花は二人の秘密の暗号

 ヴィーンという振動音がして、スーリアは宙を見つめた。この音は、アルフォークからの手紙が届くときの音だ。


 あの公開訓練の日以降、アルフォークからは毎日のように手紙が届く。しかし、スーリアは心情的にそれらを開いて見ることが出来なかった。開く事が出来ないくせに、捨てることも出来ない。部屋に置かれた机の片隅には、封蝋がされたままの手紙がどんどん積み重なっていた。


 ある日突然あのような別れとなり、スーリアの中でアルフォークの事はうまく昇華しきれない存在となった。

 騙されていたことに対し許せないと思う一方、彼のことをまだ好きだと思う。とんでもないろくでなしだと思う一方、彼がそんなことをするわけが無いと思う。

 要するに、自分でも自分の気持ちがよくわからないのだ。ふとしたときに脳裏に蘇るのは、こちらを見つめるアメジストのような瞳と、『スー』と呼ぶ優しい声色。そのたびに、スーリアの心臓はぎゅっと掴まれたような痛みを感じた。


 数秒後、スーリアの視線の先の何もなかった空間に変化が起きる。忽然と白い封筒が現れ、ハラリと床に落ちた。スーリアがそれを拾い上げると、宛先は『スーへ』差出人は『アルフォークより』と書かれている。

 スーリアはそれを開くこと無く、封筒が積み重なっている山の一番上に乗せた。



 ***



 沢山の花の前で、ルーエンは頭を悩ませていた。何回確認しても、結果は同じだ。


「やはり、同じ結果だな」

「そうですね」


 横でルーエンの作業を眺めていたアルフォークとエクリードも、目の前の眉を寄せた。

 最近、スーリアの花の力が弱い。いつからなのか、ルーエンが異常に気付いた時には既にかなり花の力が弱まっていた。

 相変わらず魔法の攻撃を受け付けないし、浄化の力があるのだか、以前に比べれば雲泥の差だ。


「リアちゃんから聖なる力が無くなったとか?」


 ルーエンはアルフォークを見た。火擊を受けて所々が焦げ落ちた花を見て顔を顰めていたアルフォークは、ルーエンに話しかけられて納得いかない様子で首を少し傾げて見せた。


「スーは、女神シュウユから下界を浄化するように依頼されたと言っていた。花には神力を貯める器の役割があると言ったんだ。だからこそ、俺達は浄化したあとの土地に毎回スーの育てた花を植えている」

「そりゃあそうだけど」


 ルーエンは肩を竦めて見せた。


「事実、リアちゃんの花の不思議な力が弱くなったんだよ」


 アルフォークは憮然とした表情を浮かべていたが、顔を上げると真剣な表情でルーエンとエクリードを見た。


「やはり、スーに会いに行く。話をしたい」

「話をする必要があるのは同感だけど、毎回、お父上に追い返されてるんでしょ? アルが行っても会ってくれないんじゃない? 手紙の返事も一度も来ないってことは、向こうはアルに会いたくないと思っているかもしれない」

 

 ルーエンの指摘に、アルフォークの眉間に深い皺が寄る。

 アルフォークはあの事件後、何回かスーリアに会いに行ったが、毎回スーリアのお父上であるベンがどこらから現れて追い返される。

 こちらの方が力は強いし、相手は平民の農夫だ。力尽くで従わせることは可能だが、これ以上心証を悪くしたくないアルフォークはそれはしたくなかった。

 その代わり、手紙は毎日出している。しかし、返事は一度たりとも戻ってきたことはない。毎回、花を取りに行ったキャロルにスーリアから何かを受け取っていないかと確認しても、何も受け取っていないと言われるだけだった。スーリアが手紙を見ていない可能性についても、アルフォークは薄々感じていた。


