第22章「人寄せる牛(1)」

病室のドアが開いていた。


指二本ぶんの隙間。

そのわずかな隙間から中の様子が見て取れた。


開けられたカーテン、

計器と管の山。


それらに繋がれた枯れ木のような老婆は

かろうじて呼吸をしているように見える。


細く開けられた目。

虚空を見つめる瞳。


僕はその老婆の死期が近いことを悟ると、

奥の部屋にいるゼミ仲間であった友人の元へと歩き出した…



「…天城結衣花くんは、本当にかわいそうだったね。

 出血性ショック死は出産時のリスクとしてあげられるけれど、

 いざ自分の生徒がそれで亡くなると、

 こちらとしても心苦しいものがあるよ。」


葬儀の後、会場から車を出すと教授はそう言った。


葬儀場は街から少し離れた場所にあり、

周囲には雪の残る田地が広がっている。


「彼女も家柄に引きずられさえしなければ、

 違う人生を歩めたかもしれないだろうに…。」


そんな、教授の言葉を聞いて僕は思い出す。


彼女…天城結衣花さんがこの辺りでは有名な

名士の家の生まれであったこと。


彼女の家には代々離れの座敷があり、

そこで生まれた特別な子供を秘密裏に養育していたこと。


そして、その子供は予言をする

『牛』の相を持つ子供であることを…


僕は教授に尋ねた。


「…彼女の家は『件』と関係があったのでしょうか。」


『件』


それは人面を持つ牛の妖怪。


家畜…主に牛などから生まれ

吉兆、凶兆を予言をすると言われている。


19世紀から出現が確認されており、

その絵姿を持っていると幸運に見舞われるとも言われ

現在でも絵や剥製などが各地に残っているというのだが…


…予言を行う赤ん坊。

『牛』の相を持つ赤ん坊。


だとしたら、彼女の家も

それに関連した家系ではないのだろうかと僕は考えていた。


しかしその言葉は、教授の一言によって否定された。


「いや、彼女の家系は『件』とは何の関係もない。」


気がつくと、車は街とは反対側。

傾斜のついた山道を登り始めていた。


「…だが、彼女から話を聞いていたというのなら、

 知っていた方がいいだろう…君の今後の進路もあるだろうからね。」


車は進む。


トンネルを抜け分岐した道を左に向かい、

途中トイレ休憩を挟んでからそのまま坂道を下っていく。


教授はその時に喪服から分厚いジーンズと上着に着替えており、

僕にも後ろに積んでいた登山用の装備を着るように促した。


「…最後の大規模崩落は、五十年前だったかな?」

 

そう言うと、安全靴を履いた教授は車を降りる。


「昔ね、この先の町で大規模な地盤沈下があったんだよ。

 地震による地層のズレと川の上流に作られた

 ダムによって水の流れが変わったのが原因だと言われていた…」


目の前にバリケード用の巨大な柵があった。


看板には『立ち入り禁止』の文字があり、

ここから先が市の管轄であることが示されていた。


「うむ、監視カメラも付いていないようだし、

 こちらによっては都合のいいことだ。」


そう言いながらも教授はポケットから一本の鍵を取り出すと、

柵の端にあった関係者用の通路を開ける。


「…やはり鍵屋とは仲良くしておくべきだね。

 市の職員がここの鍵を変えたというから、

 折り入って相談して合鍵を作らせてもらったんだよ。

 今日は休日だから、職員がくる心配もない。」


そして、教授は中に入ると通路の鍵を再び閉め、

そのまま先へと歩き出す。


鍵は教授が持っているので僕はそのままついていくしかなく、

仕方なく教授のあとを追うことにする。


…それから1時間。

僕らは随分な距離を歩き続けた。


山間の道路は五十年以上も放置されているためか、

半ば自然に還りかけており、上に降り積もった枯葉や

アスファルトを突き破った雑草があちこちで枯れ果て

何度も足を滑らせそうになる。


「…雪が消えかけているのが幸いだね、

 高地だからもっと残っていてもおかしくはなかったんだが。」


教授は一つうなずくと整備のなされていない橋。

その眼下に広がる今や人口がゼロとなった町を見渡した。


…そこは、もはや町と言えるのかさえ

怪しいほどに荒れ果てた消滅集落へと変わっていた。


3階建てのビルは中の鉄筋が見えるほどに倒壊し、

商店街と思しき店の並びの上には大量の草木が茂り、

その上に残雪が残っていた。


道は崩れ、家は草に埋もれ、

どこもかしこも隆起と陥没を繰り返していた。


「…これが、五十年前に起こった地盤沈下の影響だ。

 今でも地震がたびたび起こり、そのたびに陥没は増えていく。

 地元の人間が住めなくなるのも納得だな。」


そう言いつつも教授は川沿いに進むと、

町の中心部…そこに立つ今にも崩れそうな廃墟へと歩き出す。

 

