第18章「古書店」

欲しい本があった。


昔読んだ本でイラストが各所に入った

図録系の文庫本。


だが、タイトルは覚えているものの

書店にはすでに置かれておらず、絶版扱いとなっており、

手に入れるには古書店を探すしか方法はないように思えた。


「…ふうん、君もなかなか

 レトロな本を欲しがっているようだね。」


そう言うと、教授はニヤニヤしながら

研究室で沸かした紅茶に口をつける。


民俗学のゼミを受け持つ教授の部屋はあいも変わらず混沌とし、

壁の棚にはどこかの部族の仮面やレトロなロボットのおもちゃ、

はたまた趣味でやっているダーツ板にそこに大量に刺さった

猟奇的な手術用のハサミまであった。


欲しがっていた本には民俗学的要素も入っていたので

物は試しにと僕は教授の休み時間に相談をしていた。


「ネットはどうだい?

 入荷したらすぐにメールをくれるところもあるだろう?」


僕はそれに首を振る。


ネットの検索はいつも0件であり、

同じ作者で扱われている別の本を見ると

かなりの高額で取引されているものもあり、

正直、学生のはした金で購入できるか心配なところでもあった。


「ふうん…じゃあ、ここへ行ったらどうかね。」


そう言うと、教授はガリガリと手近な紙に

何かを書き付けると折りたたんで僕に寄越す。


開いてみればそれはA4サイズの地図であり、

裏面には教授宛に事務からの重要な連絡事項が書かれていたが

僕はあえて裏面を見なかったことにして紙を受け取る。


「駅の一本向こうの線路側に古書店があるんだ。

 なかなかマニアックな本を扱っていてね。

 私も欲しい本があるとたまに覗いてみるんだが、

 この機会だ、君も一度行ってみるといいよ…。」


…そうして、僕はその日のうちに

古書店に足を運ぶことにした。


そこは、狭い家々の密集した地区であり、

中でも一番狭い敷地の中に収まった古書店は

奥行きもない二階建ての貧相な店に見えた。


本棚も表に一台、中に一台きりであり、

ざっと見た限りでは僕の欲しい本はそこにはない。


「…いらっしゃい、何かお探しで。」


閑散とした店内。


奥の方には台に載ったレジスターがあるきりで、

そこに座るあごひげの長いヤギを思わせる店主は、

しきりに丸メガネをハンカチで拭っている。


店の中央にはなぜか一脚の椅子が置かれ、

丸い天窓からの光を受けていた。


僕は店主の元まで歩いていくと、

タイトルの書かれたメモを渡した。


「…ああ、この本ね。1993年に出版された文庫本だ。

 確かB5版の本編と続編が一緒に入った完全版で

 図解された絵が特徴の本だが…さて…。」


そうして、店主はあごひげをひねりながら立ち上がる。


「少し奥を探してみるから、

 そこの椅子で待っていてくださいな。」


店主はレジの後ろにある丸窓の扉を開けると、

上につけられたドアベルの音を響かせながら

店の奥へと消えていく。


僕は立って待つのも悪いと思い、

素直に店の真ん中に配置された椅子に腰掛けることにした。


上の天窓から差し込む光は柔らかで、

身体がポカポカと暖かい。


店の外には春の陽炎が揺らめき

ここのところの課題の疲れもあったためか、

いつしか僕はうつらうつらと夢心地になっていき…



気がつけば、僕はベッドで横になっていた。


いつしか眠ってしまったらしい。


僕は恥ずかしさを感じつつ、

ベッドから起き上がろうとする。


その時、僕の枕元に何冊かの本が置かれていることに気がついた。


それらの本はどれも古い漫画本で、

80年代に流行った挿絵が目を引いた。


見れば、足元にはベッドの上に来るほどの積み上がった雑誌の束や、

図鑑の束があり、広い部屋のいたるところに大判の書籍や文庫本が

無造作に積まれ、本の山を形成している。


周囲の壁にもみっしりと古書が並べられ、

全集の一部やコミック、研究紀要まであり、

そのボリュームや種類の多さに僕は圧倒された。


…しかし、ざっと見回した限りでは、

その本の中に欲しがっていた本は無いようだった。


僕は半ばがっかりしながらも、本の束を崩さないようにしつつ、

開け放たれたドアの向こうへと歩き出す。


…その先もすごかった。


