はぐれ賢者の魔王討伐リスタート! ~勇者の少女に惚れこまれたので現役復帰してみた~

藤井論理/角川スニーカー文庫

第1章 勇者さまの耐えられない軽さ①

 筋骨隆々の男が軽々と吹き飛ばされ、洞窟の岩肌に身体を激しく打ちつけた。


「リョウマ!」


 前線で両刃の剣を構えた男は叫んだ。しかし返ってくるのはうめき声だけ。


「アイナ、リョウマに回復魔法を」


 水色の髪の少女はひざまずき、呪文を唱えはじめる。


「リジィ、氷の魔法を――」

「もう魔力が……。ごめん、ケイン」


 眼鏡をかけた女が申し訳なさそうに言った。


「くっ」

 泥と血に汚れたケインの顔が悔しげに歪んだ。


 視線の先には魔物がいた。長身のケインの倍はあろうかという背丈の、そしてリョウマよりもずっと頑強そうな体躯の魔物。その身体は黒々とした剛毛に覆われており、剣撃を弾くばかりか、リジィの魔法さえも通らない。


 赤く光る目の下、割けたように開く口から、うなり声と唾液がこぼれる。


 ライカンスロープ、ワーウルフ、ルー・ガルー。呼び名はさまざまあるが、変わらないのは半狼半人の魔物であること、そして、いまのケインたちにはとうてい太刀打ちできない相手であるということだ。


 簡単なクエストのはずだった。ダンジョンを住処にし、町にやってきては悪事を働くゴブリンを退治する、ただそれだけの。

 いくら奥に進んでもゴブリンの一匹にも遭遇しない時点でおかしいと気づくべきだった。ゴブリンたちは高位の魔物が現れ、住処を捨てて逃げ出したのだ。あるいは、ライカンスロープの腹のなかに収まったか。


 アイナが悲痛な声をあげる。


「血が止まらない……! リョウマが……リョウマが……!」


 万事休す。


「いや……」


 ケインは腹の底に力を込め、しぼり出すように言った。


「ふたりはリョウマを外へ」

「ケインは」

「時間を、稼ぐ」

「ダメだよ! そんなの……そんなの!」


 アイナは涙声で叫んだ。


「アイナ」

 静かな、しかし有無を言わさぬ響きでケインは言った。

「頼む」


 なおもなにか言おうとするアイナをリジィが制する。


「このままではみんなやられる。これが……最善の方法」


 呆けたような顔をして、アイナはリジィを、倒れるリョウマを、ライカンスロープを、そしてケインに目をやる。そしてぐっと奥歯を噛みしめた。


「助けを、呼んでくるから。それまで……」


 ケインは「ああ」と歯を見せて笑った。


「お前、鈍くさいからな。帰ってくるより先に俺がこいつを倒してしまうかもな」


 アイナはぼろぼろと涙を流しながら、それでも無理に笑顔を作る。

 アイナとリジィは両側からリョウマに肩を貸し、入り口のほうに身体を向ける。


「あ……」


 アイナの短い声。


「どうした、早く逃げ――」


 ちらと顔を振り向けると、出口への通路に立ち塞がる影があった。

 

 それはライカンスロープだった。最初の一体より少し小柄な、恐らくはメスの個体だった。


「二体目……!?」


 このダンジョンにはライカンスロープのつがいが居着いていたらしい。

 アイナは完全に凍りついてしまっている。気丈に振る舞っていたリジィはついに心が折れ、「もう無理、もう無理……」とすすり泣きながらぶつぶつつぶやいている。


 メスのライカンスロープが腕を振りあげる。ケインは目をつむった。


「すまない、みんな……」


 どさり、となにかが地面に落ちる音。


「……っ!」


 最悪の場面を思い浮かべながら、ゆっくりと目を開けた。


「え……?」


 そこには予想だにしない光景が広がっていた。


 アイナたちはまだそこにいる。生きている。


 ライカンスロープは悶えるように身体を揺らして咆哮をあげていた。

 振りあげた腕、その肘から先がなくなり、鋭利な刃物で斬られたような断面からは止めどなく鮮血が噴き出していた。咆哮は苦痛の叫びだった。


「なん、だ……なにが……!?」


 アイナたちの前に人影があった。フードを深くかぶっていて顔は見えないが、若い男のようだ。


 男が腕を広げる。すると右手が白く輝きはじめた。


「なんなんだよ、それ……?」


 ケインは思わず驚愕の声をあげていた。


 光を放ったのは右手だけではなかった。左手もまた同時に輝いている。青く、青く。

 信じられないできごとだった。つまり、これは――。


「ふたつの魔法を、同時に発動させてる……?」


 リジィの声。彼女の驚きも無理はなかった。それは言うなれば、ふたつのまったく別の言語をひとつの口で同時に話すようなものだった。


 右手の白く輝く光は風の魔法。左手の青い輝きは水の魔法。

 彼は左右の拳を胸の前で叩きつけた。そして唱える。


混合魔法マッシュアップ


 白と青の光が混じりあう。ふたつの拳が突きだされる。


犀利たる水の刃アクアキャリバー


 混じりあった光からシュと音をたて、白く薄い絹のようなものが勢いよく放たれる。


 ライカンスロープの咆哮が止まった。頭がぐらりと揺れ、首から上だけが地面に落ちる。すっぱりと斬られた断面から血が噴水のように溢れた。両足が力を失い、膝をつき、ばたりと倒れる。何度か痙攣したあと動かなくなった。


 フードの男は顔にかかった血を不快そうに拭った。


「同時発動……あまつさえ、混ぜた……?」


 リジィがうわごとのようにつぶやいた。

 ケインはぐびりとつばを飲みこむ。そんな話、神話ですら聞いたことがない。


 その場にいる者たちは――フードの男を除き――皆一様に動転し、言葉を失った。


 その沈黙を咆哮が破る。つがいを殺されたライカンスロープは怒り狂い、地面を蹴ってフードの男に襲いかかる。


混合魔法マッシュアップ滔々たる焦熱の奔流ボルケーノ』」


 男は動じることなく、抑揚のない声で詠唱した。

 赤と黄の光が胸の前で混じる。


 炎の魔法と土の魔法が渾然一体となり、マグマと化してライカンスロープを飲みこんだ。

 ジュ、と焦げる音。それが、その個体がこの世で発した最後の音となった。赤々としたマグマの川はライカンスロープを溶かしながら、ダンジョンの奥へと押し流した。


 なにもかもが圧倒的だった。高位の魔物であるライカンスロープを赤子の手をひねるように倒してしまった。しかも、二体いっぺんに。


 男は何事もなかったかのようにフードを目深にかぶり直し、出口に足を向ける。


「あ、あんた、もしかして……」


 ケインの声に男は足を止めた。


「聞いたことあるぞ。冒険者が危機に陥ったとき、どこからともなく現れて、救う……。子供の夢物語かなんかだと思っていたが、まさか本当に……」


 フードの男はなにかを放り投げた。ケインは慌ててそれを受けとる。


「ポーション……?」

「ヒーラーの女に。魔力を引きあげるから、そこで寝ている男も回復させられるはずだ」


 男はケインの背後にいる仲間たちに目を向けた。その表情は苦痛に耐えているようにも見えた。


「彼らを信頼しているのか?」

「え? あ、ああ、もちろん。――それより、どうすればあんたみたいに強くなれる?」

「俺みたいにはならないほうがいい」


 男はケインの言葉をぴしゃりと制した。ケインは紫色に輝く瓶に目を落とした。


「でも、その力があれば」


 顔を上げたとき、フードの男の姿はすでになかった。

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