「半身だけのチカちゃん(3)」

血だまりの中に浮かぶ

津久毛さんは語る。


『…正直、冗談だと思っていたんだ。

 地下に行けば姿を見せると、パソコンを持って来れば姿を見せると。

 誰かのイタズラだと思っていたんだ。サイトを乗っ取った…誰かの…』


しかし、それは誰でもなかった。

そう半身の少女以外は。


『彼女の話では、気がついた時には自分はパソコンの中にいたそうだ。

 回線の繋がったパソコン。そのサイトの中で自分は目覚めたんだそうだ。』


それから、彼女は自分の姿を作り始めた。


サイトの文章を読み、姿を真似、

ネットワークの情報を経由し、

自分が何者であるかを理解した。


そして、思った。


自分を生み出した環境。

それに沿って生きていこうと。


『チカちゃん』として生きていこうと。


そこから先は簡単だった。

回線を経由し、駅の内部に入り込み、

作り出した姿で人前に出るようになった。

 

彼女はそれを、繰り返した。


新たな解釈が生まれればそれに沿った行動をし、

ネットに書き込まれる頻度が少なくなれば、駅構内に出現する。


そうすることがサイクルの一部となっていた。

無論それは、サイトが閉じられた後も変わらなかった。


ネットの世界は広大で、

逃げ場所ならいくらでもあった。


噂は別のサイトで語られ続け、

地下鉄は無くならず、存在意義は守られた。


そうしているうちに、気がついた。


自分はどこから来たのか。

いつからこうしているのか。


その疑問が頭をもたげる頃、

最初の自分のいたサイトへとたどり着いた。


そこで気づく。


だったら再開させようと。


自分のルーツをたどるなら、

まずこの場所から始めるべきではないのか。


そうして、彼女は始めた。


動かぬはずのパソコンを動かし、

更新されるはずのないサイトを更新させ…そして、


『…その話を聞いた後、私は彼女に協力することにした。

 パソコンの環境を整え、テナントを私物化し、

 表向きはネットの管理人に戻ったかのように振る舞った。』


天を仰ぎながら、

血にの中に浮かび上がる津久毛さんは話し続ける。


『その裏で、今まで見向きもしなかった私の家…

 神社や土地のことについても調べるようにした。』


そして、調査を始めてからひと月も経たないうちに

津久毛さんは知った。


津久毛神社が鬼門封じの神社であることを。

器物に取り憑く付喪神の流出を抑える神社であることを。


そして、自室に置かれたパソコン。

北東に置かれたパソコン。


そこに宿ったものが付喪神だということに…


『…だがね。私は話さなかった。

 彼女がパソコンから生まれた創作物だということも、

 本当は付喪神ということも彼女に一切話すことはしなかった。

 それを話すことで彼女が傷つくのを私は無意識に怖れたんだ…。』


…だが、それから一年後。


事態は急速に悪化した。


神社の近くに完成した博物館が

突如として地盤沈下で崩れた。


液状化した地面は神社をも倒壊させ、

中に収めてあった古文書なども

同時に発生した火災によって焼失した。


『…正直、何が起きているのかわからなかったよ。

 父は落ちてきた柱に当たって昏睡状態になって、

 母も大やけどを負って入院した。

 私も、仕事の合間を縫って二人を見舞う日々でね、

 地下のテナントに行く日は、日に日に減少していった…』


規模が広範囲だったために神社の再建にもめどが立たず、

病院と資金集めに奔走する日々。


仕事と実家への援助に疲弊していく毎日。


そんな折、津久毛さんは気づいた。


地下鉄で度々起こる人身事故。

その都度ニュースになり、騒ぐ世間。


しかし、その何割かが彼女によって

引き起こされているのではないかという

