奈良圭吾/6:横顔

 その横顔を綺麗にしているのは、誰なんだろう。


* * *


 いつもの図書館。


 外はさっきまで夕立が降っていて、大きな窓を雨粒が大きな音を立てて打っていた。

 すんでのところでここに逃げ込むことが出来てよかった。


 雨には少し敏感になっているし、大雨はやっぱり苦手だ。

 それでも雨が嫌いにならずに済んでいるのは、水沢のおかげだと思う。


 今は、オレンジ色の晴れ間がさしている。

 今日は、虹が出るだろうか。


 ケータイが震えて、我に返る。


『奈良くん、やばいよ!』

 吉野からのメールだった。


 おれは帰り道に雨が降って来たから、ちょうど通りかかった図書館に入って雨宿りをしがてら勉強をしていたところだった。


 やり取りしていると、どうやら、吉野はにしやんとたまたま駅で会って、一緒に雨の中を走って帰ったということらしい。


『西山くんとひなた、30歳までお互い相手がいなかったら結婚しちゃうって! 知ってた?』


 いや、知らないけど、にしやんだって、そんなのわざわざおれに言わないだろ。


 幼馴染だったら、よくあることなんだと思う。

 って、分かっているのに、胸は苦しい。

 吉野のやつも、そんなこと伝えてこなくていいのにな。


『知らなかった』

 とだけ返す。


 計算式を一問解いたあたりで、また返事がくる。

『ねえねえ、西山くん映画作ってるの知ってる? それに出演する人がいるみたいなんだけど……。白いワンピースが似合う人、だって』


 映画のことは初耳だけど、その人には心当たりがある。

 十中八九、水沢の姉ちゃんだろう。


『映画? 知らなかった。その人も誰か分かんないなー』


 おれは、同盟の組みがいがないやつだな。

 にしやんのこと何も知らないし、役立たずとののしられるかもしれない。

 

 自分で呆れているとまたケータイが震える。


『まじですか! 奈良くんも知らない情報をゲットしてしまった! やった!』

 そっちかよ。

 恋する乙女は無敵だ。


 にしやんは、水沢の姉ちゃんのこと、好きになっちゃったんだろうな。あんな顔をしたにしやんを中学からの付き合いで初めて見た。


 ここ最近、図書館に来ていないのは多分それが原因だ。その映画づくりとやらを、一生懸命頑張ってるんだろう。


 にしやんが水沢姉と付き合って、おれがもし念願叶って水沢妹と付き合ったら、にしやんはおれの義理の兄ちゃんだな。

 

 こんな想像したら、吉野に怒られるか。


「吉野、ごめん」

 小声で呟くと同時。


 顔を上げた瞬間、心臓が飛び跳ねる。


 おれの座っていた椅子がガタッと音を立てる。


「奈良、お疲れ」


「お、おう、水沢」


 顔をあげたら水沢ひなたが目の前に座っていたのだ。


 水沢は、なんだか怒ってる。


「吉野ごめん、って、吉野って夏織? 夏織に何かしたの?」


 はあ、怒ってるのは、そういうことか。


 じーっと睨まれる。

 睨まれてること自体ではなく、水沢と目が合うのはすげえ焦る。


 おれは目をそらして、しどろもどろになりながら、

「いや、なんもしてない。ちょっと吉野に悪い想像をしちゃっただけで……」


「悪い想像!?」

 水沢が机をバンッと叩いて立ち上がる。

「そりゃ夏織は可愛いし夏織を好きになるのは仕方ないけど、変な想像しないでよ! しかも図書館で……」


 いや、ちょっとやめて水沢! 色々な意味で!


 シーッ! と指を唇の前に置いて伝える。


「水沢こそ図書館では静かにしてよ! 違うんだよ、そういうんじゃないから。まじで信じて……」


 コショコショ声かつ大声で伝える。


「ふーん、それならまあいいけど」

 まだいぶかしそうにしている。

 水沢、機嫌悪くない?


「どうしたの? 図書館なんか来るの珍しいじゃん」

 小声で聞いてみる。


「なんか最近、奈良とか青葉がここで勉強してるってこないだお姉ちゃんに聞いたから。いるかなー、と思って」


 ん? じゃあ会いに来たのか?

……おれに? にしやんに?


「……にしやんなら、今日はいないけど」

「うんうん、ちょうどいい。ラッキーだよ」


 え、じゃあ……。


「奈良に、ちょっと相談あってさ」


 おれに、会いに来たんだ。

 一瞬で心が軽快に踊り始める。顔がゆるむのを必死に抑える。


 そんなおれとは対照的に、水沢はなんか神妙な顔をしている。


「なんか、悩み?」


「ちょっと、青葉には話せないことで……。聞いてくれる?」


 いや、これは、あんまし喜べないパターンか?



