第1章 勇者さまの耐えられない軽さ⑤
日が傾きはじめ、草原が橙色に染められる頃合いになって、ようやくロゼは姿を現した。
クノハの言いつけどおり、ちゃんと軽装になっている。胸元が大きく開きすぎているしスカートもやや短すぎる気もするが、先ほどの重装備よりはずっとましだ。
「……あれ?」
クノハはおかしな点に気がついた。
「お前……武器は?」
ロゼは武器らしきものをいっさい携帯していなかった。
「軽いほうがいいと思って……」
クノハはしゃがみこみ顔を覆った。
「うん、軽いね。めっちゃ軽い」
「でしょ?」
――お前の頭がな!!
クノハは声を荒げそうになるのをぐっと堪えた。
――ひとは簡単に間違う。それは俺も身に染みて知っている。だから俺がやらなきゃいけないのは彼女をなじることではなく、諭して導くことだ。
クノハは無理に笑顔を作った。
「冒険の旅、ね? 冒険。あのー、辞書を引いてもらえればわかると思うんだけど、危険をともなう感じのね? だから丸腰っていうのはなかなかリスクが高いというかね」
「もう! 冒険が危険だってことはちゃんとわかってるよ。予習したし」
と、腰に下げた皮の小物入れから撮りだしたのは、手のひらサイズの本。
表紙には『じゃららん』と書いてある。
観光ガイドだった。
「バカンス気分じゃねえか!!」
「で、でも、勇者の手引きとか、そんな本なかったんだもん」
――まあたしかに、なんの知識も手本もないなら、重装備で動けなくなって昼寝するのも、武器をいっさい携帯しないのも説明がつく。
クノハはしばし考えたあと、ぶるぶると首を振った。
――いやつかないつかない。どう考えてもこいつがおかしいだけだ。
骨は折れるが、ひとつひとつレクチャーするしかない。
「もう一回ヴァナにもどって武器を買ってこい。軽いのだぞ」
「もう門が閉まってる時間だから無理だよ。それにわたし、お金持ってないし」
「『お金持ってないし』」
クノハはオウム返しをした。
「なんで!? そこがお前の唯一の強みだろうが!」
ロゼは腰に手をやって胸を張った。
「冒険者はね、宵越しのお金を持たないんだよ」
「武器がないと宵を越せねえって話をしてるんだよ!」
「トッカまでの馬車代はあるよ。でもそれだけ。冒険は、風の吹くまま気の向くまま。金は現地調達さ」
眉毛を逆ハの字にして得意顔になる。
――なんかろくでもない本でも読んだな、こいつ……。
「仕方ない……。これをやる」
クノハは腰に帯びた鉄剣をはずし、ロゼに差しだした。
クノハが実家を出るとき、はじめて自分の金で買った鉄剣だった。赴いた武器屋の店先には『閉店セール』と書かれた紙が貼ってあったのだが、その紙は長年日光にさらされつづけたせいで退色し、ぼろぼろだった。店の親父は、
「この剣は一〇〇年ほど前に作られたもので、数々の傭兵や剣士の手を渡って、いまここにあるんだ」
などと言っていたが、価格は
今日に至るまでメンテナンスを欠かしたことはないし、安物とはいえ問題なく使えるはずである。
「駆け出しのお前には、この粗末な剣がぴったり……」
「わあ! ありがとう!」
ロゼは剣を受けとると、大事そうに胸に抱えた。
――調子くるうな、こいつ……。
クノハは眉間をもんだ。
「よし、じゃあ、かかってこい」
ロゼは首を傾げる。
「なんで?」
「いや、だから……。勇者を出し抜いて名声を得ようって言ったでしょ? まずはその勇者とやらの力量を測ってやろうと思ったわけ」
「あ~、なるほど!」
ぽんと手を叩いた。
『ロゼに魔王を退治させる』。この目標を達成するためには、ロゼ自身に強くなってもらわなければ話にならない。だから――。
――まずどんな才能があるかを見定め、そののち、宿敵としてこいつの競争心を焚きつける。
クノハは手招きした。
「さあ、かかってこい!」
「う~ん……できるかな」
ロゼはすらりと剣を抜いた。クノハはぞっとした。
「い、いや待て、殺る気満々かお前」
「え? でもかかってこいって」
「手合わせ、な。模擬戦だよ。鞘に納めたまま」
「ああそっか。当たったら血が出ちゃうもんね」
「ほう……。お前の剣が俺に当たるとでも?」
ロゼは不敵に笑った。
「わたし、元傭兵のおじさんに『ロゼちゃんは剣の筋がいい』って言われてたんだよ」
剣を鞘に納め、留め具で固定する。
ロッカが言うにはロゼの能力はオールゼロ――つまりなんの力もないということだ。しかし、傭兵と言えば各国を渡り歩く戦闘のプロフェッショナル。その元傭兵のおじさんとやらが見いだした才能――。
「それは楽しみだ」
クノハは率直な感想を口にした。
「来い!」
「えい!」
ロゼは剣を水平に薙いだ。
剣は空を斬った。
「……」
「えい、えい、えい!」
剣が空を斬る、斬る、斬る。
クノハと切っ先との距離は剣二本分はゆうにあろうか。
そのうえロゼは完全に目をつむっていた。
――傭兵の野郎……!
