第三巡目:祭りのあと
西山青葉/6:あいだ
本当は名前なんかないのに、同じものだって思い込んでるのかも知れないから。
* * *
起き抜けにリビングで流れていたテレビでは、最高気温36℃の予報。
かんかん照りの窓の外では、夏はまだまだ続くぞ、と、セミがうるさく鳴いている。
真っ青な空に、入道雲。
冷房の効いた僕の部屋は快適なのに、僕はせっかくの夏を感じなくていいんだろうか、なんて余計なことを考えて、少し窓を開けてみると、むわっとした空気が部屋になだれ込んできて、すぐに窓を閉じる。
さすがに暑過ぎた。
僕は気を取り直して、椅子に座って、机に向かう。
僕は、夏休みの宿題に手もつけず、自主制作映画の編集作業をするために、ノートパソコンの中、撮影した動画を流していた。
画面に映ったのは、一昨日の夕立の景色。うん、綺麗に撮れている。
どんな音が入ってるだろう、と、イヤフォンをつけて、音量を上げてみる。
瞬間、耳に吉野さんの声が流れ込んできた。
『ふられても、行くの?』
ドキッとする。
『そうだなー。吉野さんはどうする?』
どうする? じゃないよなあ……。
『うん、ふられてもいいから、いく』
そこには、その時の僕の知らなかった吉野さんの覚悟が
聞いちゃいけないものを聞いてしまったような気がして、唇を噛む。
画面が切り替わり、笑顔の日和さんが映った。
『はーい、よろしく!』
その笑顔は寂しそうで、大人っぽくて、でもまだ子供で、すごく綺麗だ。
……あのあと、日和さんと阿賀さんはどうなったんだろう?
どうしようもない想像をして、どうしようもない気持ちになる。
僕は胸のあたりをTシャツの上からかきむしって、頭をぐしゃぐしゃにかきむしる。
「はあ……」
と大きなため息を吐いた瞬間。
後ろから誰かに肩を叩かれた。
びくっっ! と跳ね上がって後ろを振り返ると、そこにひなたが立っていた。
「びっくりしたあ!」
僕が叫ぶと、ひなたが爆笑している。
「いや、びっくりしすぎだから! あー、おもしろ……」
笑いすぎてちょっと涙目になった目尻を指でぬぐいながら息を整えている。
なんで僕の部屋にひなたがいるんだ、いきなり。
「いや普通に、来る前に電話とかしてよ」
「電話したよ! 出なかったから、どうせ家目の前だしもう行っちゃえと思って、ピンポンしたらおばさんが通してくれた」
「そうか……」
なんだそれ、幼馴染かよ。
まあ、幼馴染なんだけど。
「それ、お姉ちゃん?」
ひなたが僕の肩越しに画面を覗き込む。
「うおっ!?」
びっくりして忘れていたが、画面では【僕】とデートをしている日和さんがまだ写っていた。
ノートパソコンを急いで閉じる。もう意味はないことはわかっているけど。
「ねえ、青葉」
「んん!?」
焦りで語気が強くなってしまう。
「お姉ちゃんのこと、やっぱり好き?」
対してひなたはしっとりと、僕の椅子の背もたれに手を置いて、窓から外を見ながら、そんなことを聞いてくる。
日和さんの顔がよぎる。
『青葉くんは、バカだなあ……』
吉野さんの顔がよぎる。
『誤魔化しちゃ、だめだと思うから』
そうだよな。
「……好きだよ」
なるべくしっかり、伝わるように言葉にする。
「うっ……」
ひなたの顔がくしゃっとなる。
まあ、自分の姉への好意なんか見せつけられたらダメージでかいよな。
いや、でも、
「ひなたが聞いてきたんじゃん……」
「そうだけど、青葉が、想像以上にまっすぐだったから……」
「う、うん……」
なんか改めて言われると恥ずかしいな。
ひなたが軽く咳払いをする。
「お姉ちゃん、あのあとちゃんと家に帰って来たよ」
「そうなんだ」
でも、だったら、ちょっと安心だな。
そりゃ、ちゃんと家には帰ってくるだろうし、それで、別に僕にいいことがあるわけじゃないと思うんだけど。
「たくさん、いろんな話をしたよ」
「そっか」
今さら気にならないふりをする意味もないんだろうけど、それでも僕は
客観的に自分を見る目が、じとーっと僕をみている。
冷房の効いた部屋で、僕は変な汗をかいていた。
ひなたはなんといったらいいかよくわからない顔でじーっと僕をみている。
何とか形容するなら、僕を、試すような目で、じーっと。
「…………それで?」
とうとうこらえきれなくなり、僕はひなたに訊いてしまった。
気になるに決まってるだろ。
ふふ、っと意地悪そうに笑って、
「別にヨリを戻したりはしてないんだってさ」
と、教えてくれた。
そうなんだ。
「でも、」
「……でも?」
思わずひなたを凝視してしまう。
「なんか鼻歌とか歌って幸せそうにしてたから、実のところはちょっとよく分からない……」
「あ、そうなの?」
そりゃ、ちょっとよく分からないな……。
ていうかさあ、
「日和さんも、僕があれだけの思いであれだけのことをしたんだから、連絡の一本くらいくれてもいいんじゃないかと思うんだよなあ……。まあ、いいんだけど」
まあ、よくないんだけど。
……全然、よくないんだけど!
