第7話 ありえないもの

 「じゃあね、行ってくる」


 みどりは玄関先で振り向いていった。日曜日なのに仕事とは改めてアパレル関係の大変さを想う。


「いってらっしゃい。今日は僕がご飯作っておくね。何がいい?」


「パスタ! パスタパスタパスタ! あとほうれん草のサラダ! あれ、めっちゃ美味い! めっちゃ好き! 何パスタかは任せる! あー楽しみ! もー帰りたい!」


「ありがとう。パスタとサラダね。分かったよ。仕事、大変だろうけど頑張ってきて。明日は休みでしょ? 僕も休み取ったから夜更かししようよ。映画でも見る? おすすめのやつ」


「見る! 見る見る見る、見る! うぉっしゃー! 全力で考えておくわ。いかん、もう本当に行かなきゃ。じゃあね」


 行ってらっしゃいを言い切る前にみどりは玄関を出た。相当急いでいるのだろう。もう少し早く起きればいいのに、そう思う。


 大きな欠伸をしてからソファに腰掛ける。ファンデーションの残り香に、彼女がまだ居るかのような錯覚を覚えた。

 コーヒーを入れ、パスタの料理本を手に取る。パラパラとページを捲りながら、漠然と今日のメニューを考えた。彼女は日曜日になると平日より遅く帰ってくる傾向がある。ダイエットの観点から考えると生クリームを使ったものは避けたほうが良さそうだ。ページを捲り進めるとフレッシュトマトとツナのパスタというレシピを見つける。候補にしようと栞代わりに携帯電話を挟んだ。

 

 突然携帯電話が鳴る。画面を見ると堂本からの着信だった。


「もしもし、おはようございます」


「たかおくん? おはよう。いきなりで悪いんだけど今度のスタジオ練習までにさ、『キャッチ・ミー』って曲、コピって置いてくれないかな。ちょっとあのイメージのドラムが新曲に欲しくてさ」


「分かりました。『キャッチ・ミー』ですね。アーティストは誰ですか?」


「アーティストっていうかまあ、映画のサントラなんだけどさ、そこに入ってっから」


「何て映画ですか?」


「バンディッツ」


 バンディッツ……最近その名前を聞いた気がする。思い出せない。


「『バンディッツ』って題名の映画、他にもあるみたいだからさ、女の子がこっちを睨んでいるジャケだったら、それが正解。古いドイツ映画なんだけどね。今度までにいけそう?」


「やってみます」


「頼んだよ、じゃあ、またスタジオで」


「はい。失礼します」


 電話が切れると部屋に静けさが戻った。コーヒーを一口だけ飲む。バンディッツ、なんだろう、聞いたことがある、記憶の隅に引っかかるものがある。

 みどりと一緒に見るようになるまで、僕は映画をほとんどといっていいほど見て来なかった。他人の人生が自分を侵食していくような感覚が苦手だったからだ。少なくとも僕はそんな感じ方をしていた。けれども彼女と一緒に映画を見ていると不思議と俯瞰して楽しむことができた。今更だけど、彼女のおかげで映画が娯楽に代わった。

 そんな自分が聞いたことがある、と感じる題名ならばそれはきっと彼女からの情報だろう。一緒に見たものなら流石に覚えているばずだが何故か思い出せない。


——はいはい、結構でございますですよ。行ってらっしゃいませ。ふたりで借りたDVDでございますけど、ひとりで寂しく観ておりますから!——


 ふと、みどりの先日のみどりとのやり取りが頭に浮かんだ。急遽トラオさんからの誘いで見ることが叶わなかった映画、あの時、確か「バンディッツ」を見ようとしていたはずだ、思い出した。見たことがないのに題名だけ聞いたことがあるとしたら、あの夜に見損なった映画ぐらいしかない。

 思い出したところで再びコーヒーを啜る。レンタルショップへ借りに行こうと思っていたがそこに無い可能性もあるか、そう考えた。堂本の情報だと古いドイツ映画のサントラだという。ショップに置かれていないことは充分考えられる。それよりか、みどりの棚に並べられた大量のCDの中にだったらあるかもしれない。探してみようと思った時、彼女の言葉を思い出した。


——また、ふたりで見るんだから、勝手にひとりで見たり、ネットで情報を探ったりしたら駄目だからね。全て白紙の状態で見る、分かった?——


 確かそう話していた。それなら直ぐに借りて来て見ればいいものを、一度借りて見ないで返したものをまた直ぐに借りて見る気が起きない、とのことだった。彼女はあの時完全にへそを曲げていた。焦らすことで僕を困らせたかったのかも知れない。

 サントラの曲を一曲だけ聴く、それはルールに抵触するのだろうか。あれから随分と経つけれども「バンディッツ」は話題にも上がらない。にも関わらず僕は約束を守って「バンディッツ」を調べたりしなかった。サントラの曲なら映画の内容まで分からないはずだ。なにより、僕は「キャッチ・ミー」のドラムを覚えなければならない。後で事情を話せば彼女も分かってくれるだろう。

 そう思い直し、棚から「バンディッツ」のCDを探してみた。

 彼女はCDをアーティストの頭文字のアルファベット順に並べている、几帳面な一面があった。そしてそのおかげですぐに見つけることができた。

 とりあえず一度聴いておこうと思いCDの蓋を開けてみると、一枚のケースの中に二枚CDが入っていた。二枚入りのCDケースの構造でもないのに几帳面なみどりが雑なことをする違和感を覚えた。何だろう、そう思いサントラのCDを手にして二枚目のCDを見た時、僕は愕然とした。


 それは僕らが先日、ライブ会場で販売した「エゴサーティ」の自主制作CDだった。何故、こんなものがここに?

 僕は彼女の元彼がバンドマンだったことへの配慮からバンドの話を避けてきたし、バンド名さえ告げていなかった。彼女のほうからも詮索するようなことは一切なかった。

 それに、このCDはレコードショップで販売しているものではない。あの時、あの会場に来なければ手に入らないものだ。つまり、彼女はあの会場に居た、ということになる。

様々な疑問が頭の中をかけ巡った。何故彼女は黙っていたのだろう、何故、このCDを隠すようにしまっていたのだろう。何故なんだ、何故だろう。色んな思いが逡巡したけれども、たったひとつ、この事実は認めないわけにはいかないだろう。それは、


——彼女は僕を知っていた——


ということだ。けれども何故彼女がそれを隠さないといけないか、そこが分からなかった。隠すなら隠すだけの事情があるのかも知れない。正直、聞き出したい気持ちもあった。けれども、聞き出したところで知った事実が真実とは限らない。

 そして、自分はどうかと考えた。自分もみどりにあかねのことを話していないじゃないか、と。隠していたつもりは無かったけど、彼女の興味のある話題ではない、と話してこなかった。けれども、興味ある、興味ないを理由にこちらで勝手に情報の選別をしていたら、それはやはり、隠していることと同じだと考えた。

 今日、彼女が帰ってきたら話してみよう。

 僕が夢にうなされるようになった原因を。些細な悪意が思いもしない結果を招く、そんな話を。

 彼女の隠し事に悪意があるとは思えない。ただ、こちらから隠し事を話したなら、ひょっとしたら彼女も自発的に話してくれるかも知れない。その結果、仮に話さないにしても、それは話す程の価値がない、と彼女が判断してのことだろう。それならばそれで納得がいくように思えた。

 CDを棚に戻して、ソファに寝転がる。

 ドラムを覚える気も、料理を作る気も失せる程こころが重くなった。みどりはどう思うのだろう、僕の悪意がひとりの女性を殺してしまったという、そんな事実を。

 

 



 





 




 

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