第8話 あかねと木崎
「で、話って何?」
みどりは運ばれてきた生ビールを半分程飲んでからいった。少し膨れ顔を作っているが本心ではさほど怒っていなさそうだ。
「あたしからたかお君のパスタとほうれん草のサラダを食べる権利を奪うほどには大切なお話しなんでしょうね」
「うん、少し長くなるけど……大切な話だとは思ってる」
「なら許す。あ、待って、先におつまみとドリンクを適当に頼んでおくね。その『大切なお知らせ』を途中で遮って注文するわけにはいかないから」
そういい、みどりは焼酎のロックと僕の為の生ビール、そしてつまみを四品程注文した。
今日一日何もできない程こころを掻き乱した僕は、腹を空かせて帰ってきた彼女に食事の準備を出来なかったことを詫び、いつもの居酒屋に行くことを提案した。最初は「えー!?」と怒っていた彼女だったが、様子に異変を感じたのか「何かあった?」と逆に心配をしてくれた。「大切な話、というか聞いて欲しい話があって。今まで隠してたわけじゃないけど、話すタイミングが分からなくて」と告げると、分かったいこう、とだけ答えた。「今まで隠してた」のくだりで少しピクリとしたようにも思えたけれども、それは僕があのCDのことを知っている先入観に由来するものかも知れない。
「話は僕の高校時代にまで遡る」
「えー? そこまで遡るの? こりゃ本当に長くなりそうだ」
「時々悪夢に魘されるでしょ? その原因になる話でもあるんだ。できるだけかいつまんで話すけど」
「あのエクソシストみたいなやつね。よろしい。早く遡りたまえ」
みどりは残りのビールを飲み干し、軟骨の唐揚げをひとつ口に頬張った。コリコリという咀嚼音がする。瞳は興味身心といった感じでこちらを覗き込んでいる。こころがまた、重くなった。
「高校時代、僕はある女の子を好きになった。あかねという名前の女の子だ。高校三年間ずっと同じクラスだった。そしてもう一人、木崎という男がいた。こちらは親友と呼べる程仲が良かった。木崎とも三年間同じクラスだった。
高校二年の時、僕はあかねに告白をした。あかねは、一週間待って、といって返事を保留し、結果断られた。何故一週間だったのか、その時は分からなかったけど、その理由は木崎から知ることになる。
僕から告白を受けたあかねは木崎に相談を持ちかけた。たかお君の事で相談がある、といった具合に。木崎は僕と仲良くしてたので自分のところに相談に来たのだろうと始めは思っていたけど一週間経った頃、それはあかねの口実だったと気づいた。あかねが木崎のことが好きだと告白したからだ。
「たかおに悪いから無理」と木崎に断られたことを僕はあかねから聞いた。これは推測だけど、この断り方があかねの恋を拗らせる原因になったのだと思う。木崎にしてみれば僕をだしに使ったあかねのやり方が気に入らなかった部分があったのかも知れない。けれども、あかねは僕が彼女に告白したせいで木崎に振られたと考えるようになる。もし、木崎が他に好きな子がいるから、とあかねに答えていれば、それが叶うかどうかはさて置き、将来的に次の彼女になれるかも知れないという希望はある。しかし『たかおに悪いから』では、木崎と僕が親友である限り希望は絶たれたといってもいい。
あかねの過失があったにせよ、決して手に入れることが出来ない存在になってしまった木崎に対しての執着が、彼女の中で存在を増していったのは確かだと思う」
ひと息ついて生ビールを飲む間にみどりは「ふーん」といった。肩透かしを食らったとでもいいたげな様子だ。
「まあ、よくある話っちゃー良くある話ね。何? たかおくん、高校の時の失恋をまだ引きずってんの?」
みどりはにやにやしながらいう。
「続きがある。僕らの拙く微妙な感じの恋はそれぞれに叶うことなく、卒業を迎えた。僕と木崎は別々の大学へ進学し、あかねは地元の企業の事務職に就職をする。僕は大学の近くのアパートに引っ越し独り暮らしを始めた。新しい環境、新しい友人、大学の音楽サークルに入り、新しい生活に忙しかった。自然、木崎とも疎遠になっていき、あかねの事は風の噂程度にも耳にすることが無かった。
