第九章 夏歌う者が泣く頃に

突如として発生した彼女とのお泊りイベント。

緊張などしないが、喜々たる情と悔恨の情が沸いた。香澄と眠れるという期待と、優鈴葉と香澄が一緒に寝るだろうという予想のせいだ。

妹がいる以上は香澄とイチャつけない。折角の京都なのに彼女とデートすら出来ないなんて悔しすぎるだろう。まぁそれは分かっていたことなので仕方ない。

そして時は流れ――現在時刻19:00

そろそろ夕食の時間のようで香澄たちは外出の準備をしていた。


「飯はどこで食べるんだ?」

「別室に三人分用意されてるらしいよ」

「さすが高級旅館だな。今まで食べたことないような味なんだろうな」

「それは私の料理がおいしくないってことなのかな?」


特に悪意があったわけではなく、純粋に高い金を払ったのだからそれ相応の物が出てくると思っただけだ。それが気に障ったらしくニッコリとした顔とは打って変わって、「ひぐらし」のレナみたいに目のハイライトが消えていた。

俺の中での一番の絶品は香澄の作ってくれる「だし巻き玉子」以外にはない。初めて泊まった日の朝食に出たその日から俺の胃袋は掴まれた。それを伝えたことはないのだが朝食には確定で「だし巻き玉子」が出てくる。

最&高である。断じてm&m’sではない。


「そういう意味じゃねぇよ。香澄の料理は絶品だ。だけどお前が作ってくれる料理は家庭料理。ここは高級旅館。そんじょそこらじゃ食べられないような物を期待しただけだ。心配すんな、香澄の料理は俺の中で一番だ」

「そ、そう?一番、一番かぁ~。ふふっ」

「えらく上機嫌だな。料理褒められるのがそんなに嬉しいのか?」

「そりゃ嬉しいに決まってるよ。他でもない大好きな君に褒められたんだよ?嬉しすぎて現世からサヨナラバイバイしちゃいそう」

「お前は誰と旅に出るんだよ。ピカ〇ュウ?」

「うーん…強いていうなら君、かな?」


即死ですね、はい。可愛すぎますね、はい。ズル過ぎますね、はい。

上目遣い、後に、はにかんだ笑顔。

鏡がなくてよかったと思う。きっと茹蛸みたいに顔が真っ赤だっただろうから。俺をこうさせた当の本人、香澄は俺の右腕をしっかりと抱いて体を密着させている。女性的な柔らかみが腕を包み込み、ほのかな温かみを感じる。何故か胸が高鳴る。ホントにもう…可愛いなぁもう!!

浴衣という衣装のせいなのか、はたまた旅行という雰囲気なのか定かではないが、今日の香澄はいつものよりも可愛い。普段の可愛さを俺の主観で有効数字2ケタで表した時の値より100倍は可愛い。

そのままエレベーターに乗り下の階の部屋に向かう。


「お、おぉ。こりゃ…すげぇ」


襖を開けたその先に在ったのは、コトコトを音をたてながら白い湯気をあげる鍋と、名前の分からない和食。そして、腕を組み仁王立ちしている妹だった。


「なんで優鈴葉がいるんだ?一緒に来ただろ」

「あんたらバカップルがイチャコラさっさとしてたから、こっちはスタコラさっさと逃げて来たんですが、な・に・か?」

「あらあら、嫉妬したのかな?」

「おいおい香澄…あんまり刺激すんなよ」

「そんなことしてないよぉ。それよりさぁ、早く食べようよぉ」


そういいながらさらに体を密着させてくる。

こいつ…わざと煽ってるなぁ。ホントにやめてくんないかなぁ。

怒って口聞いてくれなくなったらお兄ちゃん的にポイント低い。ていうか生命の危機。目の前で腕組みをした優鈴葉はガンバス〇ターよりも大きく見えた。


「お・に・い・ちゃ・ん?」

「な、なんでしょう?」

「ご飯。食べません?」

「はい…食べます。」


これ以上刺激するのは得策ではない。そう判断し言われるがまま席に着き、箸を取って食事を開始する。香澄は俺の横に腰を下ろし、同じように食事を始めていた。並んでいた食事は少し冷めていたが自分たちのせいなので文句は言えない。


「なかなか上手いな。優鈴葉もこれくらい作れないのか?」

「流石に無理だよ。私は家庭的な料理しか作れないからね。ていうかお母さんに教えてもらったのしか作れないよ」

「お袋ねぇ…」

「?…お母さんが何かあるの?」

「何でもねぇよ」


食事は終始無言だった。折角の旅先でのだと言うのに。

理由は簡単だ。俺が話しかけるなオーラを出していたからだろう。別に意識したわけではない。ただ淡々と食事をしていただけだ。それでも出てしまったのだろう。優鈴葉の事やお袋の事、それらを考えたときの感情が。楽しい食事をただの栄養補給になり下げてしまい、申し訳無いことをしてしまった。


