吉野夏織/6:花火のうらがわ
放って、壊して、弾けて、光って、こんなに綺麗で。
* * *
花火大会当日。
ひなたとの待ち合わせ場所、駅前のスーパーには少し早く着いた。
駅前のスーパーから
日が暮れてきた商店街にチョコバナナ、金魚すくい、射的、焼きそば、フランクフルト、わたあめ、お面、ベビーカステラ……。
色々な匂いが混ざって、夏祭りの匂いになる。
一夏中学校の校庭にレジャーシートを敷いて花火を見上げるのが、この花火大会のメジャーな楽しみ方らしい。
一夏中は、ひなたと、西山くんと、奈良くんの出身中学校でもある。
私は東京の中学で卒業してからこちらに越して来たから、みんなと中学は別なのだ。
スーパーの窓ガラスに映った自分を色々な角度で確認する。
せっかくの浴衣だから、変に見えないようにしたい。
お母さん任せで着付けをしてもらっているだけに、本当に正しいのかわからず、不安だ。
右前? とかそういうのがあるというのはどこかで聞いたことあるんだけど。
去年お母さんに買ってもらった浴衣は、水色に朱色の金魚があしらってある、夏祭りを身にまとったような浴衣だ。ちょっと子供っぽいような気もするけど、涼しげな色が気に入っている。
そうだ。と、思いたって、ケータイを開く。
『ひなたが浴衣を着てきたら、写真送ってあげるね!』
同盟相手の奈良くんへ、メッセージ。
『欲しいけど、なんか恥ずかしいからやめて』
すぐに返事が返ってきた。
期待してるなー? なんだかニヤけてしまう。
『奈良くんは、花火来ないの?』
『おれは、家から見えるから』
へえ、すごい。
一夏町の花火大会は小さな町のお祭りなので、地元の人はほとんど出てくるみたいだった。
去年、初めての私と一緒に行ってくれたひなたなんか、中学時代の知り合いという知り合い全員にあったんじゃないかというくらい色々な人に話しかけられていた。
吹奏楽部だったらしい金髪なのに無口な女の子はなんだか印象的でよく覚えてるし、ひなたから『こういうの来るんだね! 珍しい!』とか話しかけたなんだか冴えない男の子は『え、いや……別に帰り道だっただけなんだが……』とか言ってたのも覚えてる。コヌマ、とか呼んでたっけ……?
もしかしたら当時知らなかった西山くんにも会っていたのかも知れない。
それでも、私の知らない友達と一緒になったりどこかに行っちゃったりもしないで、ずっと一緒に回ってくれたひなたは、本当に友達思いのいい女の子だと思う。
改めて見渡すとすごい人混みだ。
これだけごった返していたら、今年は西山くんにも会えるかもしれない。フンッと強い息が漏れる。
『西山くんは、花火大会来てるかな?』
『にしやんは、どうだろう、ちょっとわかんないや。ごめん!』
奈良くんは、同盟の組みがいがないくらい、情報量が少ない。話聞いてくれるだけですごくありがたいんだけどね。
もし会えたら、どんな顔をしたらいいだろうか。
西山くんは風邪、ひいてないといいな。
昨日はあの後、走っている間に雨は止んで、分かれ道でバイバイした。夕立の匂いをぎゅっと詰めたような感触が、まだ胸に残ってる。
もう、この気持ちに、何を持ってしても
会えたら何を話そうか。今日こそは決めておきたいな。
うーん、と腕を組んだその時、
「ごめーん!」
ひなたがやってきた。
ていうか、
「また、そのかっこ!」
「ん?」
Tシャツにハーフパンツのジーンズ、足元はビーチサンダルを履いたひなたが可愛く首をかしげる。
「もー、ひなたは、浴衣着ないの?」
「え? 浴衣じゃないよ? え、約束したっけ?」
「いや、別にしてないけど!」
去年もひなたはTシャツでやってきて、私は一人で張り切ってるみたいで恥ずかしかったのだった。
学ばないな、私……。そして残念でした、奈良くん……。
まあ、いいか。仕方ない。
なんだかんだ言っても、ひなたはこういう素の姿がキャラにもあっていて可愛い。
浴衣もすごく似合いそうだけど、西山くんにもし会ったらギャップ萌えでやられちゃうかもしれないから、この格好で助かったかも。
いや、『敵』はひなたじゃないんだけど。多分。
というか、会うかも分からない西山くんを、こんなに意識してどうするんだ、私。
ひなたが隣で大きく息をついている。
「夏織、めっちゃ似合ってるね、浴衣! やっぱ清純系美少女は違うなあ……」
へーとかほーとか言いながらしげしげと見つめられた。
こういうところも素直で可愛い。ただ、褒められるのは嬉しいけど、何これ、カップル?
