近づく距離
帰り道、スーリアは行きと同じように台車にバケツを乗せて運ぼうと重ねたバケツを台車に乗せようとした。それを見ていたアルフォークはそのバケツをひょいと横から取った。
「あの坂では荷物を押して登るのも重いだろう? 荷物は馬に載せよう。ここにちょうどよい紐があるな」
「いえ、大丈夫です! いつも押して登ってますから」
スーリアは慌ててそれを止めた。アルフォークの馬はとても手入れが行き届いている事がひと目でわかった。艶やかなたてがみの立派な黒馬だ。こんなバケツとぼろぼろの台車をサラブレッドのような馬に載せるわけにはいかないと思った。
「しかし、スーリアに荷物を押させて俺が手ぶらで手綱を引くわけにはいかない。本当ならスーリアを馬に乗せて連れて帰ってやりたいが、その台車を運びながら馬に乗るのはさすがに難しい」
そこまで言って、アルフォークは一旦話を止めた。
「スーリア、馬には一人で乗れるか?」
「馬? 乗ったことがありません」
「そうか。ではやはりその荷物を馬に載せよう」
アルフォークはにっこり微笑むと、手早く台車を逆さまにして鞍に結び付け、バケツを左右にぶら下げた。
「なんか、ごめんなさい……」
「いや、構わない。さあ、行こう」
艶やかな漆黒の軍馬にロバのように荷物が括り付けらた様は相当異様だったが、アルフォークは気にする様子もなく馬の手綱を引きながら歩きだした。スーリアも慌てて後を追う。
「その猫は?」
並んで歩いていると、アルフォークはスーリアが抱いているミアを見て尋ねてきた。スーリアはミアを両腕に抱いていた。
「最近、パン屋の前で拾ったんです。『ミア』って言います。もしかしたら元々の買い主さんがいるかもしれないと思って毎日一緒に連れて行ってるんですが、今のところ現れないですね」
スーリアが腕に抱く猫の頭を撫でると、猫は嬉しそうに咽をならした。
「先ほどの彼は恋人かな?」
「え? リジュですか? ち、違います!」
「そうか。とても親しそうに見えたから」
それを聞いたアルフォークは柔らかく微笑んだ。一方のスーリアは思いがけない誤解に耳まで赤くなるのを感じた。
「リジュ―――リジェルは幼馴染みなんです。私の花をお店の前に置いてくれるって言うからお礼代わりにお店の手伝いをしてて。アルフォークさんはそういう女友達はいないですか?」
スーリアの問いかけに、アルフォークは少し考えるように沈黙してから小さく首を振った。
「女性に幼馴染みはいないな。俺の仲の良い幼馴染みと言えば、ルーエンだ。それに、エクリード殿下も歳が近かったから小さな頃から遊び相手としてご一緒することが多かったな」
スーリアは記憶を辿る。たしか、エクリード殿下とはこの国の第二王子だ。あまりにも気さくなのでつい忘れそうになっていたが、歳が近いだけで第二王子の遊び相手に選ばれるなど、やはりアルフォークは自分とは住む世界が違う人間なのだ。そう思ったら、スーリアは胸の奥にチクンと痛みを感じ、顔を俯かせた。
「帰り際に何かを受け取っていたが、何を?」
沈黙したまま歩いていたが、アルフォークに話しかけられてスーリアは顔を上げた。アルフォークはスーリアが腕にかける紙袋を見ていた。中にはリジェルの作ったパンが入っている。
「リジュの手作りパンです。リジュは凄いんですよ。うちの野菜を使ってとっても美味しいパンを作ってくれます」
「手作りパン……」
「はい。家に戻ったらアルフォークさんにも一つお分けしますね」
そこまで言ってスーリアはハッとした。目の前にいる人は魔法騎士団長であり、貴族なのだ。庶民のパンなど口に合わないかも知れない。
「あの……、アルフォークさんの口に合わないかも知れないですが」
スーリアは顔を俯かせ、段々と語尾が小さくなる。
「いや、いただこう」とアルフォークは言った。「それと、呼び方。今度から『スー』と呼んでも?」
「え?」
スーリアは吃驚してまた顔を上げた。目が合ったアルフォークは困ったようにアメジストのような紫の瞳を逸らした。
「スーリアの愛称が『リア』なのは知っているが、『リア』は知人にそう言う愛称の者がいて……その、なんだ、スーリアとその者を同じ愛称で呼びたくないんだ。俺の事も『アルフォークさん』では無く、『アル』と呼んでくれ」
アルフォークにとっては『リア』はどうしてもプリリア王女を思い出してしまい、正直あまり呼びたくない愛称だ。しかし、先ほどのくせ毛の若者とスーリアが愛称で呼び合い、仲むつまじそうな姿をみて何となく自分もスーリアを愛称で呼びたいと思った。
「私のことは好きに呼んで下さって構いません。でも、私みたいな町娘がアルフォークさんを愛称で呼ぶなんて恐れ多いです。身分が違いますし……」