単なる子供向けの世辞だったらしい。クノハはまた眉間をもんだ。
「えい、えい、えい!」
「もういい」
「えい、え」
「もういい!」
「当たった?」
ロゼは息を切らしながら、目をキラキラさせて尋ねてくる。
「当たるとか当たらないとかを語るのもおこがましいくらいの距離感」
「あと一歩って感じかな」
と、いい顔で額の汗を拭った。
――剣の才能は、なし、と……。
クノハは心のなかにメモした。
しかしまだわからない。職業が聖騎士なのだから魔法もいくらかは使えるはずだ。
「つぎは魔法で勝負だ」
ロゼはまた得意顔になった。
「わたし、実は魔法のほうが得意なんだよ」
「ほう」
「元傭兵のおじさんに『ロゼちゃんは魔法の筋がいい』って言われたんだから」
――さっそく期待できない……。
なにが元傭兵だ、もう単なる子供好きのおじさんじゃねえか、とクノハは見も知らないおじさんを心のなかで呪った。
「で、なんの魔法なんだ」
クノハは半ばあきらめながら尋ねた。
「う~ん、わかんない」
「魔法なんてだいたい火、水、土、風のどれかだろ。でなければ回復系か補助系」
「でも元傭兵のおじさんが『ロゼちゃんの魔法はなんなのかわかんないなあ』って」
「なんかもう逆に会いたいわ、そのおじさん」
クノハはげんなりした。
「ともかく、その魔法を使ってみろ」
ロゼはうなずくと、両手を胸に当てて目をつむった。
手をゆっくりと胸から離す。すると、引っぱられるみたいに胸のなかからピンク色に輝く球がせり出してきた。
両腕を捧げるように伸ばす。光球は彼女の手の上にふわふわと浮いている。
神々しい光にクノハは目を奪われる。
光球が一際強く輝いた。
「なん……!」
腕で顔を覆う。
――なんだなんだなんだこれは!? 見たことないぞ、こんな……!
魔道士である父に魔法の基礎知識をみっちり叩きこまれた。そしてさまざまな魔法の混合――マッシュアップを試しに試した。既存の魔法はほぼ網羅し、マッシュアップによる新たな魔法を開発した。
しかしロゼの魔法は、そのどれにも当てはまらない。
光が徐々に弱くなっていく。クノハはおそるおそる顔をあげる。
ロゼが目の前に立っている。謎の魔法を放つ前となんら変わらない状況だった。
「な、なんなんだ? なにが……」
ロゼは腰に手を当てた。
「この魔法はね……」
「この魔法は……?」
「すごく、光る」
カーカー、とどこからかカラスの鳴き声が聞こえた。
「……だけ?」
「だけ」
ロゼはうなずく。クノハは頭を抱えた。
剣の才能はなし。魔法は意味不明。無理に褒めるとすれば、アホほどポジティブなことくらい。
――どうすりゃいいんだこれ……!
