弱り目に祟り目
スーリアはルーエンを見た。魔術研究所の制服姿のルーエンにいつもの陽気な様子はなく、表情は強張っている。そして、固い口調でこう言った。
「リアちゃん。僕と一緒に来て欲しいんだ」
「ルーエンさんと一緒に?」
突然のことに困惑するスーリアが聞き返すと、ルーエンはコクリと頷いた。
「ここ丸三日ほど、酷い嵐だっただろ? そんな中で、二日ほど前に空間の歪みが四回も発生して、魔獣が出た」
「魔獣が? 一日に四回も??」
スーリアは息を呑んだ。あの強風と大雨の中、魔法騎士団と聖魔術師達は空間の歪みを正し、魔獣を退治に行ったのだろうか。外に出るだけで、吹き飛ばされそうなほどの嵐だった。あんな中を長時間出掛けるなど、常識では考えられない。
「皆さんは無事なのですか?」
「ああ。でもね、さすがに体力も奪われた中で休みなく戦ったせいで、怪我人が多く出てね」
ルーエンは言葉を慎重に選ぶように、ゆっくりと喋る。決して『大丈夫』という言葉は使わないことに、スーリアは違和感を覚えた。
「王宮も被害が出て、結構な大騒ぎだった」
「王宮? 王宮に空間の歪み発生したのですか??」
スーリアは眉をひそめてルーエンを見上げた。無言でスーリアを見つめ返すルーエンの態度が、それを肯定していた。
「なんで? ──もしかして、私のせい……?」
王宮にはスーリアの花畑がある。シュウユによれば、一度器となった花は持続して不思議な力を維持できるようになる。つまり、王宮にスーリアの花畑があれば、空間の歪みなどおきないはずなのだ。
もしかしたら、自分がアルフォークとのことに気を揉んで精神的に不安定になったせいで、シュウユの神力が殆ど行き渡らなくなったのかもしれない。そのせいで、王宮で空間の歪みが発生して魔獣が現れたり、魔法騎士団の人達が怪我をしたのかもしれない。
そう思うと、スーリアは体が震えて来るのを感じた。
「リアちゃん! 君のせいじゃないよ」
ルーエンは真剣な表情でスーリアを見つめた。
「彼らに死人が出なかったのは、リアちゃんのおかげだ。絶対に…絶対に君のせいじゃないから。でも、あいつに一度会ってやってくれないかな? 殿下からもリアちゃんをお連れするように言われてる。僕からの、一生のお願いだ」
返事出来ないまま体を強ばらせたスーリアの背中にルーエンの手が回り、肩を抱かれるような格好になった。黒いケープに身を包まれる。まわりの空間がぐにゃりとゆがみ、視界が回るような感覚と、胃が迫り上がるような不快感。スーリアは咄嗟に黒いケープを掴みぎゅっと両目を瞑った。
***
アルフォークはその光景を見たとき、我が目を疑った。それほどまでに、それは衝撃的な光景だったのだ。
時刻は溯ること一時間前、魔法騎士と聖魔術師の面々は今日のお互いの健闘を讃え合い、やっとのことで王宮に戻ってきた。
嵐の中、空間の歪みが発生していると聞いて聖魔術師達と浄化に行くこと今日だけでも三カ所。最後は大物の
執務室に戻ったアルフォークは重い鎧を脱ぎ捨てると、懐から紙包みを取り出した。丁寧に広げると、案の定、花は完全に灰になっていた。
「またスーに助けられたな」
アルフォークはその灰になった花を包んだ紙を手で包み込み、額にあてた。今、自分が怪我無くいられるのはスーリアの花のおかげだ。
暫くそうしていたアルフォークは紙包みを机に置き、また新たなものを入れようと手を伸ばし、動きをとめた。
もう、お守りのストックが無い。次が最後だ。
そう言えば、昨日がキャロルがスーリアのもとに花を取りに行く日だったが、嵐で取りに行けなかった。
外を見ると、相変わらず大雨が降り、酷い強風が吹き荒れていた。これでは今日も取りに行くのは難しい。それに、魔獣との戦いに参戦したキャロルも体力は限界近いだろう。
「これは、明日だな……」
アルフォークはスーリアの花をキャロルが取りに行くのは明日にすべきだと判断すると、冷えた体を温めて疲れを取るため、気怠い体を持ち上げて湯浴みに向かった。熱い湯を浴びて着替え、ようやくさっぱりして執務室に戻り、ホッと一息ついたところで、またもや緊急事態を報せる鐘か鳴り、魔術師がやってきた。
「アルフォーク魔法騎士団長閣下! 空間の歪みが発生し、魔獣が現れました。至急ご対応を。魔術研究所の外れです」
「またか? 魔獣が? 王宮内に?」
「はい」
にわかには信じがたい情報だった。しかし、知らせに来た魔術研究所の若い魔術師は頬に擦り傷をつくっており、その瞳は真剣そのもの。とても冗談を言っているようには見えない。
「今どういう状況だ?」
「筆頭魔術師達が拘束魔法をかけていますが、人、建物ともに多数の被害が出ております」
「すぐに向かう。エクリード殿下には?」
「他の者が知らせに行きました」
アルフォーク小さく頷くと、魔法騎士団の緊急出動を報せる警報を鳴らし、乾いたばかりの鎧を再び身に付けて執務室を出た。
空間の歪みとは、どのような場所にでも発生する可能性はある。大聖堂であれ、王宮であれ、例外は無い。しかし、王宮内で空間の歪みが発生したことはこれまでのルーデリア王国の歴史上、一度も記録が無かった。しかも、空間の歪みが発生するのは今日だけで四回目だ。こんなに多いことも滅多に無い。まさに、弱り目に祟り目だ。
そして目にしたのがこの状況だ。
驚くなと言う方が無理がある。
破壊された宮殿のテラス、散らばったガラスや陶器。侍女や警備隊に怪我人が大量におり、治癒が間に合っていない。そして、拘束魔法を掛けられながらも雄叫びを上げる魔獣。びしょ濡れになりながら必死に対処している魔術研究所の筆頭魔術師達。魔術研究所の魔術師達は、攻撃魔法に長けていないのでせいぜい拘束魔法を掛けることしか出来ないのだ。
「魔獣は何匹ほど?」
アルフォークは先に駆けつけていた部下に尋ねた。あたりを見渡したが、エクリード達聖魔術師はまだ来ていないようだった。
「今確認しているのは、三角獣が三匹です」
「三角獣が三匹か。それ位ならなんとかなるだろう。もう一頑張りしてくれ。行くぞ!」
「はいっ!」
さすがは訓練に訓練を重ねたエリート魔法騎士達だけある。誰も文句も言わず、疲れの色も見せずに付いてくる。あっという間に一匹目は仕留めた。だが、二匹目をしとめたところで、異常が起きた。
「何かが来ます!」
部下の一人が焦ったように叫んだ。アルフォークはハッとしてそちらを見た。
開きっぱなしの空間の歪みから何かが来る。
黒光りした鱗、縦に開いた黄色い瞳孔、軍馬の数倍も大きな体……
「──サンダードラゴンだ」
アルフォークは息を飲んだ。今日ニ匹目の最上級の魔獣。
「攻撃される前に行くぞ!」
こっちを認識される前に先制攻撃して仕留めなければ、やられる。アルフォークは咄嗟にそう判断して叫んだ。
無意識にスーリアの花が入った懐を鎧越しに手でなぞる。
もう体力も魔力も限界に近い。
無情に降り注ぐ雨粒を受けながら、アルフォークは薄墨のような天を仰いだ。
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