第21章「半身だけのチカちゃん(1)」

「…『半身だけのチカちゃん』の噂、

 聞いたことはあるかい?」


3月の中旬、

雪解けでシャーベット状になった路面。


その上を車で走りぬけながら、

雑貨屋の山口さんは僕にそう尋ねてきた。


相手先に持っていくための

大きな風呂敷包みを持った僕は

その言葉に素直にうなずく。


…都市伝説『半身だけのチカちゃん』


地下鉄のホームで人混みに押され、

電車に体の縦半分を削られてしまった少女の霊。


以前は、自分の背中を押した相手を探すため

似たような背格好の男性が来ると駅の線路へと

落下させると言われていたが…


…最近では、地下鉄の通る公園にも出没し、

彼女の置いたスマホは『チカちゃん電話』と呼ばれ、

子供たちの相談を聞いてくれるという話へと変わっていた。


すると、それを聞いた山口さんは

感心したような声を上げた。


「…へえ、詳しいね。どこで調べたの?」


僕は「大学の課題で…」と言葉を濁す。


すると山口さんは「ふーん」と言いながら

駐車場に車を停め、駅の方へと歩き出すとこう言った。


「…そっか、俺とアキラの作った話、

 そこまで一人歩きしているんだ。」


僕はその話が冗談かと思い、

山口さんに聞き返す。


「…ああ、そっか。俺と同じ大学だから

 てっきり知っているかと思っていたよ。

 その話ってさ、俺と友人が20年前に

 大学で流行らせた創作怪談なんだよね。」


そう言いながら、

山口さんは地下鉄の切符を2枚買う。


「友人のアキラは…いわゆるオカルトマニアでね。

 大学2年の時に『何か怖い噂を作ろうぜ』って言い出して

 当時、ちょうどこのあたりに地下鉄ができたから、

 それをネタにしようって作ったのがその話なんだよ。」


懐かしそうな顔をしながら、

山口さんはホームを歩く。


僕も重い荷物を抱えながら、

その後ろをついていく。


駅のホームはラッシュ時と違い人がまばらで、

皆、スマホを見るか、新聞を広げているかして電車を待っている。


「最初は大学で流行らせようかって考えていたのだけど、

 二人ともシャイなものだから話す相手がいなくてね。

 そこで、アキラが思いついたのが、

 当時流行りだしたネットの掲示板だったんだよ。」


山口さんはホームを歩く。

僕はその後をついていくのだが…何かがおかしい。


駅の地下鉄のホーム、電車が来るはずの場所を通り過ぎ、

山口さんは駅員の入るような奥の道を歩いていく。


「アキラは意外に行動派でね。

 すぐにパソコンを買うと見よう見まねでサイトを作った。

 …『チカちゃんの噂について』っていうタイトルでね。」


山口さんは立ち入り禁止の背の低い柵を乗り越えると、

僕の荷物を受け取って一緒に来るように促す。


「…ああ、そうそう。

 アキラは大学卒業後に不動産業に手を出していてね。

 今ではいろんなところから許可をもらって、

 あちこちに自分のテナントを構えているそうだ。

 俺たちは、そのうちの一軒に向かっているんだよ。」


僕はそれを聞いて腑に落ちた。

つまり、僕らはその道中を進んでいるというわけだ。


山口さんは歩いていく。

だんだんと暗くなっていく地下鉄の通路を。

わずかな明かりが灯る通路を。


「…ああ、話が逸れたね。それでね、

 ネットの掲示板でアキラは噂をバラまいたんだ。

 あたかも自分が見たかのように、

 体が縦半分だけの少女の霊が地下鉄に出るとね。」


そうして、ある場所まで歩くと、

山口さんはポケットから小さな鍵を取り出し、

薄ぼんやりと輪郭の見えるドアの鍵穴に差し込んだ。


「…結果は大当たり、当時随分有名になったよ。

 中には駅の場所まで特定して『本当に見た』なんて

 言う人まで出た始末でね…ま、俺は途中で飽きて、

 3年になる時点で関わらなくなったんだけど…」


ガチャリと開く扉。


中二階になっているのか、

左のほうに上へとのぼる階段、

目の前に下へと続く階段がある。


「…ここは、ちょうど駅の東口に当たるところでね、

 当時はここに駅の改札工事をしようとしたんだけれど

 立地条件がクリアできなくて名前だけが残ったそうだ。

 そして、この下がアキラの所有しているテナントなんだよ。」


カツン、コツンと山口さんは足音を立てて

地下への階段を歩いていく。 


「アキラは元々この近くの神社の息子だったんだ。

 もっとも、本人は継ぐ気なんてまるでなかったようでね、

 …でも、自分が住んでいたまでなくなったときには

 本当にショックを受けていたようだよ。」


階段はかなり下まで続いており、

壁につけられたランプが辺りをぼんやりと照らしていた。


「…春先に地盤沈下がこの辺りであったの覚えているかな。

 新しい博物館の手抜き工事が原因とか言われているけど、

 ともかく、その地盤沈下のせいで博物館だけではなくて

 向かいにあった神社まで地面の下に埋まってしまったんだ。」


僕はその話を知っていたので素直にうなずく。

当時、ニュースは全国区で取り上げられていたはずだ。


「…それからだよ。アキラがこの地下にこもるようになったのは。

 掲示板の更新用に使っていた古いパソコンを持ち込んで、

 もう20年も経つのに『自分しか管理人はいないから』って

