阿賀孝典/6:ロングヘア
一番会いたくて、一番逢いたくない人がそこにいた。
* * *
日和が、東口の階段を降りたところに立って雨宿りをしていた。
ショートだった髪が、背中まで伸びている。
スニーカーだった靴が、ヒールサンダルになっている。
Tシャツにジーパンだったのが、なんだかシックな白いワンピースになっている。
それでも、日和のことは、一目で分かった。
おりかけていた階段を引き返して、のぼる。
一夏町駅に来たのは、一年と5ヶ月ぶり、か。
十年くらいに感じる、長すぎる一年半だった。
去年の3月。
ボストンバッグ一つ持って電車に乗ったあの日の、全知全能な感じはなんだったんだろうな。
『こんな田舎町じゃ出来ないことをやってやる』
両親の経営している酒屋を継ぐ話を適当にあしらって、CM制作会社に内定が決まり、
父親と母親は、孝典の人生だから、と応援してくれたけど、内心は酒屋を継いで欲しかったのだろうと、思う。
そんな俺を待っていたのは、冗談じゃないほど、めまぐるしく、下らない日々だった。
眠りに引きずられた頭をなんとか叩き起こし、朝10時から、動画の編集作業を開始する。
ある程度整った15時ごろ。
広告代理店のやつらが来て、昨日まで言っていたことと全然違う指示を入れてくる。
やつらの分のコーヒーやお菓子を用意してやりながら、それをなるべく不機嫌な顔せずに直してやる。
そのあと18時ごろにクライアントの飲料メーカー広告部のおっさん共が来る。
踏ん反り返って座っているおっさん共と、さっきまでおれらに偉そうにしていたくせに急にへこへこし始める広告代理店のやつら。
「一応、18時は定時なんですけどね。働き方改革、分かってます? うちも厳しいんですよねぇ」
だっさいネクタイをしたおっさんが何か言い始める。
お前らのところの社長のフィードバックがいったりきたりしてるからこうなってんだろうが。
「申し訳ございません、なんとか良いものにしたくて、お時間かかってしまって……」
代理店の営業がへこへこと答える。
本当に揉み手ってするんだな。
手をすりすりさせながら、小さい声で、
「すみません、例のお菓子ってご用意できてますか?」
こちらに指示を飛ばして来る。
東京駅のデパートで一時間並ばないと手に入らない高級なお菓子を、おれが今日急遽買いに走っていた。
箱をこっそり渡してやる。
「こちら、よろしければ……」
自分が買いに行ったみたいな顔をして、営業がお菓子を開く。
大して嬉しそうにもせず、食べるおっさんども。
おっさんはおっさんでまた勝手なことを言ってくるのに対応して、を繰り返し、文字修正と少し時間のかかりそうな動きの修正を残して、22時におっさんどもが帰っていった。
「それじゃ、あと、お願いしますね。家で確認するので、深夜でも構いませんので送ってください。今日チェックしたいです。」
広告代理店の営業が言う。
深夜でも構いません、ねえ……。
それから4時間ほどかけて修正し、書き出しをして、26時半ごろに代理店の営業にメール送付。
30分待っても返事がないので、電話をかけてみる。
エディターさんに、エナジードリンクを渡して、飲んでもらっている。
『あ、すみません……。寝てました……から見ます……』
「寝てんじゃねえよ。すぐ見ろ」
とは言えず、
「お疲れのところ起こしちゃってすみません、よろしくお願いします……」
なんて言ってみる。
電話越しだけど、俺も揉み手をしているようなもんだ。
5分後、電話がかかってくる。
『文字修正があといくつかあるので、メールに打って送ります。そのまま流し込んでください。』
そこから20分くらい。
時刻は27時半を回っている。
メールが届いて、それを再度エディターさんに渡し、編集作業から、書き出し。
28時半ごろ、書き出した動画データをメールで送り、今回はすぐに電話をした。
『あ、ありがとうございます。今見てます……。あ、大丈夫そうです。』
なんとかOKが出る。
『そしたら、こちらを、DVDで3枚と、動画データでもいただいておいていいですか? 明日朝9時に得意先試写なので、8時半までに弊社に届けてください』
そこから書き出しとDVDへ入れる作業。
その脇で一度仮眠を取ろうとした時、またケータイが鳴る。
『まだいますか? よかった……。すみません、カットシートも20部必要でして……。ご用意お願いします』
カットシートは、映像データが全カット印刷されているもので、地味に作成に時間がかかるものである。これから、それを作るのか……。
6時半ごろ、カットシートが出来上がり、20部印刷をする。
ダブルクリップで留めないと、前々回めちゃくちゃ怒られた。
「いや、得意先に出すのがホチキスとかありえないので……」
とのこと。
7時になる。
8時半に代理店に持っていくってことは、一時間くらい寝られるか。
明日は、また10時から明日の分の仕込みの編集がはじまる……。
ああ、カットシート作ってる間に営業から別のメールがきてる……。
そうだ、今日来た飲料メーカーの炭酸飲料の企画出し、振り出さなきゃ……。
この業務追いついてなかった……。
明日、また上司に椅子を蹴られるんだろうな……。
例えば、そんな一日。
最初の頃は、それでも日和からの連絡に答えることが出来ていたけれど、いつの間にか、メール一通返すことすらも大きな負担になっていた。
寝るためには、一秒すらも惜しかった。
『おやすみ』
日が出てからそんな文章を送るおれのことを、日和はどう思っていただろう。
ある時、CMで脇役出演の女の子や先輩含めて撮影の後に軽く打ち上げに行った。
脇役の女の子は、次の仕事につなげたかったのだろうが、完全に
「阿賀さんって、めちゃくちゃイケボじゃないですか? 声低くてかっこいい!」
まじでこんな飲み会どうでもいいから帰って寝かせてくれ……。
そんな風に思いながら酒をちびちび飲んでいたところ、
「こっち向いて!」
自撮りで撮った写真を、SNSにアップされた。
翌日、それを見た日和から、電話がかかってきた。
『ねえ、これって、どういうこと? この人誰? 私たちってどういう関係なの?』
彼女がわめくのに相手をしている時間も体力もなかった。
「うるせえな、子供には、わかんねえよ」
そんなようなことを言って切ったんだったと思う。
そりゃ、わかるはずもないよな。
知らないんだもんな。
電話を切って、タバコを吸いながら、自分がやっていることってなんなんだろう、と思った。
このCMを作る上でおれがしていることは、動画の書き出しと、コーヒーを注ぐことと、お菓子を買うためにデパートに並ぶことと……。
何か、内容に関係するようなこと、しただろうか?