「拓哉君。拓哉君?拓哉君‼」

「あ、すまん。ぼーっとしてた」

「顔、怖いよ?何を考えてたの?」

「さぁな。忘れちまったよ」

「もしかして、体調悪い?それとも苦手な物ばかりで食べる物がなくて落ち込んでるの?」

「俺は小学生かよ。気にするな。小説のネタを考えてただけだから」

「そっか。それなら大丈夫だね」

「そういうことだ。食べないならお前のしょうゆ豆貰うぞ」

「だ、だめだじょ!」

「じょ?」

「な、何でもにゃい!」

「…ぷっ、はははは!にゃいって!にゃいって!!はははははは」

「笑わないで!!」


わざと噛んだのか、はたまた偶然か。それは分からない。分からないが香澄のお陰で葬式ムードだった場が少し明るくなった。

残っている食事の量は少なかったが、無くなるまでの数分間は笑顔でいられた。だが、心の中では暗い気持ちが潜んでいた。


◇◆◇


ラノベの世界で旅行中に発生するイベントと言えば――そう「彼女と妹がお風呂入ってたら、知らずに入っちゃってラッキー」だ!!

まぁ、そんなことが起きるわけはないのだが。例え間違って侵入してしまっても香澄は受け入れてくれるはずだ。いやだから俺の事、好きすぎるだろう。

今現在、部屋についている露天風呂で香澄と優鈴葉は入浴中である。外出するならばこのタイミングしかない。

上着を着てスマホと財布、そして持ってきていた小包を持って外出する。机の上にメモを残して置いていたので心配されることはないだろう。

エントランスから外に出てから、駐車場に止まっていたタクシーを拾い、行き先を告げてシートにもたれ掛かった。

車窓の外には色鮮やかなネオンと都会というよりは都、そう言った方が似合う雰囲気を漂わせた街が流れていく。別に興味などない。だが、この街を見てみたいという意思が少なからず俺の中に存在していた。親友が愛した街だから。もう二度と彼と会うことは出来ないが俺の思い出の中に確かに存在する彼と、彼から聞いた様々な記憶。その残り香がこの街には沢山あった。両手ですくい上げることが出来ないくらいに。

これから向かう場所も彼の思い出の地。そして彼の始まりと終わりの場所。

街の光が少なくなり外の景色は闇になっていく。闇の中で月は明るく地上を照らした。

(ちょうどいい。月が明るければ明るい程に…)

目的地の手前でタクシーから降り遊歩道に沿って歩く。懐中電灯を持ってきてはいたが月光で事足りた。耳に届く風の音を感じながら歩く。いつもなら不快な風音は、葉の擦れる音や川の流れる音、石畳を踏む靴の音と交じると何よりも心地の良い音になった。

竹が空高々とそびえ立ち、灯篭がの光が影を作る。風がその影を揺らし、揺れた影がその場所に郷愁を演じる。自然の連鎖で作り出された神秘。

一目見た瞬間、一秒が一分に伸びるのを感じ、一分が一日になるのを感じた。そして一瞬が永遠となって過ぎ去った。

嵯峨野 竹林の道。

左右を竹林に囲まれただけのにその高さ故、四方八方を囲まれている錯覚に陥る。一度も来たことの無いこの場所だが確信した。親友が言っていた場所はここだと。あの日彼はここに来ていた。その帰りに桂川の濁流に巻き込まれ死んだ。地元の人達は皆こう言う。運が悪かった、と。

普段大人しい桂川がその日は大暴れしていたらしい。何十年に一回あるか無いかくらいの確率らしい。まだ15歳、これからという時に。

不思議と涙は出てこなかった。人間、本当に悲しいときは涙も流れてくれないらしい。いいや、そうじゃない。もう散々泣いたではないか。これ以上泣いてしまっては彼にからかわれてしまう。

近くにあったベンチに座る。それからスマホに残された彼と過ごした痕跡を辿った。喧嘩したこともあった。二度と口をきいてやるものか、そう思った時もあった。それでも俺達は友達であることを止めなかった。彼と友達として過ごした期間は一年とちょっと。画面を下にスクロールしトーク履歴を辿る。


06:30『おはよう!いい朝だな』

06:31「おはよう。いい朝ではないな」


いつもお前からの通知で俺は起きてたよ。


23:55「俺、そろそろ寝るわ。お休み」

23:55『俺もねるー!お休み!』


必ずお休みのメッセージだけ秒で返信来てたよな。もしかして待ってたのか?

