「針子様(2)」

冷たい空気は縦穴の中を通り、

僕らの袖口にも侵入する。


防寒着を着ていたものの、

吐く息は白く、僕はその寒さに身を震わせ、

降りていくハシゴにより一層しがみつく。


…その時、不意の足場に僕は足を止めた。


そこは下に続くハシゴの中間地点らしく、

壁際に渡された狭い足場は古めかしい木の板でできていた。


足場が確保されているのなら動くのも容易なので、

僕は板の上に飛び移ると智也に習ってカバンから

大型の光量の多いライトを出し、周囲を照らす。


「うっひゃー、すごいなあ。」


途端に、智也が歓声を上げた。


…そこは、鍾乳洞であった。


上から鐘乳石が垂れ下がり、

下にポタポタと水滴が落ちていく。


しかし、その水滴は地面に浸み込まず、

何メートルにも積み上がった針の海へと沈んでいく。


上の小学校の敷地の面積など比ではないほどに

広がる静かな針の洞窟。


一部は錆びれ、上から落ちる

カルシウムによって白色にはなっていたが、

銀色の針の海はどこまでも続き、

暗闇の中でチラチラと光を投げかけていた。


「すげえ、すげえ、俺たちの街の下に

 こんな場所があったんだ!」


そう言いながら、智也はパシャパシャと

スマホのカメラ機能で周囲の写真を撮っていく。


「何十年、何百年、どんぐらいでこんなになるんだ?

 とにかく、こんなに針が集まるなんてすげえや。」


そう興奮する智也の足場には上から降ってきたのであろう針が

かなりの量で落ちていて、僕は智也に足元に注意するように声をかける。


「大丈夫だよ。それより、下の壁を見ろよ。

 変なものがぶら下げてあるぜ。」


そう言われて僕は気づく。


広い鍾乳洞の洞窟。

その壁沿いに何かが張り巡らされていた。


ライトの明かりによく目を凝らせば、

それはしゃもじ型の鳴子であり、

朱色に塗られたそれはボロボロの紐が通され、

洞窟の周囲に張り巡らされているように見えた。


僕はその色と形にどこか警告的な匂いを感じ、

未だに写真を撮り続ける智也に声を掛ける。


「…なあ、あの鳴子について何か知っているか?」


すると、智也は一つシャッターを押してから首をかしげる。


「いや?でも、婆ちゃんが言うにはこの辺りで

 地震があるとカラカラと音がするってことぐらい…」


その時だった、ズンという感覚とともに地面が揺れた。


同時にジャラリと鳴子が鳴り響き、

僕はとっさに近くの足場の支え棒をつかみ、

智也に叫んだ。


「棒につかまれ、地震がくるぞ!」


途端に、グラグラっと本震が来た。


足場は大きく左右に揺れ、

鳴子は盛大に音を鳴らし、

僕らは必死に支え棒をつかむ。


…震度は5か6か?

ともかく大きいことは確かだ。


その時、揺れる足場の上で智也が叫んだ。


「見ろ!波が、針の海に波ができてる!」


僕はとっさにライトを針の海へと向け、

その光景を見た。


針の海が揺れていた。


ザラリ、ジャラリと不気味に揺れる波は

鍾乳洞のあちこちに跳ね上がり、ぶつかり、

銀色の飛沫を上げる。


その洞窟の奥、波の中心部には

巨大な針による渦潮ができつつあり…


「こら坊主ども、何やってる!」


気がつけば、上の方から声がした。


声はしわがれた老人のものであり、

僕らに対して怒っているように聞こえた。


「早う上がってこい、

 そんな場所にいたらあの世に逝っちまうぞ!」


その声に対し、智也が泣き声をあげる。


「でも、こんなに揺れてるのにぃ…!」


それに対し、老人の声は怒声をあげる。


「いいから上がってこい、上は全く揺れておらん!」


…上は、揺れてない?