このCMが出来上がった時、おれは日和に、「おれが作ったんだ」って胸を張って自慢できるのか?
日和は言うだろう。
「すごい! 夢だったCM作ったんだね! 孝典さんはどんなことをしたの?」
おれはなんていう?
「コーヒー注いで愛想を振りまいてたんだ! いやー、これが大事な仕事でな……」
自分が作ったとも言えないようなもののために、毎日2、3時間だけ会社の椅子で寝るような生活を送って、何になるんだろう。
そんな疑問を持ってしまった時から、自分の何かが壊れていくのを感じた。
そこから次第に、身体に無理がきかなくなって来て。
ついに先週、会社のトイレで血を吐いて倒れた。
別のチームの同じように虚ろな目をして働いている後輩が呼んでくれた救急車で運ばれ、次に目覚めた時には、都内の病院にいた。
目が覚めて最初に思ったことは、
「やばい、あの動画ファイルを得意先に送らなきゃ」
だった。
また怒鳴られるだろうか、とすぐさま上司に電話をしたら、開口一番、
「とりあえず、一週間、休め」
と言われた。
上司は怒っているのか、呆れているのか、同情しているのか、わからないけど、とにかく、自分が情けなくてしかたなかった。
くそ、くそ、くそ、くそ。全部、クソだ。
実家にも連絡をした。
1年以上ぶりに連絡をよこした息子に、母は優しく、
「うちに帰っておいで」
と言った。
あんな
うだつの上がらない自分が情けなくて、また涙が出た。
日和を避けたのは、こんなにカッコ悪い状態で、日和に会いたくない、会えるはずがないと思ったからだ。
日和にとっての阿賀孝典は、夢を語っている阿賀孝典のままでいたい。
あとは多分、最後の一言の嫌な後味が残っていただけなのだろうけど。
早く雨がやまないもんかな、と、階段の上で壁に寄りかかって考えていたおれの足元に、天窓からオレンジ色の陽が差してくる。
まごついているうちに、雨が通り過ぎたみたいだった。
次の電車がちょうど着いたところみたいで、まばらに乗客が降りてくる。
ラッキーな人たちだな、と思う。
もう、日和もいなくなっただろう。おれも帰ろう。
はずみをつけて壁から身体を離し、歩き出そうとしたところ、
「阿賀さん?」
日和に似た声が俺を呼んだ。
ビクッとして振り返ると、改札から出てきたのだろう、日和の妹のひなたちゃんがいた。
デートのために日和を家まで迎えに行った時に、何回か、挨拶をしたことがある。
すごくほがらかな子だった。
最後に会った時は、中学生だったかな。
初めて行った時にはなんだかジロジロ見られて、
「阿賀さんてうちが小学二年生の時、中学生だったりしますか?」
と聞かれた。
計算するとギリギリ中学三年生だったので、
「そうだね」
と、答えたら、
「そうですか」
と、すごく嬉しそうにしていたのが印象的だった。
あれは、どういう意味だったんだろう。
「阿賀さん、こっち帰って来てるんですか?」
ひなたちゃんは、単純に驚いた、という感じで話しかけてくる。
「ちょっと、夏の帰省で、一時的に。ちょうど明日に花火大会もあるしね。すぐ、東京には帰るけど」
嘘はついてない、多分。
この一年半で、
それでも、『すぐ、東京に帰るけど』と口にした時、足が少し震えていた。心がざわつく。
ひなたちゃんは眉間にしわを寄せて、
こんな表情をする子だったっけ。
けど、そりゃそうだよな。
お姉ちゃんにひどいことした、れっきとした悪役だよな、おれは。
「お姉ちゃんに、会いましたか?」
「いや、会ってないよ。今帰ってきたところだしね」
へらへらと笑って答える。
くそ、何へらへらしてんだ、おれは。
「じゃあ、帰ってくること、お姉ちゃんに、言いましたか?」
「いや……言ってない」
おれは、笑うのを、やめた。
なんだか一瞬で、へらへらする気力も言い訳する根気も、なくなってしまった。
もう、疲れた。
ださくて
ひなたちゃんは、下唇を噛んで睨んでくる。
「お姉ちゃんがどんな気持ちで……」
そこまで言うと、ひなたちゃんは目を伏せ、
「でも、わかんないな……」
と呟いた。
「ん?」
と聞き返すと、それ以上を語らず、
「失礼します」
と言い放って、階段を駆け下りてどこかへ行ってしまった。
日和がどんな気持ちだったか、おれにはわからないけど。
おれがどんな気持ちだったか、日和にも、ひなたちゃんにもわからないだろう。
「色々あるんだよ、俺にも」
去っていく背中を見送りながら小さく呟いた言葉は、昔一番カッコ悪いと思っていた、大人の言い訳のテンプレートだった。
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