水沢日和/6:みずたま
ただ、待ってるだけなんて、おこがましい。
ただ、恨んでるだけなんて、おこがましい。
ただ、想ってるだけなんて、おこがましい。
あがいて、無理して、それでも。
追いかけることでしか、出会えないんだ。
伝えることでしか、進めないんだ。
動くことでしか、叶わないんだ。
私が子供か大人かなんて、死ぬほどどうでもいい。
私は、指をくわえてるだけの片思いなんて、しないことにしたんだよ。
* * *
昨日はなかなか寝付けずに、久しぶりに夜更かしをしてしまった。
しばらくは、お肌のためにも避けてきていたんだけど。
目覚めた時には、部屋の時計は、11時を少し過ぎたあたり。
目をこすりながら、一階のリビングに降りていく。
甘やかし体制の我が家では、私の部屋もリビングも全部しっかりと冷房がきいている。
冷蔵庫を開けて、コップに氷を入れて、残っている水出し珈琲をコップの半分注いで、もう半分牛乳を注いでソファに向かう。
水沢家は、お父さんもお母さんも働いている。
今日は夏休みだけど平日だから、二人ともいない。
それはいつものことなんだけど、今朝はなぜかひなたちゃんもいない。
部活かなあ。
とりあえずテレビをつけると、天気予報がやっていた。
『本日の最高気温は36℃の予想です。熱中症に気をつけてください』
へえ、今日も暑いんだ。
たしかに、外ではセミがうるさく鳴いている。まだまだ、夏は続くらしい。
『真夏のピークですね』
キャスターが冗談を言っている。
花火大会は、昨日終わったけど、なーんてね。
私は、氷をカラカラ言わせながら、昨日の夜のことを思い出していた。
* * *
「ただいまー……」
ついつい夜遅くなっちゃってそーっと家に帰ると、リビングでお父さんとお母さんが普通におかえりを言ってくれた。
意外と、子供扱いされてないんだな、と変な感慨があった。
ひなたちゃんは部屋にいるみたいだ。
とりあえず二階の自分の部屋に戻る。
隣のひなたちゃんの部屋の前を通ると、ひなたちゃんの声が漏れ聞こえてきた。
電話かな。何を話してるのかは全然分からないけど。
何はともあれ、今日は絶対ひなたちゃんにお礼を言わないと。
ほんとは、もう一人、言わないといけないひとがいるんだけど……。
とりあえず、ひなたちゃんの電話が終わるまでの間、シャワーを浴びることにした。
シャワーを浴びながら、私は1日を思い出す。
久しぶりに会った孝典さんは、思ってたよりもかなりダサくて、前よりもずっとかっこよくなっていた。
最初に色々ぶちまけて、高く高く上がった花火を見終えてから、私たちはポツリポツリと、やっと近況を話しはじめた。
孝典さんからは、23時ごろいつも仕事を少しだけ抜けて、東京で散歩しながら私のことを考えてくれていたって話、私でも知ってる飲料メーカーのCMを担当してるんだっていう話。
「それで、孝典さんは、それの何をしたんですか?」
と聞くと、なぜか自信満々に、
「コーヒーとかいれたりしてるんだ!」
と答えていた。
コーヒー? と思ってから、私からは、コーヒーといえば、ということで、水出し珈琲が結構苦いっていう話とか、その流れで大人ぶってたらひなたちゃんに叱られた話をした。
それに、
「今日なんか、西山くんの映画の撮影をしてきたんだよ」
と言うと、孝典さんは茶化すこともせずに、
「それ、出来たら、見せてくれよ。こっそりでいいから」
と言ってくれた。
「西山くん、映画監督に、なりたいんだって」
「なれるだろ、なんにだって。あいつは昔から、ちゃんと自分を貫くやつだから」
と、わかったようなことを言っていた。
人の夢を笑わない、っていうのは、この人の素敵なところだな、と思った。
思ってしまった。
孝典さんの電話が鳴って、
「やば、屋台片付けなきゃ」
と言って、行こうとする。
「それじゃ、またね」
小指を差し出す。
「ん」
下手くそな指切りをして、私たちはちゃんと、仲直りをして、ちゃんと、お別れをした。
「いってらっしゃい」
と、私はシャワーをあびながら、もう一度つぶやいた。
長めのシャワーを浴びてから浴室を出ると、ちょうどひなたちゃんが階段を降りてきた。
「わ、お姉ちゃん、おかえり」
なんだかちょっと神妙な面持ち。
そりゃあ、そうだよね。
「鼻歌なんか歌って......、いいこと、あった?」
聞きづらそうなひなたちゃん。