もう確かめることは出来ないけれど。


6:30『今日の飯は俺が作ったんだぜ!』

6:32「お前って料理できたんだな」


あいつの作った飯は食えたもんじゃなかったな。でも、二度と食べられないと思うと寂しいな。


18:54『バイト先に可愛い新人が来た!眼鏡っ子で年下だぞ』

19:25「この前は巨乳のお姉さんにお熱じゃなったのか?」


美人の女の人を見るとすぐに恋に落ちるような奴だったな。だけど、誰よりも女の人に優しいやつだった。


0:24『お前におすすめされた小説面白すぎて一気読みしちゃった!また今度おもしろい小説教えてくれよな』

1:47「任せろ、得意分野だ」


小説よりも漫画の方が好きなくせにちゃんと読んでくれたよな。素っ気なく返してた俺だけど本当は嬉しかったんだぜ。


20:10『なんかいい感じの一言コメントないか?』

20:17「考えといてやるよ。週明けに渡してやろう」


結局渡せませんでした。だけど俺はちゃんと考えて手紙に書いてるよ。お前からの最後のお願いだからな。


21:02『明日京都行くんだよ。なんか竹林がすげーとこ!』

21:32「竹林?どこだそれ」

21:33『名前は知らないけど、なんかのアニメにも出て来たらしいぞ』

21:37「ていうか明日、メイト行くんじゃなかったのか?」

21:40『ほんとすまん!!いけぬ』

21:43「まぁいつでも行けるし、家族旅行楽しんで来いよ」

21:45『アイアイサー!』


あの日、俺と遊びに行っていれば死なずに済んだのに。

今さら言っても後の祭りだ。


23:55「俺、そろそろ寝るわ。お休み」


何度も何度も指を画面の上方へ滑らす。しかし、返信が現れることはない。いつもは秒で帰ってきていたメッセージが帰ってこない。

彼の死亡推定時刻は23:56だったらしい。彼はこのメッセージを見たのだろうか。

このメッセージに既読が付くことは永遠にない。

枯れたと思っていた涙が流れそうになった。だから上を向いた。


「上を向いて歩こう。涙がこぼれないように」


◇◆◇


どれくらい上を向いていたのだろう。結局涙は溢れ出て頬を伝った。その跡もすでに乾いたあとだ。寒さでしんどい。けれど動く気にもなれなかった。


「何してるの」


右側から声がした。声のした方に視線を向けると香澄が立ってた。寒さのせいなのか吐く息は白く、耳は赤い。


「どうして…ここにいるんだ」


開くことを拒みかけている口を何とか開き言葉を発する。


「君が心配だったから」

「そっか。寒い中ありがとうな」

「ううん。全然平気だよ。それより、はい。寒いでしょ?まずは体を温めないと」

「あ、ありがと」


差し出された缶コーヒーを受け取ると冷え切った手には沁みるほど温かかった。


「なんでここが分かったんだ…」

「タクシー運転手さんに聞いただけだよ」

「マジかよ。個人情報どうなってんだ」

「私が彼の彼女なんですって言ったらすぐ教えてくたよ」

「…なぁ香澄」

「うん?」

「キスしてもいいか?」


何故こんな発言をしてしまったのか自分でも分からない。香澄に嫌われてしまうかもしれない。そのリスクを背負っても彼女と口づけを交わしたかった。


「うん、いいよ。キス…しよ」


そう言って目を閉じて顔をこちらに向けた。そのまま顔を近づけて唇を重ねる。初めてのキスじゃない。それなのに今までで一番緊張した。きっと場所のせいだ。シチュエーションが完璧すぎるから緊張するんだ。


「最高の場所だね、ここ」

「そうだろう。俺の親友の最後の記憶の場所なんだ」

「亡くなったの?」

「二年前にな。事故だったってさ」

「それでここに来たの?」

「聞いてほしい事たくさんあったんだ。全部忘れちまったけど」

「それでいいの?」

「さぁな。分かんねぇけど、俺の心の中にあいつはいるから」


立ち上がり歩みを進める。香澄は黙って並んでついてきた。道を抜け橋を渡って川に辿り着く。


「ここって、桂川?」

「そうだ。こいつを渡したくてな」

「小包?何が入ってるの?」

「それはお前でも言えねぇよ。秘密」

「えぇー、ぶー」

「可愛くしてもダメな物はだめだ」


小包を思いっきり川に投げた。ごみは捨ててはいけないが今回ばかりは許してほしい。ゴミじゃないし。

これで親友に届くなら。


「さ、帰るか。体冷えちまったし風呂入ろうぜ」

「一緒に入る?」


仲良さげな二人の声はだんだん遠くなり、やがて聞こえなくなった。

川に着水した小包は水でふやけて破れた。中に入っていた便箋が川の流れに乗ってゆったりと進む。水に侵食されながら。

水性塗料で書かれた便箋の中身が滲んでいく。滲んだ文章はまるで彼らの事を暗示しているかのようだった。

辛うじて消えるのを免れた手紙にはこう書かれている。最もその言葉を読む者は既に存在していないが。


「運命は神の考える事だ。人間は人間らしく働けば結構だ。」


そして手紙は消えた。

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