第五章 鬱な少女の治しかた

甘利さんからの電話を切った拓哉は、仕事に取り掛かるべく気合いを入れ直した。締切りにはまだまだ余裕はあるが、拓哉は早め早めで終わらせる派なのだ。ノーパソに目を向けたその時、またしても邪魔が入った。


「たく兄、いるんでしょ?ちょっと聞きたいことがあるから降りてきてよ」

「なんでこんなに邪魔が入るんだ…はいはーい、今下りますよ~」


ノーパソをスリープモードにし折りたたむ。

スリッパを履き、階段を降りる。

リビングの扉を開け「何だ」と機嫌が悪そうに聞く。

驚いたことに萌香も一緒にいた。


「萌香もいるのか。あ、なんか見たいアニメでもあるのか?Blu-ray持ってたら貸すぞ?」

「いや、そうじゃなくて。昨日勝手にBlu-ray借りちゃってさ。ごめんね?」

申し訳なさそうに体を縮め、机の上にテンビリのBlu-rayBOXを出す。

「ああ、そういうこと…」

(よりによって俺の作品かよ!?嬉しいけど、嬉しいけども!恥ずかしい…)


Blu-rayBOXを手に取り「面白かったか?」と聞いてみた。

普段エゴサーチをしない拓哉にとっては、拷問のようなものである。


「それはもう最高だったよ!でもね、続きが気になるところで終わっちゃってて…気になりすぎて次のBOXを買いにアニメ〇トに行ってきたんだ」

「あー確かにこの作品は視聴者に優しくない部分があるよな」

(やっぱり不評だったか。なんとなく予想はしてたけど、『続き気になるだろ戦法』は怒りを買うだけなのか)


「それで買ってきたのか?」


何気なく聞いた拓哉だが失言だったと気づく。

(こいつアレだ。サンプルとして原作者にくれるやつだ…そりゃ二巻は無いよな。二巻用の特典小説を今書いているんだし)


「買えなかったよ。ていうか、一巻まだ発売されていなかった」

「へ?今なんて言った?」

「だがら、発売されていなかったの!」

(やばっ、サンプル品は発売日よりも前に届いてたんだ…)

「なんで持ってるの?」

「え!?あの…な。それは…け、懸賞で当たったんだよ!あはは」

「懸賞?」


優鈴葉は怪訝そうな顔をしていた。

拓哉は嘘をつくのが下手なのだ。


「そうだよ、懸賞だよ。ラノベのキャンペーンで10ポイントためて応募すれば、発売日前に当たるらしいぞ。はははは」


もちろん嘘である。

そういうイベントは発売している商品しか景品にしない。


「もうちょっとバレにくい嘘はつけないの?」

「ううう、嘘じゃないぞ!ほんとにホントに当たったんだよ!!」

「もう深くは聞かないことにする。話変わるけどさ、昨日の夜から今日の朝にかけてどこで何をしてたの?」

「悪い悪い、ネットカフェで寝落ちしてた。おかげさまで馬鹿みたいにを金取られちまった」


重ね重ね申し訳ないが、もちろん嘘である。

理由を聞かれるだろうと思ってあらかじめ考えておいた。

これなら怪しまれることはないだろう。


「勿体ないことしちゃだめだよ。たく兄のお小遣いってそんなに多くないでしょ」

「お前に言われなくても分かっている」

(よかった。バレてはいなさそうだな。)

「たく兄、今日どうせ暇でしょ?私たちに付き合ってよ」

「場所によるな。人の多い所は嫌いだ」

「鬱になった萌香ちゃんに元気になってもらおうと思って、カラオケに行くことにしたんだ。だけど女子二人でるのが不安なのですよ」

「口調が変だぞ。あとカラオケなど俺が行くわけないだろ」


拓哉は音痴なわけではないのだが、人前で歌うのが好きではない。

よって大人数でカラオケに行くのは好きではない。

香澄に連れられて強制的に歌わされたことはあるが、羞恥で死にそうだった。


「そんなこと言わずにさ。鬱の原因はたく兄なんだよ?」

「は?どういうことだ?」

「耳貸して」


ちょいちょいっと手招きする優鈴葉。

耳を近づけると小声で話し始めた。


「萌香ちゃんはね、たく兄のことが好きなんだよ。それなのに、昨日女の人と電話してたでしょ。愛してるとかなんとか言っちゃってさぁ。そりゃ鬱にもなるよ。で、あの女の人は誰なの?」