「スー」
隣を歩くアルフォークが足を止めたので、スーリアも立ち止まった。アメジスト色の双眸はまっすぐにスーリアを見つめている。二人の頬を爽やかな風が撫でた。
「俺は確かに伯爵家の次男だ。だか、兄上がいるので爵位は継げない。つまり、スーの義兄になるスティフと同じだ。『アル』とは呼んでくれないだろうか?」
爵位を継げない貴族の子供は嫡男の居ない家庭の貴族令嬢の婿養子になるなどしない限り平民になることはスーリアも知っていた。正確に言うと義兄になるスティフもアルフォークも既に『魔法騎士』の称号を持つため、平民では無い。しかし、これは貴族とも少し異なる準貴族的な位置付けだ。
「わかりました。でも……すぐには難しいかもしれません」
「難しい?」
「だって、アルフォークさんは偉いですし、年上ですし、貴族ですし……」
「スー?」
「あ、アルは偉いし……」
それを聞いたアルフォークは満足げに口の端を持ち上げて微笑んだ。『やっぱり無理です』と喉まで出かかっていたはずの言葉はその笑顔を見た途端に引っ込んだ。代わりに自分の胸の鼓動がトクンと跳ねるのを感じて、スーリアは咄嗟に目を逸らした。
***
スーリアの花畑を訪れたアルフォークは今日も興味深げにその花々を眺めていた。時折花に手を添えたり、地面近くを覗きこんでいる。花畑の一画には前回は蕾だったナスタチウムが見頃を迎え、色とりどりに咲き誇っている。それを見たアルフォークはスーリアに話しかけてきた。
「この花は花言葉というものがあって、たしか『勝利』とかだったか?」
スーリアは初めて会った日に何気なくアルフォークに言った言葉をまだアルフォークが憶えていたことに驚いた。そして、そんな些細な事も憶えていてくれることをとても嬉しく感じた。
「そうです。あとは『愛国心』とか『困難に打ち勝つ』とか。でも、こちらの世界ではそういう意味があるかはわかりません」
「こちらの世界??」
アルフォークに聞き返され、スーリアはしまったと思った。ついつい無意識に話してしまった。アルフォークは怪訝な表情を浮かべている。
「あの――私、前世の記憶のようなものがあって……。花言葉はその時の世界で覚えたものです。前世の世界では国によって同じ花なのに花言葉が違ったりしたので、一概には言えませんが……。ルーデリア王国には花言葉は無いからおかしいですよね」
スーリアは女神シュウユに前世の記憶持ちだと言えばよいと言われたことを思い出し、おずおずとそうアルフォークに打ち明けた。歯切れが悪くなってしまうのはどうにもしようが無い。
前世の記憶持ちは全体としては少数派ではあるが、さほど珍しくもない。アルフォークはそういうことなのかとすぐに納得してくれた。
「そうなのか。スーの前世はどんなだったんだ? たしか、ルーに渡した花束の花は『女性への愛情』だったと記憶している。他の花にも花言葉はあるのか?」
スーリアはアルフォークが大して驚きもせずにスーリアの言葉を受け入れてくれたことがとても嬉しかった。なんだか『倉田恵』時代から含めて自分を受け入れてくれたような錯覚すら覚えた。だから、ついつい色々なことを話してしまった。
前世では花屋の娘だったとか、毎日学校に行っていたとか、魔法は無いけれど魔法のような事が出来る道具が色々とあったとか――。花言葉も花畑の花を一つ一つ指さしてアルフォークに教えていく。
黄色いガーベラは『究極美』、ハイビスカスは『繊細な美』、パンジーは色によって『記憶』『愛の想い』『あなたで頭がいっぱい』……他にも色々と説明した。
スーリアはチューリップのつぼみを指さした。明日か明後日には咲きそうなそれは、赤い色をしている。
「チューリップも色によって花言葉が違います。赤は『愛の告白』、黄色は『希の無い恋』、白は『失われた愛』です。」
「ずいぶんと色によって意味が違うな。まるで真逆だ。そのピンクは? スーの髪の色に似てる。」
アルフォークが指さしたのは薄いピンク色のチューリップの蕾だった。その淡い色合いがスーリアの髪の毛の色とよく似ているとアルフォークは言った。
「ピンクは確か、『愛の芽生え』だったと思います」
「なるほど。よく憶えておこう。花言葉は俺とスーの秘密の暗号だな」
アルフォークが笑う。とても優しく、そして美しい笑顔だ。スーリアは自分の胸に手を添えた。アルフォークが笑うたびに胸の音が煩い。
「綺麗だな」
アルフォークが一輪の花に手を添えた。スーリアは「そうですね」と短く答え、すっかりと赤くなった顔を隠すために俯いたのだった。
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