 一般的な図書館の例に漏れず、うちの町立図書館も、基本的には私語禁止である。

 なので、場所を入り口付近の自動販売機の横にあるナイロンのソファに変えて、二人並んで座った。


 おれは炭酸を、水沢は運動してないのにスポーツドリンクを飲んでいた。


 水沢はいつもそのスポドリを飲んでいる。

 

 水沢が咳払いをしてから話し始める。


「あのね、全然関係ない奈良だから話せることなんだけど。さっき、お姉ちゃんの元カレに会ったのね。駅で」


「ほお」


 水沢の姉ちゃんの元カレ? なんか、おれには高度な話な気がする。


 けど、にしやんのことを相談されるわけではなさそうで良かった。にしやんのことを相談されるのは、吉野だけで十分だ。


「んーと、その元カレ、阿賀さんて言うんだけど。ずっと東京に行ってて、いつの間にか音信不通になっちゃって、お姉ちゃんもどうしようもなくなって自然消滅みたいになってるんだけど。それが、いたの、阿賀さん。今。駅に」


「なるほど」


 若干支離滅裂じゃっかんしりめつれつだけど、ギリギリわかる。

 水沢は、頭がいい方ではない。


「これ、お姉ちゃんに教えた方がいいのかな……って。お姉ちゃん、今、多分一生懸命阿賀さんのこと忘れようとしてて、やっと忘れられそうになって来たみたいで。だから、言わない方がいいのかもなあ、って」


「なるほど……」


 うん、案の定、難しい話だった!

 基本問題も分からないのに、そんな応用問題、解けるか!

 と思うけど、せっかく水沢に頼られたんだ。


 ちょっと考えてみる。


「でもね、」

 考えてみようとしている横で、まだ水沢が話を続ける。

 

 でもね?


 少し言いよどんでから、

「あのー、うちの、友達の話なんだけど」


 友達の話……?


「ん、ちょっと待って、友達の話? さっきの話は解決したの?」


「へ? いや、続きだけど。」


 ああ、続きなのか。話ぐちゃぐちゃだな。


 水沢の彼氏になる人は大変そうだな。いや、おれは全然OKなんですけど。


 ていうか、友達って吉野のことか?


「私の友達に、青葉のことを好きな人がいるんだけど、それなのになんか最近青葉、うちのお姉ちゃんにちょっと気があるっぽいんだよね」


 なるほど、ここでにしやん登場か。


「最近なんか映画を撮るとかなんとかで最近結構やり取りしてるんだよ、うちのお姉ちゃんと青葉。明日は花火大会にも行かずに、その映画の撮影かなんかで会うらしいし」


 明日にしやん花火大会行かないんだ。

 吉野、テンション下がるだろうな。

 こういうの、報告しといた方がいいのかな。


「うちからすると、なんで今さらお姉ちゃんなんだ、って感じなんだけど……」

 水沢が少し拗ねたように呟く。


 あれ、それは本当に友達の話なのか?


「でもね、まだ多分そこまで青葉側の思いは強くなってないと思うわけ。ほら、うちと違ってお姉ちゃんきれいだから、一目惚れっていうか。青葉って元々一目惚れなんかしないタイプだし」


 ふーん。


「よく知ってるんだね、にしやんのこと」


 あれ? 言い方間違ったかな。なんか嫌な感じになっちゃったかもしれない。


 けど、撤回するのもシャクだ。


「え? うちが、青葉のこと?」


 水沢が、顔を赤らめる。


 ああ。

 その反応は今、めっちゃ痛い。

 水沢に見えないところで、拳を強く握り込んだ。


「ちょっといきなり変なこと言わないでよ」


 照れた顔を手であおいでから、水沢が話を続ける。


「まあそれはどうでもいいんだけど……」


 どうでもいいわけあるかよ、と内心で思う。


「で、お姉ちゃんと阿賀さんがヨリを戻したら、青葉もそんなに傷つく前に諦められると思うんだよね。そしたら、うちの友達もまだ脈アリって感じで、失恋しなくて済むし。いや、まあ本人の実力で普通に失恋する可能性はもちろんあるんだけどさ……」


 水沢が短い髪をくしゃくしゃ触りながら話している。

 

