第14話 悪くない

 「私の事が心配だから泊まっていく、という友達を、大丈夫だからと説得し、私は部屋にあなたと二人きりになることに成功しました。時々うなされるあなたを眺めながらどういう風にしたらいいか考えていました。あなたはこのまま二度と目を覚さないのでは、と思ってしまう程、よく眠ってました。

 私はあなたが目を覚ましたら何か口実を付けて部屋の鍵を渡すことを思いつきました。鍵を渡しておけばあなたは返しにくる。また会う機会ができる。慌てた振りをして『お店に返しに来て』といったのは、この鍵が大切なものである事を印象づける為。私はあなたに店の場所も名前も告げてないのだから当然この部屋に再び来て返しにこなければならない。その時は、お礼がてら部屋にあげてお茶でも出してあなたに言い寄ろう、そんな作戦でした。あなたが鍵を返しに来ない可能性もあったけど、それならばそれでもいい。どおせ引っ越す家なんだから、私が引っ越せば、あとは管理会社が鍵を交換するだろう、そう考えてました。

 私の思惑とは裏腹にあなたは私の部屋で眠ってました。それも悪魔にでも呪われたように魘されていました。私があなたを起こすとあなたは申し訳なさそうに鍵を返してそそくさと帰ろうとするから、慌てて居酒屋に誘ったの。予定変更。酔い潰れた振りをして介抱させてその勢いであなたと肉体関係を結ぶ。そしてあなたは好きな時にやれる都合の良い女を手に入れる。私はあなたとの行為を盗撮して堂本に送り付けてやろうか、あるいはあなたのスタジオ練習に付いて行き、『あたしの新しい彼氏だけど何か?』とでも言ってやろうか、いろんな事を考えました。(実際に一度だけあなたとの行為を録音した事があります。もう消しちゃたけど。今となったらあなたとの思い出にとっておけばよかった。なんてね)

 とにかく、私はあなたと肉体関係を結ぶ必要がある。それだけは確かなことでした。でも、私は八年もの間ひとりの男しか知らないの。昨日今日会った男性をどう口説けばいいか全く分かりませんでした。あの居酒屋であなたと飲んで酔った振りをする。上手くできずに本当に酔い潰れてしまいました。でも、あなたは私を部屋まで送るといった。来た! そう思いました。部屋に上がり、お泊りを了承して、それでもあなたは手を出してこない。私に魅力がないのかな、少し落ち込んでそのまま本当に眠ってしまいました。

 朝、目を覚ますとあなたは一晩中起きていたようでした。私の本棚から『シーシュポスの神話』を取り出して読んで『面白いね』なんて呑気なことをいう。こっちの気持ちも知らないで。

 私はあなたを呼び寄せて半ば強引に行為に及ぶ。そうやってようやくあなたと肉体関係を結ぶことができました。馬鹿な男。やりたいんなら最初からやればいいのに。紳士ぶっちゃってさ。あかねさんとの事を知らない私は当時そう思ったことを覚えています。

 あなたはそれから私の部屋にちょこちょこ来るようになりました。脈ありか。私の新しい彼氏作戦がいいかな、いや、やっぱり動画がいいか、内心ほくそ笑んでいました。今にして思えば、あかねさんとの後悔から私を心配し優しくしていてくれてたんだ、と理解してますが、あの頃は当たり前だけどそんな考えには及びませんでした。

 でも会う回数が週に一度から二度、二度から三度と増えていく度に私はあなたが部屋に来るのを楽しみにしている自分に気が付きました。一緒に映画を借りに行ったり、居酒屋に飲みに行ったり、お料理を作ってくれたり。料理が本当に上手なのには驚いたし、お世辞抜きに、本当に美味しかった。今でも、あなたのほうれん草のサラダとキムチとベーコンのクリームパスタがすぐに食べたいくらい。

 ある時、レンタルショップで『たまにはあなたの見たい映画を選んでいいのよ?』って言ったの覚えてる? あの時あなたは、無い、って答えたの。私と見る映画は楽しいけど、今まで一人で見ようと思ったことがないし、多分これからも無いって言ってたわ。『自分の人生が他人の人生に侵食されていく感じが苦手だ』って。あなたたまに哲学者みたいなこと言うよね。ほんと、面白い。

