嵐
「なるほど。それで、結局会えなかったのだな? なんと言うか……タイミングが悪いな」
エクリードはアルフォークから話を聞き終えると、はぁっと息を吐いた。
昨晩から降り続く雨は益々激しくなり、外は嵐の様相を呈していた。激しい強風が吹き、大粒の雨が地面を強く叩きつけている。
昨日、アルフォークはスーリアに会いに行くと言ってレッドハットベーカリーに出かけた。ところが、以前スーリアに聞いたレッドハットベーカリーで働いている時間を狙って行ったにも関わらず、その時間ならいるはずのスーリアは居なかった。
代わりにアルフォークを出迎えたスーリアの幼なじみのリジェルは、アルフォークを見るなり眉間に深い皺を寄せ、罵声を浴びせてきた。
なんとか冷静に話し合おうと努めたアルフォークだったが、リジェルの様子を見て一旦引き下がった方が賢明だと判断し、最終的にパン屋を後にした。こんなところでスーリアの幼なじみと喧嘩したところで、仕方が無い。体格や体力、立場的に優位な自分が身を引くべきだ。
せめてもと持っていった花束は店の軒先のバケツに入れたが、それをスーリアが見たかどうかはアルフォークには分からない。
「ルーから花の力が弱いと聞き、スーに何かあったのではと心配なのです」
アルフォークは目を伏せ、胸元にいれていた紙の包みを取り出した。それを丁寧に開くと、中からは少し押し潰されたビオラが出てきた。スーリアが魔術研究所に納めている花だ。潰れてはいるが、みずみずしさは保っている。
「会えなかったのでは仕方が無い。日を改めよう」
エクリードは窓の外を見た。雨は益々激しくなり、雨戸を叩きつける音が喧しい程だ。白いカーテンがかかったように、景色が濁っている。
「それに、この雨ではなかなか出掛けられない」
「そうですね。わかりました」
「嫌な雨だ。こんな日は、空間の歪みが発生しなければよいのだが……」
雨水が窓ガラスを滴り落ち、景色が歪む。アルフォークとエクリードは、無言で真っ白に染まる景色を眺めた。
***
悪い予感というものは、得てして的中するものだ。
アルフォークとエクリード達は鎧やケープを雨でびしょびしょに濡らしたまま、馬を走らせていた。ただでさえさえ肌寒い季節なのに、頭から足まで全身びしょ濡れ。否が応でも体力は奪われる。
「流石に疲れたな……。もう一か所だ」
エクリードは髪から垂れてきた雫を手の甲で拭うと、自分に言い聞かせるように呟いた。
魔法騎士や聖魔術師達は雨の移動の際は、自身とその愛馬を包み込むように防御壁を張る。雨風に直接当たらないためだ。しかし、実際に空間の歪みのある地域に到着すれば、聖魔術師にとって防御壁は浄化の作業の邪魔になるし、魔法騎士も防御壁をずっと保ったまま魔獣と戦うことなどできない。結局、そこでびしょびしょになるのだ。
「殿下。あとどれくらいでしょうか?」
「そうだな。このまま南下して四キロと言ったところだ」
「南の外れの湿原ですね。急ぎましょう」
エクリードに空間の歪みまでの距離を訪ねたアルフォークはそれを聞き頷くと、愛馬のレックスの脇腹を軽く蹴った。勢いをつけてさっさと到着し、今日の浄化作業を終わりにしようと考えたのだ。ところが、前方から斥候の役目を負う部下達が戻ってきたのを見て、アルフォークは眉をひそめて馬を止めた。
斥候の魔法騎士は四人組だ。小物であれば四人で始末してくることが多いのに、戻ってきたということは自分たちの手に負えないと判断した相手がいたということだ。
「大物の魔獣がいたのか?」
アルフォークは固い声で尋ねる。地面を叩きつける雨の音で、大きな声で尋ねないと掻き消えてしまいそうだった。
「
「
その場にいた魔法騎士団の隊員たちに緊張が走った。
「いけるか、アル」
エクリードが固い表情のまま、アルフォークに尋ねる。
「いくしかないでしょう?」
「まあな。お前達がいけなかったら、誰も止められない」
「お任せください」