「クノハ、また眉間にしわが寄ってる」
――誰のせいでこうなってると思ってるんだよ……!
ロゼは「そうだ!」と声をあげた。
「クノハ、手を出して」
「はあ? なんで……」
「いいから」
クノハは深くため息をついたあと、言われたとおり手を出した。ロゼは自分の手首から白銀色のバングルをはずし、クノハの手首にはめた。
「なんだよ、これ」
「今日のお礼」
もう日も傾いているというのに、ロゼは日の出みたいな笑顔になった。
「怒りそうになったら、これを見て、そして笑って」
「おかしくもないのに笑えるか」
「笑えるよ」
ロゼはクノハの顔に手を伸ばし、眉間に寄ったしわを指で丹念に伸ばす。
「はい、しわが伸びる伸びる~」
「はっ」
「ほら笑えた」
「苦笑いだ」
「それでもいいよ。怒ってるよりずっと」
ロゼは歯を見せて笑った。
「じゃ、行くね」
背を向けたロゼは、なにかを思いついたような顔で振り返った。
「一緒に冒険しない?」
「しねえよ。お前を出し抜いて名声をあげるってさっき宣言しただろうが。脳みそシフォンケーキかお前」
「あははは!」
ロゼは腹を抱えて爆笑した。
「いや、バカにされてるんだぞ? なに笑ってるんだ」
「だ、だって、脳みそシフォンケーキって……。脳みそがシフォンケーキのわけないのに。脳みそは脳みそだよ?」
「知ってるわボケ! 皮肉だ!」
「あはははは!」
ロゼは涙が出るほど笑っている。
――ツボがわからん……!
「お前な……これから魔王を退治する冒険に出るんだぞ? もう少し緊張感をだな――」
「うん、早く会いたいなあ」
「会いたい……? 倒したいの間違いじゃ」
「だって魔王さんって、すごくたくさんの魔物を毎日毎日、作ってるんでしょ?」
「そうだ、だから人間が困って――」
「すごく寂しいんだと思うんだ。きっと友達がほしいんだよ」
「……」
「だから、早く会いたい」
「怖くないのか?」
「怖いといえば怖いけど、でもわくわくしてる」
ロゼは「じゃ、今度こそ行くね」と言って街道を歩いていく。途中、振り返ってクノハに手を振った。
「剣、ありがとう! 大事にするね!」
ロゼの姿が小さくなっていく。
「……?」
クノハの周囲にタンポポの綿毛のようなものがふわふわと舞い飛んでいた。手を差しのべると驚いたみたいにどこかへ飛んでいってしまった。
――森の精霊……? 平野部に現れるなんてことがあるんだな。
ロゼの旅立ちを祝福しに来たのだろうか?
「まさかな」
クノハはふーと長く息をついた。そしてどこにともなく言う。
「覗きとは素行の悪い女神だな」
「あ、バレてました?」
隣の空間が白く輝いたかと思うと、ロッカがひょいと姿を現した。
「それで、どんな塩梅ですか? やれそう?」
クノハはロゼが歩いていったほうをじっと見つめた。
『怖いといえば怖いけど、でもわくわくしてる』
――あれは……昔の俺だ。
父とともに魔法を訓練し、母にはその力を世界のために使う術を教わった。旅立つとき、まだ見ぬ世界に恐れる気持ちはあった。しかし同時に、ついにこの力を世界のために使えるのだとわくわくもしていた。
――あのときの俺はロゼのように笑っていたんだろうか?