「え、私、鼻歌なんか、歌ってた?」
恥ずかしいな......。
なんて、恥ずかしがってる場合じゃない。
ちゃんと言わないと。
深呼吸、大きく息を吸い込む。
お風呂上がり石鹸の匂いと、夏の夜の涼しい匂いと、玄関から、蚊取り線香の匂い。
ふう、と息をついて、
「ひなたちゃん、本当に、ありがとうね」
と、お礼を言う。
すると、ひなたちゃんが咳払いをして、言った。
「お姉ちゃん、ちょっとお話できる?」
ひなたちゃんの部屋。
ベッドに二人で腰掛ける。
とりあえずは、私が今日どんな風に過ごしていたのか、報告させられた。
「そんなこんなで、別にヨリを戻したりとかは、ないよ。ただ、今までもやもやしてたのが、すーって抜けてった。だから、本当に、ありがとうね」
ひなたの膝に手を置いて、私はそっと伝える。
「全然うちは何もしてないよ。うちなんかより、」
うっ。
「青葉にお礼を言ってあげてよ」
うぐ。
分かってはいる。
直接お礼を言わないといけない、と思ってる。
「ちゃんと、します」
自分の膝にしっかり手を置いて、心の中で正座をしながらいう。
「ちゃんとしてね。大人なんだから」
言ってから自分で面白くなったのか、ひなたちゃんが、へへへ、と笑う。
......冗談が、キツくなってない?
なんにせよ、受け止めないとだ。
そして、そのあとはひなたちゃんの番。
この話が、なかなか壮絶だった。
当たり前に、私は私の目に映る世界のことしか知らないけど、ひなたちゃんたちの世界でも、それはそれは、たった一晩で色々あったみたいだった。
私が青葉くんに手を引かれているところを見たよしのちゃんがパニクったとか、そのあとよしのちゃんが青葉くんに告白したとか、そしてさっきの電話で、奈良くんがひなたちゃんに告白をしたとか。
それ本当に全部今夜? と思いながら、聞いていた。
高校生たちよ。花火大会のロマンチックを過信してはいないかい?
なんて、思ったけど、私が言えることじゃないことは重々承知してます......。
孝典さんとのことがあって、ちょっとテンションがおかしくなっているみたいだ、私。
頬を叩く私の前で、ひなたちゃんが咳払いをしている。
本題は、ここからみたいだ。
ひなたちゃんがゆっくり話し始める。
「そんでね、奈良が、言うの」
奈良くんは、青葉くんの百倍見る目があると思う。
「なんて?」
「うちが、青葉のことを、好きなら、それを伝えなきゃって」
「はあ」
つい、気の抜けた声が出てしまった。
奈良くん。チャラそうな見た目をして、めちゃくちゃいいやつじゃないか。
でも、損をするタイプだ。絶対。
「ねえ、お姉ちゃん」
小動物みたいな顔をして、上目遣いで妹が聞いてくる。
「うちは、どうしたらいいかな?」
本当にかわいいな、ひなたちゃんは。
と思いながら、甘やかしてばかりもいられない。
無意識の鼻歌の恩人に、私は誠心誠意答える義務がある。
「ひなたちゃんは、青葉くんのこと、好きなの?」
一番大事なことを、聞いてみる。
大事なのは、思いを、口にすることだと思うから。
「......わかんない」
拗ねたみたいに、ひなたちゃんが言う。
「そう」
だったら。
「とにかく、それでもいいから、わかんないままでもいいから、伝えること。なんて言ったら伝わるかも分からない。言ったって伝わらないかもしれない。伝わったとしても叶わないかもしれない。たしかに、伝えることは、怖いかもしれない。でも、」
ひなたちゃんをまっすぐ見ながら言う。
「伝えることでしか、前に進めないんだよ」
それを私は、君たちから教わったんだよ。
* * *
『カキーン!』
実況の熱い声でハッと私は現実に引き戻される。
テレビはいつの間にか高校野球の中継になっていた。
たった一回しか来ない夏を、彼らは全力で戦っているんだ。
手元のグラスの中、こげ茶から白へのグラデーションの上に、溶けた氷の透明の層ができていた。
なんか、思い出してみると、昨日の夜は、かなりクサいことを言った気がする。
恥ずかしい。
酔っ払ってるわけでもなかったのに。
顔が熱くなってくる。
すると、玄関の方から、
「ただいまー」
とひなたちゃんの声が聞こえた。
「おかえりひなたちゃん、どこいってたの?」
冷蔵庫でスポドリのペットボトルを取り出しながらひなたちゃんが平然と答える。
「青葉んち」
え!?