「中でも大規模な地盤沈下を起こしたのが、ここ『坂下総合病院』だ。

 最盛期には250人以上が入院できる医療機関だったんだが、

 老人病棟下の地盤が緩み、最初の災害を引き起こした。」


教授は安全靴を踏みしめながら、

廃墟となった建物の中へと入り込む。


僕はその病院名を見てから、

慌てて後をついていき…


建物内部のガラスはすでに無くなり、

かろうじて「受付」と読める看板が地面に落ちていた。


病棟は北と東に伸びており、

教授は壁に表記された「←老人病棟」の文字を

読み取ると、北へと進む。


「ま、五十年前は老人ホームなんてなかったからね。

 いろいろ弱ってきた年寄りは老人病棟に入れて

 病院側に面倒を見てもらっていたというわけさ。」


そうして歩いていく中、

教授はふとある部屋で足を止める。


そこは「院長室」と表記されていたが、

教授はその壁に描かれた模様に興味を持ったらしく

持参していたペンライトを点けると、僕に来るように指示した。


「…ほら、見てごらん。

 これはよく廃墟で描かれるようなスプレーの落書きとは違う。

 以前から、ここにあったもののようだ。」


…そこには、細い線で描かれた一頭の『牛』がいた。


しかし、普通の牛とは違う。


まず電球を思い浮かべてほしい。

その頭部をハンマーで叩き割り中のフィラメントを抜く。

そこに目が一つしかない牛の首をくっつけてねじれたタオルで手足を作る。


それを象形化したものが壁一面に描かれていた。


「ほほう。どうやら噂は本当のようだ。

 …ほら、これを受け取りなよ。」


そう言うと、教授は床から拾った

小さな金属片を僕に放り投げた。


受け取れば、それは輪に繋げられた小さな金属プレートであり、

2枚で一組のそれは、1枚は無地だが、もう1枚には

壁に描かれたものと寸分たがわず同じ模様が描かれていた。


「…ここの病院にはね。昔、噂があったんだ。

 病院の創設者でもある院長が外国で黒魔術を習ったそうでね。

 なんでも、不老不死を求めて患者を実験台にしていたんだそうだ。」


教授はそう言いながらも、

壁に描かれた文様をスマホに撮っていく。


「その犠牲となったのが老人病棟の人々らしくね、

 彼らは『カミサマ』と呼ばれる存在を秘密裏に信仰するよう言われていた。

 それを信じることで不老不死の国に行けると、院長が吹き込んでね…」


そうして、教授は一通り写真を撮り終えると

再び廊下へと歩き出す。


「…だが、それは唐突に終わりを迎えた。

 老人病棟の大規模な陥没によって。」


僕は、教授の歩く先。

老人病棟へと続く廊下へとついていき…気がつく。


…そこには、何もなかった。


向こうにあるはずの廊下。

そこから先が無くなっていた。


あるのは巨大な陥没した穴。

すり鉢状になった巨大な穴。

草が茂り、その上に雪が被さっている。


かろうじて見えるのは元あった建物の屋根と

病棟の一部と思しきコンクリートの残骸だけ。


「そこにいた人間の大部分は今も行方不明だ。

 地面の下にいるのか、はたまた運良く生きているのか。

 それは私にもわからない…ともかく、それ以来ここでは

 地盤沈下が頻発するようになり人を寄せ付けない土地と

 なってしまったんだよ…。」


僕は、その陥没した穴を見てから教授に言った。


「…教授、その病院の院長の名前は?」


その言葉に、教授はニヤリと笑う。


「ああ、そうだよ。病院の院長の名前は天城カズラ。

 つまりここは、天城結衣花くんの

 …曾お祖父さんが建てた病院だ。」

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