疑念が日を追うごとに頭をもたげ始めていた。


…そう、怪しいことは何度もあった。


事故の数分前に必ずと言っていいほど

彼女の目撃情報が多発すること。


彼女が出没するテナントの床に

まれに血と思われるシミがついていたこと。


しかし、決定打となることもなく、

ずるずると日は過ぎていき…


…それが現実のものとなったのは、

昨年の6月に津久毛さんが車検で車が使えずに

地下鉄を利用したことがきっかけだった。


10年以上も使うことのなかった地下鉄。


資金集めの意見交換会に向かうため

津久毛さんは電車を待っていた。


時刻は昼過ぎ、電車を待つサラリーマンはまばらで

多くの人がスマホをいじっていた。


津久毛さんはその様子をなんとなく眺めていたが、

その時、一人のサラリーマンに目がいった。


…若いサラリーマンだろうか。


壁に背を預け、赤いケースに

入ったスマホをいじっている。


彼は床に仕事用のカバンを無造作に置いて

どこかダルそうに画面を見つめていた。


その時、突如として彼の背後から腕が生えた。


駅の構内の壁。


そのレンガの壁から一本の少女の腕が生えると

サラリーマンの顔を覆い一気に中へと引きずり込んだ。


あっという間の出来事。


その時、背後で耳をつんざくようなブレーキの音と

続けさまに『ドン』という音が聞こえた。


直後、駅員が走り出し、

線路の下を覗き込む人たちを追い出す。


「下がって、下がってください。

 人身事故です!下がってください!」


その時、津久毛さんは見た。


ホームの間の柱。

そこから覗く半身だけの少女の顔を。


ニヤニヤと笑うその手に握られた、

元は赤だったであろうどす黒い血の付いたスマホケースを。


その直後、津久毛さんは現場から背をむけると、

駅のホームから逃げ出した。


自分の見ていたものが信じられず、

すぐさま地下のテナントへと駆け込むと、

彼女に今の出来事は何なのか説明を求めようとした。


…しかし、その時に気づく。


部屋に広がる大量のパソコンに。


自身が買った覚えのない真っ白なパソコンが

大量に置かれていることに。


そして、その真ん中。


血にまみれた大量のスマホを床に置いて数える少女は、

津久毛さんを見て、ニヤリと笑う。


『すごいんだよ。私、あの神社が崩れてから、

 いろんなことができるようになったんだ。』


そうして、彼女は笑う。楽しげに笑う。

しかし、その声は一つではない。


部屋中のパソコンが点滅し、共鳴し、

彼女の顔を写し出し、声を反響させる。


壁という壁から腕が飛び出し、

握りしめた血にまみれた色とりどりのスマホを振る。


そして、彼女はこう言った。


『…早く、地下を出て行きたいんだ。

 もっと地上で遊べるようになりたいの…』



十日前、津久毛さんは山口さん宛に手紙を出した。


このテナントに行く方法と鍵を同封して。


そして、彼女を説得するために、事実を伝え、

この馬鹿げた行為を終わらせるために

津久毛さんは単身で地下テナントへと向かい…


『…結果は見ての通りだ。彼女に罪の意識はない。

 あるのは、ただ自分の存在意義を強めることだけだ。

 私にそれを止める手段はなかった…』


血の池から顔を出す津久毛さんは

うなだれたようにそう言った。


チカちゃんの方は「やっぱり意味がわかんないよ」と

頬に手を当てながら、ぶうぶう文句を言っている。


だが、山口さんは話を聞き終えると

納得したようにうなずいた。


「…わかった。大体の事情は飲み込めた。

 だから、俺にこれを注文したんだな。」


それに対し、津久毛さんもうなずく。


『そういうことだ…頼れるのはお前だけなんだよ。』


「くっそ、しょうがないなあ…」

 

