第14章「ガード下の蝋燭」

…冬の朝、僕は街を回る路線バスに乗り込み

バイト先へと向かっていた。


昨晩の間に20センチ以上も雪が路面に積もり、

いつも通勤に使う自転車は使い物にならなかった。


「バスに乗って行きなよ。料金の方は

 交通費としてバイト代に上乗せしておくから。

 …ただ、雪が降ると道が混むからね。

 遅刻だけはしないようにしてくれよ。」


そう言うと、雑貨屋の山口さんは

一番近くのバス停の時刻表を渡してくれた。


…そして、僕はバスの後部座席で縮こまっている。


混むと言われていたので、

念のため一本前のバスに乗り込んでみたが、

やはりというか車の列は遅々として進まない。


このあたりは自転車を漕いでいるので知っていたのだが、

道幅が狭い上に街の中心部へと続く道なので

自然と交通量が多くなり混みやすい場所となっている。


「それにねえ、ガード下は事故が多いんだよ。

 多分、気温差で下が凍ってスリップするんだよね。

 あと坂が急だからスピードも出やすい、

 去年なんか玉突き事故で死人が出ちゃったんだよ。」


そんな山口さんの言葉を思い出しつつ、

のろのろと進むバスはガード下のトンネルへと入った。


二車線の道幅の狭いトンネル。


両側には歩行者用の道路が敷かれ、

オレンジ色のライトが中を照らしている。


左右見ただけで10台以上が

トンネルの中ですし詰状態となっていた。


ただ、車内は暖房が効いていて、そこそこ快適なので、

まだ時間に余裕がある僕は着くまでのあいだに

いっそ読書でもするかとカバンを探る。


…その時、気づく。


バスの車内。

数人のまばらな客。


お年寄りや学生、若いサラリーマンが席に座り、

それぞれスマホを見たり、あくびをしたりしている。


その、前方にはトンネルの出口が見えており、

バスの車高が高いため渋滞した車の様子もよく見えた。


しかし、バスの片側。

左の窓ガラスに妙なものが映っていた。


それは、ロウソク。


騒音や排気ガスを避けるためか

歩行者用と車道を分けるように間に壁が立っている。


その壁には理由はわからねど

2、3箇所ほど四角い窓のような穴が空いているのだが…


その窓のひとつに、

ほのかに揺れるロウソクが12本立っていた。


赤い、和蝋燭。


柄も何もないロウソクは半分ほどまで溶けていて、

垂れた蝋はコンクリートの壁面に細い筋を描いていた。


僕はなぜかそのロウソクが気になり、

よく見ようと席から身を乗り出そうとしたが…


その途端、バスがガタンと動き出し、

そのままガード下を通り過ぎることとなった。


「…ふーん、俺は見た事ないけどね。

 美大生がしょっちゅう通るし、そいつらの仕業じゃない?

 気にしないほうがいいよ。」


そう言いながらも雑貨の入った段ボール箱を整理をする山口さんは

ふと手に取ったロウソクを見て僕に寄越す。


「…もしかしてこれかな、トンネルで見たやつは。」


受け取ると、それは確かに

トンネルで見たものと同じロウソクだった。


「あー、これは街でも作っている店が一軒しかない

 和蝋燭だね。生産数もわずかだから値段も高いし

 返品できない買取制だったから断ったんだけどさ、

 それ、昨年サンプルでもらったものだからあげるよ。」


そう言いつつ、山口さんは再び段ボールの中を漁り始める。


僕はそのロウソクにつけられた製造元のシール。

『谷口蝋燭店』と書かれたシールを見つめ…



「ああ、そこは私の叔父が経営する店だよ。」


そう言うと、経営学を担当する谷口准教授は

淹れたてのコーヒーに口をつける。


准教授の部屋は僕のゼミの教授の部屋と違い、

書類や本が整頓された清潔で綺麗な部屋だった。


僕はその蝋燭屋の話を経営学の授業でちらりと耳にしたので、

もしかしたら谷口准教授なら何か知っているかと思い、

話してみたのだ。


「…でもねえ、当人たちに聞きに行くなら辞めたほうがいい。

 何しろそこの娘さんの…私にとっては従姉妹なんだが、

 夏美さんが昨年事故で亡くなってね。以来、二人とも

 あまり人前で話さなくなってしまったからね。」


そうして、谷口准教授は僕が持ってきた

赤いロウソクを手で弄ぶ。


「夏ちゃんも可愛そうにね。せっかく店を継ぐんだって

 頑張っていたのに、玉突き事故で死んじゃったからな。

 叔父さん夫婦もかわいそうに、今でも墓に彼女の好きな

 赤いロウソクを毎日のように供えているんだ…

 まるで、いつか彼女が帰ってくるかのように、毎日、毎日…。」


そう言うと、谷口准教授はロウソクを転がす手を止め、

じっと僕の方を見た。


「だから、それ以上の詮索はやめてくれないかい?

 私も彼女との過去を思い出すのは辛いんだ…申し訳ないけれどね。」


そう告げる、壮年の谷口准教授の目はわずかに潤んでいた。


僕は、それ以上の言葉が見つからず、

ひとつ頭を下げると谷口准教授の部屋を後にした…



その二日後の休日。

僕はバイトに行くためバスに乗り込んでいた。


山口さんの話では今日は少し遠くの家に配達をしてもらいたいそうで、

一時間ほど早めにバイト先に来て欲しいとの連絡であった。


路面を見ると数日間のうちに太陽が出る日もあったためか

雪は10センチ程度に減っていた。


しかし、朝は相当冷え込んでいるらしく、路面は凍りつき、

道路に設置された温度計を見るとマイナス2度と表示されていた。


確かに、バス停で待っている間は随分と寒かった。

僕は分厚いマフラーに顔を埋めつつ席に座る。


そして、暖房の効いたバスは

今回は渋滞に巻き込まれることもなく

ガード下のトンネルへと入っていき…


そこで、僕は気づく。


トンネルの中、あの車道と歩道の間のコンクリート壁に

ロウソクが並べられていることに。


4本の赤いロウソク。

前回見たときと同様の和蝋燭。


しかし今回、そのうちの3本が異様に短く、

中でも右から2番目のロウソクは、ほぼ芯だけになっていて、

風が吹けば今すぐにでも消えてしまいそうに見えた。


そして、後ろ。

ロウソクの後ろに誰かいた。


それは、一人の女性だった。

防寒着を着た、短髪の半ば俯いた女性。

じっと目の前のロウソクを見つめる女性。

薄ぼんやりと透けながらも鼻筋の通った綺麗な女性。


僕がその女性に見とれていると、

不意に隣の車線から急ブレーキ音が鳴り響いた。


ついで派手な衝突音、

バスに乗っていた乗客が騒ぎ出す。


「事故だ!」


「白いワゴン車が、」


「救急車」


「真ん中の車、トラックの下に潜り込んでいるぞ!」


パニックになる車内。

『落ち着くように、今すぐ連絡を入れます!』

バスの車内アナウンスが流れる。


その時僕は気づく、ロウソクの本数は

トンネルの中の車体数なのではないかと。


ロウソクの長さは車の中の

人の寿命の長さではないかと。


そして、僕は先ほどのロウソクの

並んでいた場所へと目を向け…後悔する。


そこには完全に火の消えた

右から2番目のロウソクがあった。


蝋を流し完全に消えた和蝋燭。


そして、額から大量の血を流した女性は

満面の笑みでロウソクを見つめながら、

衝突した車へと顔を向けた…

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