吹き抜けの二階建ての建物の壁には大量の本が並び、

積まれ、山を形成し、階段の下から横に積み上げられた本は

最上段に届くほどの高さとなり、階段の一部と化していた。


それは大型書店にも匹敵するような蔵書量と

広さを併せ持つ、本の宝物庫のように見えた。


そうして僕が周囲に積まれた本の群れに圧倒されていると、

不意に階段の途中の壁の中、大量の本のあいだに挟まるかのように

一台のパソコンが置かれていることに気がついた。


…そうだ、これだけの蔵書があるんだ。

タイトルで検索すればヒットするかもしれない。


僕は、足元の本の山を半ば崩しつつ、

ヨイショ、ヨイショとパソコンの元へとたどり着く。


見れば、付属のキーボードもマウスも本の山の中に入り込んでいて、

僕は慌てて本を数冊どかすと、一冊の分厚い本をキーボードの台にしながら

必要なキーワードを打ち込んだ。


『在庫:一件アリ』


黒いスクリーンの中に浮かぶ白文字。

シンプルな表記だが、僕はその結果に心躍らせた。


僕の探していた本が確かにここにある。

それがわかっただけで随分な収穫だ。


僕は慌てて本を探そうと周囲を見渡す。


二階に届きそうなほどに積まれた本のタイトルを見ると、

洋書に、地図、巻物に大型本。


古い本に新しい本、

本当にあらゆる種類の本がそこにはあった。


しかし、二階の階段の反対側。


その廊下の端で僕はおかしなものを見つけた。


それは、シュレッダーにかけられた

紙の成れの果てのように見えた。


灰色の紙の束、細長い縦の紙の屑。


二メートルほどあるそれは、

なぜか手すりから身を乗り出しているように見え…


次の瞬間。


それはブワリと飛び降りると、

段になった本の山を飛び越え、

巨大なカラスのような一つの目玉を輝かせながら

まっすぐこちらへと向かってきた。


「!」


とっさに、僕はパソコンから離れると、

そのまま本でできた段を下るように走り始めた。


ズシャッ…


重量のある音を響かせながら、紙屑お化けは後ろに着地すると、

そのまま僕の後を追うようについていくる。


ズシャ、ズシャッ、ズシャ…


本が積まれた階段はバランスが悪いためにすぐに崩れ、

足元はおぼつかず、スピードは出ない。


それでも、僕は必死に段を降りきり、階段の裏側、

下の階から漏れる丸窓の明かりを目指して必死に走る。


ガゾッ、ザゾゾッ…


背後の怪物は、紙の擦れるような音を響かせ

徐々に徐々に迫ってくる。


僕は必死に走ろうとしたが、小さな本の山につまづき

とっさに壁に横積みされた本に手をやった。


…その時、見た。


僕の広げた手のひら。


人差し指と中指の隙間から見える、

僕の欲しかった本のタイトルがそこにはあり…


その瞬間、僕は本の上と下をとっさに掴むと、

力任せに引き抜いた。


壁と積まれたアンバランスな本の山は、

当然ながら支えを失い、一気に崩れ落ちていく。


その中を、僕はひた走る。


胸に欲しかった本を抱え、崩れた本の波が押し寄せる中、

目の前の扉、丸窓の扉のドアを力任せに一気に押し開け…



気がつけば、僕はドアベルの音に目を覚ました。


上から差し込む日差しは暖かく、

僕はつい椅子の上でうたた寝をしてしまったことに気づき、

恥ずかしい気持ちになる。


そうして、店の中に一台だけ置かれた本棚の下段に目をやれば、

そこに僕の欲しがっていた本が一冊入っていることに気がついた。


僕は慌てて本棚から本を引き出すと、

レジの老人の元へと持っていく。


「…お会計、1260円になります。」


それを聞いて、僕は驚いた。


なぜなら、その値段は

僕の財布の全財産と一緒だったのだ。


老人はお金を受け取ると、

本を丁寧に袋にしまい僕に渡してくれた。


僕は、その本をドギマギしながら受け取りつつ、

老人に聞いた。


「…あの、その扉の奥ってどうなっているんです?」


すると、老人は後ろを振り返り、

肩をすくめて笑って見せた。


「…なぁに、ただの物置ですよ…。」


そのとき、ガザリと音がし、

丸窓から紙の束が覗いた気がした…

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