「えーと、それはだな…」


『俺の彼女です!』なんて言えるはずもなく、必死に誤魔化すための嘘を考える拓哉。

数秒で思いつき、こう答えた。


「あれはな、女声が上手すぎる男のネトモだ!マジで上手すぎたんで、愛してるって言ってもらったわけだ」

「へ~世の中には、たく兄を含めて変な人が大勢いるんだね」

「兄貴を変な人扱いしないでくれる?」

「それよりカラオケ付き合ってよね」

「えーめんどくさいよ」

「くどい様だけど原因はたく兄にあるんだからね」

「待て待て。電話相手は女じゃないんだって。つまり萌香が鬱になる原因はありはしない」

「萌香ちゃんがたく兄の事好きって事に驚きはしないんだね」

「まぁな」


驚くどころか半年前からすでに知っている。

その事実は萌香本人の口から告げられた。


半年前―

時刻は17時を過ぎ、空がオレンジ色に染まって教室には強い西日が差し込んでいた。


「私はたくちゃんの事好き…だよ」


そう告げた萌香の頬は夕日よりも紅く染まっていた。

俺は発する言葉が分からなかった。

しばらくの沈黙。

沈黙の間、萌香はずっと何かを求めるような瞳で見つめてきた。

何を求めているかなんて決まっている。

分かってはいるのに。

言うべきことは決まっているのに。

声が出なかった。

17年間ずっと一緒にいた女の子。

これまでの関係が自分の一言で崩れ去ってしまうのではないかと思うと、怖気づいてしまった。


「どうして…何も言ってくれないの?」


萌香は今にも泣き出しそうな顔で、制服の上着を握ってきた。

いや、既に泣いていた。

涙の雫は零れ落ちる度に夕日に煌めく。

その涙が俺に決断させた。


「気持ちは嬉しい…建前とかじゃなくて心の底からそう思っている。そこに嘘は微塵もない。だけど―」


萌香は俺の口を手で覆い、続く言葉を強引に消した。

その行為の意図は読めない。


「もういいよ。続きは聞かなくても分かってるから。ごめんね、答えにくい事聞いちゃったね」

「いや…そんなことない。本当にありがとう」


萌香は返事をしなかった。

ただ涙を拭き、荷物を持って教室を出ようとしていた。


「待って!俺たちはこのまま終わりなのか?もう今まで通りの関係じゃいられないのか?俺はそんなの…絶対に嫌だ。まだ萌香と一緒にいたい」

「バーカ、振った直後の相手に言うセリフじゃないわよ」


そういって小悪魔的な笑みを浮かべる。

不安そうな顔をしている俺に向かってこう告げた。


「いいこと?私はたくちゃんを諦めないから。何が何でも私に惚れさせるから。だから…覚悟しときなさい!!」


舌を出し「べー」と言い残し教室から走り去った萌香。

その瞳には涙は既に無く、無垢な笑みだけを浮かべていた。

(知らなかった。あいつにツンデレ属性があったのか…ちょっとドキッとしたじゃねぇか)


この時から現在に至るまで萌香との関係は崩れていない。

今まで通り一緒にアニメを見たりゲームをしたりしている。

ただ一つ変わったことがあるとすれば、俺が過剰に萌香を意識してしまうことだ。なんとも思っていなかった萌香の仕草にドキッとしてしまう。

例えば、髪を耳にかける仕草。ヘアゴムを口に咥え髪を結ぼうとする仕草。逆に髪を解く仕草。髪をブラシ掛けする仕草などだ。

全部髪に関する仕草だな。

どうやら俺は髪フェチらしい。

髪は良いぞ髪は。

ちなみに俺の好みは長い髪だ。理由はいたって単純。

長い髪ならば短い髪以上に髪型のレパートリーがあるからだ。

月曜日はポニーテル、火曜日はゆるふわカーブ、水曜日はツインテールといった具合に毎日髪型を変えられる。

見ていて飽きない。

でも冷静に考えたら毎日に髪型を変えてくる女は嫌だな。

入学当初のハ〇ヒかよ。

なんでもやりすぎはいけない。

俺が言いたいのは、休みの日とかに学校とは違う様子の女の子を見れるのが幸せということだ。

おっと、話が逸れてしまった。

閑話休題。

萌香が鬱になっている話だった。

どうしたものか…。

二つの選択肢がある。

ついていくorついていかない、だ。


「たく兄?怖い顔してるよ?」

「すまんすまん。昔のこととか髪の事とか考えてた」

「え…神?」


妹と話が噛み合っていないのはすぐに分かった。

だって「ゼウス?ガネーシャ?卑弥呼?」とか呟いてるし。

いや卑弥呼は神じゃねぇよ。ほぼ変わんない気もするけど。

馬鹿な妹を無視し考える。

行くか行かざるべきか。


「たくちゃん…カラオケ行きたいよね?行きたいでしょう?行くしかないよねぇ?」

「いや俺は別に…」

「行くよね?行かないわけないよねぇ?」

「えーと…まぁ行ってもいいかな…」

「よし決まり!ゆずちゃん、早く準備をしましょう!」

「あ、うん」


圧力をかけてくるくる萌香に屈してしまい、カラオケに行く羽目になった。

(まさか萌香にヤンデレ的属性があったとは…)