ぐるりとひなたが周りを見渡してから、
「それじゃ、行こっか!」
と笑う。
なんだかんだ言って、周りが気になるみたいだ。
浴衣の人、多いもんね。
「うん、何食べよっか?」
私たちは歩き出す。
カランコロンという香ばしい音と、ペタペタという湿った音が、仲良く響きあっていた。
出店を見ながら、普段は15分で抜けられる道をゆっくり、じっくり、時間をかけながら歩いていく。
焼きそば屋さんはすごい行列だ。20人くらい待ってるんじゃないかな。
ちょっとげんなりした私が、
「こんなに並んでまで焼きそば食べたい?」
とひなたに聞くと、
「んん、並んだ時間だけ美味しくなる気がするんだよね……」
と、妙に核心をついた答えが返ってくる。
確かにね……。
ということでなんやかんや言いながらも二人で並ぶ。
すると、後ろに、浴衣を着た金髪の女の子とバンドか何かのTシャツを着た男の子が並んだ。
「あ……」
ついつい、声が漏れる。この二人は、去年会ったあの二人だ。去年は別々に会ったけど、今年は一緒に来てるんだ……。
「あ、
ひなたが嬉しそうに手を振る。ああ、コヌマくんじゃなくて、オヌマくんか。惜しいぞ、私。
「ひな」
「お、おお、水沢……」
金髪の子(沙子ちゃん?)はひなたのことを『ひな』って呼んでるみたい。オヌマくんは挙動不審だ。
「今年は2人で来たのー?」
「うん」
沙子ちゃんが静かにうなずく。心なしか嬉しそう?
「まあ、去年別々に来てたのが不自然だったくらいだもんねー。いや、沙子っちの金髪にもかなりびっくりしたけど……。あ、こちら、吉野夏織! うちの高校の友達!」
「えと、ど、どうも」
紹介されて、ぎこちなく挨拶をする。
「「どうも」」
うわあ、息ぴったりに無愛想だな、この二人……。
「こちらは一夏中の
「ん」
「いや沙子、あいづち短すぎるから……。えっと、すまん、水沢、と吉野……さん。通ってるのは
「そうだそうだ、武蔵野国際!」
武蔵野国際かあ、私が前住んでた吉祥寺の近くの高校だなあ。同じ中学の誰かが通うって言ってたような……、天音ちゃんだったかな……、まあいいか。
この二人はどういう関係なんだろう? 二人でお祭りに来るくらいだから、やっぱり恋人同士なのかな。
「二人はもう付き合ってるの?」
「「ええ!?」」
ひなたがぬけぬけとそんなことを聞く。驚きすぎてオヌマくんとハモっちゃったよ。
「い、いや、付き合ってねえよ!」
赤面するオヌマくん。
「否定が強くない……?」
横で沙子ちゃんが拗ねている。可愛いな、って思うのは第三者だからかな。
「そんなこと言ったら、水沢と西山だって……」
オヌマくんがそう言った瞬間、心臓がキュッとなった。
ああ、やっぱり、周りから見たら、そうなのかな。わたしなんて、なんでもないのかも知れない。
「いやいや、うちと青葉はそんなんじゃないから! ね、夏織?」
いや、わたしに訊かれてもなあ……。どこまでも純粋なひなたに苦笑いしてしまう。
「だから付き合ってないって言ってんじゃん、ばか拓人。幼馴染だって」
沙子ちゃんがそんな風に言ってくれて、わたしは少し、気持ちが落ち着く。
「次のお嬢ちゃん!」
焼きそば屋台のおじさんに声をかけられる。
「あ、呼ばれちゃった。沙子っち、小沼、またねー!」
「じゃ」
「お、おう」
その後、隣の屋台で氷水に漬かっていたラムネを買った。
このビー玉って結局どうやったら取り出せるんだろう。
もったいないけど、ビンのゴミ箱に、ビー玉が入ったまま捨てた。
金魚すくい屋さんの前で、ひなたが立ち止まる。
