水沢日和/6:花火

 全身を打つ大きな音が、鳴り続けていた。


* * *


 深呼吸か、ため息か、とにかく深く深く息を吐く。


 私は結局、青葉くんと花火大会に盛り上がる町を歩いていた。


 すごく真剣な顔を後ろから見て、ひなたちゃんとか、よしのちゃんとやらは見る目があるなあ。と、多分チグハグなことを考えていた。


 ごめんね、みんな。


 いや、ごめんね、なんて、思いあがりだな。恥ずかしい。


 どうして、何の覚悟もなかったのに、こんなことになってしまったんだろう。



 

 つい数時間前のこと。


 最後の撮影をした無人駅で、青葉くんは私にこう言った。


「日和さん、今夜の花火大会、どうか僕と一緒に行ってください」


 青葉くんのあまりにも真剣な表情に、私はまた彼を重ねてしまった。


 こんなまっすぐさや純粋さなんか、どうせ大人になったらなくしてしまうと分かってるくせに、私はそんなかりそめの存在にこんなにも心を揺さぶられてしまう。


 そして、こんなにも思いの詰まった年下の眼差しに、もう一人、重ねてしまった。


 年上に恋をするって、そうだったなあ、なんて。


 自分の全力でも相手の1割にも満たないような気がして、あがいて、あがいて、それでもずっと不安で。


 そして、やっぱり出来ることって、全力で立ち向かうことしかなくて。


 自分の小ささ、弱さに、余裕のなさに、何度嫌気がさしただろう。


 胸が痛い。

 バッサリと切ってしまえるような、私の知らない感情だったら、どんなに良かっただろう。

 私は、この想いを知ってしまっている。


 でもね。


 私は、ひなたちゃんも知らないひなたちゃんの気持ちも知っている。


『デートじゃあるまいし、迷惑かけないよ』


 はあ、おねえは馬鹿だね。大迷惑だよね。


 ふう、と一息つく。


「青葉くん、あのね、」

 それは出来ないよ、と言いかけた私の言葉を遮って、青葉くんはこう言ったのだった。


「今日、阿賀さんに会いにいきましょう」




 青葉くんは何も言わなかったけど、孝典さんが一夏町に帰ってきていることを知っているとしたら、その情報ルートはおよそ一つしか考えられない。


 4つしか歳の違わない彼や彼女のことを、どうして、勝手に子供だと侮っていたのだろう。


 そしてその感覚こそが、孝典さんが3つ年下の私に抱いている感覚と似ているんだろうな。


 私にとって誰よりも大切な女の子の覚悟を知り、そこにあった葛藤かっとうを想像せざるを得なかった私には、青葉くんについていく以外の選択肢はなかった。




 一夏町までの電車の中はずっと無言だった。


 青葉くんは言いたいこと全部言い放ったばかりで、多分もう何を言ったらいいかわかんなかっただろうし、私にしたって、何を言ったって悪い方にしか響かない気がして、窓の外を見ながら黙っていた。


 それにしても。


 青葉くんはどうやって私を孝典さんに会わせようとしているんだろう?


 青葉くん、孝典さんのこと、知ってるんだっけ?



 

 長い長い沈黙列車の旅の末にたどり着いた人混みの中、青葉くんに置いていかれないように、一生懸命ついていく。


 青葉くんの着ている黒い、多分何かのバンドのTシャツが夕闇に溶けて、段々目立たなくなってくる。


 見失いそうになるけど、裾を掴んだりするようなことを今の私がしていいわけもなく、背中側の首元に白い字で書かれたバンド名だけを目で追いかけて歩いた。

 

 漫画とかだったら、

「はぐれないように手を繋ぎませんか?」

 とか言うんだろうけど、本物の高校生はあんなあざといこと出来ないよなあ。


 言われても困るし。


 青葉くんがそんなの言ってたら、なんかいやだ。


 それとも、青葉くんはもしかしたら、さっきの私の返事次第では、それをするつもりだったのだろうか?


 というかそもそも、青葉くんはさっきの告白を私が受け入れていた場合、どうするつもりだったんだろう。


 なんて、必死に他のことを考えながら、平静を保っていた。


 青葉くんはどんどん前に進んでいく。どこに孝典さんがいるか、分かっているみたいに。


 弱ったな。


 心のどっかで、いや、心の大部分で、青葉くんを見失ってしまえばいいのに、と思っている自分がいる。引き返してしまいたくなる。


 家で原液から濃いめにつくった甘い甘いカルピスを飲みながら、へらへらとテレビを見ていたい。


 そして、困ったことに、これだけの人ごみの中、青葉くんとはぐれることは、はぐれないことよりもずっと簡単なことだとも思った。



 胸の奥に風船かなんかを入れて膨らませたみたいな、そんな圧迫感にずっと苛まれている。


 立ち向かうのが怖い。


 こんなに痛いのが大人なら、大人になんかならなくてもいい。


 こんなに苦しいのが大人なら、大人になんかならなくてもいい。


 孝典さんのところなんか、行きたくない。


 見つけたくない、見つかりたくない。


 そんな風に、駄々をこねる私は、なんて子供なんだろう。


 あの人の痛みがわかりたくて、同じ世界に立っているって認めて欲しくて、大人になろうとしていた。


 だけど、もしかしたら、大人って、心の皮が分厚くなり過ぎてしまって、痛くもなくなることなのかもしれない。


 まだ、全然痛いよ。慣れることなんて、あるはずがないと思ってしまう。


 弱い弱い自分の心を、強い強い鼓動が遠慮なく叩き続ける。


 抗えず、息が切れる。


 ああ、もう、本当にこのまま見失ってしまいそうだ。


 見失って、しまおうか。


 人混みをかきわけながら、厚底のサンダルのせいで少しつまづく。

 

