第1章 勇者さまの耐えられない軽さ③

「この力を活かしたいとずっと思っててさ。子供のころから将来は魔物を退治する兵士とか冒険者になろうって決めてたんだ。父さんも母さんも応援してくれたよ。こんな、異様な力を持つ子供を怖がらずに育ててくれただけでも感謝しきれないのに。だから期待に応えたいって思ってさ、王都エドゥメリアのでかいギルドに登録して、あるパーティに入ってさ。そこまでは順風満帆だったんだ」


 のどが渇いてきて、クノハはぐびりとつばを飲みこんだ。


「倒しまくったよ、魔物を。高難度のクエストにもどんどんチャレンジして、俺たちのパーティはまたたく間に名を上げた。でもさ、ガーランドが――リーダーの男なんだけど、こいつが……年下の俺の活躍が気に入らなかったみたいで……」


 話が核心に近づくにつれ、胸が苦しくなり、冷や汗が浮かんでくる。クノハは深呼吸をして、搾りだすように話をつづけた。


「裏で、あいつは魔物の子だとか……魔王とつながってるとか……根も葉もないことを言い触らして……。パーティには女がふたりいたんだけど、このふたりがガーランドより俺を頼りにしていたのも癪に障ったらしくて……。そのうち、ギルドにも噂が届いて……追放されて……。でも、父さんや母さんに申し訳なくて、家にも帰れないし……。だからひとりで駆け出しの冒険者を助けてさ……」


 自分でも驚くほど冗舌だった。本当は誰かに話したかったのかもしれない。


 しかし。


「あば、あばばばば」


 クノハは急に気分が悪くなってベッドにばたりと倒れた。


「わあ!? 急にどうしたんですかクノハさん!」

「あば、あばば……」


 クノハは水甕を指さした。ロッカは慌てて木のカップに水を汲み、クノハに手渡す。

 むさぼるように水を飲む。するとむかむかした胸が洗い流されるようにすうっと楽になって、クノハはほうっとため息をついた。


「すまん……。あばばばが来た」

「あばばば……?」

「過去を思い出したり、仲――間、的な単語が耳に入ったりするとやってくる。耳鳴りと強いめまいの伴う激しい嘔吐感に襲われ、あばばばしか言えなくなる」

「なんですかそれ。怖い……」


 ロッカの顔が同情の色を帯びる。


「ロッカちゃんのせいでクノハさんがそんなわけのわからない病気に……」

「いや、力のせいでっていうのは言葉の綾というか、頭に血がのぼっちゃって、つい……。力をひけらかすような真似をした俺が悪かったんだ。お前が気に病むことはない」

「でもでも……! ロッカちゃんが力を授け違えなければ……!」


「……ん?」


 クノハは鶏みたいに首を突きだした。


「ん? ……ん? なに? なんかいま、すごく気になること言わなかった?」

「え? ロッカちゃん、なにか言いましたか?」

「授け違え、とか聞こえたんだけど」

「はい、ロッカちゃん、人間に力を与える係に選ばれたんですけど、うっかりしちゃって、与えるひとを間違えちゃって。で、クノハさんに」

「間違って、俺に……?」


 ロッカはぽっと赤くなった頬に手を当てた。


「なのに、クノハさんは優しいですね。ロッカちゃんをなじるどころかなぐさめて――」

「いやアホかこのアホ女神、全面的にお前のせいじゃねえか! 気に病め! というか病めアホが!」

「女神もびっくりの方針転換!」

「お前のミスが原因なら話が変わってくるだろうが!」

「ですよね……。わかりました!」


 ロッカは正座すると、よどみない動作で土下座した。床に額を押しつけて微動だにしない。土下座の見本と言っても過言ではないほど折り目正しい所作だった。


「どうか! これで!」


 ――なんだこの土下座慣れした女神……。


 この洗練された土下座を見ると、いままでいかに多くのミスをしてきたかわかろうものだった。


「お前な――」


 クノハははたと言葉を切った。


 失敗した者をなじって、それでどうなるのだろう。

 クノハはギルドから除名されたあと復帰を嘆願したが、それが認められることはなかった。まるで、一度でも過ちを犯した者は決して許しはしないとでもいうように。


 母の言葉を思い出す。


『クノハ、お前の力はすごいよ。それだけに、他のひとたちが無能に見えてしまうかもしれない。自分が簡単にできることを、なんでお前たちはできないのか、ってね。でもできないんだよ。ひとは簡単に間違う。だからクノハ、その力でお前は、間違う人びとを助けてやるんだ』


 クノハは神に授かった力をひけらかすように行使した。それがガーランドの嫉妬を買うなどとは考えもせずに。いや、もしかするとガーランドもギルドの連中も、クノハの力に怯えていたのかもしれない。


 いずれにしろ、世間知らずだったクノハはそうして排除され、挫折した。クノハもまた『間違う人びと』のひとりだったのだ。だからこそ母の言葉の意味を、いまになってはじめてしみじみと感じた。