 その時、私は『ああ、このひと空っぽなんだ』って思いました。悪い意味じゃなく。空っぽだから私の我をどんどん受け入れてくれる。凄く楽。癒される。何時も受身だけど、それは何もしないというわけじゃなくて必要と感じたら必要なことを必要なだけしてくれる。あなたが我を通してくることなんて一度もなかったし、私は安心して私を私ごとあなたに預けられる、そんな感覚が愛おしかった。何よりもあなたは優しい。

 私がCDを隠しておいた「バンディッツ」て映画のサントラね。あの映画、実は堂本から教えてもらったの。あいつのお気に入りでね、私も気に入って何回も見たの。私と堂本の付き合いの象徴みたいな感じ、私にとってはね。

 もし、あなたと一緒に「バンディッツ」を見て、堂本を思い出すことがなければ、私は人生を完全に更新できる、その確信が欲しかったの。試すようで後ろめたかったけど。でも、私の決意を知らないあなたは先輩と飲みに出かけてしまう。私はね、本当は少しも腹が立たなかった。それならそれで仕方ないけど、あなたにこの部屋へ帰ってきて欲しかった。だから、鍵を渡したの。一緒に「バンディッツ」を見る。そんな儀式めいたことなんて始めから必要なかった。ただ失った八年間の喪失を埋めるためにドラマティックにしたかっただけ。

 このひととなら、答えは出ていました。

 あなたと過ごす時間のなかで私は復讐のことなんてすっかり忘れていました。ああ、このままずっとあなたと一緒に居たい。沢山映画を見て、楽しくお酒を飲んで、ほうれん草のサラダを食べて、穏やかな時間をあなたと過ごし続けられたならどんなに良いか。

 でも、私も気づいてしまいました。

 辻褄が合わない。

 私とあなたの出会いが初めましてじゃなかったよね。

 何故嘘を吐いたのか。

 そう問われた時弁明の言葉も思いつきませんでした。

 あなたが堂本とバンドをしている限り、露見してしまうリスクは常にある。私もずっとバンドマンの彼女をしていたから分かるけど、ライブのチケットノルマは本当に大変なの。あなたにライブに誘われる日もいつか来るだろうし、それを理由をつけて断り続けるのにも無理がある。ライブに行けば他人の振りも出来ないし、あなたがエゴサーティのメンバーと知らなかったという嘘も通用しない。あのライブの日、リュウジ君には声を掛けてたから。頑張ってね、と。もし、あなたと私の事がバレてしまったらあなたはせっかく手に入れた今の居場所をきっと失ってしまう。堂本はね、自分は浮気性なくせして、異様な程嫉妬深いの。

 いずれにせよあなたに嘘を吐いたという事実はきちんと存在していて、その事実を誤魔化そうとまた嘘をかさねる行為があなたに対してはそぐわない、そう思いました。誠実な人を騙す。まともな人間ならやはり痛みを感じます。私は嫉妬、それから怒りのあまりまともな人間であることを損なっていた。あなたの優しさが私をまともに戻してくれた時、私は私のしようとしてたこと、それから嘘に苦しめられた。

 嘘さえなければ。私は何度もそう思いました。でも、あなたとの関係はその嘘から築きあげられたことも事実。皮肉なものですね、どんなに私がそれを望んでいなかったとしても、あなたとの関係は終わりを迎えることを前提にして始まってしまったの。あなたの言う些細な悪意の話、些細な悪意が思わぬ形で人生に影響を及ぼす、今の私にはよく分かります。ほんと、あなたって、哲学者みたいなことをいう。凄いね。

 最後にもうひとつ言わせてください。

 あかねさんとの事、あなたは悪くないと思います。だってそうじゃない? あなたに悪意があったにせよ、誰だってそんな事で自殺するなんて思わないじゃない。もっと言うよ? かつて自分の事を好きだったことを利用してお金を集りに来てさ、自分勝手な約束を一方的に押し付けてさ、それで自分の思い通りにならなかったから怒るなんて、あまりに自分勝手過ぎると思う。考えてみて? それで自分の命を奪うだけならまだしも自分の子供にまで手をかけてるんだよ? 私はあり得ないと思う。

 なんでそんな自分勝手なひとの為にたかお君が苦しまなければならないの?

 あなたは優しいからそれでもなお苦しみを抱えるのかもしれない。でも、覚えておいて。あなたがどれ程あなた自身を責め、自分を悪だと思っても、それを全否定する人間がこの世界に少なくとも一人はいるってことを。

 あなたは、悪くない。

 自分の幸せだけを求めて。

 ありがとう。さようなら。


 みどり」

 






 

 

 



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