スーリアの決意

 浮き上がるような嫌な感覚が無くなり、ぎゅっと瞑っていた目をそっと開いた時、スーリアは見覚えの無い場所にいた。目に入ったのは簡素ながら清潔感のある白い廊下。その廊下を、やはり白のケープを纏った人達や、盥を持った侍女らしき人達がひっきりなしに動き回っている。


「ルーエンさん。ここは?」


 スーリアは困惑気味にルーエンを見上げた。自宅横の花畑に居たはずが、気付いたら知らない場所に居たのだから。ここがどこなのか、スーリアには全く予想が付かなかった。


「ここは王宮の医務棟だよ。治癒魔法を使う魔術師が怪我人の治療をしてる。もう殆ど全員終わってる筈だけど、効果が十分に得られなかった患者は安静にしている。治癒魔法って万能じゃ無いんだ。それは知ってる?」

「知っています」


 スーリアは頷いた。治癒魔法は万能では無い。だからこそ、スネークキメラに襲われたリアちゃんはすぐに治癒魔法をかけられたにも関わらず、そのまま亡くなったのだ。


「今ここには、重症で完全に治癒できなかった人達や、何かしら障害が残った人がいるよ。行こっか」


 スーリアの顔を見てそう説明してから廊下の奥へと歩き出したルーエンを見て、スーリアは嫌な予感が湧き上がるのを止める事が出来なかった。この先に誰がいるのか──そして、その人はどんな状況なのか──それを知るのは怖かった。


「ルーエンさん……」

「ん? アイツは命には別状無いから安心して。ほら」


 一つのドアの前でルーエンが立ち止まる。スーリアはそのドアに視線を移動させた。


「アル、入るよ」

「──ああ」


 少しの沈黙の後、心地よい低音が耳に響いた。

 ゆっくりと開けられたドアの隙間から目に入ったのは、目にするたびに心が躍った水色の髪。椅子に座ってドアと反対側にある窓の方向を見ていたアルフォークがゆっくりこちらを向く。

 スーリアは、目が合った瞬間に、そのアメジストのような瞳が僅かに動揺したように揺れたのを見た。


「アル……」


 スーリアは部屋に入り、一歩そばに寄った。その姿を間近で見たときに、色々な感情がごちゃ混ぜになってスーリアの中を駆け巡った。ビーカーの中に垂らした絵の具を混ぜるかのように一気にごちゃ混ぜになったそれはさらさらと流れ去り、後にスーリアの中に残った感情は一つだけだった。


 ──会えて嬉しい。

 

 騙されたと怒った事も、沢山泣いたことも、傷付いたことも、全ての負の感情はこのただ一つに塗り替えられた。ルーエンの先ほどの様子から、スーリアはアルフォークが瀕死であることを覚悟していた。生きていてくれて、また会えた。それがただ嬉しかった。


「スー」


 アルフォークが小さくスーリアの名を呼び、左手を伸ばしたので、スーリアそっとそばに寄った。紫色の瞳が優しく細まる。少し震えているよいに見えた大きな手はスーリアの頬を撫で、髪を梳く。温かなぬくもりに触れたその途端に、楽しかった日の事が思い出されてスーリアの頬を涙が伝った。


「アル、私──」


 ──ごめんなさい。


 そう言おうとしたスーリアは、その前にアルフォークが発した言葉に言葉を失った。


「スーリア。俺は君を騙した。悪かったと思う。今日はその謝罪がしたくて、ルーに頼んで来てもらった」


 信じられない思いでアルフォークを見つめると、アルフォークは哀しみを湛えた目でスーリアを見返した。スーリアがなおも目を逸らさずにアルフォークを見つめると、アルフォークはスーリアに触れていた手を膝の上に置き、視線をスーリアから逸らした。そして、もう一度同じ事を言った。


「俺は君を騙した。利用しようとして、近づいた」

「アル? 何言っているの?」


 表情を強ばらせてスーリアを見ようとしないアルフォークを真っ直ぐに見つめ、スーリアは眉間に皺を寄せた。


「だが、キャロルに罪は無い。これからも、彼女には花を渡してくれないか? 俺のことは……、許さなくてもいい」


 目も合わさずに淡々とそう語るアルフォークに、スーリアは目の前が真っ暗になるのと同時に、沸々と怒りが湧いてくるのを感じた。これだけ人の感情を振り回しておいて、今さら何を言っているのか。


「何言ってるのっ! お断りだわ。キャロルさんには花は渡さない。欲しかったらアルが取りに来ればいい」

「リアちゃん!」


 怒って詰め寄ろうとしたスーリアを、横にいたルーエンが止める。アルフォークの表情が歪んだ。


「こっちを見て! アル!!」

「リアちゃん!!」


 スーリアは半ばルーエンに引きずられるように部屋を出たが、アルフォークがスーリアを見ることはとうとう無かった。


 部屋を出たスーリアは、ルーエンを睨み付けた。


「ルーエンさん、これはどういうこと?」

「リアちゃん……」

「説明して! アルは嘘をついている。問題は、なぜそんな嘘をついたのかということよ。返答によっては、本当にもう花は渡さない」


 スーリアがルーエンに詰め寄ろうとしたその時、「ルーエン、スーリア!」を呼ぶ声がした。スーリアはハッとしてそちらを振り向いた。


「エリクさん?」


 そこにはエクリードがいた。

 スーリアは突然のエクリードの登場に困惑した。エクリードはそんなスーリアの様子に構うこと無く、スーリアの前に来た。


「ルーを探していたんだが、スーリアもいるならちょうどよかった。スーリア、来てくれないか? スーリアの花畑を見て欲しい」

「私の花畑を?」


 スーリアは王宮の花畑を、一カ月以上世話していない。来てはいけないと禁じられたので、世話に来れなかったのだ。なので、今どうなっているのかは、全く知らなかった。エクリードはスーリアを見つめ、落ち着いた声で一言いった。


