スーリアとしての日常

 スーリアは朝、目を覚ますとベッドの上で一回伸びをした。片手ずつ順番に握ったり開いたりを繰り返す。問題なく動くことを確認してほっとした。

 毎日確認して既に大丈夫だとわかってはいても、何となく確認してしまう。ベッド脇のカーテンを開けて外の様子をうかがうと、今日も良く晴れていた。


 あの不思議な体験をしてから既に二週間が過ぎた。予想通りあの三人は自分の家族で、恵はスーリアという名前の少女の身体に入り込んでいる。最初こそ自分が死んだなどという事実が到底受け入れられずに恵はずっと落ち込んでいたが、落ち込んでいてもどうしようもないことは段々と理解してきた。ならば、与えられた第二の人生をできるだけ良いものにしたいという気持ちも次第に芽生えてきた。


 スーリアは二週間前のあの日、森へ野いちごを摘みに一人で森に出掛けた。森の野いちごでつくるジャムはスーリアとスーリアの家族にとって毎朝の食事に欠かせない定番だった。そろそろ新しいジャムを作ろうかと思い、材料となる野いちごを一人で摘みに行ったのだ。

 野いちご摘みに夢中になっていると、運悪くスーリアの近くで空間の歪みが発生した。そして、こちらの世界に迷い込んだスネークキメラに襲われたのだ。


 空間の歪みは常に王国の聖魔術師達によりその発生を監視されており、発見次第、聖魔術師達が駆けつけて空間の歪みを正す『浄化』が行われる。放っておくと裏の世界から魔獣が入り込んだり、逆にこちらから向こうに迷いこむ危険があるからだ。そして、歪みが発生した場所は裏の世界の危険生物が迷い込む可能性があるため、必ず浄化には魔法騎士団が同行する。

 その日も歪みが発生したことを感知した聖魔術師により警報がだされ、スーリアは急行した魔法騎士団に倒れているところを発見された。彼らに連れられて自宅に戻ってきたのは変わり果てた姿のスーリアだった。


 スーリアはあの場ですぐに聖魔術師による魔法の治癒を受けた。一見すると外傷は癒えていたが、それでも瀕死の大怪我をしたのだから助かるかどうかは本人の生命力による。家族の懸命な呼びかけにも目覚める気配はなく、ついに事切れた。

 家族は悲しみに暮れてスーリアの亡骸に花を添えて最期のお別れをしていた。しかし、ちょうどその時に恵の魂がスーリアの身体に入れられて、死んだと思ったスーリアが再び目覚めたということらしい。


 スーリアはベットから起き上がるともぞもぞと着替えをして階段を下りた。体中に痛みを感じていたのもその日だけで、翌日にはすっかり元気になり声も問題なく出せるようになった。きっとスーリアの身体に恵の魂がしっかりと馴染んだのだろう。

 幸い、スーリアの記憶はあのときに全てこちらに取り込まれたので人の名前や物の場所なども問題なくわかる。多少、性格や仕草など元のスーリアと違うところがあるようだが、家族は恐ろしい目にあったショックで一時的に混乱しているのだろうと暖かく見守ってくれている。


 洗面台で顔を洗って鏡をみると、鏡には以前の恵とは似ても似つかない姿が映っていてる。

 薄いピンクの緩いウェーブがかかったロングヘアに長いまつ毛に縁どられたぱっちりとした大きな薄緑色の瞳。鼻梁はすっきりと通っており肌は透き通るように白い。何日か経ってもこれにはちっとも慣れない。これまでの『倉田恵』時代には一度も出会ったことがないような色彩を纏った美少女だ。

 平凡な見た目だった恵にはスーリアの見た目はとても新鮮だ。なんだかお洒落をするのが楽しくて、スーリアはピンクの髪を器用に三つ編みにして、最後にくるりと巻いてお団子に結い上げると階段を下りた。


「父さん、母さん、おはよう」


 スーリアはダイニングテーブルへ向かい、朝食をとる準備をしていた両親に朝の挨拶をした。

 本当は自分はスーリアではないけれど、この状況でそんなことを言い出してもどうにもならないことくらい理解しているし、自分はこの世界では間違いなく『スーリア』なのだ。続いて姉の姿も見つけて朝の挨拶を交わした。