「もう、いったの!?」
行動の早さ!
「え、うん。だってお姉ちゃんが言ったんじゃん」
いやいや、
「それにしても早すぎるでしょ!」
「決めたら、すぐ走り出さないと」
ひなたちゃんは、スポドリをぐぐっとあおって、
「もう、間に合わなくなるのは、嫌なんだ」
吐き出すように、そう言った。
そもそも昨日のキザな台詞は、よくよく考えると青葉くんの受け売りなんだけどね。
ループしているな、色々。
ひなたちゃんが私の隣に座ってくれたので、
「よく、頑張ったね」
と頭を撫でてあげる。
「何......?」
と迷惑そうな、くすぐったそうな声を出しながら、この手をはねのけたりはしない。
優しいというかなんというか、可愛いやつだ。
なんて、油断してたら、
「ていうかさ」
撫でられながらひなたちゃんが言う。
「んー?」
撫でながら私が言う。
「青葉、今家にいるからお姉ちゃん話して来なよ」
私、動きが止まる。
そんなに後回しにしていたつもりもないんだけど、ひなたちゃんの目が、多分、結構怒っていた。
「はい、行って参ります!」
すくっと立ち上がり、急いで部屋に戻る。
ひなたちゃん怖い......。
大人なのでちゃんと着替えて、大人なので青葉くんに連絡をし、大人なので化粧をして、30分後くらい、子供みたいにこそこそ出かけた。
玄関を出たところでは、青葉くんがガチガチになって待っていた。
「ひなたはまだしも日和さんがうちに来ると親もさすがに変に思うので......」
ということで、この暑い中、私たちは家の近くの公園のベンチに座っていた。
蜃気楼?
なんといったか忘れてしまったけど、アスファルトがゆらゆらと揺れていて、私は冷房の効いている家が恋しくなる。
炎天下、公園、日陰でないところ。さすがに、夏過ぎる。
途中の自動販売機で、昨日飲んだ炭酸を買ってあげた。
ちゃんと、私の分と、青葉くんの分で、2本。大人なので。
「そりゃそうですよね......」
と、青葉くんは変な照れ笑いを浮かべながら、受け取った。
どういう意味だろ?
ベンチに座ってちょっとした頃、
「それで、話っていうのは......?」
青葉くんがちらちらとこちらを見ながら話しかけて来る。
「話っていうか、ありがとうと、報告。と、お詫び。かな」
青葉くんと話すのは、胸が苦しい。
「そうですか」
言葉の響きだけで、その心中を、分かってしまうから。
私は、ひなたちゃんへの報告と同じ内容を青葉くんに話した。
私がもう一度孝典さんに告白をした話も、ちゃんとした。
青葉くんは、時々苦しそうな顔をしながら、ゆっくりと頷きながら聞いてくれた。
「だからね、ヨリとかは戻さなかったんだ」
「......そうですか」
青葉くんが色々飲み込んでいる。
多分、無理やり笑いながら、
「でも、よかったです」
と彼は言った。
「僕、自分のしたことが正しかったかどうか、分からなくて」
正しかったかどうか、か。
「本当はその話を聞いた今も分からなくて。自分のしたことが、誰にとって正しかったのかって。正しい、って、誰にとってなんだろうって」
正しさ、なんて分からないよ。
「正しい、と正解はどう違うのか? とか」
正解、だって分からないよ。
「でも、」
でも、
「日和さんがそんな表情になってくれたなら、少なくとも一つくらいは、合ってたんですね」
青葉くんは、私にとっての、ヒーローだ。
「青葉くん、本当にありがとう」
私は、右に座る青葉くんに、ずるい右手を差し出す。握手を求めたつもりだった。
すると、青葉くんは青葉くんの右手で私の手のひらを叩いていう。
「ナイスファイトでした、日和さん!」
パチン!