 ――そんな俺が、ひとを許せないでどうする……。


 クノハは頭をかいた。


「で、授け違えってのは?」


 ロッカは顔をあげた。


「ゆ、許してくれるんですか」

「ああ。大事なのはミスをミスのままにしないことだ」

「なんて心の広い……。あなたが神か……」


 ロッカは目をきらきらさせてクノハを見あげた。


 ――こいつ、全体的に女神としての自覚が不足してんな……。


 クノハは呆れてため息をつく。ロッカは居住まいを正して話しはじめた。


「クノハさん。あなたには救世主――勇者の力があります」

「勇者の力……?」


 クノハははっと息を飲んだ。


「断る!」

「まだなにも言ってないじゃないですか!」

「あれだろ、勇者として仲――友人的な者たちとともに魔王を倒せとか言うんだろ! いま話したばっかりじゃないか。どうせまた裏切られる!」

「どうどう、落ち着いて。話は最後まで聞いてください。あなたに勇者であることは望みません。逆に、あなたが勇者だと困ります」

「話が見えないぞ。勇者の力があるって言っただろ」

「勇者の力だけあるんです」

「……ん?」

「勇者の資格がないんです」

「そ、そうだよな……。俺みたいな人間不信の根暗なんてお呼びじゃないよな……」


 クノハはうなだれる。ロッカは慌てて訂正した。


「ち、違いますよ。その……予定外というか、ロッカちゃんのお茶目が出たというか。――見てもらったほうが早いですね」


 再び過去視の魔法を使う。光の円のなかには、産院だろうか、布団の上で眠るふたりの赤ん坊が映っていた。


「右がクノハ、あなたです。左がもともと力を与える予定だった女の子。名前はロゼ」


 プラチナのように美しい銀髪が印象的な赤ん坊だった。親が近くにいるのかキャッキャとはしゃいでいる。隣のクノハは迷惑そうに、しかめっ面で目をつむっていた。


「主神たちの会議で勇者として認定されたのはロゼのほうだったんです。それで取り急ぎ、資格だけはまだ母親のお腹にいたロゼに与えました。力は後日の予定で。でもそちらは間違ってクノハさんに。その……隣だったので……」


 クノハは唖然とした。


「お前、マジか……。名前も性別も髪の色も全然違うのに……間違うかあ……」

「だ、だってだって! 人間の赤ん坊なんてみんな猿みたいな顔をしてるじゃないですか! 見分けなんてつきませんよ!」

「産院なんて赤ん坊だらけの場所なんだから慎重を期すだろ、ふつう……」

「なんですかその正論。ぐうの音も出ませんよ!」


 ふん! とそっぽを向く。


「なにその逆ギレ……」

「ともかく、こうして『勇者の資格しかない女の子』と『勇者の力しかない男の子』が生まれたわけです。ここまではいいですか?」

「全然よくないけどいいよ。話を進めて」


 ロッカはコホンと咳払いをした。


「で、昨日。そろそろ時期かなあ? と思ってロゼちーのところに啓示に行ったんですよ」

「なんだよそのトマトの収穫みたいな感覚」

「ロゼちーすごく乗り気で。『魔王を倒』くらいで食い気味に『やります!』って」

「登場人物にうかつな奴しかいない」

「一仕事終えたという充実感を感じながら、念のためにロゼちーの能力を確認したら」

「したら?」

「オールゼロでした」

「おおう……」

「もうロッカちゃんびっくりしてー! 慌てて力の在り処を探してー! クノハさんのところに来たんですよー! クスクス!」

「笑ってんじゃねえよ。反省しろ」

「わっかりました。はんせー❤」


 ロッカは自分の頭をこつんと小突いて、ぺろっと舌を出した。


「……チッ!」


「あの、舌打ちはもう少しこっそりお願いします……」

「善処する。で、俺にどうしろと」

「ロゼちーが立派な勇者としての責務を全うできるように支えてあげてほしいんです」

「力を移し替えればいいじゃないか」

「む、無理ですよ。クノハさんが死にでもしないかぎり力は取り出せませんし、そもそも神の力を持ったクノハさんが誰かに殺されるなんてこと、ほぼあり得ませんし」

「じゃあ主神に報告して力を授けなおせばいいだろ」

「主神から預かった大切な力を違う人間に授けたなんて発覚したら、ロッカちゃん消されちゃいますよ」

「消されたほうが世のためなんじゃないか?」

「なんてこと言うんですか!?」


 ロッカは涙目になった。クノハも流石にこれは言いすぎたと思い、

「す、すまん。軽いジョークのつもりだった」

 と謝罪した。ロッカは「むー」と頬をふくらませた。


「いつか天罰を与えますからね……。――じゃあ、仕事を受けてくれるんですね?」

「それは話が別だろ。仲……一緒に冒険するような関係になるなんてごめんだぞ。ろくなもんじゃない」

「あ、仲間になる必要はないです」

「あばばばばば」


 クノハはどさりとベッドに倒れこんだ。がくがくと身体が震え、額には脂汗が浮かぶ。


「わわ! クノハさん、大丈夫ですか!?」

「ふ、不用意に……その――仲、なんとかという単語を使わないでほしい……」

「わ、忘れてました。心の傷に塩を塗ってすいません……。ではなんと言いかえれば?」

「上辺だけの付きあいとか、金だけのつながりとか」

「それはロッカちゃんの心がすり切れそうなので却下です!」


 ロッカは腕でバツを作って一蹴した。


「では旅の友に置きかえます。――旅の友になる必要はありません。バックアップだけしてもらえらば」

「バックアップだけ……?」


 仲間にはならず、バックアップをする。そして、バレてはいけない。ここから導き出される答えは――。


「こっそり後をつけて、盛り立ててやればいいってことか?」

「え? ん~、まあ、そんな感じです」


 駆け出し冒険者の後をつけ、見守る。


 ――それって、いつも俺がやってることじゃないか。


 ロッカは仮にも女神だ。神直々の依頼、しかも『魔王を討伐する勇者の手助け』。


 ――ついに俺の力を世界の役立てることができる。


 クノハのなかで子供のころのような胸躍る感覚がほんの少しだけ沸きたつ。


「ロッカ、そのロゼって娘はどこにいるんだ?」

「え、じゃあ、やってくれるんですか」

「やるさ。俺は敬虔なんだ」

「さっき消されたらいいって言ってたじゃないですか」


 と、むくれる。


「それは悪かったって言ってるだろ。で、彼女はどこに」

「ヴァナの村です」

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