机にへばりつきながら、大きくため息をつく。
たははー、と気まずそうにひなたが笑う。
「まあ、さ」
ひなたが声色を変える。
「お姉ちゃんはお姉ちゃんでヨロシクやってるからさ」
ちょっと迷うような一瞬のあと、
「青葉は夏織のこと、ちゃんと考えてあげてよ。うちの大切な親友なんだから」
ひなたが僕の肩を叩きながら言う。
ひなたの言う通りだった。
僕は、吉野さんから大事な思いを預かっているところだ。
そもそも、吉野さんは、僕なんかの何を好きと言ってくれたんだろう。
いつ、そんなタイミングがあったんだろう。
まあ、日和さんからしたら僕も同じようなもんか。
「ていうか、あのあと、ひなた、大丈夫だったの?」
すごく長く感じた昨日の花火大会の夜。
吉野さんの突然の告白のあと、家が近い僕と吉野さんとひなたは、3人で無言で家まで帰ってきた。
吉野さんはなんとなく嬉しそうにしていたんだけど、ひなたは、貧血なのかなんなのか、青白い顔をしていた。
吉野さんに気を遣わせないようにしているみたいだったから、小声で、
『大丈夫?』
と話しかけると、
『うるさい、ごめん、今は、まじで優しくするな、ごめん』
と、怒っているんだか謝っているんだかよく分からないことを言われた。
ずっとひなたと過ごしてきた中で、初めて見る表情だった。
「ん、大丈夫だった! 暑かったから、熱中症かなあ?」
けろっとしている。大丈夫なら、よかった。
「ちなみに、あのあと、吉野さん、何か言ってた……?」
おずおずと訊いてみる。
訊いてどうなるわけでもないんだろうけど。
「うちには、特に何も言ってないよ」
うちには? と、ちょっとだけ引っかかったけど、まああんまり深い意味はないだろう。
「そっかあ、どうしたらいいんだろうなあ……」
「青葉はさ、」
ひなたが、机の脇にあるベッドに座りながら言う。
まあ、他に座るところないもんな。それは分かるんだけど。
「まだお姉ちゃんにフラれたばっかりだし、今すぐに答えを出そうとしても仕方ないから、夏織のことも、ゆっくりじっくりちゃんと考えてあげてよ」
ひなたが言う。
「そうだなあ……」
「じゃないと、フェアじゃないでしょ?」
圭吾みたいなことを言うなあ、と思った。
だから僕は、
「夏だねえ……」
と返してみる。
「あ、それ。CMのやつだ」
「ん?」
CMのやつ?
「圭吾の口グセじゃなくて?」
「奈良? いやいや、奈良はCMの真似してるだけだよ。ほら、うちがいつも飲んでるスポドリの」
あ、そうなんだ。
最近時間があれば映画を見たり、脚本のことばかりやっていたから、テレビをあまり見ていなかった。
「そのCM、結構いい感じなんだよ。夏、頑張らなきゃって思う。後悔のないように。うちが単純すぎるだけかもだけどね」
へえ、そんなCMがあるのか。
それにしても……。
「ひなた、大丈夫か?」
「ん?」
首をかしげる。
僕は、さっきからずっと思っていたことを言う。
「なんか、切なそうというか、寂しそうというか、そんな風に見える」
それくらいは、分かるよ。
すると、みるみるうちに、ひなたはなにかをこらえるような顔になった。
「そんなこと、ないよ?」
僕の目を見ない。嘘をついてる時の癖だ。
でも、いつもまっすぐ過ぎるひなたの性格があだになるその瞬間が、僕は嫌いじゃない。
「なんかさ、僕のこととか、吉野さんのこととかさ、」
原因はわかんないけど、原因の原因は分かる気がするんだ。
「ひなたは、本当に友達思いのいいやつだと思うんだけど、友達ばっかりで自分をかえりみない時があるから、心配だよ」
するとひなたは、突然顔を真っ赤にしてこちらをキッと睨んでくる。
「青葉が、うちに、それを言う!?」
ん? なんか怒ってる?
「おお、ごめん、なんか、わかったような口をきいて……」
踏み込み過ぎたのかも知れない。
「違う!」
……何が?
「青葉は、よく、わかってる! いつだって!」
「おお、ありがとう……」
勢いに
「あ、青葉。これ返すね!」
ひなたがポケットから小さなビニールを取り出して、僕に渡す。
これは……なんだ? 風船?
あ、ヨーヨーか? 昨日取ったのか?
その割には……、
「かなりしぼんでるんだけど? っていうか、ぺったんこなんだけど?」
聞いてみる。
ひなたがえへへ、と笑う。
「いいでしょ、水入れたら?」
「いや、いれないでしょ」
思わずつっこむ。
「まあ、でも、ありがとう」
僕は、お礼を言った。
「全然、意味わかんないけど」
ひなたなりにフラれた僕を元気付けようとしてくれている、っていうことだけは分かったから。
「どういたしまして。それじゃあね!」
ひなたがぽんっと跳ねるみたいに立ち上がる。
「え、なんか用があったんじゃないの?」
「ヨーヨー、返しにきただけ! ヨー、ヨー」
ひなたがラッパーの物真似っぽいことをしている。ばかだ。
「返すって?」
「そのまんまの意味!」
そういって部屋を出ようとするひなた。
はあ? と疑問に思いつつ、見送ろうと、僕も立ち上がる。
1、2歩歩いて、ドアノブに手をかけたところで、ひなたが咳払いをする。
「……ねえ、青葉。やっぱり、一つだけ、うちの話をしてもいい?」
「ん?」
ドアの前で振り返るひなた。
すごく近い。
ひなたはうつむいていて、僕の目の前にひなたの頭がある。
「あのね、うちはね」
そっと唾を飲み込む。
「青葉が苦しい時、切ない時、悲しい時、うちが、青葉の一番そばにいたいって思うよ。いつだって」
え?
「でもね、」
僕が戸惑っているあいだに、ひなたは顔を上げてニコッと笑って言う。
「その気持ちの名前は、まだ、わかんない!」
ひなたのその笑顔は、寂しそうで、大人っぽくて、でもまだ子供で、すごく綺麗だった。
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