二年生になったある日、携帯電話に知らない番号の着信があった。電話に出ると『葛西たかおさんの携帯電話でしょうか?』という年配の男性の声がした。そうですが、と答えるとその声の主は佐藤あかねの父だと名乗った。うちの娘がそちらにお邪魔していないか、そういう趣旨の電話だった。勿論、あかねがこの部屋にいることもない。恐らく住所も知らないと思う、そう返すと、何か分かったことがあったり、連絡があったら教えてくれないか、とだけ残し父親は電話を切った。あかねに何かあったようだ。
僕は久しぶりに木崎に連絡を取った。木崎なら何かを知っているかも知れない、と。木崎は事の成り行きをよく知っていた。今彼が付き合っている彼女があかねと繋がりがあるらしく、その彼女からの情報らしい。そもそも、あかねの父親に僕の携帯電話を教えたのも木崎だった。
木崎曰く、あかねは会社の上司との不倫が露見して騒ぎになっているようだった。相手側の奥さんがあかねの家に乗り込んで来て、ちょっとした修羅場があったそうだ。その後あかねは失踪して行方を眩ます。無論、会社も無断欠勤が続いており、父親が血眼になって探し回っている、というのが事の顛末だ。
僕は心配だった。大学の講義をサボってマージャンをしたり、スタジオを借りてドラムの個人練習をしたりと、凡庸な大学生活を送っていた僕とは対照的に、あかねは人生の窮地に立たされている。けれども、一人の大人が行方を眩ますという意志を持って身を隠したのならばそれを探し出すのは容易な事ではない。何か力になってあげたくても、そもそもどの立場で何の役に立てるのかも想像がつかなかった。
木崎に、何か進展があったら教えてくれ、といって電話を切り、それから暫く何の音沙汰もなかった。
見知らぬ電話番号の着信があったのは事件からひと月ほど経ってからのことだ。
電話に出ると、今度はあかねの声だった。話を聞くと迷惑をかけた人間全員に謝罪の電話をしているらしく、そのリストの中に僕も入っていた。父親がそうさせているらしい。
僕はあかねに、どこかで合わないか? と提案をした。憔悴しているのは明らかだったし、励ましてあげたかった。そして出来る事なら力になりたかった。一週間後に、地元の高校近くにあるファミリーレストランで合う約束をした。
久しぶりに会ったあかねは驚くほど綺麗になっていた。清楚というか、洗練されているというか。彼女の持つポテンシャルの全てのピントが合い、調和されているようだった。上司に同情するわけじゃないけど、手を出したくなる気持ちも分かる。僕はあかねの口から、一体彼女の身に何が起こったのを聞いた。
要約すると、こんな感じだ。
就職先の上司に優しくされた。悩みを聞いてくれたり、食事に連れて行ってくれた。妻子がいる事は知っていて、悪いとは思いながらも不倫にのめり込んでいくのを止められなかった。不倫はばれて大騒動になった。身籠もった上司との子を堕胎して会社を自主退職をすることを条件に、慰謝料の請求は免れた。今は自宅に軟禁状態で、今日はたかお君に直接会って謝罪するという事で外に出られた。そして多分これはあかねにとって一番重要なことなのだろう。その上司は木崎に容姿や雰囲気が似ていた、との事だった。
『これからどうするつもり?』と僕が尋ねると『分からない』とあかねは答えた。『何か俺に出来ることは?』と聞くとまた『分からない』、と答えた。
暫く沈黙して、今度はあかねの方から、この事は木崎には絶対黙っていて欲しい旨を告げられる。
木崎の名前が出て来た事で、僕はあかねの人生において脇役ですらないことを痛感した。今回会いに来たのも、父親に言われて渋々だったのかも知れない。あるいは、久しぶりに外の空気を吸いたかっただけなのかも知れない。励まそう、力になろう、と思っていた自分の想い上がりを恥ずかしく感じた。
そうして僕らはそのまま解散をした。
元気でね。
そう掛けた言葉も何処か虚しかった」
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