 ごめんね、青葉くん。

 ごめんね、ひなたちゃん。

 

 もう、諦めてしまおうと足をゆるめたその時。


「あった」


 客引きの声、お囃子、何かの放送の音。

 限りない雑音の中、青葉くんの放ったその一言だけを私の耳はしっかりと捉えてしまった。


 青葉くんが立ち止まり、振り返ってまっすぐ私を見る。


「日和さん。阿賀さんの屋台は、あそこです。あの人が、阿賀孝典さんですか」

 私の目をじっと見ている。


 青葉くんが指差している先、一夏中の校門の前に立っているビールを売っている屋台。


 その屋根の下に、孝典さんがいた。


 その姿を捉えた瞬間。胸の下のあたりから目頭に向けて、大きな大きな、赤い波が押し寄せる。


 足が、手が、ガタガタと震え出す。


 たまらず、中腰の姿勢になり膝の上に手を置いて、うつむいた。汗が噴き出す。

 指でちょん、と押されたらすぐさまへたっと座り込んでしまうだろう。

 肺が私をものすごいスピードで急かす。

 焦らせる。


 呼吸が。

 速い。

 速い。

 速い。

 速い。

 速い。


 すごく、苦しい。


「青葉くん……、ごめん、私、やっぱり無理かも……。怖い……」


 声が震えている。

 かっこわるい。

 私、こんなに弱かったっけなあ……。


「日和さん」

 青葉くんの声がする。


 無理、無理。


 強く首を振る。


「日和さん!」

 さとす声。怖いよ。


 もうダメだ。本当に限界だ。


 逃げよう。


 屋台に背を向けて走り出そうと決意してぎゅっと目をつぶった時。


 手首を強く掴まれた。


 顔をあげると、目の前にまっすぐにこちらを見る青葉くんの顔があった。


 青葉くんが、声を荒げる。


「日和さんは知らないかもしれないですけど、気持ち伝えるのって、めちゃくちゃ怖いんですよ! そんなの、怖いに決まってるじゃないですか! 何て言ったら伝わるかも分からない。言ったって伝わらないかもしれない。伝わったとしても叶わないかも知れない。それどころか、ほとんどが叶わなくて、こんなにも胸が痛くなって、言わなきゃ良かったって後悔するんです! 後悔することだけが、なぜかずっと分かってるんです!」


 お祭りの通りのど真ん中。

 周りの目も気にせず、青葉くんは話し続ける。


「でも、これまで伝えられなくて、こんなになるまで伝えられなくて、どこにもいけなくなっちゃったじゃないですか。もう、わめいて、だだこねて、無様で、迷惑で、何にもならなくて、かっこ悪くて! でも、それでも、伝えることでしか、もう前に進めないじゃないですか!」


 青葉くんの声が震えている。泣いているのかな。


 私の視界じゃ、それがもう判別できないよ。


「大人になんかならなくていいんですよ、日和さん。もう、勝手に、諦めて、離れようとしないでください。本当は出来もしないくせに、さよならなんて言わないでください。片思いがどうとか、そんな分かったようなことばっか言って、それじゃ何もつかめないです。日和さんがそんなんだったら、もう、」


 まっすぐな言葉だけが胸に直接ささってくる。


「僕は、一生あなたに届かないじゃないですか」


 苦しい。


「でも、でも……」

 とまらなく、たまらなく、あふれてくる。


 握られた手の力がゆるむ。

 それで、これまで、こんなに強く握られてたんだ、って気づく。


 そっと、優しく包むような強さに変わる。


「大丈夫ですよ、日和さん」


 柔らかくて、強い声。

 無理して、笑ってるのかな。


 まだ、判別できない。


「ダメだったら、フラれた者同士で、残念カラオケでも行きましょう」

 

 青葉くんの、不器用な提案に、思わず、少しだけ笑みがこぼれる。


「青葉くんは、バカだなあ……」


 手で一生懸命涙を拭う。

 メイクがどうかなってしまっているかもしれない。


 目も赤くなって、もしかしたらパンダみたいになって、汗と混ざって、きっと、すごく無様で、ブサイクだ。


 でも。

 それでもいいんだ。

 

 ねえ、子供かも知れないけど。

 伝えたいことが、死ぬほどあるよ。


「行きましょう」


 青葉くんに強く手を引かれて、孝典さんのいる屋台へと向かう。

 スローモーションになる世界。



『3、2、1……』



 青葉くんの頭越し、大きな大きな花火が上がる。

 拍手が鳴って、歓声があがる。


 壊れて、弾けて、輝いて、一瞬で消えていくあの光は、

 どうしてこんなにも綺麗なんだろう。


 ねえ、私は、君みたいに出来るかな。





 

 どこかで、ひなたちゃんの声が聞こえた気がした。


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