第1章 勇者さまの耐えられない軽さ②
「ただいま~」
男――クノハは家に入るとフードを脱いで、うんと背筋を伸ばした。
「あ~、今日もいいことした~!」
丸太をくり抜いた樋からちょろちょろと水が落ちて甕に溜まっている。クノハはじゃぶじゃぶと顔を洗い、ついでにのどを潤した。
「聞いてくれよ、ウィルソン」
クノハはイスに座り、ウィルソンと向かいあった。
「今日はさ、ゴブリンの住処に入っていった駆け出しの冒険者を助けたんだ。ゴブリン相手だし大丈夫かなあとは思ったけど、一応しばらくダンジョンの前で待機してたんだよ。そしたらなんと近くの森でライカンスロープが狩りをしてて。俺はピーンと来たね。これはつがいだ、もしかするとあのダンジョンにもう一体いるかもってね」
ウィルソンは黙って聞いている。クノハは身振り手振りをまじえて話をつづける。
「で、ダンジョンに潜ったら案の定ライカンスロープがいたわけさ。冒険者たちはすでに追いつめられてた。俺は姿を見られたくないから隠れてチャンスをうかがってたんだけど、そしたら狩りをしていたもう一体が帰ってきちゃってさ、仕方なくフードをかぶって出てったんだ」
身振り手振りが大きくなる。
「アクアキャリバーですぱーっと一体を倒したんだけどさ、そしたら顔に血がかかっちゃって。だからもう一体はボルケーノで押し流してやったんだ。ボルケーノは素早い相手だと逃げられちゃうけど、せまい通路ならかなり有効だ。まあ、マグマでダンジョンが塞がっちゃったけど」
クノハは「ははは」と笑った。しかしテーブルの上のウィルソンは一言も発さない。
それもそのはず、ウィルソンはひょうたんだ。
孤独のあまり情緒が不安定になっていたクノハはある日、人間の顔にそっくりなひょうたんをダンジョンで見つけて持ち帰った。目と鼻を描きこみ、ウィルソンと名づけ、その日に救った冒険者の話をすることによって、クノハは心の安定をとりもどすのである。ここ一年、毎日つづけてきた。
今日もそんないつもの一日が平穏無事に終わるはずだった。
「とにかく、助けられてよかったよ。――明日はもう少し足を伸ばしてみるつもりなんだ。せっかくのこの力、もっとひとのために使わないと……」
話を終えて満足したクノハは、眠りにつこうとランプに手を伸ばす。
その手がランプの縁を叩いた。少しだけ目測を誤ったのだ。ランプが倒れ、ガラスが割れ、油が流れ出し、引火した。
ウィルソンが燃えあがった。
「ああああ!? ウィルソン!」
このままでは小屋が全焼してしまう。クノハはとっさにウィルソンを引っつかんで放り投げた。ウィルソンは窓ガラスを割って外へ飛んでいった。
「ああ!? 俺はなんてことを! ウィルソン!」
クノハは小屋を飛び出した。魔法を唱え、地面で燃えているウィルソンに水をかけた。
火が消える。表面が半分ほど焦げてしまっているが、顔の部分は無事だった。
「よかった……。すまなかったな、ウィルソン」
ウィルソンを拾いあげる。しかし焦げの奥ではまだ火がくすぶっていたらしく、クノハの手がじゅうっと音をたてた。
「あっづう!」
あまりの熱さで反射的にウィルソンをぶん投げてしまった。ウィルソンはあっという間に林の向こうに消えていった。
「やばい、向こうには川が……! ウィルソン!」
クノハは慌てて駆けだした。果たしてウィルソンは川に流されていた。前日の雨のせいで増水した川は流れが速く、ウィルソンはぐんぐんと小さくなっていく。
「俺の肩がよかったばっかりに……! ウィルソン! ウィルソーン!」
クノハは川岸を駆ける。
――まずい、この先は……!
