第二巡目:花火大会の日
西山青葉/6:しずく
無茶だって分かってるけど、もうさよならなんて言わないでくれよ。
* * *
「白いワンピースって、言ったじゃないですか」
ため息をつきながら、僕は言う。
「ごめん、実はあのワンピースは昨日間違えて着ちゃって、雨で汚れちゃったから……白い服にはしたんだけど……」
撮影当日、一夏町駅の改札前。両手を合わせる日和さんに、軽い
『白いワンピースが似合う人の物語だから、白いワンピースを着てきてほしい』
と、そう、もともと伝えていたのだ。
ところが今日、日和さんは、白いシャツに、青い薄手のカーディガン。下はスカートどころか、ジーンズを履いて来た。
とはいえ、僕もあまり強くは言えない。
これはこれで、すごく似合っているし、実は、演出上困ると言うこともない。
そもそも僕だって……。
「それで、脚本は? まだどんな話か聞いていないんだけど?」
いきなり痛いところを突かれた。
汗が噴き出てくる。『暑いからだよ』と、自分に嘘をつく。
「あの、日和さんは本物の女優ではないので、演技するの難しいかな、と思いまして。とりあえず、一個だけルールを設けて、その上で色々なシーンを撮らせてもらいたいです」
モゴモゴと、言い訳がましくつぶやいた。
そう。
正直に言うと、脚本は、書ききることが出来なかったのだ。
忙しかったなんて言葉で誤魔化すつもりはない。書こうと机に向かった時間はそれこそ何十時間もあった。
話の筋も浮かんだ。日和さんに言ってもらいたい台詞もいくつも浮かんだ。
ただ、書けなかった。
脚本という形に、具現化できなかった。
その台詞や動きに自分の願望、もっというと生々しい欲望が透けて見えてしまったから。
『こんなもの、読ませたら、日和さんは、どう思うだろう』
そう思うと、怖くなってしまい、片っ端からくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放ってしまったのだ。
多分、そういうところを気にするあたり、僕は変人でも天才でもない、ただの凡人なんだと思う。悔しいし、認めるわけにはいかないのだけど。
「一個だけ、ルールって?」
そんなこんなを経て、昨日の夜中、むしろ今朝導き出した答えが、今から発表するこれだ。
凡人な僕があがいて出した答えを、聞いてほしい。
「日和さん、今日、僕とデートしてください」
僕のボツにしたどの台詞よりもよっぽど欲望、もっというと生々しい妄想が詰まっている風に見えるこのオーダーに。
日和さんは、あくまで大人っぽく笑って、頷いてくれたのだった。
勿論、まさか、本当にただデートをするわけではない。
構想としては、こうである。
『東京から一時的に帰省して来た白いワンピースの似合う女性【先輩】に映画監督志望の高校二年生【僕】は、ひとめぼれをする。でも、【先輩】は夏が終わると、東京に帰ってしまう。映画監督志望の主人公【僕】は、映画の撮影という建前で、【先輩】をデートに誘い出す。(※あくまで映画のシナリオです。)その最後のデートを記録したムービーこそが、この映画だったのだ。というオチ』
「これは、本当に映画のシナリオなのかしら?」
海辺の街まで向かうちょっとした電車の旅。
構想が殴り書きでかかれたメモから顔をあげて、日和さんが芝居掛かった声を出す。
「はい。そう書いてあるじゃないですか」
僕は、隣に座る日和さんを横目で見つつ、ビデオカメラをチェックするふりをしながら答える。
「それにしても、またややこしい設定だね。なんていうのこういうの? 劇中作?」
いや、
「劇中作っていうのとはちょっと違うかもしれないですね……」
ちょっとっていうか全然違うんだけど、いわんとすることはわからないでもない。
「なんていうかさ、音楽ライブとかで、ミュージシャンが歌ってて、その後ろに大きいモニターがあってさ。そこにそのモニターを含めてミュージシャンを撮影すると、無限に、こう、後ろのモニターにたくさんそのミュージシャンが映っちゃう、みたいなのあるじゃない? あんな感じ?」
「はあ……」
分かるような、分からないような、みたいな顔を作ってみる。
ただ、内心僕は嬉しかったのだ。
いつもなら僕がしそうな、こういう『面倒臭い』話が嫌じゃないんだということが。
もっと芸のない言葉で言うなら。
日和さんのこういうところが、すごく好きだ。
