第17章「海の呼び石」

駅前の広場に噴水ができた。


石のタイルが敷き詰められた噴水は

時間ごとに吹き上がる量や位置が違い、

上で子供が遊べるような設計になっている。


僕は午前で講義が終わる日には近くのパン屋で昼食を買い、

広場のベンチに座って本を読みながら休憩するのが

最近の習慣となっていた。


そうして、昼食のサンドイッチも食べ終わり、

駅内の書店でもぶらぶらしようと立ち上がりかけた時、

不思議なものを見た。


…それは、一匹の跳ねる魚だった。


平らな体。片側に寄った目。


それは生きたカレイで間違いなく、

近くで遊んでいた子供はそれを見つけると、

歓声をあげて近づいていく。


「あ、だめ。ルーちゃん。

 それ、ばっちいから触っちゃだめ!」


とっさに母親が子供を抱き上げるも、

子供はタイルの上を跳ねまわるカレイから目を離さない。


「えー、ママ。なんでここにお魚さんいるの?」


その問いに、母親はしどろもどろになる。


「えー?えーっとね、多分お魚屋さんの魚が逃げちゃったんだね。

 それでここで跳ねてるんじゃないかなあ…」


しかしながら、駅の近くには鮮魚センターはなく、

駅中の魚売り場も焼き魚やよくて刺身しかない。


と、その時、子供がまた声をあげた。


「あー、お魚さん、下に逃げちゃったあ。」


「え?え?」


慌てる母親。

その目線の下には何もない。


あるのは水に濡れたタイルだけ。


…以来、噴水の周りで

そういった現象がよく起こるようになった。


決まって起こるのは噴水のタイルの上、

魚の種類も豊富で、タイやフグ、貝など様々だ。


それらが、いつしか噴水の中に出現し、

しばらく経つと消えるようになった。


この場所は海から遠いうえ、

誰が何の目的で魚を置いておくのか、

皆目見当もつかない。


ただ、噴水として使ったタイルには

ここから数十キロほど先の岩礁の石が使われているそうで、

その石が海とこの場所を繋げているのではないかと

まことしやかな噂が囁かれていた。


…そんなある日、僕は大学の帰りに

自転車で駅前を通っていた。


本来なら駅前は通らなくてもよかったのだが、

図書館で借りた本を返さなければならなかったので

帰りついでにと自転車を走らせていた。


時刻は5時半過ぎ。


雪は降っていないものの、

冬至直前で日が落ちるのが早く、寒さが身にしみるので、

僕はコートの前部分をしっかりと留めて自転車を漕ぐ。


そうして、駅の前を通った時のこと。


広場の噴水で人が倒れているのを見つけた。


怪我人かと、とっさに自転車を置いて駆け寄るも、

僕は噴水に設置されたライトに照らされた人影を見て足を止める。


…それは、溺死体だった。


水で膨れた体。


身体中に海藻が張り付き、

磯と腐った肉のひどい臭気が辺りに漂う。


それが、水の噴き出すタイルの上で

うつ伏せになっていて…


「君、そこをどいて!」


気がつけば、駅の交番にいた巡査が僕を押しのけ、

死体の側へと駆け寄っていた。


その手には無線機が握られ、

仲間の応援要請をしているようだ。


僕は自転車を置いていた場所に戻り、

その様子をしばらく呆然として見ていたが

…やがて気づく。


集まるパトカー、貼られる黄色いテープ。


しかし、消えない。

死体が消えない。


今まで魚や貝がそこにいても、

数分もしないうちにタイルの上から消えていた。


しかし、目の前の死体は消えない。

いつまでもそこに残り、臭気を放っている。


そうしているうちに警察や野次馬はますます集まり、

騒がしくなっていく。


僕はこれ以上人混みに押されているわけにもいかず、

自転車を押すと予定通り図書館へと向かうことにした…



それからしばらくの期間、

噴水の上で死体が見つかることが続いた。


新聞によれば、どれも海水で溺れた形跡があり、

体にはひどい打撲傷があったという。


また、体についた海藻は近海で取れるものばかりらしく、

警察はそれを証拠として殺人と死体遺棄事件の両面として

捜査を進めているとのことだった。



それから二ヶ月ほど経った頃。

警察は突如、証拠不十分として捜査を打ち切った。


市民の苦情もあってか噴水は撤去され、

その場所には現代作家の彫像が設置されることとなった。


そして、その日を境として広場に死体が遺棄されることはなくなり、

駅前の広場は再び街の憩いの場として賑わうようになった。


…しかし、僕は思う。

なぜ、溺死体があの場にあったのか。

なぜ、あの場でいつまでも死体が消えなかったのか。


正直なところはわからない。


ただ、街の噂では

噴水のタイルに使われていた石、

それが近海で取れる岩礁の一部であること。


その近くには有名な自殺スポットの崖があり、

そこに落ちた死体は上がらないという噂があることぐらいである…

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