子猫のミア
スーリアの自宅は小高い丘の上にある。あたり一帯は父の管理する農園で、色々な作物が植えられている。
スーリアは朝早くから摘んだ切り花を台車に乗せると、それを押しながら丘を下っていった。五分も歩けば道の両脇には商店が広がり始め、ちょうど十分ほど歩いたところで目的の建物の赤い屋根が見えてきた。風見鶏が屋根の上でクルクルと回っている。
「おはようございます」
「おはよう、リアちゃん」
鈴のついた扉をカランコロンと鳴らしながら開けると、女将さんは焼き上がったばかりのパンを商品棚に並べ初めていた。三角巾を頭に巻いた女将さんはスーリアを見上げてにこりと微笑んだ。パンのいい匂いがふわりと鼻腔をくすぐる。
「よう、リア」
「おはよう、リジュ」
スーリアが来たことに気付いた幼なじみのリジェルが奥からひょこりと顔を出した。リジェルは茶色い癖毛を一つにまとめて白いコック帽を被っている。パンの準備をしていたようだ。
「今日のもとっても美味しそうね」
「まあな。今日のあれは俺が作ったんだぜ?」
リジェルは女将さんが並べたお芋のパンを指さした。カットした甘いお芋がふわふわのパンに混ぜ込まれて焼き上げられている。
「まあ、そうなの? 凄いわ、リジュ!」
スーリアはパンを見て感嘆の声を上げた。スーリアは倉田恵時代も含めてあまり料理をしない。こういうものを作れる人が純粋に凄いと思った。家でも料理は母のマリアと姉のメリノの役目で、スーリアはもっぱら皿洗いだ。スーリアに褒められて、リジェルは得意げに口の端を持ち上げた。
「そうだろ? その芋、リアのところのだぞ。間違いなくうまいな」
「うちの? ありがとう、使ってくれているのね! 今日のお昼に頂こうかしら。沢山食べられそうだわ」
パンからはお芋の黄色い
「リア、頬が緩みきってる。おまえ本当に食いしん坊だな。帰りに持って帰れるように幾つか用意してやるよ」
リジェルはスーリアの顔を見て呆れたように笑った。スーリアは慌てて頬を両手で包みこんだ。気付かないうちに締まりのない顔をしていたようだ。気恥ずかしさから頬が熱を持つのを感じた。
「私、花を並べてくるわ」
「手伝ってやるよ」
「ううん、大丈夫! リジュはパン作りがあるでしょ?」
スーリアは片手を振って外に出ると、店の前に花の入ったバケツを並べはじめた。元々趣味で育て始めた花なので、価格はかなり控え目に設定してある。おそらく、それがスーリア花が売れる最大の理由だろう。日本にいたときも店で毎日のように目にしたトルコキキョウにガーベラやカーネーション、アスター……この世界でも花は同じなのだ。
「よし、できた!」
全部並べ終えたスーリアは満足げに頷いた。スーリアの花が並んだレッドハットベーカリーはまるで花の中のパン屋さんのように可愛らしく見えた。
スーリアはその日、パン屋の売り子を三時間ほど手伝った。パンも花も売れ行きは今日も好調で、スーリアが売り子をしているうちにほとんど全部売れた。帰り支度をしようと店の外のバケツを片付けに行ったスーリアは、ふと視界の端に動く物を見つけて足を止めた。
レッドハットベーカリーの正面にはスーリアの実家の野菜をよく卸す青果店がある。その店の前には果物が乗った手押しワゴンが停められていた。スーリアはワゴンの下をのぞき込むようにしゃがみ込んだ。目を凝らすと、もぞもぞと動く毛玉が見える。
「猫だわ! 猫ちゃん、おいで!」
ワゴンの下には茶色い猫がいた。縞々模様がついた、トラ猫だ。まだ子猫のようで、毛はふわふわのうぶ毛で体つきも小さい。スーリアが手を伸ばしてチチッと舌を鳴らすと、猫はおずおずとワゴンの下から抜け出してきた。そっと触るとふわりと触り心地がよい。
「可愛いわ。お前はどこかの飼い猫かしら?」
スーリアは子猫に尋ねたが、子猫は答える代わりに首をかしげてみせた。
「リア、どうしたんだ?」
店の外で座り込むスーリアに気付いたリジェルが外まで様子を見に来た。
「あ、リジュ。見て、子猫がいたの。可愛いわ。この辺のおうちの飼い猫かしら?」
「猫? さあ、聞かないな。首輪がないし、捨て猫じゃないか?」
リジェルもスーリアの前でちょこんと座る子猫を見て首を傾げた。スーリアとリジェルを見比べて、ミャア、ミャアと子猫が鳴く。
「『ミャア』って鳴くのが、『ミア』に聞こえるわ。この子、ミアって名前にしようかしら?」
「リア、飼うのか?」
「捨て猫なら、飼いたいわ。連れて帰って飼っていいか聞いてみる」