「まあ、別に夏が終わっても、私は帰ったりしないしね。青葉くんの言う通り演技なんか出来ないし、ちょうど良かったんだけどさ、」
日和さんが、下から僕を覗き込む。
「書けなかったなら、別の日にするなりすれば良かったのに」
って、おい。バレちゃってるじゃん。
気づかないふりをして、僕は答える。
「いや、せっかくお時間いただきましたし、このチャンスを逃すわけにはいかないです」
「チャンスって、デートの?」
意地悪な微笑み。
僕はまたバカみたいにドキっとする。冷房の効いた車内で、僕は大量に汗をかく。
余計なことを言った。さぞかし目が泳いでいることだろう。
「いえいえ、快晴の、撮影日和なので」
「ふーん?」
ごまかせただろうか。
いや、日和さんがまだニヤニヤしている。
ごめんなさい、本当に、そういうことじゃないんです。
むずがゆく居心地の悪い空気の中、僕は何かを誤魔化すために、話を沢山した。
ただ一つ、話してはいけないことだけをのぞいて。
日和さんはすごく楽しそうに話を聞いてくれた。時々優しく微笑んでくれた。
僕はその度に胸がドキドキして。そして、ドキドキする度にチクチクと痛んだ。
1時間くらいで、海岸近くの駅に到着。
電車を降りた時、とんでもない暑さと眩しさに僕たちは同時に顔をしかめた。
設定を自分でももう一度読み直し、改めてその内容に赤面する。
もしかしたら僕は、変態だし天才の可能性があるんじゃないか?
ビデオカメラを開く。開始の合図だ。
「それじゃあ、ここからは、【僕】と【先輩】ってことで。よろしくお願いします」
「はーい、よろしくね!」
日和さんは何も動じずに、ニコッと笑うのだった。
それから、【僕】たちは紛れもなく、完全無欠なデートをした。
一度も僕らの手が触れ合わなかったことと、僕がほとんどずっとカメラを構えていたこと以外は。
防波堤を一緒に歩き、テトラポットにのぼっててっぺん先睨んで(宇宙に靴は飛ばさなかったけど)、
カメラの中の日和さんは完璧な【先輩】だった。
ひと夏だけかもしれない、でも、たったひとつの恋。
焦がれても、悶えても、どうしても掴めない憧れ。
一秒一秒、戻らない時間だけが増えていく。
そうして、きっといつか、ただの『良い思い出』になることが分かっていて。
そうなって欲しくない、と心が叫び声をあげている。
伝えたら、壊れてしまう。
口にしたら、違う形になってしまう。
そんなしょうもない心配ごとを生み出しては、大切な何かを先延ばしにしてしまう。
どうしたら、この瞬間を、この気持ちを、とどめておけるんだろう。
僕なのか【僕】なのか、どちらかがそんなことをずっと考えていた。
「炭酸、飲みますか?」
自動販売機に120円を入れて、ボタンを押す。
ガコン、と、アルミ缶の落ちる音が鳴る。
「どうぞ」
手渡すと、【先輩】はプルタブをプシュッと開けて、グググっと飲む。
「ぷはあー!」
とまるで【僕】の飲んだことのない飲み物を飲むようにあおり、
「はい!」
と無邪気な笑顔で【僕】に缶を渡してくる。
意識しないように、といくら思っても、プルタブの飲み口を見て、つばを飲み込んでしまう。
本当に、かっこ悪くて、ださくて、しょうもないのは、僕だった。
本当に自分は日和さんと付き合っているのではないか、と錯覚しそうになるたびに、こんな夏のデートが本当だったらいいのに、と思ってしまうたびに、頬を叩いて自分も役者だということを自覚する。
それでもあらがえず、僕と【僕】の境目がどんどん曖昧になっていく。
何しろ、設定が設定だ。いい加減、自分の気持ちにも素直になってきた。
「どーしたの?」
カメラを構えたまま呆けていた僕に向かって、小首を傾げる日和さん。
大人っぽい日和さんのその子供っぽい仕草に、僕はどうしようもなくなる。
本当に、どうしようもないのに。
日が傾き、夕暮れにさしかかる。
最後のシーンは、デートの終わり、【僕】と【先輩】のお別れのシーンである。
僕たちは、ほとんど利用客のいない無人駅へと向かった。
駅員に見つかると撮影の許可を取るのが面倒そうなこともあったが、何より無人駅には
東京に向かう電車に乗ろうとする【先輩】。
最後に【僕】が思いの丈を告白して、【先輩】が一言答える。
このシーンだけは、決まった台詞を話すつもりでいた。
ただ、僕は、肝心の告白の台詞、そのたった一言すらも浮かんで居なかった。
【僕】は、【先輩】になんと告白するのだろうか?