「夏織、金魚すくい、やる?」
ニヤっとして聞いてくる。
この浴衣でやるとさすがに失敗できない感じだな……。
こんな浴衣着てるけど、別に上手ってわけじゃない。むしろ一匹も釣れたことがない。
だから、よく聞く話の「釣った金魚が死んじゃう」みたいな悲しい経験も、一回もしたことがない。
もともとないんだから、なくさない。
なくさないから、悲しくならない。
そりゃそうだ。
「いや、今日はいいや」
本当はできるんだけど、みたいな答え方でお茶を濁した。
チョコバナナをひなたが食べて。
わたあめを私が食べて。
絶対に買わないと分かっているのにお面屋さんを冷やかして。
ヨーヨー釣りの前で立ち止まるけどやっぱりそれもやらなくて。
これぞ夏祭り! と楽しんだ。
ひなたは、さっきからずーっとキョロキョロしながら歩いている。
「そんなに気になるなら、浴衣着てくればよかったのに」
「へ?」
「ん? 周りが浴衣だから気になってキョロキョロしてるんじゃないの?」
「いやまあ、うち、浴衣似合わないからなー」
たははー、と短く結んだ髪を触りながら笑う。
いやいや、絶対似合うよ。胸まわりも、ほら、そんなに変わらないし私たち。
ね?
いや、実際はどうなんだろう。
そういえばひなたはお姉ちゃんがいるって言ってたけど、お姉ちゃんの方はどうなんだろうか……。
「ねえねえ、ひなた、お姉ちゃんいるよね?」
「え、うちのお姉ちゃん!? いないよ!?」
肩がビクッと跳ねて、いきなりひなたの声が大きくなる。
「え? いなかったっけ?」
「え、見た?」
会話が噛み合っていない気がする。 実在しないお姉ちゃんをどうやって見るっていうの。
「ひなたに、お姉ちゃんは、いないって、こと?」
文節を区切って話してあげる。
「あ、うちにお姉ちゃんがいるかってこと?」
「そうだよ! なんだと思ったの!」
なんだーそっかーみたいなことを口の中でごにょごにょ言いながらヘラヘラ笑っている汗っかきのひなた。
いや、それで、結局お姉ちゃんはいるの、いないの。
そうこうしているうちに、日が暮れて、だいぶ暗くなってきた。
ちょうちんの灯りが綺麗な朱色に映えてくる。
時計を見ると、6時55分。
花火が上がるまで、あと5分だった。
「やばい、ちょっと急がないと」
一夏中まではだいぶ近づいているので5分もかかる距離ではないけれど、なんせこの人混みだ。
フットワークの軽いかっこをしているわけでもない。
花火は空に上がるので、一夏中のグランドまで入ってしまえば特にいい場所も悪い場所もなくレジャーシートを敷けるのだけれど、始まる前に場所をとっておきたい。
人混みをかき分けながら、小走りで、中学校に向かう。
中学が見えたところで、
「うひゃー、懐かしい!」
とひなたが言う。
私はこの学校の卒業生じゃないから、少しだけ寂しい。
一夏中の校門のすぐ近くまで出店は出ていて、かなりの人で賑わっていた。
門のすぐ近くのビールを売っている屋台には、去年もものすごい行列ができていたけれど、もう花火が上がる間際で、みんな花火を見る定位置につくから、行列はほとんど出来ていないみたいだった。
ビールって、そんなに美味しいものなんだろうか。
『間も無く、第一部が始まります!』
中学の放送を使っているのかな。
急いでいる私たちを待たずに、カウントダウンが始まる。
「やばい、場所取れてないのに!」
引き続き人混みをかき分けて進んで行く。
下駄を履いた足元がおぼつかない。
自分の足先を見てみると、ちょっと靴擦れしているみたいだ。