「スーリアはすっかり元気になったわね。本当によかったわ」


 母親のマリアが安心したようにスーリアとおなじ薄緑色の瞳を細めて微笑む。マリアはスーリアと同様に薄ピンク色の髪をしているが、ウェーブはかかっておらずストレートだ。四十二歳と『倉田恵』のときの母親よりはだいぶ若い。スーリアから受け継いだ記憶によれば、ルーデリア王国の女性の初婚年齢は日本よりもだいぶ早そうだ。


「スーリア、今日は何をするんだい?」


 父親のベンがミルクコーヒーを口にしながら聞いてきたので、スーリアはちょっと考えてから返事をした。


「そうね―――午前中に花の世話をしてから父さんの農作業を手伝うわ。農園の脇に植えた花が今日にも咲きそうなの。こんなに早く育つなんて、育てがいがあるとおもわない?」


 スーリアの返事を聞いた父親は楽しそうに目を細めた。


「スーリアが育てる植物はすぐ大きくなるな」


 こちらに来て、体が動くようになったスーリアはすぐに花の世話を始めた。女神であるシュウユは花でも育てろと言っていたし、スーリア自身も『倉田恵』時代から花が好きだったからだ。

 農園を営んでいる父親から土地の一画を借り受けて、父親に用意してもらった種をまいたり苗を植えたりした。不思議なことにスーリアがこちらの世界で育てる植物はどれもとても成長が早い。リアちゃんから受け継いだ記憶から判断しても、驚くほどのスピードだ。


 朝食を終えたスーリアは早速花の世話の準備に取り掛かった。家から外に出てじょうろに水を汲み、スーリア専用に貰った花畑に水を撒いていく。案の定、十日ほど前に植えたばかりのガーベラはそろそろ花を咲かせようとしていた。可愛らしいガーベラのピンク色はスーリアの髪の色に似ている。水をあげながら、スーリアは口の端を持ち上げた。地面に生えた雑草は抜いて、育てている草花に害虫がついていないか入念にチェックしてゆく。

 恵がスーリアになった時には土が剥き出しだった農園の一画が今や緑の園になり、沢山の花の蕾が付いていた。


「父さん、花の世話が終わったから手伝うわ」


 一通りの花の世話を終えたスーリアは農園で作物に水やりをしているベンに声をかけた。声をかけられたことに気付いたベンは被っていた帽子のつばを少し持ち上げてスーリアをみた。


「暑いからきちんと帽子を被るんだよ、スーリア。見てごらん。お前が手伝ってくれた場所だけこんなに大きくなった」


 父親は近くに生えていた茄子の低木を指さすと、白い歯を見せて子供のようににかっと笑った。指さされた低木のあたりをみると、確かに他の場所に植えられている同じ野菜の苗よりも二まわり位育っている。スーリアは少しずり落ちていた帽子をきちんと被り直し、ベンの元に走り寄った。


「私が世話すると花も野菜も大きく育つわ。『早く立派に育ってね』って魔法をかけながら世話してるもの」とスーリアはベンを見上げると得意気に胸を張った。


 この世界には魔法がある。元の世界では科学技術を使って実現したような事を、魔法で行うのだ。

 例えば、風をおこしたり、気温を下げたり、火をおこしたり。お医者様も普通のお医者さんと魔法使いのお医者さんがいる。でも、魔法使いのお医者さんに庶民が掛かることはまず無い。スーリアもスネークキメラに襲われた日が初めてだった。スーリアは見たことがないけれど、凄腕の魔術師は瞬間移動を行う『転移の術』すら出来るという。

 でも、全員が自由自在に魔法を使えるわけではない。大抵の人達は魔力が低く、魔力の籠もった小道具をお店で購入してそれを使う。例えば、食事の時の火をおこす時に母親は炎の魔力が込められた指輪をして作業をするし、髪を乾かしたい時は風の魔力が込められたブレスレットをする。魔力を込めた魔法石を組み込む小道具は何でもよいらしく、作る人と買う人の趣味によるようだ。


 スーリアの一家も例に漏れず魔力が殆どなく、普段から魔力の籠もった小道具を買って利用していた。そして、リアちゃん時代には少しはあった魔力が、恵が身体に入ったことにより全く無くなった。これは魔法に少なからず憧れを持っていたスーリアめぐにとっては残念としか言いようがない。


「そうだな。親孝行で優しいスーリアが酷い目にあったから、女神様が可哀想に思っておまえに魔法の力を与えて下さったのかもしれない」


 ベンは目を細めると、スーリアの頭を帽子の上から優しく撫でた。

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