奈良圭吾/6:やさしさの理由

 大切な人の幸せと、自分の幸せが、一緒だったらどんなによかっただろう。


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 同盟関係にある吉野から電話がかかって来たのは、家のベランダから見ていた花火大会も終わり、少しテレビを見てから、シャワーを浴びて出てきた頃だった。


 テレビでは、水沢がいつも飲んでいるスポドリのCMが流れていた。


 好きな女子が他の男子に告白して成功するのをみかけた男子高校生が、涙を流して、それを隠すようにそのスポドリをぐっとあおって走り出す。

 それをみている教師役の若手女優が、「夏だねえ……」と呟くのが印象的な、青春真っ盛りみたいなCMだ。


 もともと大好きなCMではあったけど、その男子高校生の気持ちが、今はなんだかよく分かる気がした。


『奈良くん、聞いて!』


 なんだかすごく興奮しているらしい吉野は、「もしもし」も「こんばんは」も言わずに受話器越し、大きな声で話し始めた。


「何?」


 短い髪をタオルで拭きながら答える。


『さっき、ついに、西山くんに告っちゃった!』


 タオルを揺らす手が止まる。


「はあ!?」


 こっちも大きな声が出た。


 いきなりの展開過ぎるだろ。どうしたんだ。


「どういう流れで?」


『いや、話すと長くなるんだけど……』


 といいながら、かくかくしかじかと、ことの顛末てんまつを話してくれた。

 

 途中から、おれには、吉野の告白よりも気になることがあった。


「……そこには、ずっと水沢はいたのか?」


『うん、ずっと、いたよ! 私が告ったあとなんか、放心状態になっちゃってて、どんだけ驚くんだよってくらいで……』


 そこまでいたのか。


 そんなとこまで見てたのか。


 あいつ、ばかだなあ……。


『やばい、まだ胸がどきどきする……』

 と、わーきゃー言っている吉野を遮って、電話を切る。


「まじでごめん、ちょっとすぐにやらなきゃいけないことが出来ちゃった」


 ごめんな、吉野。よく頑張ったと思う。


 すぐに、水沢に電話をかける。


 ベルが鳴っている間、おれはそういえば水沢と電話をするのはあの時以来だな、と思い出していた。


* * *


 水沢とは、中学の頃から同じ陸上部の同じ短距離走の選手同士だった。


 中学3年生の時、水沢が部長で、おれが副部長に指名された。


 陸上部の部長と副部長は前の部長と副部長が指名することになっていて、実力を考えると、自分でも順当な感じがしていた。


 もともとは、水沢のことを特に意識していたわけじゃない。


 同じクラスで仲良くなったにしやんと小学校が一緒だということもあり、なんとなく話すことはあったけど、それ以上でもそれ以下でもなかった。


 部長と副部長になり部活の予定など話すことも出来たので、連絡先を交換したけど、事務連絡以外で連絡を取り合うことはなかった。


 きっかけは、中学三年生の夏。県大会の時のこと。


 中学最後の大会。


 当たり前だけど気合が入っていたおれは、その大会に向けて土日も含めて毎日走り込みを欠かさず行うことを決めて練習に励んでいた。


 そのおかげか、タイムは着実に縮んで来ていた。


 このままいけば、調子さえ崩さなければ大会でも上位に食い込むことができるのではないかと、コーチからも言われていた。


 そして迎えた大会当日。


 前日までの晴れの予報に反して、朝から大雨が降ってしまい、大会は翌日に延期になった。


 部活もその日はそのまま休みになり、明日に向けて準備をするように、とだけ連絡が来た。


 おれは、毎日絶対に走り込みをする、という自分で決めたルールを守ることが大事だと思った。


 これまでも雨の日にも走り込みはしていたので、問題ない。


 今日、走らなくて調子が落ちたら目も当てられない。


 そう思ったおれは、雨の中、家の目の前の少し広い公園を走った。


 大雨の公園に人がいるはずもなく、まっすぐに百メートル走ることが出来た。


 今思うと、本当に中学生の子供っぽい意地から来た行動だったな、と思う。


 何回か走って10本目。


 これを走ったら家に戻ってシャワーを浴びよう、と思ったところだった。


 こんな勿体つけて話をするほど大したことが起こったわけじゃない。口にするのも恥ずかしい話だ。


 10本目で、小さな水たまりに足を滑らせて、転んだ。その時に足首を捻った。


 ドラマ性も何もない、こんなしょうもない事故に、当時のおれは頭が真っ白になった。



 明日の大会に出られなくなる?