僕と智也は、その言葉に驚き顔を見合わせるも、

ともかく上がるしかないのは確かなので

必死に足場を伝ってハシゴへと足をかける。


「早う、上がるんだ。早うしないと…!」


そうして僕が先頭になり、

ハシゴを2、3段ほど上がった時だ。


智也が後ろを振り向き、声を上げた。


「お、おい、見ろよ…あれ。」


僕は智也が向いた先を向いて…

言葉を失う。


渦巻く針の海。

その真ん中に何かがいた。


それは、巨大な五本の鉤爪のついた指を持ち、

針をすくい、かき回し、渦を大きくしているように見えた。


針の真ん中にいる何か、

赤い肌をした何か。


僕はその腕の持ち主を

絵本や漫画で知っていた。


知ってはいたが、決して現実にいてはいけない存在であり…


「早う、上がって、来い!」


その言葉で我に帰り、僕らは一心不乱に上を目指す。


針の渦はなおも動き続け、

周囲にジャラリジャラリと音を立てる。


その時、僕は地に響くような笑い声を聞いたような気がした。


地下に響く笑い声、針や鳴子の音とともに

その笑い声は地を揺らし続け…


「…ようやく上がってきたか、馬鹿どもめ。」


憤慨す老人の前で、

ハシゴから必死に上がった僕らは息を切らす。


地上に上がると、

あれほどひどかった揺れはまるで感じられなかった。


老人は、たやすくコンクリートの蓋を閉めると

僕らに上の台を戻すように言いつけ、それから学校の外へ…

学校の敷地からそう遠くない老人宅へと僕らを連れて行く。


「飲め、地下で体が冷えたろう。」


そう言って、台所で淹れてくれたのは梅昆布茶で、

僕らはフウフウと冷ましながら茶をすする。


すると、老人は「全く」といって頭を振った。


「…あの場所はな、針の墓場なんだよ。

 表向きは針供養の場所と言われているが、それは違う。

 ここは針を集め地下へと奉納する場所だ。

 古文書によれば、平安以前からそうだったらしいが…。」


そう言うと、この辺りの土地を管理しているという老人は

自分で淹れた梅昆布茶をズズッとすする。


「なんでも、あの穴の底には地獄があるそうだ、

 鬼が管理する針地獄へと流れていく穴。

 あの針の下がそうだと言われている、

 あのままいれば、お前たちは地獄に連れて行かれていたぞ。」


『地獄』という言葉を聞いて、智也はびくんと体を震わせる。


「で、でも、別に俺たち何ともないよな。

 ちょっと穴に潜って写真撮っただけだし。」


そうして、証拠をとでも思ったのか智也は

ショルダーバックの中に手を突っ込んだが、

中をかき回すと、突然「あっ」と声を上げる。


「え、嘘、俺のおやつ…。」


見れば、取り出されたのは半分になった魚肉ソーセージ。


しかし、その周りには無数の針が刺さり、

針のむしろのようになっている。


すると、老人は顔を上げて僕のカバンを指差した。


「ほれ、そこの坊主も中に何かあるんじゃないのか?」


見れば、僕のカバンの下。

そこから水がポタポタと垂れている。


僕は、とっさにカバンを探り…

パックを貫通し針のむしろのようになった豆腐を見つけた。


「…運が良かったな。あの下に降りたもんは

 大概一番柔らかい部分に針が刺さる。

 そりゃあ、あんたらの命を救ったんだよ。」


そう言うと、老人は梅昆布茶をズズッとすすり

土瓶から二杯目を入れた。


「ま、これから2、3日は表に出んほうがええ。

 鬼の姿を見たなら、鬼は当分坊主たちを引き込もうとするからな…」


それを聞いて、僕と智也は顔を見合わせた…


その帰り道。


「…ま、大丈夫だよ。ちょっと地下に行って

 針供養の証拠写真を撮っただけだもん。」


そう言うと、智也は先ほど地下で撮った

スマホの写真をカチカチと編集する。


あの後、智也は老人に謝り倒し、鬼の部分を話さないことで

今回見てきたことを学校の課題として提出することを了解してもらっていた。


「でもさあ、俺たち鬼の姿なんて見てないじゃん?

 結局、見たのは変な腕みたいなものだけだし。」


そう言いつつも、智也はスマホをタッチすると

どこかへと電話をかけ始める。


…しかし、僕は気になっていた。


針の上に突き出された鬼の腕。

あれは、鬼を見たうちに入るのだろうかと。


入ってしまっていたのなら、

今後、僕らはどうなってしまうのだろうかと。


そんなことを考えていると、

智也が秀治に電話したと言った。


「ほら、どうせ俺のレポートもあとは書くだけだしさ、

 もう遅いし、俺がおごるから夕飯にしようぜ。

 ショッピングモールの2階にうまい飯屋ができたらしいんだ。

 ちょうど秀治も授業が終わったようだし、三人してそこに行こうよ。

 家が近いから車も取ってくるし。運転は俺がするからさ…」


僕はその言葉に苦笑し、同意する。


…ま、豆腐がおじゃんになったので

どっちみち夕飯はどこかで食べようかと考えていた。


こんな面倒なことに巻き込まれた以上、

智也に奢らせるのも悪くないだろう。


そうして、僕は智也の車に乗り込み、

夜のショッピングモールへと車は軽快に走り出す。


そうして信号を曲がった時、

僕らの車を赤いポルシェが抜き去っていくのが見えた…

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