また新しい一面を知ってしまった。

行くことになったものは仕方ないので準備をする。

とはいっても上着を着て財布を持ってくるくらいだ。


「準備できた。それじゃ行くか」

「「おー!」」


元気に返してくる二人。

萌香はもう鬱の状態ではないんじゃ…

やはり大人数での行動はするべきではないと、外出する前から確信した。

(やっぱり言わなきゃよかった…お外はキライキライヨヤンナッチャウ♪)

とか言いつつも拓哉の精神的テンションは高かった。


◇◆◇


どこのカラオケ店に行くのか決めようと切り出すと、優津葉は既に店を予約してあると返してきた。

我が妹ながら仕事が早い。あっぱれである。


宇多津町にあるカラオケ店に行くために拓哉以外は二回目の電車に乗る。

香川県の電車料金はそこそこ高い。宇多津までだと往復で700円弱は取られる。

オタクあるあるかもしれないが、電車料金とかバス代にお金を使うくらいならラノベが一冊買えるなって考えてしまいがちだ。

事実、俺は基本的に公共交通機関を使わない。

徒歩や自転車を使って目的地まで行き、運賃を節約している。

この手段の良い所は普段家から出なくても運動することになるので、健康にもいい。多分。知らんけど。

しかも運賃が浮くので得した気分になる。最早アルバイトだ。

しかし今回ばかりは電車を使ってしまった。

萌香と優津葉がいるからというのもあるが、それ以前に今朝のクウォーターマラソンのせいで足腰に限界が来ているからだ。

つまり先程述べた健康法は意味がないということだ。

自分の主張を自分で否定していく辺り俺は最強なのかもしれん。


電車に揺られること40分。

『次は、宇多津。宇多津です。お降りの際はお忘れ物の無いようご注意ください』

(珍しいな。語尾を伸ばさないタイプの駅員なのか)

クソが付くほどどうでもいい事を考えながら下車。

下りた駅は別次元なわけでもパラレルワールドでもなく、見慣れた宇多津駅だった。

ちょっとは都会なだけにやたら人が多い。


「よしっ、帰るか!」

「「なんで!?」」

「だって寒いし…人多いし。人口密度軽減に俺は協力する。珍しく慈善活動に勤しもうってんだ。それを止める権利はお前らには無い!」

「ゆずちゃん、こんな人は放っておいて早く行きましょうか」

「そうだね。多分なんやかんやでついて来るし」


テンション高めでボケてみたのだが、相手にされずションボリだ。

テンションがフリーホール中である。

妹に俺はどういう認識をされているのだろうか。

これは気になって朝も起きれませんね。

いや、朝は起きろよ。

俺の脳内がサンドウィッチ男過ぎてヤバい。


宇多津駅から徒歩5分でカラオケ店に着いた。

店の名は。カラオケブンブンという。

別に蜂が飛んでいるわけでも大物YouTuberがいるわけでもないことを先に伝えておく。

店舗は2階で1階は駐車場になっている。停まっている車の数を見た感じでは少なそうに感じるが、ここに来る客は自転車や電車を使う人が多いため車の数で計るのは適切ではない。

予約しているから関係ないんだけどな。

カウンターで受付をすませ、案内された部屋に入る。

めずらしく煙草の臭いは気にならず、空調設備も快適に使えそうだった。

マジでクサい所だとエアコンを点けた瞬間に煙草臭で倒れそうになる。


「誰から歌うんだ?俺は聞き専で行くからそこんとこ4649」

「たくちゃんに若者言葉は似合わないわよ。それと私から行くわ」

「萌香ちゃんは何を歌うの?」


4649が若者言葉なのかという疑問はあったが特に掘り下げず、曲選をしている二人を眺める。

「二人で歌う?」とか「良いね!」とか言って曲選をしていた。

早く歌えよ…。

でもまぁ楽しそうで何よりである。

5分ほど曲選に費やし選択した曲はやはりアニソンだった。


「あーなたはー今どこで何をしていますか~♪」

「!?」


選択した曲で分かった。

こいつ…鬱になってるな。

一曲目から「あなた」とかヤバいわ。曲自体は好きなのだが、本来カラオケというのは盛り上がる物だ。

だというのにこの部屋の空気はどうだ。

なんかお通夜みたいになってんぞ。優津葉に至っては「にーにー、にーにー」とか言っていた。ブラコンかよ。

俺シスコンで、妹はブラコン!YoYOチェケラッ!

