第2話

 まったくなんなんでしょう、あの女教師は?

 放課後、姫華は生徒会室で、どこぞの会社の社長の机か? と思えるような豪華な机の上に脚を投げ出し、もんもんと考え込んでいた。もちろん、担任の桜庭のことである。この学校では、たとえ教師といえど、自分に逆らう人間は許し難い。そう思うと、つい反抗的な態度を取ってしまった。

 いや、それだけではなかった。倒れた瓢一郎に対し、でかい乳をこれ見よがしに顔先に突きつけ、優しい言葉を掛けたのがカンに障ったのかもしれない。

 認めたくはないが、姫華にとって瓢一郎はなぜか気になる存在だったのだ。だからこそツンツンした態度を取るのに、まわりが勝手に気を利かして瓢一郎にちょっかいを出すのは困ったものだった。どんどん自分が悪者になっていくのに自己嫌悪してしまうが、いまさら優しい態度を取ることなど、プライドが許さない。

 葉桜だけがそのことを見破っているような気がしてならない。それどころか姫華の行動を逐一見張っているような気さえする。

「ほんとうにお父様が、わたくしを見張るためにつけたお目付役かもしれませんわ」

「どうかされましたか、姫華様?」

 ひとりの男が、つかつかと姫華の机の真ん前にあゆみ出て、直立不動の体勢で聞いた。

 生徒会副会長、伊集院蝶児いじゅういんちょうじ

 古くからの花鳥院家につかえてきた伊集院家の長男で、三年生ながら、姫華には頭が上がらない。もっともそういうこととはべつに、個人的に姫華をカリスマとして崇拝しているらしく、姫華にとって非情に便利な男である反面、ときおり鬱陶しい。

「なんでもありませんわ、伊集院」

「ほんとうですか、姫華様?」

 伊集院はさらに前に一歩出ると、ひざまずいて宝石のような瞳で姫華を見上げた。

 まるで美人女優のような麗しい顔に、姫華を真似たかのようなさらさらのロングヘア、華奢な体つきと、男っぽさの欠片もないはずだが、不思議となよなよしさを感じさせない。まるでマンガに出てくる美形悪役キャラそのままの男だ。

 美しさの中に強さを感じさせるのは、剣道の達人だからだろう。生徒会副会長という立場のため、主将にこそなっていないが、この学園の剣道部員で最強の男でもある。

「どんな些細なことでも、この伊集院になんなりとお申し付けくださいませ」

「担任教師が、ひょっとしてお父様の使いではないかと思っただけですわ」

「ならばこの伊集院、その教師とやらを拉致し、白状させて……」

「馬鹿ね。そんなことをして、もしほんとうにお父様のスパイだとすると、大変なことになりますわ。多少のわがままは許すが、やり過ぎは絶対にいかんと、常々釘を刺されているのですから」

「ならば、私が密かに探ってみましょう」

「おまえが? おまえは目立ちすぎるでしょう?」

「ご心配にはおよびません。私には部下と呼べる剣道部員たちが何人もいます。彼らに逐一、その教師の動きを報告させましょう」

 姫華は少し考えた。たしかにいい方法かもしれない。剣道部はこの学園の中でも部員の多い大御所で、姫華のクラスにも女子部員がいる。そのほかにも、ほぼ全クラスに散らばっているといってもいい。携帯電話の連絡網を使えば、葉桜の動きを完全に把握することもできそうだ。

「それではおまえに任せてみますわ。くれぐれも手荒なことをしないように」

「承知いたしました」

 伊集院は深々と頭を下げ、命令を受諾する。

 もし、葉桜がお父様のスパイなら、なんとしても弱みを握る必要がありますわ。逆にただの生意気な世間知らずなら、わたくしにたてついたことを死ぬほど後悔させてたたき出してやります。

 そう思うと、朝に受けた屈辱も晴れる。すがすがしい気持ちになった。

「では、帰ることにいたしますわ」

 そういって立ち上がると、伊集院はポケットからスマホを取り出した。

「姫華様がお帰りになります。よろしくお願いします」

 今、伊集院が電話したのは、姫華の執事兼運転手の男、佐久間。これですぐにでも黒塗りのリンカーンが一年生用の玄関口手前にやってくる。姫華は当然のように運転手付き自動車通学をしていたのだ。

「車までお送りしましょう」

 伊集院は壁に立てかけておいた布袋入りの木刀に手を掛けた。護衛のつもりらしい。

 もっともこの学園の中で、姫華に危害を加えようなどと思うものはひとりもいないが。

「姫華様の鞄を持て」

 伊集院は、やはり生徒会室にいた二年生の書記、佐藤理恵子さとうりえこに強い口調で命令した。

「はい」

 理恵子は元気よく答えると、ぱたぱたとコマネズミのように走ると鞄を両手で抱える。小柄で痩せた体、童顔にショートカットとくれば、年上にも関わらず、まるで中学生の小間使いのようだ。