 この表情が、悔しいことに、すごく可愛いな、と思ってしまうおれは、多分、ばかだ。


 そして、水沢もやっぱりばかだ。

 さすがに、「うちの友達」なんて、そんな定番なごまかし、通用するわけがない。


 でも、だとしたら、水沢が後悔しないやり方を取るしかないんだと思う。


「水沢は、どうしたいの?」


「わかんない。から、聞いてるんじゃん」


 水沢が口をとがらせる。


 とがった口元に、目を奪われる。


 はあ、なんでにしやんはこんな可愛い水沢じゃなくて、お姉さんの方を好きになったんだろうなあ。

 いや、それこそにしやんが水沢を好きだったら泥沼なんだけどさ。

 

 少しだけ考えて、結論を出す。

「おれは、お姉さんに話したらいいと思う。元カレさん? と会ったこと」


 そういうと、パッと、水沢の顔が明るくなる。


 なんだよ、背中を押してもらいたかっただけかよ。


 水沢はすぐに誤魔化すみたいに表情を引っ込めて、

「なんでなんで?」

 と聞いてくる。

 なんで二回言っちゃってるよ。


「いずれにせよ、お姉さんは知らないままなんて、フェアじゃないだろ。お姉さんも、知った上で、会うか会わないかの選択をするべきだ」


 そして、おれとしては、水沢の姉ちゃんには、ちゃんとフラれて欲しい。


 じゃないと、幻想の中で元カレさんへの思いが膨らんでしまうだろう。そんなんじゃ、にしやん含め他の誰ともくっつかない。


 水沢の姉ちゃんがちゃんとフラれて、にしやんが頑張って水沢の姉ちゃんとくっついて、そんで、おれと水沢がくっついたら…。

    

 こんな想像、つい30分前くらいにしたばかりだな。

 吉野、ごめん。


「そっか、そうだよね!」

 水沢は、嬉しそうにしている。


「奈良、いいやつだね。うちみたいに変に計算? とかしないで、フェア、とかフェアじゃない、とか言ってて。全然関係ないのに、親身になってくれるし」


「全然そんなんじゃないよ」

 いろんな意味で、本当に全然そんなんじゃないくせに、おれは謙遜けんそんするみたいに笑って見せた。


 こんなにずるいおれを知ったら、水沢はどう思うだろう。

 

「よーし、今日、お姉ちゃんに話そう」

 そういって笑う水沢の横顔は、やっぱりすごく魅力的で。


 おれは、誤魔化すみたいに手にした飲み物をあおって、喉がカッとなって、せき込んだ。


 炭酸だったの、忘れてた。


「あはは、何してんの」


 水沢が笑った後に、

「青葉には秘密にしててね。うちの友達のことがあるから」

 と、口の前に人差し指を立てて言う。


 ん?


「『うちの友達』って、水沢のことじゃないの?」


 おれが聞くと、


「へっ!?」

 水沢が驚いた顔しておれの顔を凝視する。

 

「うちの友達はかお…、うちの友達だよ! うちじゃない!」


「あ、そうなの? てっきり、おれは自分のことを友達のこととして話すよくあるやつかと……」


「いやいや、全然違うから……」

 しらーっとした目で見られる。


 いや、誰でもそう思うだろ。逆にサプライズですらある。


 水沢は、吉野がにしやんのことを好きだと知っているのか。

 にしやんは、おれが水沢のことを好きだとは知らない。

 

「じゃあ、水沢はにしやんのこと好きじゃないの?」

 改めて聞いてみる。


「ん、うん、好きとか、ではない……」

 かぁ……っと耳を赤くして、静かに頷いた。


 その反応だけで、にしやんとか水沢ほど鈍感ではないおれには、充分だった。


 なんだよ、落として上げてもう一回落とされて。ジェットコースターみたいだ。


 でもにしやんは水沢姉のことが好きで、水沢姉は、その阿賀さん? って人のことを好きで……。


「全然関係なくないんだけどな、おれ」

 軽いため息と一緒に吐き出すと。


「え? 何で? あ、やっぱり、奈良は夏織のこと好きってこと?」

 と身を乗り出してくる。


 今「夏織」ってハッキリ言っちゃっただろ……。

 さっきのお返しとばかりに、しらーっとした目で見てやる。


「あ、今聞いた名前忘れて! 奈良! 夏織じゃない!」

 おれは、吉野から直接聞いているけど、それは教えないことにする。

 同盟がばれたら大変だし。


 見ていると、水沢がひゃー危なかったーとか言って手で顔をあおいでいる。

 ばかだけど、かわいいなあ、こいつ。

 

 ああ、胸が苦しい。炭酸飲みすぎたかな。


「夏だねえ……」


 藍色に暗くなってきた窓の外を見ながら、おれは好きな女子の隣で一人、深いため息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る