしの沈黙が訪れた。それを破ったのは姫華だった。
「そんなこと簡単ですわ。要はあからさまに生徒を疑っていることを示さずに、学校にいる全員の腹を見られればいいわけでしょう?」
「おまえ、そんな簡単にいうけど……」
「だから簡単なことなんですの」
姫華は自信を持って瓢一郎の言葉を遮った。
「佐久間、あしたの午後までに用意してもらいたいものがあります。ちょっと量が多いから大変でしょうけど必ず間に合わせてもらいますわ」
「なんでしょう? 姫華様」
姫華のいったものは、じつに意外なものだった。
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