不器用すぎるハイタッチの音が響いた。
「日和さん、これからどうするんですか?」
響いた音を恥ずかしく思ったのか、ぐぐっと炭酸をあおって、青葉くんが前を向いたまま尋ねてくる。
「ん? これからって?」
「日和さん自身の、これからの人生です」
これからの人生?
「これまで日和さんは、阿賀さんのことばかり考えて、それで進めないままここにいたわけじゃないですか」
「うん、なるほど」
「で、日和さん自身は、どうするのかなって」
ほう、
「何も考えてなかったな」
嘘だけど。
そんな嘘を見破ったんだろう。
「......阿賀さんを待っていよう、とか思ってませんよね?」
青葉くんがじろっと私を見る。
勘の良い高校生ばかりで、おねえはちょっと肩身が狭いよ。
無言が、返事になってしまったみたいで、青葉くんが言葉を続ける。
生意気に、半目だけあけて呆れ顔をしてみせている。
「日和さん。僕みたいなガキが差し出がましいんですけど、」
「ん?」
「日和さん、誰かのためになんか、生きちゃだめです。誰も、日和さん自身ではないんだから、誰かに日和さんの人生を預けちゃダメです」
何かを覚悟するように、青葉くんが炭酸を飲み干す。
セミの声が響く。
汗が青葉くんの白いTシャツをぐっしょり濡らしていた。
「僕は日和さんに幸せでいて欲しいです」
青葉くんは、優しいな。
でもね。
誰にでも優しいってことは、誰にも優しくないってことなんだよ。
咳払いをする。
「青葉くん、ちょっとだけ誤解してるよ。私は、孝典さんを待ったりしない」
「そうなんですか?」
「うん」
だってね。
「私は孝典を、追いかけることにしたんだ」
馬鹿げた、子供じみた妄想かもしれないけど、
「そのために、今を生きるって決めた」
青葉くんが、すっと、目を伏せる。
手元の炭酸の缶をじっと見つめてから、顔をあげて、ニコッと笑う。
「……だったら、よかったです! 諦めて、削ぎ落として、そんな大人になるくらいだったら、わがままな子供のままの方がよっぽどいいじゃないですか」
「それが、青葉くんの『大人』の答え?」
すると、青葉くんは、
「はい、僕は、僕のために」
一呼吸置いて、
「夢も、好きなものも、諦めません」
まっすぐにこっちを見て言い切った。
私は、震える唇を抑えて、なんとか、微笑む。
「それじゃ、僕は映画を編集しないといけないので!」
いきなり青葉くんが立ち上がって、こっちを見てニッコリ笑った。
「終わったら送るので、見てくださいね」
声が震えていたのは、気のせいだろうか。
そして、何かを振り切るように、公園の出口、家の方向へと走り出した。
お互いの家はすぐ近くなのに、私を置いて、先に帰ってしまった。
残された私は手に持った炭酸を飲み干して、およそ200メートルの家路につく。
歩きながら、ふと地面を見ると、青葉くんが進んだ後の帰り道には、アスファルトの上、水滴がポツポツと落ちていた。
炭酸の缶についていた水滴か、炎天下の中でかいた汗か、はたまた別のしずくか。
強い強い陽射しの中、黒い水玉はすぐに蒸発して、跡形もなく、溶けてしまうんだろう。
それでも、ちゃんと、ここにだけはとどめておけるように。
「さよなら」
小さく、だけどしっかり呟いたお別れの言葉。
それは、受け取った一瞬の大切な思いを、永遠に忘れないためのおまじないだったんだと思う。
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