おっと俺の脳内でフリースタイルダンジョンが始まるとこだったぜ。

お通夜は終わり優津葉の番になった。

もうお通夜はこりごりだぞ…


「街明かり照らした~賑やかな笑い声と路地裏の足跡♪」


よかった…暗くならない曲だ。

Lisaの曲はやっぱりいい曲だな。

この時は忘れていた。

この曲の真の姿を。

一分を過ぎたころサビに入った。


「じっと見つめたー君の瞳に~映ったボクが生きたシルシ♪」

「ギルティィィィィィィ!!!」

「クラウン?」

「ちがぁぁう!」


萌香のボケは放って置く。

だめだ…お通夜をこえて葬式だ…。

ボケを噛ましてきた萌香はストローをレイピアみたいに持ち、11連撃を打とうとしていた。

萌香さん、残念ですがこの世界にOSSはありませんよ。

歌い切り満足そうに座る優津葉。


「はい、次はたく兄の番だよ」

「いや、俺歌わねぇし」

「たくちゃん、歌ってよ。昔はよく歌ってでしょう。久しぶりに聞かせてよ」

「ほらほら、萌香ちゃんもこう言ってるしさ。はいマイク」

「うっ…分かったよ」

「何を歌うかは分かってるよね?」


満点の笑顔で見つめてくる優津葉。きっとテストは3点なのだろう。

言わんとすることは分かる。

郷に入れば郷に従えと言うが、この空気をさらに重くしろと言うのか?!

萌香を元気にするんじゃなかったのか。

これでは逆効果な気もしなくもない。俺なら部屋にこもってアニメを見直すところだぞ。

二人の視線が痛い。もう逃げ道はなかった。

乗るしかない、このビッグウェーブに!!

手際よくタブレットを操作し選択する。

直ぐにミュージックが流れる。イントロですでに怖い感じだ。


「あの時最高のリアルが向こうから 会いに来たのは~♪」


勝ったな。

これ以上の選曲は無かろう。曲だけだとそこまでだが、テレビ画面に一度見てアレな気分になったアニメ映像が流れている。

しかしサビに入ったというのに一向に表情を変えない二人。

(選曲は間違っていないはず…何故だ。何故アレな空気にならないんだ?)

そのまま曲が終わってしまう。


「はぁ…ミスったようだな。ほれ萌香、マイク」


マイクを差し出すが、受取ろうとしない。

俯いた顔を覗き込むと「お前はもうすぐ死ぬんだ…」と連呼していた。

(勝ったな)

優津葉は「じゃあお前が一番に死んで見せろよ!」と呟いていた。

うん。まさに混沌カオス


「だが、それでいい!!」


この後二時間ほど曲縛りが続き、精神的疲労と喉の痛みを抱えんがら退室。

お金は萌香が支払うと言って聞かなかったので奢られることにした。


「なんか久しぶりに歌いまくったな」

「たくちゃんとカラオケに来たの久しぶりだもんね」

「そうだな、4年ぶりくらいかもな」

「相変わらず音痴だったけどね」

「たく兄って鼻歌でさえ音痴だし…」

「二人そろって辛辣な言葉をどうもありがとう…俺はとっても変な気分だよ」


具体的に言えば罵られることに快感を覚える的なね。

そうか、俺はMだったのか。

そして音痴だったのか…。

17才の冬にとんでもない性癖が誕生したもんだ。まぁMじゃねぇけど。

そのまま道を挟んで建っているTUTA屋に向かう。

目的はもちろん本を買うためだ。


その後は飯でも食って帰宅だろう。

そう思っていた。

俺達は長い間苦しめられることになる。


「あれ?栗原じゃん。一緒にいるのは久高?へーあんたら結局は付き合ってたんだ…趣味わるっ」

「ほんとそれな。栗原って可愛いんだしもっと男前の奴と付き合えよ。ほら俺とかさ?」

「いや、流石にきもすぎっしょ」

「え、そう?まいったな、あっあははは」


口調から分かる阿保丸出しのこいつらによって。

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