二人の少女の死
ルーデリア王国の若き魔法騎士団長であるアルフォークは森の中、自身の率いる王都の魔法騎士団を連れて馬を進めていた。奥に進むにつれて木々はますます鬱蒼と繁り、あたりは薄暗くなる。時折、木々の合間をすり抜ける小動物が立てたカサカサという音と鳥や獣の鳴き声、そして魔法騎士団の馬の蹄の音だけが辺りに響きわたっていた。
「エクリード殿下、どちらの方向でしょうか?」
「北北東にあと一キロほど」
「承知致しました。急ぎましょう」
アルフォークは頷くと馬の手綱を引き、先を急いだ。足場の悪い獣道は馬に向かない。途中からは馬を置いて徒歩で進むことにした。更に進み目的地に近づくと、突如激しい物音と地に響くような雄叫びが聞こえてアルフォークは腰にさげた剣を咄嗟に握り締めた。
「魔獣がいるぞ! スネークキメラだ」
先行した部下の騎士が叫ぶ。生い茂る木々で
スネークキメラは三つ叉の蛇の頭と毛むくじゃらの獣の体を持つ魔獣だ。裏の世界から来て時間が経っておらず興奮状態なのか、アルフォーク達を見ると突然襲いかかってきた。
「来るぞ! 構えろ!!」
アルフォークの指示を聞いた部下達が剣や弓矢を構えるのと同時に攻撃の呪文の詠唱を始める。スネークキメラを取り囲む騎士たちの魔力を帯びた弓矢は光を発し、輝きを発して
「仕留めたか!?」
アルフォークは光る中心部へと目を凝らした。部下の一人は確認のため近づき、怪訝な顔をして振り返った。
「いません」
「なに??」
アルフォークは眉を寄せた。確かに先ほどまでスネークキメラが居た場所は、今は光が消えて何事もなかったような平常通りの状態になっていた。草が風に揺れ、小さな花が咲いている。辺りを見渡してもどこにもスネークキメラの姿はない。
「どういうことだ?」
その騎士はきょろきょろとまわりを探す。魔法騎士団の他の団員も手分けして探し始めた。その時、一人の騎士が視界の端に違和感のあるものを見つけて息を飲んだ。
「女の子がいるぞ!」
「なんだと?」
アルフォークはすぐにそちらに駆け寄った。草むらの中には一人の少女が倒れていた。全身がすり傷や切り傷で傷付いて血にまみれており、肌は土で薄汚れている。傍らには野いちごを摘んだ籠が落ちており、こぼれ落ちた野いちごが赤い水玉模様を作り出すように散らばっていた。
「これは……」
──これは、もう駄目かもしれない。
そう言いかけて、アルフォークは口を噤んだ。
「俺が治療してやる。アル、どけ」
騒ぎを聞きつけ、同行した聖魔術師でもあるエクリード第二王子殿下がアルフォークの肩を押して前に出た。エクリードが手をかざすと、少女を鈍い光が包み込んだ。
「治癒は出来たが……この子は早めに家に帰した方がいい」
エクリードの言葉にアルフォークは無言で頷いた。魔法による治療を施し、一見すれば少女は無傷になっている。しかし、魔法による治癒で傷を癒しても本人の生命力がもたなければそれまでだ。
治癒を終えたエクリードは辺りをぐるりと見渡して眉をひそめた。
「アル、妙だ」
「妙とは?」
ぐったりとした少女を抱き上げたアルフォークはエクリードに問いかけた。
「まだ浄化してないのに空間の歪みが正されている。先ほどのスネークキメラは恐らく裏の世界に戻ったんだ」
「歪みが正されている?」
アルフォークも眉をひそめた。空間の歪みが発生して裏の世界につながった場合、その歪みは聖魔術師が浄化して正す。その浄化をしていないのに空間の歪みが一瞬で正されるなどこれまでない現象だ。
「スーリア! なんでこんな所に!!」
その時、部下の一人のスティフが取り乱して少女に駆け寄ってきて、アルフォークは顔を向けた。
「スティフ、知り合いか?」
「私の婚約者の妹です」
「そうか……。連れて帰ってやろう」
アルフォークは自分の腕の中でぐったりとして意識を無くしたままの少女を見つめた。その体はひどく冷え切っており、命の灯火が消えつつあるのは明らかだ。
「いま連れて帰ってやるから、頑張ってくれよ」
少女は目を閉じたまま身動き一つしない。アルフォークはその少女の小さな体を抱き上げたまま、馬を残した場所へと足早に向かった。
***
同日同時刻、日本。
一人の少女が花屋の軒先で花の世話をしていた。
鉢に植えられた花に順番に水をやると葉っぱに残った水滴が太陽を浴びてキラリと光る。ピンク色のシクラメンは頭を下にして美しく咲き乱れていて、その少女──
恵は十七歳の高校二年生。地方都市の郊外にある自宅は、昔ながらの商店街で花屋を営んでいる。祖父の代にここに花屋を開店し、恵にとっては幼いころからの馴染み客が花を買いに求めに来ることが多い。
三人姉妹の長女である恵は花が大好きで、放課後は両親の手伝いで店先に立つ事が多かった。ゆくゆくはこの店を継げたら良いな、と勝手に思っている。
「恵ちゃん、今日もお手伝い偉いわねぇ」
水やりを終えて店の前でほうき掛けをしていると、近所のおばあちゃんが話し掛けてきた。恵はほうき掛けを一旦やめて、ほうきを持ったままで軽く会釈する。こんなふうに近所のお馴染みさんに誉めて貰えることも実は恵の密かな楽しみでもあった。
歳の離れた妹が二人いる恵は、何かにつけて「お姉ちゃんなんだから」と言われ続けて育ってきた。両親に誉めてもらえることがあまりなかった恵にとって、近所の人達からのほめ言葉はむず痒くも嬉しいものである。
恵はそのおばあちゃんと二、三言会話を交わしてからもう一度会釈して、またほうきを掛け始めた。冷たい風がピリリと頬を撫でる。ほうっと白い息を吐いてから、ちりとりを取りに店の中に入ると母親に声をかけられた。
「めぐー、これを車に運んでおいてくれる?」
恵は母親の声が聞こえた方向に顔を向けた。そこには新装開店用の豪華な装花が二台置いてあり、どこかにこれから車で届けに行くようだ。
「うん。わかった」
恵は持っていたほうきを店の軒先にぽんと置く。ちりとりは後にして先に頼まれ事を終わらせようと、豪華な装花の一つを持ち上げた。
装花はかなり大きく、身長が百五十センチちょっとしかない小柄な恵は視界が微妙に遮られた。水をたっぷりと含んだオアシスの重みで足もとがふらつく。
転んでせっかくの装花を崩しては大変だ。商用車は車道の向こうの公共月極駐車場に停められている。
恵は転ばないように、足下に気をつけながらそろりそろりと足を進めた。完全に足下に気とられたその時、悲劇はおこった。
視界の端に勢いよく近づいてくるワンボックスカーが映ったと思った次の瞬間、キキキーというブレーキの音。ドンッという衝撃と共に恵の体は空中に浮き上がった。身体に走る鋭い痛み。
恵は空中を漂いながら、散らばる花が雨のように降り注ぐのを見た気がした。
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