そう思ったときには、すでに手遅れだった。ウィルソンの姿が忽然と消える。
滝に落ちたのだ。
クノハは崖の縁に手をついて下を見た。滝壺は跳ねあがるしぶきで白く煙り、よく見えない。ここは魔の滝壺だ。落ちたものは二度と上がってこない。
「ウィルソオオオオオオオオン!」
クノハの悲痛な叫び声は滝の轟音にかき消された。
拳で地面を叩く。
「俺の肩がよかったばっかりに……!」
激しい胸の痛みと無力感にさいなまれて呆然とうずくまっていたクノハは、しばらくしてなんとか立ちあがり、とぼとぼと小屋へもどった。
――俺は……これからどう生きていけば……。
ベッドに入り、ぐすぐすと鼻をすする。
孤独に駆け出し冒険者の救済をつづけるクノハにとって、ウィルソンは家族と同じかそれ以上の心の支えだった。
クノハははらはらと涙を流した。
――俺の肩がよかったばっかりに……。
眠気がやってくると、まどろみのなかに在りし日のウィルソンの顔が思い浮かび、はっと目が覚めて涙する。泣き疲れて眠気がやってくると、またウィルソンの顔が夢のなかに現れ、目が覚めて、涙を流した。
割れた窓から差しこむ月明かりの角度が大きく変わっても、クノハは寝つくことができなかった。
そのときである。部屋のなかが急に明るくなった。朝になったのかと割れた窓を見るが、外はまだ夜のままだった。光源は部屋のなかにあった。
ウィルソンと話したテーブルの横に清らかな光が集まっている。光は徐々に集束していき、人の形を作る。
「あ、ああ……。まさか、まさか……帰ってきて……!」
光が収まった。そこに立っていたのはピンク色の髪の少女だった。少女はにっこりと笑いかける。
「こんばんは、クノ」
「ウィルソンだと思っただろうがまぎらわしいわあああああああ!!」
クノハの怒鳴り声で小屋がびりびりと震えた。少女は首をすぼめる。
「ウィ、ウィルソン……? わたし、ロッカちゃんですけど……」
「ロッカちゃんだかなんだか知らんけど、なんだその意味ありげな登場は! 光りやがって! 用があるならふつうに入ってこい!」
「いや、あの、ロッカちゃん女神なので……神々しいところは勘弁してほしいです……」
「ロッカなんて女神、聞いたことがない」
「こ、これから有名になるんですよ!」
と、ぶんぶん拳を上下に振る。
「そうか、頑張れよ」
クノハはロッカに背を向けて横になる。
「あ、はい。頑張ります。――じゃなくて!」
ロッカはクノハの背中を揺すった。
「ロッカちゃん女神ですよ!? もうちょっと興味持ってもらえませんか!」
「深夜にいきなりひとの家に押しかけて大騒ぎする神経が、親譲りなのか後の環境によるものなのか知りたい」
「そういう興味の持ち方ではなく!」
ロッカは地団駄を踏んだ。暗にうるさいと注意したのに、やかましいことこの上ない。
クノハはシーツを被って丸まった。目をつむり耳を塞ぎ、一切の会話を拒絶する。
しかし先ほどのように背中を揺すってくることはなかった。妙だなと思って目を開けると、シーツのなかからでもわかるほど部屋が明るくなっていた。
顔を出すと、ロッカの手の上に光の円が浮かんでいた。円を覗きながらロッカが言う。
「なるほど、ウィルソンというのは……なんというか、お友達、なんですね。それを先ほど失ってしまった」
クノハはがばっと身体を起こした。光の円のなかに滝壺を覗きこむクノハの姿が見えた。
――過去視の魔法か。
時間の魔法は高度である。女神というのは伊達ではないらしい。
ロッカは光の円を消し、クノハに向き直った。
「しかし、どうしてこんな生活を? クノハさんほどの力なら、もっとウハウハな生活を送れるのでは?」
「ウハウハって……、俗っぽい女神だなお前。――というか、なんで俺の力のことを知ってる。過去視ではそこまで見てなかっただろ」
「知ってるもなにも、その力はわたしが与えたものですから」
「お前が……?」
「ええ、その件で今日はきたんです」
「この魔力も、腕力も、か?」
ロッカは胸を張ってうなずいた。
「そうですよ、全部ロッカちゃんのお陰――」
「俺の肩がいいのはお前のせいか……!」
クノハはうつむき、低い声で言った。ロッカが気圧されたように一歩後じさる。
「へ? か、肩? なぜ肩限定なんです?」
「俺の肩がよくなければウィルソンは……! いや、そもそもこんな力がなければ! 俺はこんな生活をしていない!」
「み、みすぼらしい生活に身を落としているのがなぜロッカちゃんの責任なんですか!」
「この力のせいでひとの恨みを買ってギルドを追い出されたんだよ! あとみすぼらしいとか身を落としているってなんだよ! そこそこ充実してるわ!」
「力のせいで恨みを……? それはどういう?」
クノハは顔をそむけた。「お前には関係ない」と拒絶しようとしたが、関係ないどころかこの女神は当事者以外の何者でもない。
言葉に詰まっていると、ロッカは腕を広げて微笑んだ。
「安心してください。ロッカちゃんは女神ですよ?」
クノハはロッカを横目で見た。
人間は信用できない。しかし彼女は人間のように見えるだけの別物だ。それはウィルソンと同じではないか。そう考えると心理的な抵抗感が薄れていった。
クノハは自分の足元に目を落とした。
「べつに面白い話じゃないぞ?」
ロッカは黙って微笑んでいる。クノハは独り言のようにとつとつと話しはじめた。
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