既に今日は二カ所の浄化に向かい、隊員達はだいぶ疲れてきている。魔力も減ってきた。しかし、自分達が何とかしないと、皆お手上げになってしまうのだ。
無情に降り注ぐもので白く霞む視線の先に現れたのは、白く美しい龍だ。長い体は純白の鱗で覆われ、背には金のたてがみが、頭には琥珀色の見事な角が生えている。しかし、その美しさと相反して非常に恐ろしい生物であることをアルフォークは知っていた。
白く美しい龍のアクアマリンの様な瞳がこちらを捉えた。
「行くぞっ!」
「「「はい!」」」」
アルフォークの掛け声で部下たちが一斉に攻撃の配置につく。防御壁を解いた途端に、容赦ない雨風がやっと温まってきたばかりの体を濡らす。
アルフォークは魔獣と戦うときはいつもするように、スーリアの花を忍ばせた懐に鎧の上から手を置き、勝利を誓った。
***
激しい嵐は三日三晩も続いた。
すっかり水浸しになった自宅の横の花畑で花の世話をしていたスーリアは、花の世話をしながらハァッとため息を付いた。スーリアの花は激しい強風と雨に打たれても、やはり美しく咲いている。
レッドハットベーカリーでヒヤシンスの花束が残されていたのを見て何故か他人事に思えなかったスーリアは、ここにきて初めてアルフォークからの手紙を開いた。一ヶ月以上も毎日のように届くので、その量は膨大だ。スーリアはその一通一通の封を丁寧に開け、中を確認した。
公開訓練直後の手紙は、殆どが謝罪と許して欲しいという懇願だった。それが次第にアルフォーク自身の近況に触れられるようになり、最近のものは毎回がスーリアのことを心配しているような内容だ。
全ての手紙の始まりは『愛するスーへ』、結びは『君のアルより』となっており、ちょっとした愛の言葉が添えられていた。
少しだけ斜めに傾く癖のある文字は以前に貰った手紙と特徴が同じで、きっとアルフォークの直筆だろう。
スーリアはその手紙の束を何回も読み返した。スーリアを繋ぎ止めておくようにと命じられたことは事実だが、スーリアを愛してる気持ちに偽りはないと書かれているものもあった。『繋ぎ止めておくようにと命じられたことは事実』だなんて書かなければよいものを、馬鹿正直に書いてしまうとは何とも不器用な人だと思った。スーリアに会いに行ったら父親のベンに追い返されたとも書かれていた。
そうだ。スーリアの知るアルフォークはいつだって、こういう不器用さを持つ誠実な人だった。
『ねえ、恵ちゃん。あなたの恋人はどんな人?』
最後にシュウユに会ったとき、シュウユはスーリアにそう問いかけた。
『かっこよくて、優しくて、誰よりも誠実な人だわ。とても素適な人なの』
『恵ちゃん。今思っていることを忘れないでね』
なぜシュウユはあんなことを自分に尋ね、あんなことを言ったのか?
どうして彼は、いまでもこんなふうに自分に手紙をくれるのか?
スーリアはあの公開訓練の日、アルフォークに裏切られたと思い逆上し、取り乱した。アルフォークはしきりに『違うんだ』と言った。スーリアはそれに取り合わなかったけれど、もしかすると本当に誤解なのではないかと思えてきた。
この手紙と先日の花から感じることはただ一つだ。
「姉さんの言うとおり、私はアルと話し合うべきだわ」
スーリアはまだ雫が光る花畑に視線を向けた。あの舞踏会の日にアルフォークが差し出してくれたのと同じ、赤色のチューリップが美しく咲いている。あの時、スーリアはアルフォークの中に確かに愛情を感じたのだ。
「アル、どうしてるかな……」
スーリアはチューリップに顔を寄せた。
毎日のように来ていた手紙が、この二日ほど途絶えた。なにかあったのだろうかと、心配だ。
その時、ギシッと土を踏みしめる音がして、スーリアはハッとして顔を上げた。アルフォークが来たのかと思ったのだ。
「ルーエンさん……」
スーリアは小さく呟いた。視線の先には魔術師用ケープを纏った、厳しい表情のルーエンがいた。
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