 不安になったおれは、家に帰って、親にも見つからないように氷枕で足首を冷やしながら、

 明日までに治れ、とひたすらに祈りながら眠った。


 翌日の朝。


 文句なしの快晴にかんかん照りの日差し。


 勿論、大会が行われると連絡が来た。


 一方、おれの足首は、腫れっぱなしだった。


 良いタイムなんて出せるはずないのに、誰にもバレないよう会場に向かい、予定通り、コースに並び、予定通り、走った。


 そして、ある意味こちらも予定通り、結果は散々だった。


 3位以内に入れるのではないかと言われていたおれは、最下位を記録。



 目の前が真っ暗になった。


 

 競技終了後、顧問とコーチにはこっぴどく叱られた。

 なぜ昨日あんな大雨の中走り込みを行なったのか? と。


 帰り道では、応援に来てくれていた親に散々怒られた。

 どうして足をいためていたことを言わなかったのか? と。


 寝る前になっても、まだ意気消沈しているおれの携帯電話が鳴った。

 その電話は、水沢からだった。


「もしもし?」

 元気なフリをして出たつもりだったが、声が掠れてしまった。


『うち、奈良がしたことは間違ってなかったと思う』


 第一声。

 水沢は、いきなり、そう語り始めた。


「ありがとう、だけど……」

 と返そうとしたところを水沢が遮って話す。


『だってさ、もし走り込みしなかったら、それで上位に入れなかったら、絶対走らなかったこと後悔したじゃん』


 水沢は、難しいことも真新しいことも言わない。


 でも、そのまっすぐな言葉が、おれにはすごく強く響いた。


『だって、うち、奈良が毎日絶対走り込みしてたの、知ってるもん』


 見てくれてるやつがいたんだ。


 顧問もコーチも家族も友達も、誰も見てないと思っていたけど、水沢は、ちゃんと見てくれていたんだ。


 そのことだけでたまらなく嬉しかった。


「ありがとう、水沢」

 目が潤む。声が潤む。


 悔しい、悔しい。悔しい。

 そんなに見てくれている人がいたのに、返せなかったことが悔しい。


「ごめんな、一緒に入賞できなくて」

 完全に震えてしまった声で、謝る。


『何言ってんの、もう一生走れないわけじゃないし! 高校でリベンジしよう! 奈良は頭良いからうちとは別の高校かも知れないけど!』

 大声で水沢が言う。


 確かにそうだよな。


 勝手に足を捻って悲劇のヒーロー演じて、馬鹿か、おれは。


 そこまでだったのかよ。


「そうだな、頑張るしかないな」


 するとアホみたいに元気に、水沢が言った。

『うん、雨降って地固まるだよ!』


 えっと、

「それは意味が違う気がする」

 自分の口からふふっと笑いがこぼれるのが分かった。


 ばかだけど、本当にいいやつだなあ、水沢。


『ええ? じゃあ、あれだよ。雨の後にしか、虹はかからない? だっけ? あれ、なんかお姉ちゃんに聞いたことあるんだけど……。奈良、頭いいんだからわからない?』


「ごめん、わかんないわ」


 ふふっと笑いがこぼれる。

 何かはわからないけど、いい言葉なんだろうな、と思う。


「あのさ、」

『ん?』


「おれ、頭良い風に見える? 見た目的にどちらかというとバカだと思われてるんだけど……」


『それくらい、見てればわかるよ! ずっと部活一緒に頑張ってる友達じゃん! うち、友達は絶対に大切にするんだから!』


 友達か。

 ちゃんと友達だったのか、おれたちは。

 

 友達を大事にしてくれる水沢のおかげで、

 今日という最悪だった一日の最後に、笑顔になれた。


 おれに虹をくれた友達と、友達以上になりたくなったのは、その時からだったと思う。

 

* * *


 ベルが5回くらい鳴った。


 もう、留守電になるかな、というところで、呼び出し音が止まる。


 一瞬の空白。


『もしもし?』

 かすれた声がする。


『……どうしたの? 奈良、電話、珍しくない?』


 おいおい、しっとりしすぎてるだろ。

 いつもの元気な声はどこにいっちゃったんだよ。


「いや、別に」


『別に?』


 あの日の水沢みたいにかっこよく切り込めない自分に腹がたつ。


「いや、別にってことはないんだけど……」


『そうだよね、じゃないと電話かけないよね』


 別に、それでもかけてもいいだろ。と、心の中で少し拗ねながら。


 本題、切り出しづらいな。


「花火大会、行った?」


 また、少しが空いて


『行ったよ。綺麗だったよ、花火。めっちゃ』


 夏が終わっちゃったみたいに、言うなよな。


「そっか、そっか」


『あれ、奈良は行かなかったんだっけ?』


「おれは、うちから見えるから」


『あー、そっかマンションだもんね。何階だっけ?』


「15階」


『たかっ』


「うん」


 無言。



『……えっと、それで、何だっけ?』

 下手な笑いまじりに水沢が言う。


「あの、実は、吉野から、吉野がにしやんに告ったって話を聞いて……」


 空白。


 誤魔化しきれないその沈黙を、取っ払うみたいな空元気で、


『そうそう! すごいよね、夏織! めっちゃまっすぐで、かっこよかったわ。うちも見習わなきゃなって思った。……ってあれ、奈良って夏織が好きなんじゃなかったっけ……?』