スーリアは行きに花を乗せてきた手押し車にミアを乗せた。ミアは大人しくちょこんと手押し車に乗って澄ましている。真っ直ぐに前方を向いて座っている様が何とも可愛らしい。その後ろ姿を見て頬を緩めながら、スーリアはご機嫌で自宅へと帰宅したのだった。
***
アルフォークとルーエンとエクリードは今日も魔術研究所の一画で花を囲んでいた。
「どうぞ」
「ありがとう」
お茶を差し出す侍女がチラチラッと意味ありげな視線をよこすのに気づき、アルフォークは怪訝な顔をして侍女を見返した。侍女はパッと頬を赤らめてそそくさとその場から立ち去ってゆく。離れた位置から別の侍女とこちらをみながらこそこそと何かを囁き合っていた。
「?? なんだ……?」
「さぁ? 別に何でもいいんじゃない?」
ルーエンは呑気な調子で出されたお茶を一口飲んだ。エクリードは昨日アルフォークが貰ってきたばかりの花を眺めて真剣な顔をしながら花びらを一枚一枚外し、裏表を確認して並べている。
「殿下。それ、恋する乙女がやるやつ」
ルーエンがにこにこしながら指摘すると、エクリードはバツの悪そうな顔をしてドサリと背もたれにもたれ掛かった。
「花びらの奥に魔方陣が隠れているかも知れないと思ったのだ」
「ありましたか?」
「ない」
アルフォークの問いかけに、エクリードは憮然とした表情を浮かべた。どこをどう調べても普通の花だという。
「スーリアちゃんの花畑を見に行ったときに地中に魔法陣敷かれているかもしれないと思って一応調べたんだ。何もなかったし、普通の土だね」
ルーエンはそう言うとエクリードの並べた花びらを一枚拾って手でなぞり、またテーブルに置いた。アルフォークはルーエンに説明を促した。
「ルー。それで、何か調べてわかったか?」
「まあね。ちょっと見てて」
ルーエンは同じ種類の花を何輪か選んでテーブルに並べた。そのうちの一輪を摘まみ上げると、炎系の攻撃魔法をかけた。バチンという音がして防御壁が出来上がり、攻撃魔法がはじけ飛ぶ。攻撃魔法は花には届かず、花は美しまま咲いていた。
「やはり防御壁が出来るな」
アルフォークはしげしげと花を眺めた。何ごとも無かったように、花には傷一つ無い。
「そう。次はこれ」
ルーエンは次は花に向かって雷系の攻撃魔法をかけた。結果は同じで、防御壁により阻まれた攻撃魔法は花には届かず、花は美しく咲いている。
「ちょっと俺にもやらせてくれ」
今度はアルフォークが得意の氷系と水系の攻撃魔法をかけたが、やはり結果は同じだった。全ての属性の攻撃魔法を順番に試してゆき、最後に国一番の聖魔法の使い手であるエクリードが聖属性の攻撃をかけた。しかし、それは防御壁すら出来ずにかき消えた。
「どうなっている?」
エクリードは眉間に皺を寄せた。エクリードは攻撃魔法が一切効かない花など初めて見たし、一度も聞いたことも無かった。
「最後に、僕が魔獣がつかう闇属性魔術で攻撃するよ。見てて」
ルーエンが花を一輪摘まみ上げ、闇属性の攻撃魔法をかけた。バチンという音がして、防御壁が出来るところまでは同じ。ただ、花は先日と同様に灰になっていた。
「灰になったな」
アルフォークはばらばらの灰になった花を見て腕を組んだ。
「そう。闇属性の魔法の時だけ灰になる。つまり、この花は闇属性の魔法と力を打ち消し合っているんじゃないかと思うんだ。花自体に聖属性の加護のような力がある」
「聖属性の加護……」とアルフォークは呟く。
もしそれが本当であれば、間違いなく世紀の大発見だ。この花の秘密が知りたい。そのためにも、もう一度スーリアに会いに行こう。そう考えながら、アルフォークは自分でも気付かないうちに口の端を持ち上げた。
「ところでアル。例の小説の続きがもうすぐが出るみたいだよ。今予告が出てるんだって」
「何?」
アルフォークは一転してとても嫌な予感がするのを感じた。
「なんでも主役の近衛騎士の恋人に彼が仕える王子が加わるらしいよ。男三人の三角関係」
アルフォークとエクリードが同時に盛大に紅茶を噴き出した。
「何で! ルー! ちゃんとマニエルのところに行ったんだろうな!?」
「もちろん。スーリアちゃんの花をすごく喜んでたよ。それに、その小説の話はマニエルに聞いたんだもん」
あっけらかんとした様子の幼馴染の様子に、アルフォークは頭を抱えた。そして、ようやく侍女の意味ありげな視線の理由に気付いたのだった。
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