それとも、何も言わずに静かに送り出すのだろうか?
「で、なんて言えばいいんだっけ?」
駅について、相変わらずビデオカメラを構えたままの僕に、振り返りざまに日和さんが言う。
「いや、実は、どうしようかなって思っていて……」
苦笑いする自分が情けなくて仕方なかった。
「日和さん、こんなこと聞くのもあれなんですが……告白ってしたことありますか?」
「へ?」
キョトンとする日和さん。
「このあと、告白のシーンなのですが、恥ずかしながら、僕は告白をしたこともされたこともなくて……」
「ふーん、なるほど。あれ、カメラ回ってるみたいけどそれはいいんだっけ?」
「大丈夫です、使わないので」
「そっか」
ちょっと笑ってから、ちょっと考えた後、
「告白したこと、私もないかも」
照れくさそうに笑う。
きれいだけど、可愛い人だな、と思う。
「じゃあ、告白されたことはありますか?」
「告白されたことも、ないんだよなあ……」
少し、うつむいてしまう。
ん? 告白したこともされたこともないはずあるのか?
「けど、似たような言葉はもらったことあるよ」
赤く燃える空を見ながら何かを噛みしめるみたいに続ける日和さん。
「……どんなでした?」
「『いつか、おれが夢を叶えるのを、隣で見ててくれないか』」
誰かの物真似をしながら答える。
そっか、そんな言葉があったのか。
キザだな、と僕は思う。どろっとした感情が胸のあたりにつかえているのを感じた。
「それ、いいかもしれませんね」
口の中に鉄の赤い味がじわっと広がる。
「そう? でも、その夢とやらを追ってどっかいっちゃって、さよならも言えないまま、もうつながらなくなっちゃったんだよ」
「ちゃんと、お別れしていないんですか?」
「うん。」
少しうつむいて、またいつもの笑顔。
僕だって、ちゃんと分かってるんだ、
「でもね。私は、もうちゃんと、その気持ちにさよならしたの。」
言わなきゃいけないことくらい。
胸が高鳴って苦しい。
覚悟は、決めていたはずなんだ。
たった一回だけ、僕のターン。
カラカラの喉から、絞り出せ。
こんな風に伝えるなんて、多分僕は、卑怯者で、賢しくない、子供だ。
でも、もう、子供だとしても、わがままでも、駄々をこねてもいい。
無茶だっていい。いいから、言うんだ。
「僕じゃだめですか」
僕は、日和さんに向かって、はっきりと、そう言った。
日和さんがハッとする。困ったように顔をゆがめる。
何かを答えようと口が動く。
青葉、これは最後のチャンスなんだ。
「僕なら、絶対にそんな思いをさせません」
日和さんはうつむく。
永遠にも感じる数秒の沈黙。
そして、呟く。
「もしその気持ちが本気なんだとしたら、」
歯をくいしばる。
「もう君とは、私は、一緒にいられないよ」
大きく、息をついて、顔を上げる。
「ね?」
それは、優しくて大人な、いつも麦茶を入れてくれる「ひなたのお姉ちゃん」の顔だった。
そっか。
ダメだったか。
胸が、痛い。めちゃくちゃ痛い。オレンジの日差しに倒れてしまいそうだ。
でも、まだ、倒れるわけにはいかない。
言わなければ。
僕自身の色んなものが、こぼれてしまう前に。
ビデオカメラのモニターをそっと閉じる。
「そっか、青葉くん、私のことそう思ってくれてたんだ。だったら、もう……」
日和さんが僕の言葉を噛み締めながら言いかけた言葉を遮る。
「まだ、さよならなんて言わないでください」
僕は爪の跡が残るくらい拳を握り込む。
ああ、やばい。こぼれる。
だけど、どんなに痛くても苦しくても。
それだけは、絶対に諦めるわけにはいかないだろ。
「日和さん、」
大きく息を吸い込む。
「今夜の花火大会、どうか僕と一緒に行ってください」
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