 姫華はふたりを引き連れ、生徒会室を出た。とたんに、すれ違う生徒たちが姫華に頭を下げる。一年生はいうに及ばず。二年生や三年生、それどころか教師までもが黙礼した。

 姫華はそれを当たり前の光景として受け止め、王女のようにさっそうと歩いていく。下足室に着くと、理恵子は一足先にダッシュして、姫華の下足入れを開けると、外履きを取り出した。

「どうぞ」

 理恵子は姫華の前でひざまずき、にっこりほほ笑みながら革靴をそろえて差し出した。

「ありがとう」

 姫華は心のこもっていない声で、一応の礼をいうと、靴を履き替えた。それが終わると、理恵子はまた上履きを持って下足入れに走る。

 姫華はもう理恵子などに目もくれずに外に出る。外には大型のリンカーンが止まっており、燕尾服姿の老執事、佐久間さくまが後ろのドアを開けて待っていた。

「にゃああ」

 なぜか脇にシャム猫が鳴いていた。どこからかまぎれこんできたらしい。

 びくんとする。じつは姫華は猫が大嫌いだった。

「こらっ、しっしっ」

 それを知っている佐久間が、猫を追っ払う。

「も、もうよろしいわ、佐久間」

 猫が三メートルほど離れたのを見て、姫華はいった。その瞬間、佐久間がぱたんと前のめりになって倒れた。

「佐久間?」

 佐久間は七十近い老人だが、若いころは空手と柔道で鍛えた体で、下手な若者よりも丈夫なくらいだ。それがいきなり倒れるとは不自然すぎる。

「何者?」

 後ろにいた伊集院が、叫びながら木刀の布袋を外し、姫華の前に立ちはだかった。

「姫華様、車から離れてください」

 な、なに? いったいなんだっていうんですの?

 姫華は激しく動揺する。伊集院は車から離れろといっているが、いったい車がどうしたっていうの?

 車に注意を向け、初めて車の下から黒皮の手袋をした手が伸びているのがわかった。それが佐久間の脚を掴んでいる。不意をついて、佐久間の脚を両手で刈ったのだ。

 伊集院が木刀を持って近づくと、その手は車の下に隠れた。佐久間は起きあがらない。いきなりのことに受け身を取り損ない、コンクリートに頭を打ったらしい。

「え、なに、なに?」

 たまたま居合わせたらしい女生徒が、昇降口から出ると立ち止まり、目を白黒させている。よく見ると、姫華のクラスの川奈陽子だった。

「誰か知らないが、引っ込んでろ」

 伊集院が陽子に向かって怒鳴る。そのとき、車の下からひゅんと風を切る音とともになにかが飛び出した。

 鞭のようなものだった。それは伊集院の脚に巻き付くと、あっという間に車の下に引っ張り込もうとする。伊集院はそれに必死で耐え、木刀で鞭を叩き切ろうとした。

 だが下に注意が向けられたとき、もう一本の鞭が車の屋根をまたいで上から打ち下ろされる。それは木刀を持った右手に絡みついた。

 伊集院の体はあっという間に車に張り付いた。上と下から引き絞られ、両方の鞭を結ばれたらしい。

「しまった」

 身動きがとれなくなった伊集院が叫ぶ。

 次の瞬間、車の下から黒い影が飛び出した。よく見ると、それは学園の男子制服を着た男で、顔は黒い覆面のようなものをしていて、目だけがそこから覗いている。感情を感じさせない冷たい目だった。

 そいつは必死にあがいている伊集院のみぞおちに強烈な突きを入れる。伊集院はそれで動かなくなった。おそらく学園の中でも最強と思われる伊集院が、木刀を持った状態で手も足も出ない。

 覆面の男は、ブレザーの中に手を突っ込むと、なにか黒いものを取り出した。

「ひょわわわ。け、け、拳銃だよぉおお?」

 すっとんきょうな叫び声。陽子だった。どんぐり眼を見開いてあたふたしている。

「ひゃ、ひゃ、ひゃあああ。たいへんですぅう」

 こっちは理恵子。万歳した状態でのけぞっている。

 かんじんな姫華は叫び声ひとつ上げられなかった。体が固まっている。

 しかし意識だけははっきりしていた。

 男が手に持っているものは、陽子がいったようにたしかに拳銃だ。先端に細長い筒のようなものが付いているが、これはたぶん映画なんかでよく見るサイレンサーとかいうものではないのか?

 男は銃口を姫華に向けた。

 な、なに、なに? 嘘よ。冗談よね? わたくしを殺す気ですって?

「きゃああああ」

 陽子の甲高い悲鳴が耳に付いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る