「枯れてるんだ」


 ルーエンはエクリードの言葉を聞き、「あぁ」と頷いた。


「それは一昨日、魔獣が現れたからでしょう。闇属性の魔術を受け灰になったのでは?」

「それが、どうもそういうようには見えないんだ。そもそも、スーリアの花畑があるあの辺りに空間の歪みが発生した事自体が奇妙だ。花により周囲が常に浄化された状態だったのだからな」


 エリクの指摘はまさにスーリアも感じていたことだった。なぜ、自分の花があるはずの王宮で空間の歪みが発生したのか。スーリアの自宅の庭の花はいつもと変わりなかったのだ。


「……ところで、アルはどうした? 話をしたのではないのか?」

「それが、色々と揉めてまして……」


 ルーエンがちょっと困ったように肩を竦める。

 それを聞いてスーリアがまたルーエンを睨み付けた。ルーエンは観念したようにはぁっとため息をついて、スーリアを見た。


「アルはね、大怪我をした」

「医務棟の個室に居るくらいだから、そうなのでしょうね」


 スーリアは頷いた。ここに来るとき、ルーエンはここには重症や障害が残った人が居ると言っていた。しかし、アルフォークの見た目は元気そうに見えた。


「一昨日の事だけど、四回も空間の歪みが発生して、その四回ともに魔獣が出た。そのうち二回は最上級の魔獣である水龍とサンダードラゴンだ。流石に一日でそんなに相手にするのは無理だよ。騎士団員が死ななかったのはリアちゃんの花のおかけだ」


 スーリアは無言でルーエンに先を促した。エクリードは腕を組んだまま、こちらを眺めている。


「あの日の夜、僕も怪我人の治癒に当たってかかりっきりだったから見てはいないんだけど、アルは足を痛めた部下をサンダードラゴンの攻撃から庇って、まともに雷撃を浴びたみたいなんだ」


 ルーエンはそこで一拍おいて息を吐くと、ゆっくりと目を開き、スーリアを見た。


「アルの右手はね、もう動かない。僕と殿下が治癒したから、それは間違いない。つまり、もう魔法騎士としては使い物にならないってことだ」


 スーリアはその話に、息が止まりそうな衝撃を受けた。右手が動かない? 確かに、先ほどスーリアに触れたのはアルフォークの左手だった。だが、アルフォークは右利きだ。思い返してみても、自分に触れるときはいつも右手だった。


「嘘だわ」


 スーリアは自分の声が震えるのを感じた。


「嘘ではない。国一番の聖魔術師である俺が治療したが、あれ以上の治癒は無理だ」


 無言でこちらを見つめていたエクリードが、スーリアに言い聞かせるようにゆっくりとそう言った。スーリアはキッとエクリードを睨み付けた。


「あなた、私に聖魔術師だって嘘をついたわね」


 スーリアに睨まれて、エクリードは不敵に笑みを洩らす。

 

「俺は聖魔術師だ。嘘ではないだろう? まぁ、なんともアルらしい決断だな」

「リアちゃん。アルはリアちゃんにかっこ悪いところを見せたく無いんだよ。腕が使えなくなった騎士の行く末なんて、楽しいもんじゃ無い。だから、あいつのこと許してやってくれないかな?」


 ルーエンは眉尻を下げて、スーリアを見た。スーリアは暫く視線を彷徨わせてから、意を決したようにルーエンを見上げた。


「嫌よ。絶対に許さないわ」

「リアちゃん……」

「アルは私を繋ぎ止めておく役目なんでしょう? 今さらその役目を投げ出すなんて、許さないわ。あんなに毎日手紙を送りつけてきて、花を持ってきて、最後には優しく名を呼んで触れてきて──全部が私を愛してるって言ってる。だから、こんな中途半端にやめるなんて許さない」


 今度はルーエンが息を飲んだ。真っ直ぐに見上げるスーリアの目は真剣そのものだ。淡い緑の瞳は息吹く新緑のような力強さがあった。

 ルーエンは正直驚いた。ただの大人しい少女だと思っていたのに、こんな意志の強さを持っていたなんて予想していなかったのだ。


「アルにそれを命じたのは俺だ」


 壁に寄り掛かったまま、腕を組んでいるエクリードがスーリアを見つめる。スーリアは目を逸らさずにエクリードを見返した。


「騎士にとっての利き腕は、命綱だ。腕が使えないのは、スーリアが思う以上にダメージが大きい。アルが望むなら、その役目は解任するつもりだ」


 スーリアは暫く呆然で立ち尽くし、やがて意を決したように顔を上げた。


「……ルーエンさん。私、もしかするとアルや今医務室にいる人達を治せるかもしれない」

「治せる?」

「ええ。もしかしたらだけど──」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る