『10、9、8、…』
「夏織、大丈夫?」
前を歩くひなたが振り返る。私の手をとってくれる。
顔を上げて、ありがとう、と言いかけた時。
なんの予兆も予感もないのに。
私のおちゃらけた物語は一瞬で暗転することになる。
こんなにも人がたくさんいるんだから、その中に、紛れてしまえば良かったのに。
その方が、ずっと簡単なのに。
十数メートル先、見覚えのある、いや、見覚えのありすぎる横顔があった。
私は、本当はその横顔に会いたくて、浴衣を褒めてもらえたら、なんて思って、ばかみたいな期待をしてはしゃいでいたのだった。
西山くん。
『3、2、1……』
黒い空は華やかに輝き、みんなが立ち止まって見上げる一瞬。
西山くんが、女の人と手を繋いで歩いていた。
いつも穏やかな西山くんには似つかわしくないくらい凛々しく、真剣な顔をして、きれいな女の人の手を引いてどんどん進んでいく。
胸から、頭から、手先から、全身の血が真っ白になってしまうような感覚が走る。
視界がぼやけていく。やばい。
次の瞬間、私は後ろを向いて、もと来た方へと走り出した。
「夏織!」
後ろからひなたの声が聞こえる。
でも、ダメだ。こんなにダサいことってないよ。
ふられても、行く、って言ったのに。
なんだよ、当たって砕けてみようかな、みたいな顔しておいて、しっかり、
ふられても、行く、って言ったのに。
なんだよ、私は、そんな覚悟全然出来てなかったんじゃん。
色々なもののせいにして。
そのうち伝えようなんて甘ったれたこと考えて。
大丈夫だ、なんて思っているうちに大切なことはこれっぽっちも届かないまま。
あの人の手で終わらされてしまったんだ。
本当にばかだ。
本当は、何にも繋がってないのに、ちょっとした偶然に浮かれて。
ああ、痛い。こんなに、痛いんだ。
知らなかった。
自分の袖をぎゅっと握りこむ。
こんな、ばかみたいな柄の浴衣を着て。
何の勇気も持たないで、何をはしゃいでいたんだろう?
ああ、鼻緒がこすれる。指の付け根がヒリヒリ痛む。
でも、ゆるめるわけにいかない。追いつかれてしまう。
新しくて苦い記憶に。初めて知った思いに。
こんなことなら、もう伝えられなくなるくらいなら、昨日の夕立に乗じて、伝えておけばよかったのに。
もう今じゃ、おめでとうっていうことしかできない。
いつか、この気持ちを伝えてみたい、なんてそんな何にもならないことしか打つ手がない。
元々もってないから、悲しくないんじゃなかったのかよ。
元々もってないなら、悲しくないんじゃなかったのかよ。
たくさんの人にぶつかりそうになる。
つまづく。
転びそうになる。
なんとか持ちこたえるけど、限界だ。
忘れるなって言うみたいに、何度も何度もあたりが華やかに明るくなる。
今の私には痛すぎる低音が胸の奥までを震わせる。
その度に歓声があがる。
ああ、落ちる。こぼれてしまう。
くいっと見上げた空には、明るく光る黒。
西山くんの一生懸命な思いはきっと、あんな風に綺麗に届いたんだ。
苦しいけど、やっぱりかっこいいな。
「おめでとう」
試しに無理した唇は震えてゆがんで、視界はもうどうしようもないほどに滲んで、町の歓声と深く揺さぶる大きな音にまぎれて。
私だけが、ポツリ。
夏の空、華やかに花火が輝くたび。
開くことも、褒められることも、照らすことも、照らされることもなかった思いが、長くて濃い影を落としていた。
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