第14話

「じゃあ、気をつけるのよ。帰るときは連絡入れて。迎えに来るわ」

「うん、わかったわ、お母さん」

 陽子は母親の運転する車から降りると、そういった。

 ほんとは車で学校まで送り迎えなどしてもらうのは仰々しくていやなのだが、やはりきのう襲われたばかりで怖い気持ちもあるし、母親が心配して仕方ないので好意に甘えることにした。家のまわりや学校のまわりにはマスコミがたむろしていたからそういう人たちの取材から逃れる意味でも都合がよかった。こうして校舎のまん前まで車を着ければ、マスコミ立ちも寄ってこれない。

 手を振り、母親の車を見送っていると、後ろから肩を叩かれる。礼子だった。少し怒った顔で陽子を見つめている。

「あ、おはよう、礼子」

「おはようじゃないわよ。もう、だからいったじゃないの。危ない目に合うんだから、もう二度と探偵の真似事なんかしちゃだめよ」

 きのうのことをいっているのだ。放課後、刑事の取り調べを立ち聞きしたあげく、帰り道襲われたことを非難している。礼子はきのう用事があって早く帰ったのだが、ひとりで危ないことをするなと釘を刺していったのに、無視したことに腹を立てているのだろう。

「でも、怪我はなかったんでしょう?」

「うん。ちょうど刑事さんたちが駆けつけたんで、あいつ逃げてったのよ」

 姫華のことをいっていいのかどうか迷ったあげく、伏せた。礼子くらいにはいってもいい気はしたのだが、やっぱり信じてもらえないと思う。それにそんなわけのわからないことになっているんならますます関わるなといわれそうだ。

 それにしてもどんな顔で姫華に会えばいいのだろう。まだ礼すらいっていないが、ストレートにいっても、「夢でも見てたんじゃないんですの」とか完全否定されそうな気がする。

 それにしてもどうしてあたしを助けてくれたんだろう?

 ほとんど口なんかきいたこともないし、陽子は瓢一郎を目の敵にする姫華がむしろ大嫌いだった。姫華の方は、陽子のことなど眼中になかったとしか思えない。それなのに、まるで使い魔のような猫に警護をさせ、いざとなったら自分自身が野獣のような体術を使い命がけで戦ってまで陽子を守った。どう考えてもわからない。

「とにかくもうやめるのよ。これ以上心配させないでよね」

 昇降口に行くまでの間、礼子は同じようなことを繰り返した。

「あ、あのう、川奈陽子さん!」

 一年生用の昇降口のところに女生徒が立っていた。生徒会書記の二年生、佐藤理恵子だった。

「ちょっといいですか?」

 理恵子は年上にもかかわらず、陽子に敬語を使った。おとなしそうな顔に、みょうにわくわくした感じを漂わせながら。

「あ、あの……できればふたりだけで」

 ちらりと礼子を牽制した。

「先行ってるよ」

 礼子はそういうと、さっさと自分の下駄箱のところへ行く。

「あ、あの、……なんでしょう?」

 陽子は不審に思った。相手は生徒会役員だから、陽子は当然知っていたが、本来なら理恵子が陽子を知っているかどうかすら疑わしい。そういえば、姫華が襲われたとき、現場で一緒になったが、あれはあくまでたまたまで、たぶん向こうは名前も知らないだろうと思っていた。それがいったいなんの用なのだろう。

「……見たんですよね?」

 理恵子は好奇心にあふれた顔を近づけると、小声でささやいた。

「え? なにをですか?」

「もう、とぼけちゃって」

 理恵子は意地悪はやめてという目で陽子を見る。

 さっぱりわからなかった。登校途中で待ち伏せしたあげく、わけのわからないことをいう。理恵子の意図がまったく読めない。

「だから、姫華様の……あれですよ」

「あれ?」

 あれってまさか? あの人間離れした動きをこの人は知っているのだろうか?