そうして、山口さんは僕の方を向くとこう言った。


「…残念ながら今日の仕事はロハだ。

 取引もなし。荷物だけ置いていく。

 今すぐ…それを床に置いてくれ。」


僕は今更ながらに自分が持っている

大きな風呂敷包みのことに気がつく。


それは中身こそ見ていないものの、

ひと抱えはある大きな包みであり、

指示通り床に置くと「ごとり」と大きな音を立てた。


「よし、封は俺が開ける。」


その様子を見て、チカちゃんはケラケラと笑う。


『なになに?爆弾でも持ってきたの?』


そうして、トントンと近づいてきた彼女の顔は

山口さんが風呂敷を開けた途端に引きつった。


「いや、爆弾よりもこれはキツイだろう。」


…それは、置物だった。


瀬戸物細工の鹿とも龍ともつかぬ妙な生き物に乗り

丸い水晶と炎のように紅い蓮を持つ一人の女性の置物。


僕はこれに何の意味があるのかわからなかった。


…しかし次の瞬間、

彼女は…チカちゃんは頭を抱えて金切り声をあげた。


周囲のパソコンも一斉に悲鳴をあげ、点滅を繰り返す。


白い部屋は地震のように大きく揺れ、

パラパラと天井の一部が落ちてくる。


僕はその時見た。


山口さんが津久毛さんに何か話しかけるのを。

津久毛さんがそれに対し、何か答えるのを。


しかし、その内容を確かめる暇はなかった。


何しろ部屋全体が歪み始めていたからだ。


チカちゃんのものだろうか。

大量の腕が壁から生え、

必死に何かをつかもうと足掻いている。


僕は大慌てでドアを開け、

遅れて続く山口さんとともに廊下を駆け抜ける。


揺れはますます大きくなり、

壁に固定されたハードが次々と倒れていく。


そして階段を駆け上がり、地下鉄のドアを開けた瞬間、

派手な音を立ててテナントへと続く天井が落ち…


…後には、崩れた建物の瓦礫だけがそこに残った。





「…あれはね、鬼門封じの置物なんだよ。」


山口さんは車を運転しながら、

僕にそう話してくれた。


「女性の乗っていた生き物は想像上の生物でね、

 麒麟という獣の頂点に当たる瑞獣なんだよ。」


ダッシュボードを探り、タバコの箱を取り出すと

山口さんはそのうちの一本をくわえて火をつける。


「…そして、麒麟には魔を払う力がある。

 女性の像の持っていた水晶にも同じ効力がある。

 だからこそ、あれは鬼門の通り道を封じる役割があったんだよ。」


紫煙を吐き出す山口さん。


「…鬼門封じの神社が崩れてしまった以上、

 御神体も無くなってしまったのは想像に難くないからね。

 おそらくアキラはそれも見越して代わりの御神体として

 あれを用意するように頼んだのさ…。」


車は、今やほとんど雪のない道路を走っていく。


…いつしか僕は考えていた。


どうして、津久毛さんはもっと早めに

彼女に真実を知らせなかったのか。


どうして、ここまで事態が大きくなる前に、

彼女を封じることができなかったのか。


その疑問を山口さんにぶつけてみると、

車から降りた後、山口さんは答えてくれた。


「…アキラはね、彼女を娘のように可愛がっていたんだ。

 真実を伝えることや、ましてや封じることなんて、

 アイツにとってとても耐えられることじゃなかった。

 自身が子供が作れない体質だったからこそ…なおさら、ね。」


そして、車の側で立ち尽くす山口さんは、

今日はもう営業しないことを告げ、僕に帰るように勧めた。


僕は、少しためらいながらもそれに従い、

次に来たバスに乗りこむと、しばらく車内で揺られ、

自宅のマンション近くで降りた。


…その時、小さな女の子が

こちらに向かって走ってきた。


その子は暖かそうなダッフルコートを着て、

可愛らしいうさぎの耳あてをつけていた。


彼女を一瞥したあと、

僕はマンションに入ろうと歩き出す。


その時、唐突に声をかけられた。


『…ねえ、お兄ちゃん。

 今日はとっても楽しかったよ。』


その言葉に、

僕は足を止めて…立ちすくむ。


…少女の耳当て。


それにはヘッドフォンのコードが付いており、

その先端は片手に収まるほどのスマートフォンに接続されていた。


スマートフォンの画面は着信表示になっており、

表示された相手の名前は…


『もう、移動できるようになったから、

 あの場所は必要ないの…また、いつか遊んであげるね。』


そう言うと、少女はニヤリと笑う。


その表情は右側だけ、

そう、右半身だけが笑っているように見え、

少女は踵を返すと道の向こうへと走りだす。


…そこで、僕は思いだした。


現代の噂。

チカちゃんの噂。


その噂が変異していることに。


そう、彼女は今や半身で地下を彷徨うだけではない。


地下鉄の通る公園にも出没し、

殺した被害者から集めたスマートフォンで

子供たちの相談を聞くようになっていた。


…しかし、本当にそれだけだったのだろうか。


彼女の言葉。


『…早く、地下を出て行きたいんだ。

 もっと地上で遊べるようになりたいの…』


そう、彼女は出たかったのだ。

地下から地上へと。


そして、その目的は今やパソコンからスマートフォンへ

それを使う子供たちの意識の中へと叶えられつつある。


僕はそのことを山口さんに伝えようと思い、

自分のスマートフォンを出す。


しかし、その画面を見つめた後、

僕は番号を押すことなくポケットに戻した。


…何しろ、彼女のことだ。


広大なネットワークの中で、

逃げる方法なんていくらでもある。


結局、僕らにできることなんて、

ほんの一握りのことでしかない。


今日のような出来事など、

彼女にとって些細な事でしかないのだ。


僕はどんよりとした空を眺めると、

マンションの方へと歩き出す。


その時、かすかにスマートフォンから

少女の笑い声が聞こえた気がした…

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