静かなる牽制

 スーリアは自宅に帰ると、すぐに農園で野菜の世話をしている父親のところに向かった。


「父さん」


 スーリアが呼びかけると、父親は土を耕す手を止めて日焼けした顔を上げた。


「お帰り、スーリア。今日もたくさん売れたかい?」

「ええ、とてもよく売れたわ。リジュが作ったうちのお芋を使ったパンを分けてもらったの。とてもおいしそうだから、おやつに食べましょうよ」

「うちのお芋を? それは楽しみだ」とベンは目尻に皺を寄せた。


  スーリアはチラリとレッドハットベーカリーから押してきた手押し車を見た。父親の機嫌がよさそうなことを確認して、本題を持ち出した。


「あの、父さん。お願いがあるのだけど……」

「お願い? 今度はなんだい?」

「猫を飼いたいの。とても可愛いのよ」


 スーリアはパタパタと走って台車のところまで行くと、先ほど連れて来たばかりのトラ猫のミアを抱き上げた。


「ほら、可愛いでしょ?」


 スーリアはおずおずと父親のベンを見上げる。ミアは長細い尻尾をクリンと振ると、ベンの方を向いて「ミャア」と一回鳴いた。まるで、ベンに向かって「はじめまして」と言ったように見えた。


「仕方がない。きちんとお世話するのだよ」

「ありがとう、父さん! 私、きちんとするわ。約束する!」


 スーリアはぱあっと顔を明るくすると、ミアを抱いたままベンの腕に抱きついた。スーリアに腕を引かれ、ベンは休憩がてら家へと戻っていった。



 ***



 アルフォークがスーリアの自宅を訪ねたとき、スーリアは不在だった。花畑に行ってもスーリアがいなかったので、アルフォークはきょろきょろと辺りを見渡しながら辺りを歩いてみた。花畑の周囲には広い畑が広がっている。


「こんなところで偉い騎士様がどうしたんだ?」


 アルフォークが落ち着いた低い声をかけられて振り返ると、後ろには片手にバケツを持った中年の農夫がいた。麦わら帽子をかぶっているが、顔は日に焼けて赤黒い。しかし、アルフォークを見つめるその薄緑の瞳はスーリアを彷彿とさせた。


「あんたはもしかしてうちのスーリアを助けてくれた騎士様かい?」

「ああ、そうだが……。俺は王都の魔法騎士団長をしているアルフォークだ」

「やっぱり」と言って農夫は顔をくしゃりと崩して笑った。「スーリアが話していた特徴によく似てたから。水色の髪で、えらい男前の騎士様だと聞いたんだ。私はスーリアの父親のベンと言います。あの時は娘を助けて頂きありがとうございました」


 ベンと名乗った農夫は麦わら帽子を取ると、アルフォークに頭を一回下げた。


「いや、それが俺の任務ゆえ礼には及ばない。ところで、スーリアはどこに?」

「スーリアなら、パン屋の手伝いに行ってますよ。もうそろそろ戻るとは思います」


 ベンは申し訳無さそうに眉尻を下げた。それを聞いたアルフォークは先日スーリアがパン屋の手伝いを始めると言っていた事を思い出した。場所は確か……


「坂を下りたところにあるレッドハットベーカリー?」

「そうです。花を軒先で売って貰ってるんですよ」


 ベンはアルフォークに頷いて見せた。


「近いか?」

「歩いて十分くらいかな」

「なら、馬ですぐだな。見に行ってみる」


 そこまで言って、アルフォークはふと思い付いてベンに尋ねた。


「スーリアの育てる花はとても花保ちがよいが、昔からああなのか?」

「いえ。実はスーリアが花を育て始めたのがここ最近でして。よくわかりません。育て始めたらああなって、私も驚いています」


 ベンは首を横に傾げた。その話は部下のスティフやスーリア本人から聞いた話と一致する。


「ベン殿が育てた野菜も保ちがよいのか?」

「そんなことは無いですね。でも、スーリアが育てると野菜が育つのも早いです。ほら、あそこ。あの一画だけ野菜の苗がしっかり育っているでしょう? でも、花の保ちがいいからなかなか実にならないのが悩みですね」


 ベンは苦笑しながら少し離れた畑の一画を指さした。確かに、そこだけまわりの畑に比べて作物の背が高い。


「そうか。ありがとう」


 アルフォークはベンに礼を言うと、自身の乗ってきた馬に素早く跨がった。


 レッドハットベーカリーはその名の通り赤い三角屋根が目印のパン屋で、店を知らなかったアルフォークでもすぐに見つける事が出来た。

 店の軒先には空のバケツが幾つか置いてあり、馬を降りて店の中を覗くと、エプロン姿のスーリアがいるのが見えた。今日は髪の毛を頭の斜め下で一つのお団子にしている。スーリアは、笑顔で白色のコック帽を被った若い男と話していた。アルフォークは少し迷ったが、中に入る事にした。


「いらっしゃいませ――あら、アルフォークさん!」


 アルフォークを認識した途端、スーリアの表情はパッと明るくなった。アルフォークはその様子を見て口の端を持ち上げた。


「スーリアに会いに行ったら父上殿にここだと言われたんだ。今日はまだ店番か?」

「いえ。ちょうど終わるところです。今日も花を見たいのですか?」

「ああ。出来れば頼む」

「喜んで。すぐに帰る準備をします」


 スーリアはそれを聞いて慌てたように外にバケツを片付けに行こうとした。それを庇うように、隣に居る今さっきまでスーリアと歓談していた茶色いくせ毛の男がスーリアの前に立つ。


「リア、知り合いか?」

「うん。私を助けてくれた魔法騎士の団長閣下だよ」

「へえ。こいつがお世話になりました。でも、団長閣下がうちのリアに何のようですか?」


 くせ毛の男は上から下まで怪訝な顔をしてアルフォークを眺めた。スーリアは慌てたようにそのくせ毛の男と腕を引いた。


「リジュ! 団長閣下に失礼だよ。団長閣下は花が好きなの。私の花畑を時々見に来てくれるのよ」

「花を? わざわざリアの花畑まで? 王宮に幾らでも庭園があるだろ。専門の庭師もいるし」


 リジュと呼ばれたくせ毛の男は不機嫌そうに眉を寄せた。


「スーリアの花畑の花は花保ちがよい上に季節はずれの花も良く咲く。それでよく見せて貰っているんだ。今日はもう仕事が終わっているならスーリアを借りても?」


 アルフォークはにっこりと微笑むと努めて丁寧な物腰でリジュと呼ばれた男に話しかけた。アルフォークはなまじ整った顔のため、美しく微笑むと妙に凄みが増す。リジュルは怯んだように口をへの字に曲げた。


「……まあ、花畑を見るだけなら」


 そして、スーリアを見下ろすと店の軒先を顎でさした。


「リア、また何個か包んでやるからその間にあそこのバケツ片付けてこいよ」

「うん! リジュ、いつもありがとう!!」


 ぶっきらぼうな態度なくせ毛の男に、スーリアは嬉しそうに微笑んだ。

 

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