 思ったことが顔に出たらしい。理恵子はぱあ~っと顔を輝かせてはしゃぐ。

「そうそう、あれ。あれですよ」

 知らない人が聞いたら、まったく意味不明の会話だ。だが理恵子は陽子の知りたいことをなにか知っているらしい。

「なにを知ってるんですか?」

 陽子は思わず語気が強くなった。

「うわっ、そんなに警戒しなくてもいいですよ。秘密にしますから」

 なにをいってるんだ、この人は? まるであたしがすべてを知っていて、秘密を守れと迫ってるみたいじゃない。

「だから同志にしてください」

 陽子が困惑していると、理恵子はきょろきょろあたりを見回したあげく、耳元でとんでもないことをささやいた。

「……だから、姫華様が宇宙人だっていうことは誰にもいいませんから」

「え?」

 いや、聞き間違いだよね? そう思った。頭のおかしい人間ならともかく、進学校でもあるこの学園の生徒会役員の言葉とは思えない以上、当然だろう。

「姫華様はきのうどうやってあなたを殺人鬼の手から救ったんです? もう、すごかったですよ、きのうの姫華様は。まるで電波でも受信したように、突然血相を変えて、生徒会室の窓から飛び出していったんですからっ」

 電波でも受信したように? まるであたしの危機を察知したかのようないい方だ。それに生徒会室から飛び出した? あそこはたしか四階。

 姫華の人間離れした動きや、猫を自在に使う様子を見ていなければとても信じられないことだが、今の陽子にはそうともいい切れない。

 いったいあの人は何者なの? それにこの人は?

「そんな驚いた顔しないでくださいよ。じつはきのう見たことをデータ化してパソコンで計算してみました。校舎の高さや、跳んだところまでの距離、それに姫華様の体重とかをインプットしてシミュレーションしたんです。出た結果は、とてもふつうの女子高生の運動能力じゃありません。ほとんど忍者並みです」

 理恵子は得意げにいう。

「だからあたし思うんです。姫華様はあの事件以来入れ替わったって」

「ま、まさか?」

「だって、復帰してきたとき、足のサイズが大きくなってましたし、みょうに立派なこというようになったし、猫が大嫌いだったのに、猫を引き連れて学校に来ましたからね。ありえませんよ。それにあたしの見たところ、姫華様は脚の美しさに自信過剰で意識して見せびらかせてたのに、わざわざストッキングで脚を隠すのは変すぎます」

「だ、だけど、見た目は……」

「だから宇宙人なんですよ。本物そっくりに化けた宇宙人。っていうか、宇宙からやってきた悪党を追ってきた宇宙刑事にちがいありません。……でしょ?」

「は?」

「だから、あの黒覆面の男こそが宇宙から来た犯罪者で、今の姫華様は彼を追ってきた宇宙刑事なんです。宇宙人の犯罪者が姫華様を殺しちゃったんで、なりかわってふたたび襲ってくるのを待ってるんですよ。きっとそうです……よね?」

 陽子は理恵子の顔をまじまじと見つめた。しかし、冗談をいっているようには見えない。むしろ、あたしの推理ってすごいでしょ? どうだまいったかといわんばかり、鼻息を荒げている。

「い、いくらなんでも、……それは」

「また、とぼけちゃって。陽子さんもその協力者だっていうのはわかってるんですから。どうすればあたしも協力者になれるんでしょう? 試験でもあるんですか?」

「あ、あの、失礼します」

 なんにしてもこれ以上関わりたくない。陽子は逃げるように校舎の中に入ろうとする。

「あ、待って」

 理恵子はポケットから取り出したものを無理矢理陽子の手に押し込んだ。

 プラスティックのカードだった。名前の他、ケータイ番号やパソコンのメールアドレスが書いてある。名刺らしい。

「気が変わったら、連絡ください」

 陽子はそれを無造作にポケットの財布に放り込むと、駈け去った。

「あたし、諦めませんからっ」

 後ろから理恵子の声が響いた。

 なんだったんだろう?

 陽子は混乱しつつも教室の前まで来た。入ろうとしたとき、中から出てきた姫華と鉢合わせする。

「あ、あ、……あのぅ、おはようございます」

「あら、おはよう」

 姫華は表情を変えずに、冷たい口調で挨拶すると、そのまますたすたと陽子を素通りしていった。例のシャム猫がとことこと後ろを付いていく。

「あの、……きのうは、ありがとうございました」

 姫華の足がぴたりと止まる。

「あら? なんのことかしら?」

 姫華は振り返ると、いかにも不思議そうな表情を浮かべた。

 予想はしていた。姫華はきのうのことを秘密にしたがっている。しかし、命を助けられた以上、礼のひとこともいわないわけにはいかない。

 それに知りたかった。いったいなぜ姫華がこんなに親身になって自分を助けてくれたのか?