もう思い出せない。しかし。
――あの笑顔を、失わせたくない。
いまクノハのなかに湧いているその気持ちに間違いはない。
しかし――。
「やれ――るかなあ……?」
クノハは腕を組み、首をひねった。
「ええ? いま決意に満ちた感じの顔をしてたじゃないですか」
「でもなあ。見たろ、あの無能力っぷり。冷静に考えて、世界を救うなんて無理だろ」
「なるほど、不安があるわけですね。――ではこれを見てください」
ロッカは過去視の魔法を使った。光の円のなかにひざまずくロゼの姿が映る。
そこは謁見の間らしい。よく磨かれた床が天井につるされた豪奢なシャンデリアを鏡のように映している。左右の壁際には大臣と騎士が等間隔に並び、押し黙っていた。
玉座に腰かけた割腹のよい老人が声を荒らげた。
「いいや、大胆不敵である!」
――これは……王か。
聞き及んだイエイス二世の特長と一致する。人格者であった先代のイエイス一世と比べ、二世は軍事面では有能ながらも内政にうとく、王としての品性に欠けるとの評判だった。
老人ばかりが目立つ大臣のなかで、ひとり年若の大臣がロゼを指差し大声をあげた。
「いいえ、ただの鈍い娘と存じます!」
ロゼが肝のすわった勇者なのか、ただの鈍い少女なのかで口論になっているらしかった。ただでさえぴりぴりとしていた空気がさらに張りつめる。
しかし当のロゼはというと、あらぬ方向に視線をさまよわせていた。
――なにやってんだこいつ……?
よく見ると彼女は、窓から射しこむ陽光で照らしだされた埃を目で追っていた。
――すげえな……こいつすげえな……!
クノハは呆れのあまり語彙力を失った。
「いいや、傑物である! そうであろう、勇者ロゼよ!」
「……」
「勇者ロゼよ! ゆ……ロゼよ!」
「え? あ、はい、そうです!」
大臣たちが「おお……」と感嘆のため息を漏らした。年若の大臣が声を張りあげる。
「なぜわからないのですか! 集中力がないだけのたわけです!」
「なにを言っておるのだ。勇者ロゼこそこの世界を救う者!」
「いいえ、愚鈍なだけでございます!」
「いいや英雄である!」
「ぼんくらでございます!」
「巨星である!」
イエイス二世は顔を真っ赤にして反論する。
――この王……見る目ねえな……。
噂どおりの軍事バカらしい。年若の大臣はなおも食いさがる。
「しかし!」
「ええい、黙れ!」
イエイス二世は立ちあがった。
「ならば王の座を賭けようではないか!」
謁見の間がざわついた。
「もし勇者ロゼが道半ばで力尽きたならば、我は王の座から引く!」
――なんかすげえこと言い出したぞ、この王……。
どれだけ負けず嫌いなのか。やはり品性に欠けているようだ。
「ようございます。それほどのお覚悟がございますならば、もうなにも申しあげません」
大臣はこうべを垂れた。
イエイス二世はロゼに目を向けた。
「聞いてのとおりだ、勇者ロゼよ。必ずや世界を救い――」
「……」
ロゼは一点をじっと見つめていた。彼女の視線を追うと、その先にはひとりの大臣がいた。窓から射しこむ陽光を彼のハゲ頭が照り返している。ロゼはそれに目を奪われているらしかった。
――この空気のなかで……。す、すげえ、こいつすげえ……!
「世界を救……ロゼよ! ロゼよ!」
「え? あ、はい、救います!」
大臣たちはまた感嘆の声をあげた。
過去視の魔法が終了する。
「というわけでお願いします」
「いやどういうわけなんだよ、めちゃくちゃ大事になってるじゃねえか!」
「失敗すれば王が失脚して国の形が変わりますよ。滅ぶかも❤」
「滅ぶかも❤、じゃねえ! がっつりやる気を削がれたぞ。なんでこんなもん見せたんだ!」
「やる気はなくなったかもしれません。でも、やらざるを得なくなりましたよね?」
「え、とうとつな脅迫……? お前ほんとに女神か」
「そういうわけでお願いします。あ、用事があるときは『かわいいロッカちゃん』、もしくは『プリティロッカちゃん』と呼んでくださいね。すぐに駆けつけますので」
ロッカは光になって消えた。
「待っ……畜生、逃げやがった!」
――やっぱりろくでもないなあの女神……!
クノハは地面を何度も蹴って、やり場のない怒りをぶつけた。
そうして少し冷静になってくると、今度は不安が襲ってくる。
――あいつ、大丈夫かな。
当たらない剣とよくわからない魔法だけでは、そこらへんのゴブリンにだって負けるかもしれない。そうなれば世界は終わりだ。
「ああ! くそっ!」
クノハはロゼのあとを追った。
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