 胸がズキズキと痛む。何をどうすれば良いんだろう。


 うまくできるだろう。



「水沢」


 思わず、おれは水沢を呼んでいた。


『ん? うち?』


 言うことなんか考えてない。


 言うべきことも分からない。


 考えろ。考えろ。


「水沢の気持ちは、どうなんの?」


『え?』


 気づいたら、考えなしの、もしかしたら最悪な言葉が出ていた。


「水沢だって、にしやんのこと、好きなんだろ?」


 受話器越しに、息を呑む音がする。


 これで本当にいけんのか?


 図書館でしている勉強の1ページだって、こんなに大事な時には何の役にも立たない。


『何……言ってんの?』


「誤魔化さなくていいんだって」


『いやいや、誤魔化すとかじゃなくて』


「分かるよ」


『分からないでしょ!』


「分かる」


『分からないでよ!』


「分かるよ!」


『なんで!?』



「水沢のことずっと見てるから!」



『……どういう意味?』



 だって、おれは、水沢の友達なんだから。


 そう言おうとしたおれの口から不意に出た言葉は、


「だって、おれは、水沢のことが、好きなんだ」


 ずっと隠しておくべきだった本当の気持ちだった。



 出した手は引っ込められる。出した足も引っ込められる。


 でも、出した声はもう飲み込めない。

 


 静かな時が続く。


 でも、絶対に、聞こえている。


『えっと、奈良……うち……』


 分かってたんだ、別に叶うと思ったわけじゃない。


 でも、頼むから、うまくいってくれ。


「おれさ、実は、吉野とは同盟関係なんだ。吉野はおれの親友のにしやんが好きで、おれは吉野の親友の水沢が……好きで。で、二人で協力し合おうってことになってて」


『そう、だったんだ』


「だから、吉野の気持ちも知ってたし、おれは別に吉野に恋をしているわけじゃない」


『そっか……』


「だからさ」


 息を大きく吸い込む。


「おれ、本音で言うと、このまま水沢が何も言わないで、気持ちも自覚しないで、吉野とにしやんがくっつくのが一番良い」


『うん……?』

 水沢が戸惑っている。


 なあ、水沢は、もうこれ以上、誰かのために苦しまなくていいんだよ。


「それで、おれは吉野とにしやんがくっついた時、傷心しょうしん中の水沢に告白したら、おれが水沢と付き合える確率ってもっと増えるだろ」


『奈良、あのさ、』


 遮ろうとする。


 言いたいことはわかってるつもりだ。


「でも」


『え?』


 もう一度、息を吸い込む。なけなしの度胸が、尽きないうちに。


「水沢。水沢もちゃんとにしやんに想いを伝えるべきだ」

 息を呑む音が向こうから聞こえる。


「なくしたくないんだろ? 大切な想いに気づいたんだろ? 吉野を見て、かっこいいな、見習わなきゃって思ったんだろ?」


『……うん』


 水沢の声が震えている。


「だったら、伝えなきゃ」


『うん…』


 鼻をすする音が聞こえる。水沢が息を整えるのを、そっと待っていた。


 時計がカチカチと時間を刻む音が部屋に響く。


 はあ、いつの間にか告白してるし、その先まで言っちゃってる。


 吉野に怒られんなあ、これ。同盟決裂、かなあ……。


『なんで、そんな風に言ってくれるの?』


 水沢が不思議そうに聞いてくる。


 それは、やっぱり、あれが効いてるんだろうな。


「フェアで、いたいから」


『フェア?』


「昨日、図書館で水沢の相談に乗った時に水沢が褒めてくれたように、フェアでいたい。本当はおれ、全然いいやつでもなんでもないんだけど、そう、水沢が褒めてくれたから。だから、そうありたいと、思う」


『そっか、そうなんだ』


 やっと、ふふっと笑う声がする。


「って、実はカッコつけてるだけだし、水沢がちゃんとフラれちゃえばいいなっていう計算かもしれない」


 水沢がははは、と笑う。本当に良かった。


『奈良、いいやつだね』


「全然そんなんじゃないよ」


 また、本当に全然そんなんじゃないくせに、おれは謙遜けんそんするみたいに笑って見せた。


 こんなにずるいおれを知ったら、水沢はどう思うだろう。



 ただ。

 

 こんな、奥の手しか使えなかったけど。


 水沢にとって最悪だったかもしれない今日の最後に、水沢を笑顔にすることに成功しただけで、おれには十分だった。

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