 本業そっちのけで今も熱心に新しい噂を書き込んでいるのは。

 アキラの経営する事務所から聞いたから確かな情報だろうけど、

 …正直、心配なところだよ。」


そうして、山口さんはスッと懐から封筒を出した。


「…ま、そういう事情も最近知ったものでね。

 十日前に俺の店のポストにこれが投函されていたんだ。

 内容は注文品と納品日…ご丁寧なことに

 この場所に向かう地図と鍵もつけられていたよ。」


封筒には「山口様」と書かれ、

裏には「津久毛彬つくもあきら」とそっけなく書かれていた。


「だから、20年ぶりの邂逅になるのかな…これが。」


山口さんはそう言うと、階段下にあるテナントの扉を開けた。


…入ってすぐ、寒い廊下が待っていた。


エアコンでも入っているのか、

ゴウゴウと冷たい空気が吹き付けてきて、

周囲にはチカチカとランプを点滅させる

大型の電子機器が壁にずらりと並んでいた。


「…たかが、ネットの掲示板の書き込みに、

 こんなでかいハードを入れる必要はないだろうに…。」


山口さんは頭を振ると先へと進む。


その奥にはドアがあった。

真っ白な、一枚のドア。


それを、山口さんはノックもせずに一気に開ける。


「アキラいるか?俺だ、山口だ。」


…そこは真っ白な部屋だった。

人間が三十人以上ゆうに入れそうな広い大部屋。


壁沿いに大量の白いパソコンが雑然と積まれ、

画面を見るとわけのわからない言葉が

ずらずらとスクロールされていく。


静かな部屋、冷えた空気が辺りに漂う。

…そこに、人の気配などまるでない。


トゥルルルル、トゥルルルル…


…その時、ひとつのコール音が辺りに響いた。


それは、部屋の中央。


真っ白なスマートフォンが床に置かれており、

そこから音が鳴り響いていた。


山口さんはスマートフォンを取り上げると、

素早く通話ボタンを押す。


「もしもし、」


『久しぶりだな、山口。』


…山口さんがスマホのスピーカー機能を押したわけではない。


それは、周囲にあるパソコン全てから

スピーカーのように発せられた音だった。


それに対し、山口さんは言った。


「やあ、アキラ。久しぶりだな。

 だがな。こっちはビジネスで来ているんだ。

 さっさと品物を置いたら帰らせてもらうぞ。」


昔の友人だというのもあるのだろうが、

山口さんは普段使わないような

ぞんざいな口調で相手に答える。


すると、相手は…津久毛さんは小さく苦笑した。


『…本当に、山口は変わらないな。

 そのせっかちなところは。何一つ変わらない。』


その時、僕は気がつく。


山口さんの持つスマートフォンから

何かが垂れていることに。


それは、赤黒い液体であり、

スマートフォンから落ちるそれは

床に赤いシミを作っていく。


その時、ザザッという音ともに再び周囲から声が聞こえた。


『…なあ、山口。最近、私は思うんだよ。噂は本当に噂なのかと。

 先に事実があって、それに噂が付随するんじゃないのかと…。』


「何言っているんだ。

 そんなことよりさっさと出てきて…」


そこで、山口さんは気がつく。


床にできていくシミではない。


壁。

真っ白な壁。


そこから覗く、赤いワンピースの少女に

僕も山口さんも気がついた。


その体は縦半分。

右半分だけのアンバランスな姿。


『そう、話を思いついたのは大学だ。大学の大講義室。

 そこで私たちは何気ない話をしていた時に思いついたんだ。』


少女は笑う。


壁にぴったりと縦半分の身体を押し付けながら、

くすくすと笑い続ける。


『でも、それは本当にあの時できたものなのか?

 私や山口が地下鉄で事故現場に居合わせて、

 その体験を元に作った話ではないのか?

 山口…お前は、それに覚えはないか?』


山口さんは必死に少女から目をそらし、

スマートフォンに向かって声をあげる。


「そんな…はず、あるわけないじゃないか。

 だって、あの話を先にしたのは俺だから。

 俺が別の町で少女が列車にひかれたというニュースを見て、

 それをこの街の地下鉄の話にしようって持ちかけて…」


『へえ、じゃあ私を作ってくれたのは

 やっぱり、あなたたちなんだ。』


…いつしか、津久毛さんと思われていた声は

少女のそれへと変化していた。


気がつけば、僕と山口さんのあいだ。

そこに少女が立っていた。


彼女はゆらゆらと縦半分だけになった

身体を動かしながら山口さんに近づく。


『津久毛さんがね、言ってたの。

 私たちは作り物だってパソコンから出てきた話だって。

 だから人を襲うなんて馬鹿げているって。』


そう言いながらも、少女は床を指さす。


『だから、うっかり潰しちゃったんだ。』


ポタッ…


その時、山口さんのスマートフォンから最後の一滴が落ちた。

それは床に広がる液体の中へと落ち込み、波紋を広げる。


いや。それは波紋ではない。


ゆっくりと赤黒い液体が波打っていき、

次第しだいに盛り上がる。


そうして、数秒も経たないうちに

それは人の顔へと変化した。


『すまない…。』


その顔は山口さんを見ると、

開口一番にそう言った。

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