「……パン屋に会いに行く。客として」

「ああ、なるほど」


 ルーエンは頷いた。

 スーリアは今も、レッドハットベーカリーで店番の手伝いをしている。そこに客として訪れるならば、会うことも可能かもしれない。


「これ以上、拗らせないようにね。リアちゃんが気落ちすると……」

「何だ?」

「いや、何でもないよ。仲直り出来るといいね」


 ルーエンは何かを言いかけ、思い直したように口を噤んだ。



 ***



 スーリアはその日もレッドハットベーカリーで店番をしていた。朝、台車に乗せて運んできた花は今日も殆どが売れ、店の前に置かれたバケツは空に近い。

 ちょうど接客をしていたお客様が店外に出たタイミングで、リジェルがひょこりと顔を出した。


「リア、ちょっとお使いを頼めるか? 干しぶどう買ってきて欲しいんだ」

「干しぶどう? いいわよ」

「悪いな。昨日親父に言われてたのに、買いに行くの忘れてた」

「もー、しょうがないなぁ」


 スーリアはちょっとだけバツが悪そうなリジェルから小銭を受け取ると、出掛ける準備を始めた。


「じゃあ、行ってくるわね」

「ああ、気を付けろよ」


 スーリアは笑顔でリジェルに手を振ると、ポケットに小銭を入れて店を出た。干しぶどうは歩いて十五分ほどのところにある乾物専門店に売っている。往復で四十分もあれば戻ってこられるはずだ。


「干しぶどうを五カップお願いします」

「はい、毎度あり。お嬢さんは可愛いから、まけとくよ」

「まあ、お上手ね。ありがとう」


 乾物店の主人は人当たりのよい笑みを浮かべると、紙袋に五カップと半分の干しぶどうを入れてスーリアに手渡した。スーリアはそれを片手に抱え、帰り道を急ぐ。なんだか空がどんよりと曇って来たのだ。


「リジュ、ただい……」

「帰れって言っただろ!!」


 ドアを開けた途端、鋭い怒声を浴びせられてスーリアはびっくりした。突然のことに呆然と固まっていると、ドアを開けたのがスーリアだと気付いたリジェルが慌てて駆け寄ってきた。


「リア! すまない。別の奴だと勘違いした」

「別の奴?」

「リアは知らなくていいんだよ。それより、ありがとな」


 リジェルは少しだけ強張ったような笑みをスーリアに向けた。スーリアはリジェルの様子を不思議に思ったが、接客業なのでスーリアが留守にしている間に嫌なお客様でも来たのかもしれないと思った。

  

「はい、リジュ。これ買ってきたわよ。あと、これがお釣り」


 スーリアはリジェルに干しぶどうの入った紙袋とお釣りの小銭を渡した。リジェルはそれを受け取ると、


「ありがと。今から干しぶどうパン焼くから、焼き上がったら持ってけよ」と言った。

「本当? ありがとう」


 スーリアは目を輝かせた。リジェルの焼いた干しぶどうパンは大好きだ。喜ぶスーリアの様子を見たリジェルは口の端を持ち上げると、早速、それを持って厨房へパンを焼きに行った。


「今夜は雨かしら……」


 店番をしながら、スーリアはガラス越しに見える外の空を眺めて呟いた。空の雲行きが怪しいし、風も出てきたように見える。たまたまお客様がいなかったこともあり、スーリアは店の前のバケツを片付ける事にした。


「あら? これ、売り物のお花じゃないわ?」


 スーリアは片づけようとしたバケツに、見覚えが無いものを見つけて動きを止めた。

 空っぽだった筈の外のバケツには、花が入れられていた。黄と青のヒヤシンスはとても美しく咲いており、水色のリボンがかけられている。

 咄嗟にあたりを見回したが、なにも探し出すことは出来ない。スーリアはバケツを重ねると、そのヒアシンスごとバケツを店の中に入れた。


「ねえ、リジュ。私が出掛けてる間、誰か訪ねてきた??」

「え? ──いや、誰も来なかった」

「そう……」

「なんで?」


 リジェルに逆に聞かれ、スーリアは足もとの今片付けたばかりのバケツを指さした。


「これ。売り物じゃない花がバケツに入ってたの」


 スーリアには一瞬、リジェルの表情が強張ったように見えた。しかし、次の瞬間にはいつも通りの様子になっていた。


「悪戯じゃないか?」

「そうかしら?」

「気味悪いなら捨てとくけど?」

「ううん。綺麗に咲いてるのに、捨てないわ」


 スーリアはもう一度足元のヒアシンスを見た。

 美しく咲くヒアシンスは黄と青。花言葉は『あなたとなら、幸せ』と『変わらぬ愛』だ。


「誰かに贈るつもりだったのかしら」


 スーリアは小さく呟いた。可愛らしくリボンが掛かっているので、恐らくプレゼントなのだろう。


 或いは、自分へのメッセージだろうか。


 『花は俺とスーの秘密の暗号だな』


 脳裏には、かつてそう言って自分に頬笑みかけてくれた人の、優しい笑顔が蘇った。

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