「偶然じゃなかったんですよね?」

 ふたたび歩き出した姫華の足が、もう一度止まる。

「なんですって?」

 無表情を装ってはいるが、振り返った姫華の顔に驚きと困惑が浮かんでいる。

「あたしを守るために、その猫を警護に付けたんでしょう? そして、危なくなったから飛んできた。違いますか?」

「お~っほほほ。面白いわ。まるでマンガの主人公気取りね。夢見る乙女もたいがいにしないと馬鹿にされますわよ」

「あの……宇宙人っていうのはほんとうですか?」

「は?」

 姫華は心底驚いた顔をした。とても演技とは思えない。

「お~ほっほ。なんの冗談かしら?」

 それ以上振り向くことはなく、長い髪をさっそうとたなびかせながら、姫華は歩き去っていった。

 やっぱり宇宙人のはずないよね。もう、まったく馬鹿なこといっちゃった。はずかしい。

 顔が熱くなっている。きっと真っ赤になっているだろう。

「いったいなんだったのよ、今のは?」

 礼子が教室から足を踏み出していた。今の騒動をじっくり観察していたらしい。まわりをよく見ると、通りすがりの生徒たちも、じろじろと陽子を眺めていた。

「な、なんでもないよ」

 陽子はそそくさと教室に潜り込む。

「で、なんなの?」

 席に着くなり、礼子が追求してきた。

 なんと説明したらいいのだろう? とても上手く説明する自信はない。

「え、ええっと、あの、その、……うう~ぅ」

「うう~ぅ、じゃないわよ。なんであんたが姫華さんと廊下で喧嘩するわけ? あの書記の人はなんの用があったの? 最後の宇宙人っていうのはなに?」

 べつに喧嘩していたわけじゃない。むしろお礼をいいたかっただけなのに。それに理恵子さんになんの用があったのかは、こっちが聞きたいくらいだ。

 人に聞かれないように、礼子の耳元でささやいた。

「あのさ、姫華さんが宇宙人っていったら信じる?」

「はあぁ~あ?」

 信じるわけないよね。

 だけどきのう起こったことは、それと同じくらい馬鹿馬鹿しく信じがたいことなのだ。

「もういいよ」

 礼子はそっぽを向いた。宇宙人まで持ち出したので腹を立てたらしい。

「怒んないでよ、もう」

 そのとき、教室のスピーカーからアナウンスが流れた。

『生徒会長の花鳥院姫華です。突然ですが、きょう放課後全校を上げてのイベントをおこないます。これは全員参加、いっさいの例外は認めません。したがってきょうの部活動はそれが終わるまでは全面禁止。不満のある方もいるでしょうが、これは決定事項です。なおこれは生徒だけでなく教師の方々も参加してもらいます』

 教室がざわめいた。今までも姫華が突然思いついたように、はた迷惑なことをはじめることはあったが、全校を巻き込んで、しかも生徒会長と理事長の娘の権限を最大限に使って、ここまで強引なことをするのは初めてだった。

『イベントはミスおよびミスター学園コンテスト。女子は全員、水着着用。それもビキニを着てもらいます』

「おおおおお?」

「えええええ?」

 教室の生徒の大半が絶叫した。しかも男子と女子では明らかに意味合いが違う。

『さらに男子は全員、赤フン一丁。全員、校庭で踊ってもらいます。審査員はわたくし、花鳥院姫華がつとめさせてもらいます』

「ぐおおおお?」

「きゃあああ?」

 もう一度絶叫。こんどもそれぞれ思惑が違う叫びだ。

「馬鹿じゃないの?」

 礼子が隣で忌々しそうに唇を噛む。陽子としてもそんな馬鹿げたイベントははっきりいって参加したくない。

『繰り返します。全員強制参加、例外は許しません。用事がある人は今の内にキャンセルするように。それと水着とふんどしはこちらで用意しますので、心配いりませんわ。もちろん優勝者には賞金を差し上げます。男女とも優勝者、百万円でいかが? お~ほっほっほ』

 教室は修羅場と化した。

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